11、人食い虎は暴れ回る
大型獣による残酷な殺害描写がありますので、ご注意ください。
メグは説明した。アーケイディアの聖騎士団本部に帰るなら、ニューシャーウッドを通る道が最も整備が行き届き、安全だ。しかしそのニューシャーウッドには現在、魔物と思しき虎が出没しているという。ならば駆除に参加しない団員は無理に帰還せず、この町に滞在するのが最善なのではないか、と。
「確かに他の道もありますが、遠回りするか、整備が行き届かない道や、ヒグマやピューマの出没する道を通ることになります。この先、ニューシャーウッドまでは五十人以上の人間が滞在出来る場所もありませんし、このシルバニアタウンには湯治施設もありますから、疲労が溜まった団員や負傷した団員の療養にも向いているのではないでしょうか」
ハワード卿は頷き、駆除に参加しない他の団員たちの意見も聞いた上でメグの意見を採用した。
「お待ちしていますから、必ず戻って来てくださいね」
出発前のモリーの言葉は虎駆除に出発する団員たち全員に向けてのものだったが、ハワード卿の心臓は大きく跳ねた。
彼は大型輸送車からチェス盤を出すと、モリーに預けた。
「済まないが、このチェス盤を預かっていてほしい。トミーとケーキを賭けて勝負をしている途中だったんだ」
トミーが何か言いたげな顔をしたが、何も言わずに車に乗り込んだので、ハワード卿は気にしないことにした。
* *
虎の逃亡から二日目の夕方までには、犠牲者の数が更に増えていた。
朝、十二歳の少年が、家の近くで喉笛を無残に咬み裂かれた姿で見つかった。
昼前。あまり評判の良くない夫婦の幼い娘が夜間に家から放り出されていたのを保護した近隣の住民が、夫婦を窘めようとその家を訪ねたところ、二人きりの派手な酒盛りの最中に襲われたと見られる男女の死体を発見した。シェーンは軽い幻術を使い、警察官に紛れてそれらの死体を検分した。いずれも大型の獣に襲われたことは間違いなかった。
同じ頃、猟師の死体が公園の植え込みの間で発見された。罠を仕掛けている途中に背後から襲われたらしく、死体の傷は後頭部から背面にかけて集中していた。
また、白昼の大通りで、ガソリンエンジン式乗用車や通行人が行き交う中をものすごい速さで走り抜ける虎の姿を多くの人々が目撃していた。
住民は恐れて家に閉じこもり、旅行者は我先にと町からの脱出を図った。
ベッキーとシェーンは虎の行方を追い続けていたが、成果は芳しくなかった。虎が身を潜めそうな場所に魔物を探知する魔法陣を仕掛け、これまで犠牲者の死体が発見された場所に足を運んでも、何の手掛かりも残っていなかったからだ。
滞在中のホテルに戻り、紅茶を飲みながらベッキーは眉を顰めた。
「犠牲者の霊が、一体も残っていないなんてね……」
「虎の正体は魂を喰らう魔物でしょうか。それでしたら、霊が残っていないのも納得出来ますが」
「探知の魔法陣に引っ掛かりもせず、日中に現れて魂と肉体の両方を喰らう魔物。しかも虎に憑依、或いは変身する能力を持っている魔物、か」
今ここにラウルがいたなら、とベッキーが思うのはこういう時だ。ベッキーよりも年上で、博識だった半エルフの婚約者は、どれほど頼りになったことか。だが、彼女はそれを口には出さない。何故なら、ラウル本人から頼まれてのこととはいえ、ラウルに止めを刺したのはシェーンだからだ。
かつて、旧大陸の大国で起こった皇位継承戦争に紛れて半エルフ狩りを始めた黒幕は、隷属の呪術で縛ったシェーンに、ラウルの殺害と亡骸の持ち帰りを命じた。生きた半エルフに隷属の呪術は効かないが、亡骸に魔力と魂を残したまま従順な下僕に変えるという邪法を用いれば、容姿端麗な半エルフの中でも際立って美しいラウルを意のままに出来る、と。
まだ少年だったシェーンを相手に油断したのか、ラウルは瀕死の重傷を負った。その時ラウルの血を浴びたことで隷属の呪術が弱まったシェーンはラウルに謝罪し、どうか逃げてほしいと懇願した。
しかし、ラウルはもはや自分が助からないことを悟ったのだろう。シェーンを隷属の呪術から完全に解放する代わりに、浄化の炎で自分の亡骸をすっかり焼き尽くすことと、遺灰と最期の言葉を新大陸にいるベッキーに届けることを約束させたのだ――。
「我が主よ、ロビン殿から連絡がありました。ハワード卿が部下五十名を連れて、こちらへ向かっていらっしゃるとのことです」
「ありがとう、シェーン」
追憶から現実に引き戻されたベッキーは、少し微笑んでみせた。ベッキーは、追っ手から逃れて旧大陸を彷徨い、新大陸に渡るまでの間にすっかり成体となったシェーンの姿しか知らない。しかし、彼の心が未だに途方に暮れた子どものままだと言うことはよく解っていた。
「五十人もいれば、何か役に立つ知識を持つ団員がいるかもしれないね」
――その言葉は、二日後に現実のものとなる。
* *
ニューシャーウッドに到着した聖騎士団員五十名は、ベッキーの滞在するホテルの支配人から熱烈に歓迎された。ベッキーとシェーン以外の宿泊客が町から出るために急いでチェックアウトしてしまい、閑古鳥が鳴いていたからだ。
ハワード卿がトミーと共に自分と部下たちのチェックインの手続きをしていると、支配人はカウンターで礼とも愚痴ともつかぬことを話し出した。
「おかげ様で大量に仕入れた生鮮食品が無駄にならずに済みます」
評判のサーカスが来るということで多くの客が町の外から来ていたのに、そのサーカスの虎のせいで大損だ、と支配人は言った。
「勿論、サーカス団がわざと火事を起こした訳でもないでしょうし、名物の虎をわざと逃がす訳もないですから、要するに皆、運がなかったのでしょうね」
「虎が名物とは?」
ハワード卿がそう尋ねると、支配人はロビーに貼られたポスターを指差した。
「あちらをご覧ください。『東の大帝国の神秘!』とあるでしょう。例の虎は、大金帝国の遺臣だという男が、数々の芸当を仕込んだサーカスの花形だったのですよ。私も毎年拝見しましたが、あれはなかなかのものでしたよ。人に馴れて大人しく、よく訓練された虎だと感心したものでしたがね」
「大金帝国の虎か……」
トミーが思案顔に呟いた。
ハワード卿以下五十名及びベッキーとシェーンは、ホテルのダイニングに集まり、情報交換を始めた。
「虎を所有していたサーカス団だが、七名いたメンバーのうち、空中ブランコ乗りのドロシー・ゲイとクラウンのハリー・ベイカー、手品師のビル・ホワイトは既に死亡している。だが三人の霊は見つからなかった。生存者だが、団長のコナー氏とその妻は意識不明の重体で、今も病院で治療中だ。団長夫妻には八歳の子息がいるが、この子は奇跡的に軽傷で、今はこの町に住んでいる団長の姉、メイ・コナー嬢が面倒を見ている。虎使いのツァン・ユエンは顔と腕に火傷を負ったが、今朝退院したそうだよ。今は猟師連合に混ざって虎探しをしているという話だ。そして、今日の夕方までに見つかった犠牲者は、この三日で既に二十名を超えた。だが、どの犠牲者の霊も残っていないので、襲われた時の詳細が分からない。白昼でも暴れ回り、肉体と魂の両方を喰らう魔物に、誰か心当たりがあれば教えてほしい」
ベッキーの言葉に、トミーが頷いた。
「ツァン・ユエン。なるほど名前からして大金帝国の遺民らしいですね。それなら虎も、故郷から連れて来たのでしょうか」
「そこまでは分からない。だが、もし君が何か知っているなら話してほしい」
ベッキーにそう言われて、トミーは頭をぽりぽりと掻きながら話をした。
「大金帝国――今の華夏民国の伝説によれば、虎の中には、食い殺した人間の霊を下僕として使役するものがいるそうです」
「大勝利の後の戦闘」「やりかけのゲームをそのままにして戦いに出る」というのも死亡フラグなのだそうですね。
頼りになるオシアン公も不在なのですが果たして……。




