10、聖騎士団長は、まだ帰還出来ない
エリザベスタウンでの諸々の処理も終わり、ハワード卿率いる遠征部隊は、一人も欠けることなくガソリンエンジン式大型輸送車に乗り込み、北部連邦第二沿海州・州都アーケイディアにある聖騎士団本部を目指した。
輸送車の内部は、二人掛けの座席が向かい合わせになった四人一組のテーブル付きボックスシートになっている。そのボックスシートの一つに、メグとモリーが、ハワード卿とトミーと向かい合わせに座っていた。
「モリーさん、さっき見送りに来たアーセンさんと仲が良さそうでしたね」
メグが声を潜めながらも無邪気にそう尋ねると、モリーはにこりと笑った。
「初めて会った時に、伯父上の実の甥御さんだって明かしてくれたの。『私たちは血は繋がっていないけれども従兄妹同士ですね』って。だから、何だか嬉しくなってしまって」
モリーは生まれて間もなく母親を失い、船乗りだった父も、モリーが幼い頃に海に落ちて未だに行方が知れない。育ててくれた祖父母は既に亡く、父の妹にあたる女はモリーを魔物の餌食にしようとし、その女が産んだ従妹たちは母親の毒を含んだ言葉に感化されて、モリーとは疎遠になってしまった。血縁といえばヒルダ伯母だけになってしまった彼女にとっては、そのヒルダ伯母が重傷を負ったと聞かされた時に新たな親戚が出来たことは、大層嬉しかったに違いなかった。
(アーセンは彼女と親しくなるためにそう言ったのだろうが、その発言のせいで、彼女の恋愛対象ではなくなってしまったわけだな)
船旅用の小さなチェス盤を出してトミーに相手をさせながら二人の会話に密かに耳を傾けていたハワード卿は、もしアーセン氏がモリーに向かって「貴女と結婚して新しい家族を作りたいのです」と求婚していたらどうなっただろう、と思った。
「さっきは、『結婚式には忘れずに私にも招待状を送ってくださいよ、お祝いに駆けつけますから』って言ってくれたのよ」
モリーがそう言いながら、ほんの一瞬だけ羞じらうように自分に視線を送ったことに気付かないハワード卿ではない。彼もこっそりと目だけで笑って見せた。
「モリーさんの結婚式は、私が花嫁の介添人として責任を持って素晴らしい式にしますからね」
メグがモリーに腕を絡めてそう囁いた。何やら既に張り切っているメグの言葉に、モリーは頬を朱に染めた。そして、ひそひそとメグに囁き返した。
「待って、まだ求婚もされていないのに結婚式だなんて――」
メグは一瞬呆気に取られた顔ような顔をすると、やがて耳まで赤くなった。
「すみません、つい先走ってしまいました。そうですよね、求婚が先ですよね。……それなら、モリーさんはどういうふうに求婚されたいですか?」
えっ、と声を上げて硬直するモリーに、メグは真剣な顔で囁いた。
「勿論、熱烈な求婚がそのまま幸福な結婚に繋がるとは限りませんが、夫になる方からきちんとした求婚をされた女性の方が、その後の結婚も上手くいくらしいですよ」
モリーは、恥ずかしそうに呟いた。
「……薔薇荘の庭で」
薔薇荘とはモリーの実家だ。昨年の夏に焼失したが、現在、聖騎士団の工務部によって再建工事が行われている。モリーの実家のある森には多くの妖精が棲み、普通の大工では仕事が出来ないからだ。報告によれば、使い魔たちの協力もあり、来月には完成する見込みだということだった。
「……それから、柘榴の花と、オレンジの花の花束があれば」
どうやらかつての薔薇荘にはモリーの祖母が輿入れの際に持参した、オレンジの花と柘榴の花を刺繍したタペストリーが飾られていたらしい。花嫁の幸せと子孫繁栄を願ったそのタペストリーは、残念ながら昨年の火事で焼失してしまった。しかし、それは今でも、幸福な花嫁の象徴として、モリーの記憶に深く刻まれているのだ。
「柘榴の花なんて簡単には手に入らないし、オレンジの花とは時期が合わないから、造花で十分満足なんだけどね」
モリーは小さな声で、メグにそう語った。
「ハワード。黒い森の姐御から連絡だ」
ロビンがそう言いながら肩に止まったのは、トミーを相手にしたチェスの盤面がハワード卿の優勢になって来た頃だった。「黒き森の大聖女」として一目置かれる存在であり、ハワード卿の名付け親でもあるベッキーを「姐御」と呼ぶのは、ロビン・グッドフェローぐらいのものだ。
そのロビンが再び小さな嘴を開いた時、出て来た声は、鈴の音のように澄んだベッキーの声だった。
「『ハワード、遠征から帰る途中で申し訳ないのだけれど、手を貸してくれないかな。出来れば五十名ほど人手があるとありがたいのだけれど』」
ベッキーの話は次のような内容だった。
ベッキーは現在、国境の町ニューシャーウッドに滞在している。昨夜この町で興行中のサーカス団のキャンプで火事が起こり、その騒動に紛れて一頭の虎が逃げ出した。
その虎はこの一日で既に六人の人間を襲った。巧妙で魅力的な罠を仕掛けても歯牙にもかけず、屋外ばかりか、厳重に戸締まりをしたはずの堅牢な造りの建物の中にも現れる。どうも普通の虎とは考えにくい。
魔物であれば地元警察や猟師組合の手には負えまい。出来れば此方で解決したいが、自分とシェーンだけでは、神出鬼没の虎を追いきれない、と。
「ハワード、名付け親の頼みは引き受けるべきだと思うぜ。それに姐御は気前が良い。今回の虎の件を上手く片付ければ、どんなに高価な薬草でも珍しい花でもお前が欲しいと思った物をくれるはずだ」
ロビンが、ハワード卿にしか聞こえない声でそう言った。
(欲しい花、か……)
人的被害が出ているという話でもあり、そもそもベッキーの頼みを断るという選択肢はハワード卿にはない。それにもかかわらず、わざわざロビンがそのようなことをいうのは、彼もモリーの話を聞いていたからだろう。
「お袋の指輪は既にモリーちゃんの左手だし、求婚の時に何も贈り物がないってのも今ひとつ格好がつかないしな!」
やはり聞いていたのだな、とハワード卿は相棒の小さな頭を右手の人差し指の先で優しく撫でた。
因みに、ロビンが「お袋」と呼ぶのは、妖精の女王タイタニアのことだ。ロビンはタイタニアが取り替え子として人間世界に紛れ込んでいる間に産んだ子なので、タイタニアの夫たる妖精王オベロンの庶子だと誤解している人間は多いが。
「ロビン。このままニューシャーウッドに行く者と本部に帰還する者を分ける。この少し先にある町、シルバニアタウンで一旦休憩すると全員に伝えてくれ」
シルバニアタウンでの臨時会議の結果、ニューシャーウッドでの虎退治から外されたモリーとメグは不満気だった。
しかし、ハワード卿は冷静に指摘した。
「浄化はシェーン殿がいるから問題ない。それに、二人ともエリザベスタウンで消費した浄化の力がまだ充分に戻っていないだろう」
いくら妖精女王の加護で力が増幅した状態だったとはいえ、鉱山一つ、町の半分を浄化するのは二人にとって負担が大きかったはずなのだ。
「第三隊所属のダイアナ・スミスとアン・バーリーにも、第三隊基地に帰還した後は一週間の休暇を取るように命じている。同様に君たちも休むべきだ」
「ハワード卿も、お疲れのはずでは?」
モリーにそう言われて、ハワード卿は首を振った。
「私なら問題ない。それに、次の相手は通常の虎よりも知能と身体能力が高いという。情けないことだが、私も他の皆も、そういう相手から君たちを守りながら戦える自信がないのだ」
モリーがそれでも何やら案じ顔で黙ってしまうと、メグが言った。
「それなら今回の虎の駆除に参加しない団員は、このシルバニアタウンで待機して、参加する団員と駆除終了後にここで合流する、というのはどうでしょう?」
指輪を求婚するよりも先に渡してしまったハワード卿、代わりに花束を差し出すしかないのです……。そして、国境の町で暴れる虎(?)。まだ帰還出来ません。
シルバニアタウンは、「ウサギやネコやクマたちが可愛いお洋服を着て仲良く暮らしている町」ではなく、「森の中の町」という意味です。




