82 エピローグ3
王都一の目抜き通り。その南にあるハンスの酒場横から一本路地裏に入り、長くうねる道を道なりに進むと不意に開けた場所にでる。その場にそびえる木は、妖精が宿ると言われ、昔から伐ることを忌諱されていた。その木を中心に、十メートル四方の僅かに開けた広場を右に曲がり、更に細い道へ。そこから真っすぐ進んだ先にある一軒の店。そこは錬金術師の店。
不思議な事に、その店には特定の人物しか辿り着くことはできず、一説には、店の主人に客として認められたもののみが複数回訪れることを許されているのだという。もしもその場所に辿り着きたいのなら、本当に主人の助けが必要となり、純粋な心で願わなくては、けして辿り着けない。普通に聞いただけの道を歩いてきても、けして辿り着けないその店は、いつしか『魔法の店』と呼ばれていた。
烏の濡れ羽色の衣装を身に纏った青年が一人。派手な緋色の髪をした男は、誰の目にも止まることなく路地裏へと入り、荒れた道を音もなく歩いていく。その足は迷うことなく目的地を目指していた。
『魔法の店』
そこに住まうは薬と名がつけば、劇薬から爆薬までなんでも取り扱う錬金術師の青年。この王国では珍しい存在ではないのに、彼の存在は国王でさえ一目置いていた。
塵一つない綺麗な店内。勝手に動き回る掃除用具。壁に掛けられた棚に並べられた瓶は常に磨かれ、中の液体がきらりと光る。吊るされた薬草達は、たった今採ってきた、そういわれても納得するほど瑞々しい。
無造作のようで、その実特定の法則をもって並べられた危険極まりない爆弾各種。吸い込まれそうな輝き誇る宝石たち。所狭しと置かれた商品棚の全てに、空き一つなく並べられた商品の数々。その商品が尽きるのを、長くこの場に通うものでさえ、見たことはない。
店舗の奥、扉のない区切りの向こうには大きな錬金釜。原初の火と呼ばれる、燃料もなく延々と燃え続ける謎の火により、中の液体は常にゆるく沸き立っている。
カウンターに足を投げ出し、大きな揺り椅子にだらしなく身を持たれかける青年こそ、この店の主人。ユーリ、としか名乗らず、それが本名なのか、偽名なのか、誰も知らない。いつもどこかつまらなさそうな表情を浮かべ、ぼんやりと中空を眺めたり、本を読んでいたりする。
この主人が魔法使いだ、と言われてもおそらく、殆どの人間が納得するだろう。そんな、まるで絵本の中に登場してきそうな黒いローブを身に纏い、いつだって不思議な薬を与える謎の人物。年を取っているのかも謎で、いつからここにいるのか、誰も正確な事を知らない。気が付いたら、いた。
緋色の髪をもつ青年の、雇い主。
扉を押し開き、店内へと足を踏み込めば、アンティークゴールドのベルが来客を告げる。その音に、カウンターの奥、揺り椅子に座る青年がゆるりと顔を上げた。フードを目深に被っており、その顔は窺い知ることができないが、口元はにんまりと弧を描き、パッと見には笑っているように思える。
「やぁ、いらっしゃい」
「よう。今日はお前か。嘘吐き賢者はどうした?」
まるで猫のように足音もなくカウンターに近寄った青年は、軽く首を傾げた。揺り椅子に座るローブの男は、けして表情を変えることなく、ゆっくりと腕を持ち上げる。一切日焼けをしていない生白い、けれども作業をするためか、荒れた指先がゆっくりと下を指差した。
「寝てんのか?」
「そ。流石に彼も疲れたみたいだよ」
色々やったからね、と指を引き、肩を竦める男。緋色の髪の青年は鼻で笑った。
「はん。テメェのせいだろうが」
壁際に置かれた丸椅子を引き寄せ、どっかりと座る。カウンターに肘を置き、その手の甲に頬をのせた。
「で? 説明しろよ。どうしてこうなったよ」
眉根を寄せ、むっつりとした表情を隠すことなく問う青年。対するローブの男は、大したことじゃないんだ、と笑った。
「彼が嘘吐きだったってだけさ」
「んなこたわかってんだよ」
ぺっと空いている方の手で宙を払う。不機嫌を一切隠さない青年に、ローブの男は、ゆるく左右に首を振った。やれやれ仕方ないなぁ、とゆったりと、敢えて人の癇に障るように紡ぐのは、最早彼の在り方。慣れていない相手が聞けば一瞬で血が沸騰しそうなほど、人を小馬鹿にした音。けれども、緋色の髪の青年は対して気にした様子もなく先を促す。
「やれやれ、答えを聞くのは容易い。少しは自分で考えたらどうだい?」
「うるせぇ。良いからさっさと答えろ」
「ちょっやめっ乱暴はよしてよ。僕は痛いのは嫌いなんだよ」
一瞬の間に、するりとカウンターを乗り越え、揺り椅子に座る男の胸ぐらをつかみあげた。そしてそのままガクガクと前後に揺さぶる。ローブの男は、喉が締まったのか、ぐぇえ、と情けない声を上げながら、両手を上げ、降参を示した。そうしてようやく手を離す。
全く乱暴な、と唇を尖らせながら、よれた胸元を手で払うようにして正すと、ローブの男はゆったりと揺り椅子に深く腰掛け直す。
「もう、どこから聞きたいんだい?」
「全部だ全部。何でこうなってんだよ。つーか、なんで二人が生きてんだ。あの後何がどうなったんだよ」
「そんなの彼がどうにかしたに決まってるじゃないか」
ばっかだなぁ、と嗤う。
その答えは予想していた、と言わんばかりのタイミングで、青年はローブの男の頭部に拳を落とした。
痛い、と非難の声が上がるが、じろりと睨んで黙らせる。目だけでさっさと語れ、と促した。
青年からの乱暴に唇を尖らせ、酷い酷いとぼやきながらも、ローブの男はゆったりと語りだした。
――ゆるゆると浸食し続ける炎の中、伏していた男の指先がぴくりと動く。のっそりと、まるで冬眠明けの熊のように緩慢な動きで起き上がった。目深に被っていたフードを取り払い、ああ、と煩わしげに声を上がる。
生白い手で金の髪をがしがしとかき乱す。
「痛いのは嫌いだって言ってるのに……酷い話だよ」
到底胸を貫かれたとは思えないほど元気に起き上がったユーリは、銀の瞳に剣呑な光をのせた。この国滅ぼしてやろうか、とうっそりと呟く。
頭に上げていた手をおろし、袖の中から回復薬を取り出した。瓶の口を開け、中を飲み干す。
「あーぁあ。死なないけど痛いんだよ。本当に嫌になるね」
ぶつくさとぼやきながら、少し離れた場所で倒れているシンの体をひっくり返した。肩から反対の脇腹へと走る傷。一刀のもと、肉も骨も断ち、これでは即死だっただろうとわかる致命傷。流石は王国一だな、と感想を漏らしつつ、シンの体に新しい回復薬を振りかけた。
あっという間に癒える傷。己の造った薬の効果くらい理解している。そういわんばかりの態度で、興味なさげに更に袖口をあさる。続いて取り出したのは少し前にシンに渡したのと同じ、天秤の形をしたアイテム。
傷の癒えたシンの死体の上に天秤を置いた途端、かたん、と何も乗っていない筈の天秤が傾いた。ゆらり、と天秤が揺らめくように光り輝き、その光はゆっくりとシンの体へと染み渡るように消えていく。
その様子を見ることなく、ユーリはもう一つの死体へと振り返った。
「どうするかなー。いや、まぁ、あのおっぱいが失われるのは、世界にとって大いなる損失だよねぇ……仕方ないなぁ……」
傍から聞けばどうかと思うような内容を呟きつつ、ミーユの死体に近づくと、シンにしたように仰向けにし、傷を癒し、天秤を使う。
息を吹き返した二人の頬を思いっきり張り飛ばし、跳ね起きた二人におはよう、と声をかける。炎はじわじわと広がっていた。
「この建物が燃え尽きるにはまだ時間がかかる。火をつけたのはおそらく聖騎士長だね。よく計算されているよ。僕が逃げるだけの時間はある。さ、とっとと行くよ」
「ッユーリっ」
「ダメ、無理。諦めて。回収は不可能」
辺りを見渡し、思わず声を上げたシンに、にべもなく言い放つ。
「だいたい、多分まだいるよ。油なしにこの建物を燃やすには、奥から順にいくつもの部屋に火を落とさないといけないんだから。鉢合わせたら大変だろう。ほら、行くよ」
床に転がる木べらを拾い上げ、歩き出す。
さっさと部屋を出て行こうとするユーリに、シンもミーユも何とも言えない表情のまま後に続いた。
慣れたように炎の踊る廊下を、入り口とは逆の方向へと歩き、一つの部屋に入ると、戸棚を引きずり倒し、その後ろから現れた扉をくぐる。隠し扉の先は外。入り口とは反対側へと出た。
燃え盛る建物を振り返り、シンは一つ溜息を零した。
「……これからどうするんだ?」
「どうって……。帰るよ。上に」
「城の中を通るのは無理だろう?」
「当たり前だろう。言っておくけど、入り口は一つじゃないんだ。僕がそんな馬鹿な真似をするわけがないだろう?」
何言ってるんだい、と首を傾げるユーリに、シンはそうだよな、と思わず頷いた。
ユーリと言う男は、何かをする際、可能性を幾つも持った状態で行う。一つ目の策が役に立たなくなったとき、即座に他へと切り替えるために。そんな男が、隠した場所への道を一つだけにするわけがない。
「……つまり、ここは偶然見つけた場所ではなかったんだな?」
「当たり前だろう。彼らに語ったのは嘘の中にほんの少し真実を混ぜただけの話さ。そもそも僕が本当の事をべらべら喋ると思ってたの?」
「いいや、まさか。だから、驚いてた」
そうだろうとも、とユーリは頷く。そしてそれっきり、何を聞いてものらりくらりとかわしながら地上へと戻った。
右へ左へ幾度も曲がり、途中、奇妙な仕掛けのある扉を何枚もくぐり、流石のシンも覚えられないな、と思ったころにようやく見えた地上の光。暮れかけの西日。
思ったより地下で過ごした時間は短かったようだ、とその時初めて知った。
「あ、二人にはこれあげる。あの宰相に見つかって、もう一度殺されたくなかったら使いなよ」
投げ渡される小瓶。中で煌めく真っ青な液体。
「色、変えるくらいだけどね。ああ、気になるなら、性別変えるのもあげるよ?」
にんまりと笑う口元に、それだけは、と二人揃って首を横に振る。残念ながら、目の前で笑う男のように、何かを成し得るために性別を変えて、本来なら同性だろう相手に迫るなんて、考えただけでゾッとする。
ありがたく頂戴した薬はまさに魔法の薬。飲むだけで、髪と目の色が変わる。正直顔はそのままなのだが、それでも即座にはわからないだろう。
そのまま自分たちの宿へと戻れば、突然のイメージチェンジに、そこいらじゅうのハンター達からからかわれそうだが、ハンターは意外とそういったことへの突っ込みはない。本人が言わない限り、外見の話題はタブーとなっている。変えるには、それなりに理由があるから。
ミーユと共に、ハンター街へと戻ろうとしたシンは、残念なことにユーリに首根っこを掴まれ、そのままずるずると引きずられるようにユーリの店へと連れ去られた。そして、数日を店で過ごすことを強要されたと思えば、また再びどこかへと連れて行かれる。
連れ去られた先にいたのは、教会で見たことのある顔の男。ユーリはその男と少しだけ話し、不意にシンを振り返った。
「それじゃぁシン、頑張ってね」
「は? 何をだよ?」
「何って……君は僕を選んだ。なら、その体が動く限り、僕の剣であり、盾でなければね。それには今の君では物足りない。彼にみっちりしごいてもらいなよ」
白く、荒れた指先が男を示す。
正直、自分がユーリの護衛としては足りていないことはわかっていた。その証拠に、手も足も出ずにカインに殺されたのだから。
「君は、騎士の剣より、暗殺者の剣が向いている。守る剣じゃない。殺すための剣だ。優しい君には辛いかもしれないけど、頑張って覚えてきてね」
にんまりと笑い、じゃぁねと手を振るユーリ。そしてそのまま、戸惑うシンを一度も振り返ることなく立ち去った。半年後に迎えに来るから、と過ぎ去り際に呟いて――。




