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錬金術師は人間観察がお好き  作者: 猫田 トド
八章 結び解け行く縁
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76 別れ



 はいこれ、と差し出されたアイテム。


 手のひらにすっぽり収まりそうな金色の天秤。サイズと、その全てが金でできている以外、特にこれと言って変わったところはない。


 受け取ったシンは、なんだこれ、と首を傾げた。


「魂の天秤。死者の魂を呼び戻すことができる。使い方は簡単。寝かせた死体の胸元に乗せるだけ。天秤が傾けば成功」

「失敗もあるのか?」

「あるよ。まぁ、僕作なら大丈夫さ。あ、それとそれは使い捨てだから」


 それでどっちを選ぶの? と無粋にも問いかける。


 死体は二つ。


 恩ある父か、愛する女か。


 その二つを瞳に映したまま凍り付くシンを前に、ユーリはにんまりと笑う。動かないシンに、もう一度どうするの、と問いかける。


 もう、時間はない。


 ゆっくりとシンは動いた。


「……そう、それが君の答えか。やっぱり人間って面白いね。それじゃ、ごゆっくり」


 小さく笑い、ユーリは背を向ける。そして部屋を出た。身の丈ほどもある木べらを杖代わりに廊下を歩き、先ほどまでの部屋へ戻る。


 ぐるぐると相変わらず渦巻く平皿の水。試験管の中の液体が、ごぼごぼと音をたて、波立っている。平皿を覗き込んでも、突っ込んだ女の姿はない。渦巻く水が見えるだけ。


 袖をあさり、虹色の液体が入った試験管を取り出す。コルク蓋を外し、中身を平皿の中へと零した。渦巻く水は淡く輝き、無色透明から、虹色へと変化する。それと同時に、試験管の水が一層激しく波打った。


 四本の試験管全ての水が薄らと発光する。そして、光はゆるゆると中心へと集まり、形を成していく。それは一本ずつ違う形を形成していた。


「どうだい? 錬金術は錬成するだけじゃないんだよ。こうやってねぇ、元の状態に分解できるんだよ。まぁ、殆どの錬金術師が知らないんだけどね。僕も誰かに教えたことはないんだ。良かったねぇ、実際に体感までできちゃって」


 平皿の直ぐ左隣にある試験管の中、つるりとした見た目の石。乳白色の、人の頭大。それにむかってユーリはにんまりと笑った。


「錬金釜の底は、味わえたかい? まぁ、僕は絶対に知りたくないし、感想も聞きたいとも思わないけどね」


 横から見て、厚さはほんの一センチに満たない平皿。普通に底に手がつくはずなのに、水が入り、渦巻くと突然底なし沼に変わる。そんな不気味な物の底、生きて味わうことなど、普通ならあり得ない。


「尋ねても応えられないよね。口がないから」


 ふふふ、と優しい笑い声が零れる。


「君は素晴らしいよ。ホムンクルスにも魂が宿ると証明したんだから。本当ならパーツごとに分解して取っておいても良かったんだけどね……君が、勝手にその体を使わなければ、だけど」


 ユーリの視線が、更に左隣の試験管へと向いた。試験管の中、揺れる金髪の女。


「僕の最愛の人の死体を、僕が造った墓から掘り起こして使っちゃうなんて……困ったものだね。どういうバグかな? ホムンクルスにホムンクルスを造らせて、延々と墓守にしたのがまずかったのかな? この、フィンデルン王国って名前の墓を、ちゃんと守りなさいって言っただけなんだけど……何をどう間違ったんだろう?」


 ねぇ、と試験管の中の女に問いかける。女は試験管の中で揺れるだけで、応える事はない。それでもユーリはフードの奥の目を、楽しげに歪めた。


「君が生き返ってたらどうしようかと思っちゃったよ。君相手じゃ僕はどうしようもないからさぁ。折角君が大人しく僕に殺されてくれたのに、無駄になるところだったね」


 女の浮かぶ試験管前に立つと、優しく撫でる。まるで本当に女に触れているかのように。愛しげに、壊れ物を扱うかのように丁寧に。少し荒れた指先が、ガラスをなぞる。


「ねぇ、アリア。禁忌の錬金術師、僕の創造主。ユリウスを(・・・・・)殺した人(・・・・)。君はこうして残ることを望まなかったけど、今どういう気持ち? 僕が造った君の妹は、君と同じことをしたよ」


 姉妹って似るのかな? と首を傾げる。


 ユーリが造ったマリアのホムンクルス。正確にはアリアの妹ではなくとも、その血を以て造り出したのだから、血縁者には違いない。そうユーリは考える。だからこそ、ホムンクルスを彼女の妹、と呼ぶ。


 優しく語りかけていたユーリは、不意に違うか、と声を上げた。


「僕はマリアのホムンクルスを造ったけど、君はユリウスの死体に僕を入れたんだったね。君と僕は違う物を造ったのか。そうか……君と違うのか。残念だ」


 寂しげに肩を落とす。


 しばしの沈黙の後、ユーリはゆっくりと問いかける。


「ねぇ、アリア。僕は、君の望む『ユリウス』を演じる事ができた? 君は、僕の『ユリウス』で満足できた?」


 違うよね、と溜息が零れる。


 もしも彼女が満足していたのなら、彼女は自ら死を選ばなかった。そう、知っているから。


 聡い彼女は知っていた。偽物は、所詮偽物で、彼女の望む人は、永遠に彼女の手に帰らないことを。どれだけ似せようとも、胸に開いた穴は埋まらない。自分で殺しておきながら、もう二度と会えない人を想い、彼女は死んだ。それも、自分を愛する者に手を下させた。


 酷い人だよ君は、とユーリは笑う。


 自分勝手で残酷で、本当にユリウスしか見えていない、最低な女だった。ユリウスを求めてユーリを造っておきながら、ユリウスが二度と返らないことを知るや、あっさり逝った。引き留めるユーリの声など聞こえはしない。


「だからね、僕は君に教えなかったんだ」


 ユーリは袖をあさり、一つのアイテムを取り出す。


 先ほどシンに渡したのと同じもの。手のひらにすっぽりと収まる金色の天秤。


 それを使えばユリウスは戻ったかもしれない。ただし、既にこの体にはユーリが居た。賢者の石として。一つの体に二つの意思。普通ならば体の所有を巡って争うところだが、錬金術を愛するあの男なら、あっさりユーリにこの体を明け渡しただろう。己を望む女より、娘より、錬金術を愛する男だった。少なくとも、ユーリがこの体を得たときに情報として流れ込んできた、彼の記憶を見る限りはそうだった。だから、教えない。


 君の愛する男は、君よりも《錬金術の結晶()》をとる。


 そんな残酷なこと、教える事が出来なかった。代わりに、望むままに殺して、望まぬ願いを叶え、こうして肉体を残した。


「ホムンクルスにホムンクルスを造らせる実験は概ね成功していたけど、どうしてここだけ(・・・・)失敗したかな? やっぱり素材に選んだ対象が悪かったのかな? やれやれ。この年になってまだ研究するべきことがあるなんて、困ったものだよ、錬金術は」


 にんまりと微笑む。


 そして、揺蕩う女に問う。君ならどうする、と。


 答えが欲しくて尋ねたわけではない。ただ、目の前の女も、錬金術の塊である賢者の石()には及ばなくとも、なかなかに優れた錬金術師だったから、同じ研究者として尋ねてみただけ。ユーリ自身、彼女が生きていたとして、何と答えるのかわかっていながらも、人間はそうするのだ、と学んだから。


「僕は『ユリウス』にはなれなかったけど、立派な人間にはなれたと思うんだ。だからね、ありがとう、アリア。そして、さようなら」


 ユーリの手が、試験管に繋がる管との境にあるノズルに伸びた。そして、ゆっくりとノズルを捻れば、試験管内の液体が排出されていく。液体の中、ゆらゆらと揺蕩っていた体は、ゆっくりと落ち、崩れる。木べらから手を離し、試験管の下方にある扉を開け、そこからその体を引っ張り出すと、一度床に下ろした。その隣の試験管も同じように液体を抜き、転がる石を取り出す。


 君も、さよならだ、と囁いて、横たわる女の体に乗せた。


 ちらりと扉を確認し、小さく笑うと、床に散乱した本や、研究内容を記した紙切れを乱暴にどかす。そして、その下から現れたハッチを開けば、下へと続く階段。ハッチを固定し、女の体を石ごと抱き上げる。


 明かりがなく、部屋の明かりが届かなくなると全く見えなくなる階段を、震える足を叱咤しながら、まるで見えているように降りていくユーリ。やがてその足が止まった。


 目の前にはただ闇が広がっている。その闇に向かって、ユーリは女と石を差し出すようにして、手を離した。


 動かぬ二つは、当然ながら下へと落ちていく。あっという間に闇に溶け、やがて、ばしゃりと水音が返った。


「ある素材以外、何でも融かす劇薬だ。君の為に造ったんだよ。さすがの君の体も、それの前では無力だ。良かったね。望みどおり、肉片一つ残すことはないよ」


 にんまりとした笑みに乱れはない。これといった感情をのせることなく別れを済ませると、ユーリは踵を返し、階段を上がった。


 ハッチを戻し、扉の方へと視線を向ける。


「どうしたの、シン」

「なに。いるだろう? 見張り役」


 扉の向こうに声をかければ、何てことがないように返る声。


 ふ、と思わず肩の力が抜けた。


 そうだね、と返す声は思った以上に穏やかで、ああそうか、と納得する。やはり紛れもなく、自分は彼女を愛していたのだ、と。


 与えられ、知識として受諾した感情と呼ぶにも烏滸がましいそれを、なんとはなしに後生大事にしてみたが、いつの間にかちゃんと自分のモノになっていたのだ、と納得した。


「もう少しお願いね。ここにあるものは、人の世にはいらないものばかりだ」

「さっさとしろよ。俺にはおっさんをおさえるだけの力はねぇぞ」

「はいはい。わかってるよ」


 肩を竦め、結わえつけてた巾着を二個とも取り外す。片方にもう片方の中身を全て移し、空っぽになった巾着の口を、大きく広げた。次々に放り込まれる本と、研究内容を書きなぐった紙切れ。その殆どが暗号で書かれていて、並の者には読み解くことはできないだろう。それでも、何年も、何十年も、何百年も、大勢の人間が知恵を出し合い、努力すれば、やがて答えに辿り着く。だからこそ、ユーリは破棄することを決めた。


 脳裏にルルクを思い浮かべ、面倒くさい人を連れてきたもんだ、と自分の行いに苦笑する。


 クリストファーは興味を示したところで、これは人の世には過ぎた物で、いつかまた世界を滅ぼすものを造り出す。そう教えれば手を出さないだろう。為政者だが、彼は素直にこの国を、世界を愛している。


 カインはそもそも興味を示さない。彼の中で錬金術はあってもなくても問題はないのだ。ただ、あれば便利だから使う。なければないで他の道を模索する。そういう種類の人間。


 だが、ルルクは違う。彼だけは、危険があるならその危険を取り除けばいい。それ以外の有益な物を、僅かな危険だけで排除する方が愚かだ、と考える。そして、復活させようとあらゆる努力をしてしまう。彼の管理を離れた後の危険性よりも、今の実益をとってしまう。


 それもまた、間違いではないのだろうけれども、ユーリは望まない。人が学習していくのだと知っていても、無くても良い物なら、与えないで危険を百パーセント回避する方を望む。なぜなら彼はこれからも生きていくから。


 彼らが死んでも、ユーリは生きていく。たった一人。永遠に。


 その後を見て行かねばならないのなら、無駄な過ちの芽は摘んでおくのが良い。その方が、穏やかに見守っていられる。


 全ての資料を投げ込み、棚の中の素材やアイテムも投げ込むと、巾着に火をつけた。ある程度巾着が燃えると、床に転がした木べらを拾い上げ、まだ中身の入っている試験管を叩き壊す。流れ出た液体に、巾着を燃やした火は飲み込まれ、鎮火した。


 扉の外が煩くなる。


 派手に壊した試験管の音に、何事かと騒ぎ出したのだろう。けれどもユーリは気に留めず、全ての試験管を叩き壊し、最後の試験管を壊すのと同時に壊れた木べらを投げ捨てる。仕上げに平皿を持ち上げ、床に投げつけた。一層大きな音をたて、割れた平皿。


「後は、ホムンクルス達か……」


 それは後でいいか、と投げ出す。


「いいよ、シン。入ってきて」


 許可に、ゆっくりと扉が開いた――。


ノズル……?

ノズルみたいなもののイメージなんだけど……言葉が出てこなかった……

世界観に合わない気がする……

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