68 錬金術師ユーリ
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ガッと人体にあるまじき音がする。
ユーリの左胸に刺さった短剣。それは、五センチも刺さらずに、奇妙な音をたてて止まった。代わりに、いつもにんまりとした笑みを浮かべている唇が、苦しげに歪む。
「毒を盛ったり、刺したり……君って、本当に容赦がない、よね」
苦しげに、困ったように、呻くような声。けれどもそれだけ。よろめくことも、口から血を吐くこともない。不気味な光景。横で見ていたクリストファーとルルクは、恐怖に一歩後ずさった。カインが静かに剣を抜き、構えたところを見るに、これについては何も知らなかったようだ、と二人は判断する。
ふぅ、と一つ溜息を零したのはユーリ。君ってやつは、と呟く声は、シンを咎めるように、けれども少し困ったような、複雑な音をしていた。
怒りのこもった目。ざまぁみろ、と一矢報いた色が混ざり、短剣が引き抜かれる。その痛みにユーリが呻こうとも、シンが何か手を貸すことはない。そんな冷たい様子に、痛みに歪んだ口を苦笑いに変える。
溢れるはずの赤は、真っ黒いローブに吸い込まれるのか、その存在を視認させるに至らない。
「魔法使い殿、貴殿はいったい……」
「はぁ……シン、貸して」
ローブを脱ぎ捨て、赤く染まったシャツも脱ぎ捨てる。差し出された短剣で、左の胸を切り開いた。ぎょっと目を見開くクリストファーとルルク。無言で見つめるカイン。三人の前に、晒されたナカ。
どくりと脈打つ、赤い石。
本来心臓があるべきその場所に、同じくらいのサイズの石がある。それに血管が絡まり、まるで心臓のように脈打っていた。
異様な光景に、ごくりと喉が鳴る。頬を冷や汗が伝っていた。その様子を眺め、ユーリは短剣をシンに返すと、シャツと共に床に棄てたバッグから回復薬を取出し、傷を癒す。やれやれ、僕は痛いのは嫌いなんだ、とぼやきながらシンを睨むも、シンは軽く受け流し、どこ吹く風。
「今のは……」
「賢者の石」
「け、賢者の石!? アレは伝説上のものではないのですか!?」
「存在するのさ。存在はするが、普通なら造り手がいない。だけど、昔造ってしまった子がいたんだ」
驚きに目を向くルルク。ユーリはゆっくりと首を振った。
まるでそれは悪い事だ、そう言わんばかり声。
「僕が、いや、この体が死ぬことを受け入れられなかった、哀れな子さ」
ユーリは語る。
賢者の石。正しくは、賢者の意思。その名のとおり、賢者の意思をもった物体。その形状が赤い石のように見えるから、いつからか賢者の『石』と呼ばれるようになった。当然そのままだと赤い石なので、使い道はない。意思が伝えられるようにしなくてはならない。賢者の石は、言葉を伝える事の出来る器に入って、初めてその真価がわかる。現在過去未来、ありとあらゆる賢者たちが、持ちうる知識の全てを伝える事ができるのだ。
材料には当然『生きた人間』が加わるため、まともな人間ならこの錬成に手を出すことはない。
しかし、手を出す者がいた。いて、しまったのだ。
ユーリがユーリとなるより昔の話。
一人の錬金術師が居た。彼の名はユリウス。現在、錬金術の神様とまで呼ばれる、天才錬金術師。数多の錬金術を見つけ、世に公表した。それだけでなく、既存の錬金術の無駄を見つけ、より効率良く、効果の高い物へと変える錬成を見つけた。現在の錬金術の九割は彼のものである、と言われている。
彼には血の繋がらない二人の娘がいた。
一人は金髪碧眼の娘、姉のアリア。
一人は銀髪紫眼の娘、妹のマリア。
錬金術の才能を持ったのは、妹のマリアだったという。姉マリアに関しての記録は、ほぼない。また、ユリウスの晩年についても、記録はない。
彼は娘たちと共に、とある国で錬金術を続け、その国を列強の一つに押し上げたという。その国の名は、フィンデルン王国。現在、ユーリたちが住まう、この地である。
「ちょっと待ってくれ、魔法使い殿。それでは、始まりの王の話と合わない。始まりの王こそがこの国を国として成り立たせ、しかも列強の一つに押し上げたはずだ」
「そうだね。その人物がユリウスなのさ。始まりの王の名は、ユリウス。この体の持ち主さ」
「馬鹿な! この国は既に千年以上存在している! 生きていられるわけが……ッまさか……!」
驚きに声を上げるも、一つの可能性に気づいた。
不可能を可能にする学問。錬金術。その、本当の意味での最終目標。不老不死。それを可能とする薬の存在に。
その薬は、存在していない、となっている。しかしもし、賢者の石があるのなら? そのことに気づいてしまった。ユーリを見る。いつもどおり、にんまりとした笑み。何の感情も映さない銀の目。ゆっくりと、口が開く。
「その、まさかさ。僕は、マリアによりあらゆる毒を飲まされ、その副作用で若返った。そして、姉アリア……彼女こそ本物の天才さ。無意識で至った魔神であり、稀代の錬金術師。彼女の手により賢者の石となり、この体を不老不死にする方法を聞きだされ、そう、なった」
だけど、とユーリは口にする。僕は、始まりの王などと名乗ったことはない。その言葉に、誰もが首を傾げた。
ユーリは続けて語る。
そもそもこの地に国などなかった。ここは、隣国リリウム王国の一部だった。ユリウスは、この地が錬金術に向いていたから住み着いただけ。そしてやがて娘たちを拾い、育てた。育てた、というよりも、とある事情で、放置しておくと殺されるか、その辺りで野垂れ死にかねない。見かけた後にそれではあまりに寝覚めが悪い。そういう理由で己の住処に連れ帰り、勝手に生活するように言っただけ。
勝手に生活させた結果、彼女たちは錬金術に興味を持った。息抜き程度に教えたところ、才能を見せ、あとは勝手に実力をつけた。
気が付けばアリアは魔神になり、信じられないような材料を当たり前のように討伐採取し、マリアと共に伝説のホムンクルスを生み出す。
そして、ホムンクルスによる村ができ、村は町になり、街になった。
当然、リリウム王国は放っておかない。
だが、税の徴収に来た者を、アリア達は追い返してしまった。それも、ユリウスに失礼な態度をとった、という理由で。追い返された官吏たちは、その地を統べる領主へ報告。領主はすぐさま兵を率い、この地を訪れる。けれども相手は魔神。
勝負は一瞬。
暴風のように無慈悲な力による蹂躙。
一軍は、なんの手出しもできず、散り散りになった。
この報告を受け、当時の国王が大軍を率いてきた。普通なら、抵抗一つできずに飲み込まれそうな、何十万という軍隊。だがそれも、魔神の前にはただの烏合の衆。
まるで子供が戯れに蟻の巣を潰している。そんな感想を抱くほどの圧倒。誰一人殺すことなく戦意を喪失させる。前線に立った国王を二度と戦えぬ体にし、送り返した。そうして、大軍は撤退した。
以降、リリウム王国とは一度も国交は開かれていないし、リリウム王国だけはフィンデルン王国を国として認めていない。
リリウム王国以外、誰もが忘れ去った歴史。
「ホムンクルスによる、街……? 我々の先祖は、ホムンクルスだと、言うのですか?」
「そうだよ。君たちはマリアにそっくりさ。銀の髪に紫の目。初めの頃は男も女も老いも若きも、全く同じ顔ばかりだったんだけどね、彼女たちは改良を重ね、色々といじる方法を見つけたんだ。でも、高位貴族は殆ど他の血を混ぜていないから、今でも似たような顔が多いだろ? ……君以外」
にんまりとした三日月の目。それが真っ直ぐにルルクを捕える。
茶斑の髪。灰色の目。君は、誰だ、という問いに、ルルクは答えられない。答えを、持ち合わせていない。
うーん、とユーリは首を傾げた。見覚えがあるんだよね、と呟く声は、答えがそこにあるのに掴めない、そんな苛立ちを含んでいた。
「……お前に似てんだよ、ユーリ」
「え? 僕?」
「ああ。お前を茶斑の髪にして、髪上げてみな。そっくりだぜ」
シンの言葉に、じっとルルクを見つめるユーリ。それから、突然笑い出した。弾けたように。腹を抱え、苦しげに。あー、なるほどなるほど、と可笑しそうに零される声。意味の分からないルルク達は、眉根を寄せるしかない。
一頻り笑ったユーリは、ルルクを見た。
「君、僕の子孫なんだね」
「は……?」
あっけらかんと言い放たれた言葉。
彼はその体になってすぐ、この国を離れた。自分と言う存在が、娘たちにあっさりと禁忌を破らせたことを気に病んで。自分がいれば、彼女たちは更に道を誤る。そう、わかったからこそ、断腸の思いで姿を消した。
その後、帝国に流れ着く。
帝国でフィンデルン王国の噂を手に入れつつ、人に紛れて暮らしていた。そこで、一人の女性と出会う。
茶色の髪、曇天のような鈍い灰色の目の女性。わけありで素性を晒さないユーリ相手に、何も聞かず、宿を貸し与えた人。それは、彼女自身が抱えた秘密の為。
彼女は帝国では認められていない同性愛者だった。自分が人と違う、そのことに悩み、認められていない以上、パートナーさえ持てない。その彼女の悩みを、何てことないように受け入れたユーリ。
あるとき彼女は言った。パートナーは得られなくとも、子供くらいなら、自分でも得ていいのではないのだろうか、と。ユーリは答える。何ら問題はない、と。
ユーリも現在の体について、調べたかった。
二人の思惑は一致し、偽りの夫婦の誓いを立てる。そして、子を成した。
女は念願の自分の子供を得、しかもユーリと結婚することで、疑いを払拭することができたし、ユーリは、己の体が一応普通の人間と変わらないことを確認できた。
年を取らないユーリ。やがて二人は別れる。女の下に子を残して。
以来、ユーリは女に会っていなければ、動向を調べてもいない。
「僕、もともとは茶斑の髪なんだ。マリアの薬のせいで髪の色変わっちゃったんだよね。ちなみにそれが、今の時間制で髪の色を変える薬の元だね。君、僕と彼女の色を受け継いだんだねぇ」
先祖返りなのか、誰かの手が加わっているのか、わからない。それでもルルクは、間違いなくユーリの子孫と言える。
「……結局、貴方は何なのですか? 人なのですか? それとも、賢者の石なのですか?」
そうだね、とユーリは首を傾げる。
ユーリ。魔法使いユーリ。
一つの体に二つの意思を持つ。一つは錬金術師ユリウス。一つは賢者の意思。
ある時彼らは与えられた長い時間を使い、話し合った。自分たちがどうあるべきか。長い長い話し合いの末、一つの結論に至る。
全く新しい、別の人間になる。
それが二つの意思が下した結論。
二人は一つの体で話し合う。名を、性格を、住む場所を。これから先、何を目標に生きるかを。膨大な時間を費やして、やがて一人の人間になる。
それが、ユーリ。
ユリウスの意識が強いとき、その背には薔薇があらわれ、賢者の意識が強いとき、背の薔薇は消え、その体は人のそれではなくなる。それでも、二人は、間違いなくユーリと言う個人になった。
「それが、僕さ。だから、僕はユーリ。魔法使いのユーリ。それ以上でも、それ以下でもない。ちょっと長生きなだけの、人間さ」
初めて理解した。何故、ユーリと言う人間が、これほど人であることに拘るのか。
自らの意思なく、人でありながら人ならざる者になり、自らの意思で、人ならざる者でありながら人であることを願った。それが、ユーリ。
ちらりとシンへと視線を向ける。特に反応はなく、自分が殺した女を腕に抱いていた。驚きも何もないのだから、知っていたのだろう。こんな重要な事を。そして誰にも漏らさなかった。そこに見える二人の関係性。何とも言えず、視線をそらす。
「一つ言っておくけど、僕はこうなる前にはもう、素晴らしい錬金術師だった。そこのところを勘違いしないでほしい」
実力を勘違いされるなんてごめんさ、と口にするあたり、今はユリウスの意識が強いのだろう。錬金術師としての矜持を前面に押し出している。
脱ぎ捨てた服を着直す。まるで物語の魔法使いのようなローブを羽織れば、いつもどおり。
「さて、理解してくれたのなら、その剣を下ろしてくれないかな? シンがこれ以上一緒に行ってくれないかもしれないからさ。後ろから狙われたくないんだよ」
肩を竦める。
いつもどおりのにんまりとした笑みを浮かべ、その思考を読ませることはない。警戒したまま剣を下ろさないカイン。その腕に、軽くクリストファーが触れた。それだけで、剣が鞘にしまわれる。攻撃態勢が解除された。
カインをその場に留め、ユーリに近寄るクリストファー。
無言で差し出された手を取る。確かめるようにじっと見つめた。
日焼けしてない真っ白で、荒れた硬い手。どれだけ確かめても、人と同じに感じる。次の瞬間、死体のような冷たさと、硬さに変わった。なるほど、と理解する。確かに、人であり、人でないモノだ、と。




