41 風呂に入ろう
ユーリの研究が形になったのは三日後だった。
ぬるぅりと相変わらず奇妙な動きで研究室から顔を出したユーリ。その手に握られた小瓶には、何やら茶色っぽい粉末。それがソースだ、と言われたシンが怪訝な表情を浮かべたのも無理はない。
ソースと言えば液状。それが何をどうやったら粉末になったのか。
使った素材は、ソースを作るための食材と、状態を長期間維持する保存液。保存液も薬のように体内に摂取して問題ないものに使用するものなので、一応全ての素材が体内に摂取しても問題ないもので構築されている。調合過程は錬金釜で十数時間かき混ぜただけ。
今までにないレシピから産まれたアイテム。
ユーリを信じ、小瓶の中の粉末を少量手に取る。そしてそのまま口に含んだ。
目を見開く。
間違いなくユーリが研究していたソースと同じ味。色も、状態も、普段目にするものとは全く違うというのに。
用意していたいつもの干し肉に使うのは勿体なく感じ、珍しいことだが、一度訪れたユーリの店を後にした。そして市場で肉の塊とパンを購入し、戻る。
肉の塊は愛用のナイフであっという間に細切れにされ、油を温めた鍋に投入された。じゅう、と肉の焼ける音がする。レードルでぐるりと一度かき混ぜ、次は野菜を鍋の上でスライスしていく。
買っておいたゴボウとニンジンを手慣れた様子でスライスし、鍋に投入すると、再びレードルでぐるりとかき混ぜた。野菜と肉全体に油が絡み、熱が通る。焦げ付かないように気を付けながら全体に火が通ると、小瓶の中の粉末を鍋に投入。ソースの食欲をそそる香りが広がった。
鍋の中身をレードルでかき混ぜ、全体に絡める。熱せられた油が絡んだためか、粉末はいつものソース状になった。そうなれば普段の調理と変わらない。ソースが焦げ付かないように軽くかき混ぜつつ、全体になじませる。
出来上がったのは、分類するなら野菜炒め。この時期に食堂などでよく見かけるタイプ。一口味見をしてみても、寸分違わない。
どう見てもソースには程遠い粉末。それが普段街中で使っているソースと同じになる不思議。
だから錬金術は魔法って言うんだ、という言葉は飲み込む。
出来上がった野菜炒めを皿に盛り付け、いつもの丸テーブルに運ぶ。既にユーリはフォーク片手に待ち構えていた。
自分の分だけフォークを出しているユーリに呆れつつ、己のフォークをとって戻ると席に着く。
「さて、食ってみるか」
「うんうん。先ずは自分で率先して試してみるのが研究者の醍醐味だよねー」
「いや、俺、研究者でも、錬金術師でもねぇからな?」
「何を言ってるんだい、シン! 君は僕の相棒だよ!? 一心同体のようなものじゃないか! 僕が身を張るなら君も身を張って当然だろう??」
「ちげぇ……」
嫌そうに顔をしかめつつ、肉にフォークを突き刺す。
安上がりの干し肉ではない。調理された、元生の肉。それも兎ではなく、豚。奮発したそれを、口に放り込んだ。
噛みしめれば溢れる肉汁。ソースの味とか最早どうでもいいと思える。干し肉ではありえない、口腔を満たす肉の油。贅沢は敵、と思うシンでさえ、この魅力には抗えない。それほどの幸福感をもたらす。
街中でしか味わえない、新鮮な高級肉。それを実験にかっこつけて味わうシンを眺めつつ、ユーリは黙々と野菜炒めを食し、手元に準備していた紙に、ガリガリと詳細を記す。味、舌触り、ソース状になった時の色、匂い。あらゆるものを分析し、実際のソースとの差異を確認していた。結論から言えば、ほぼソースとして問題はない。シンに渡す前に確認していたが、水分に溶け、ソース状になれば、色も茶から黒へと変わり、見た目もそう違わない。難点を言うなら、粉末のせいか、塊になりやすいところだろうか。
ちらりと器の中身へと視線を向けた。
シンは料理人ではない。料理は丁寧だが、完璧ではない。作られた野菜炒めには、色に多少のばらつきがある。それはじっくりと眺めないと分からない程度で、普通の人間は気づかないし、気にならないだろう。
全体的に一般的に使用するにしても、問題がない。そう評価した。
「まぁこんなものかな。次はスープだね。ソースのおかげで大体はわかったから、そう研究することもないかな」
「スープも粉になるのか?」
「さぁ? そればっかりは造ってみない事にはわからないね」
ユーリからの返答に、シンはふーん、と相槌を打つ。それからまた器の野菜炒めを食べた。
「ああ、そういや。研究も良いけど、進んでるのか?」
「何が?」
「敵の特定」
「ああ、それね」
ふ、と小さく零れた笑い。にやり、と浮かんだ笑み。
成程、とシンは頷く。
どうやらこの一月、研究ばかりしていたわけではなさそうだ。シンの知らぬ間に、シンの知らない方法で、何かしら探っていて、それが実を結んでいた。
言わなかったという事は、尋ねたところで答える気もないだろう。それ以上聞くのは無駄な事。だからシンは口を引き結んだ。
「後はミーユ次第かな」
「ミーユ?」
「頼んだだろう。本」
ああ、と。そう言えばそんな依頼をしていたな、と頷く。
ミーユにもシンにも理解のできない謎の依頼。ミーユの依頼を引き受ける依頼料として、ユーリが依頼した内容。一度ユーリの薬を故郷に届けてから、依頼場所への出発となったので、現在は『古城』にて、本の回収をしているころだな、と思考を巡らせる。
ミーユが足取り軽く出ていってから、もう何日か、と考え、順調に進めば、そろそろ戻るころだと気づく。
「もうすぐか」
「そうだよ」
「終わるのか?」
「どうだろう? 流石にすぐに、は無理だね」
「そうか」
一つ頷くと、食べ終えた皿を手に、台所へと移動する。
シンクの中、蛇口をひねれば出てくる水。冬の川のように冷たい。それに触れ、慣れているとはいえ、顔をしかめた。
振り返り、ユーリを呼ぶ。そうすれば、フォークを口に咥え、食べ終えた皿を下げに来たユーリが、すぐ後ろでもごもごと応える。それに行儀悪ぃな、と呆れつつ、視線を向けた。
「あの掃除道具みたいに、たわしとか、洗剤も勝手に動かねぇの?」
「無理だねー」
「なんで?」
「錬金術の不思議だよー」
咥えていたフォークを手にし、ふりふりと左右に振りながら説明をする。
勝手に動く掃除用具達を造る際に使用するアイテムは、掃除用具と御霊石と呼ばれる鉱石。ただそれだけ。仮初の命を与える力を持っているのは、当然御霊石。薄い水色で、やや発光している不思議な石。しかし、その石は何故だか掃除用具にしか反応しない。それ以外には一切反応を示さない謎の石なのだ。
ではホムンクルスとはなんなのか、とシンは疑問を持つ。あれも人工的に仮初の命を吹き込んだものではないのか、と首を傾げれば、それは当然の疑問だ、とユーリは満足げに頷いた。
ホムンクルスは人工生命体。以前使われた召還石を用いて召還しない場合、神結石と言う名の、真っ青な石を使う。これは、生命体、つまるところ人間や昆虫と言った、自らの意思を以て行動可能な生き物の欠片と組み合わせ、その物を産み出す、というもの。
「俺にはよく理解ができないんだが、とりあえず、皿洗いって掃除には分類されないのか?」
「されないよー。掃除用具ってのは、箒、ゴミ箱、雑巾、布巾、ハタキ等であって、タワシや洗剤は含まれないんだよー。だから僕、困ってるんだよね。洗濯とか勝手にやってくれればいいのにさー」
それでユーリが洗濯や料理をできないのか、と納得する。
「自分ですりゃいいじゃねぇか」
冷たい水で皿や鍋を洗いながら、呆れた声を上げる。そうすれば大仰に驚いて見せるユーリ。
「何言ってるの!? 僕の時間をそんな事に費やしてどうするの? 僕はそんな無駄な事に時間を浪費する気はないよ。いいかい、シン? 時間というものは有限なんだよ? いかに自分の人生を無駄なく過ごすかによって、人というのは……」
「悪い、その話長くなるか?」
くだらない持論を延々と垂れ流し始めたユーリの言葉を遮り、疲れたような声を上げる。少なくとも、この世の中の平民の殆どが、ユーリ曰く所の『無駄な事』に人生という時間を消費している。シンとてその一人だ。ユーリの分までその『無駄な事』をしている。そんな相手に語るような内容ではないだろう、と呆れたとして、誰が否定できようか。
くだらない持論をこれ以上聞きたくない一心で、再び仮初の命に対して質問をする。と言っても、先程殆ど聞いてしまったような気がするのだが。
「ホムンクルスって結局何なんだ? 何のために造られたんだ?」
「まぁ、用途は色々だろうけど、元は人体実験や、絶滅危惧種の生物の量産、研究対象の生物の乱獲を防ぐため……と表向きは色々あるけど、要は殆ど錬金術師の欲望を満たすためだね」
残念ながら、寿命や繁殖に問題があり、実用には殆ど至っていない。その為、現在の錬金術史上では、教本の中からも姿を消しつつある。おそらく、錬金術学校でも教えたりはしていないだろう。それほど使い道が限られ、使えないくせに、やたらと技術が必要なのだ。
何より、ホムンクルスは、倫理的な問題からも禁忌扱いになっている。しかし、勝手に動く掃除用具達はホムンクルスの括りには入らない。同じように技術が必要なものではあるが、掃除以外なにもしないのだから当然だろう。
つらつらと淀みなく話される内容。それに耳を傾けつつも、内容は八割ほど抜けている。
「最も、現在残されているホムンクルスの造り方以外にも、方法はあったらしい。その方法なら、ホムンクルスの性能はもう少しマシだった、とも言われているんだけどね」
「その方法が、お前でも伝聞調なのはなんでだ?」
「使用する材料が無茶苦茶だからだよ。必要なのは竜の心臓と竜の血。それも古代竜と呼ばれる、竜種最強の化け物のものだ」
はぁ? と思わず声が漏れる。
ドラゴンと言えば最強種。滅多に人前に現れる事はない。フィンデルン王国だと、とある炭鉱から繋がる自然洞窟の更に奥地、地底湖の辺りに生息している。
一度食事をしたら五十年は食事を必要としない、と言われる程燃費の良い身体。しかし、一度人前姿を現せば、天災もかくやという被害をもたらすと言われている。一応、この数百年、ドラゴンが巣穴から出てきた、という話は聞かない。洞窟内のモンスターが食料となっているようだ。
人がドラゴンと対峙するのは一軍を以てしても難しい。魔人と同等かそれ以上の力を持つのがドラゴンなのだから。起きているドラゴンと出会ったのならば、死を覚悟して、ただひたすら逃げる。それが唯一人に許された行為。
過去、シンがユーリのミスで眠っていたドラゴンを起こした時も、全力で逃げた。逃げる次いでに手持ちの癇癪玉で、何箇所か洞窟を潰して埋めた。そうやって振り切った。
普通のドラゴン相手でもそれなのに、まさかのエンシェントドラゴン。
「化け物をどうやって素材にすんだよ。昔の錬金術師ってなんだ? 化け物だったのか?」
「いや、だから伝説でしか存在しない製法なんだよ。古今東西、錬金術師がドラゴンを狩り殺した、なんて伝承はない。そもそも普通のドラゴンを魔人の上位クラスと称するんだよ? エンシェントドラゴンなんて、魔神クラスじゃないと無理だよ」
少し前とは発音が変わる。それにより、『魔人』と『魔神』の違いを聞き取ったシンは、胡乱気な視線を向けた。
「魔神、ねぇ……魔人でさえ殆ど存在しないのに、いるのか?」
「御伽噺だね」
簡潔に返った答え。
だよな、と笑う。
実際のところ、エンシェントドラゴンも、魔神も、存在は確認されていない。ただ『いる』という伝承が何となく人々の間に語り継がれているだけ。歴史の書物は当然だが、どんな本にさえも明確な記述がない。ユーリが知っているのも、おそらく遺跡調査の際に見つけた壁画に、古代語で書かれていた何かを見た、その程度のものだろうと当たりをつけた。だからこそ、ユーリでさえも『伝説』と称した製法なのだろう。
『魔法使い』と呼ばれるユーリだが、その戦闘力は一般人というよりも、スライムかそれ以下。逃げ足だけはシンについてくる事が出来るレベル。
ドラゴンの素材で使えるのは、殆どはドラゴンの巣穴に落ちている鱗。稀に特殊な機材で採取した、僅かばかりの血だろうか。鱗は何度か採取しに行ったが、血は七年の間に一度しか採取していない。そんなに必要な物でもないのだろう。
とにかく、ユーリがドラゴンを倒して素材をはぎ取る、という事はありえない。『魔法使い』でさえそうなら、一般の錬金術師は尚更ありえない。
やはり伝説や御伽噺程度か、と一つ頷いたシンはふと気づく。
なかなかに鼻が曲がりそうな程かぐわしい香り。ちらりとその発生源を見た。
ユーリ。
一月もの間寝食忘れて研究に没頭していた。当然、風呂に入っているわけがない。こうなるのも当然。
ふぅ、と大きく溜息を吐くと、ユーリの首根っこを掴んだ。
「風呂、入るぞ」
次回、誰得wのサービス回の予定。




