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錬金術師は人間観察がお好き  作者: 猫田 トド
四章 死に行く村
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37 冬の山中2



 沢をたどって北上していたところ、不意にシンが左腕を上げ、静止を示した。即座にユーリは立ち止まる。シンの合図に、枯れ草や枝を踏んで音をたてないよう、辺りに注意を払いながら近寄った。


 二人の間に一切会話はない。シンが木陰に隠れながら先を示せば、同じように身を隠しながら、その先を覗き込む。


 男だ。


 一人の男がいた。


 年の頃は二十を超えたくらいだろうか。ユーリやシンと変わらない、平均的な身長。身に纏う服が厚手の為、正確なところはわからないが、その体躯は戦士というより農民のようだ。田畑を耕し、その過程でついた筋肉を身に纏った、それなりにしっかりとした体躯。おそらく農夫を知らない王都民が見たなら、戦士と勘違いしただろう。顔には歪んだ願いを正しいと信じて疑わない、そんな醜い笑みを浮かべている。


 男の手に握られた瓶が、ゆっくりと傾く。瓶の中から、重力に従い零れる無色の液体。液体は沢の中へと吸い込まれ、消えた。


 堪えきれない笑いが、男の口から零れ落ちる。しかしそれはすぐに止んだ。男は辺りを素早く見渡し、誰もいない事を確認すると、空になった瓶にコルクの蓋を嵌め、懐にしまい込む。そしていずこかへと歩き去った。


 既にユーリは男の姿を見ていない。男が瓶の中身を傾けてしばらく、沢の水を試験管に採り、シンにはよくわからない謎の液体を入れて確認していた。男の事はシンが確認しているからか、一切関心を寄せない。男が笑いを零したその時も。立ち去った時も。


「追うか?」

「いらないよ。それは君の仕事じゃない」

「何かわかったのか?」

「勿論。あの男が実行犯で間違いないけど、僕らが捕まえて突き出しても騎士は拒否するだろうね。僕らが勝手に捕えても、手配書が出ている相手でないと彼らは動けない」


 だろうな、とシンは頷く。


 騎士だからこそ、法を曲げた行動はとれない。それをしてしまえば国が法を無視した事となり、そうなれば無法者を許してしまう事となるのだから。


「かと言って、俺らが騎士に事情を話したところで、あいつらがこの村を訪れるかどうかは謎だぞ。派遣が決定したとしても、早くても数か月は先だろ? どうするんだ?」

「とりあえず村に帰ろう」


 にんまり笑みを浮かべて歩き出す。ユーリが動き出してしまえば、シンに否やはない。黙ってユーリの前へ進み出、先陣を切るのみ。


「それにしても」


 珍しくユーリが呟く。その声は、けしてシンに聞かせようとしたものではなく、ただ、本当にうんざりした、愚痴が自然と零れ落ちたような声音だった。だからシンは相槌を打つことなく、静かに耳を傾ける。


「青の教団って迷惑な奴らだね。わざわざ他国に来て、毒を巻き散らしてまで、獣人を廃絶しようとするなんて」


 呆れたような、うんざりした声。


 シンは立ち止まると、ゆっくりとユーリを振り返った。


「あの男、青の教団なのか? それも、他国の?」


 どれだけ思い返しても、彼の腕に、あの教団に所属していることを示す、青い布は巻かれていなかった。それに、男の出で立ちは極一般的な旅人の服装で、自国民か他国民かと問われても、シンではわからない。それなのに、ユーリは他国民だと断言した。


 思い返す男の髪の色は、枯葉のような赤茶色。目は曇り空のような、鈍い灰色だったと思うが、こちらに関しては、距離と落ちる光や影の具合のせいで自信がない。どちらもフィンデルン王国の元来の色ではないが、全くない色でもなく、やはり他国の人間、と断定するには弱い。にもかかわらず、何故ユーリは『他国の人間』と断定できたのか。


 ハンター達の間に流れる、報奨金が出る犯罪者リストの顔を脳裏に浮かべるが、シンの記憶上では、その中にもあの顔はなかった。


「彼、笑っただろう」

「ああ、笑ったな」


 抑えきれない笑いを思わず零した男。その姿は異様だった。思い出し笑いは人前でしてはいけない、と神父が言っていた理由をよくよく理解できる姿。道端で突然笑いだす人物は普通に怖い。それが山奥で、奇妙な液体を流している時なら尚更。だが、突然笑って不気味だったから他国の青の教団の関係者、というのは、流石に酷い風評被害だ。


「笑ったときの出だしの発音、アレは北方の国エルサレム帝国の発音だね」


 いや、わかんねーよ、という言葉は辛うじて飲み込んだ。シンが足音を聞き分けるように、ユーリが笑い声一つで訛りを聞き分けたとしてもなんら問題がないはずだ、と思い込む。


 軽く肩を竦め、次の問いに移ることにした。


「青の教団、てのは?」

「ああ、彼、ここに入れ墨があったんだよ」


 とんとん、とユーリが自分の首の辺りを叩く。シンは記憶をたどり、そうだったか、と首を傾げた。そして呆れる。相変わらず良く見ている、と。


 シンとてあの時間で相手を記憶している。しかし、それは顔や体格と言った特徴。服の陰に隠れかけた僅かな肌にある入れ墨までは注意を払えていない。シンが主に確認したのは、男がどれほど戦えるか、ということ。


 男は農夫的な体格だった。という事は剣が扱える。クワと同じ動きにはなるだろうが。実際、男の腰には短剣と、長くはないが、短剣と言うには長いミドルソードがぶら下がっていた。しかしその剣は殆ど新品同然で、短剣の方はいくらか使った形跡があった。


 本来なら武器となるミドルソードが新品状態。つまるところ未使用状態。サブにもならない、獲物を捌いたり、木の実を収穫したりする際に使用する短剣のみ使い込まれている。ということは、あの男はハンターでも、ハンター見習いでもなく、誰かに護衛されながら旅をする程度の旅人。このような場所に一人でいることは有り得ない。一般人のフリをしていない限り。


 男の人相、服装、立ち振る舞いに気を払いつつも、辺りに仲間の気配がないか探っていた。シンの確認内容を知っているユーリは、けしてシンの事を鈍いとは思わない。むしろ、シンがそうやって確認をしてくれているから、安心して男の細部にまで注意を向ける事が出来るのだから。


「ほとんどは見えなかったけど、この図で間違いないと思う」


 足元の枝を拾い、がりがりと土の上に図を書く。


 一本の枝。先端に二枚の葉がある以外には葉はない。そこに巻き付く蛇と、葉の代わりに八つの実が成っている。図の殆どは中央以上上部部分に固まっていた。


「なんだ、この変な絵」

「中央の枝は世界を示している。世界に絡みつく蛇は罪を咎める番人であり、罪をそそのかす悪魔。実は人類の持つ罪を示している」

「罪?」

「貪食、淫蕩、強欲、悲嘆、憤怒、怠惰、虚栄、傲慢。全て人間が持つ一般的な感情で、多少なれば人生のスパイスだが、過ぎたれば圧倒的な罪を生む」

「はぁ……」


 突然始まった説明に、なんだかどこかで聞いた話だ、と記憶をたどり、そうだ、神父の説法の中にあった気がする、と思い出した。しかし、何故そんなものを青の教団が、入れ墨としてまで戒めているのか理解ができない。


「彼等は、この蛇こそが亜人たちだと言うんだ」

「はぁ? 当てこすりも甚だしくね? 大体蛇が喋ったら亜人って違くね?」

「そうだね。でも、関係ないんだよ。人じゃないモノが人語を操り、人を罪にいざなう。それだけで、人語を操る人以外を迫害していいんだ。彼等の中では」

「ばっかじゃねぇの?」


 なんじゃそら、と思わず声を上げてしまう。それくらい馬鹿馬鹿しい話だった。そんな自分本意が許されて良い物か、否。そんな事を考えている時点で罪に塗れている。その事実に、何故気づかないのかシンには理解が出来なかった。


 罪から逃げるために、罪を重ね、その先に何があるのか。きっと、父である神父は『何もない』と答えるだろう。そしてそれは、目の前にいる男も然り。


「馬鹿なのさ。けれど、馬鹿にできない。人の思い込みから産まれる力は侮ってはならないんだよ。大昔、己こそは神の為の最強の戦士。その身体も御霊も全ては神の為にあり、神の為に死ぬことは最高の誉れと思い込ませた狂人がいた。その戦士は、足が千切れても、腕がもがれても、神の為に戦い続けた。頭を潰し、心臓を抉り出して破壊して、ようやくその動きを止めたという」

「うげ……」


 想像し、思わず顔をしかめる。


「人は、思い込んでしまえばそれほどの力を発揮する。だから、侮ってはいけないよ」

「さっきの奴もそんな化け物なのか?」

「近いだろうね。彼は、殺されたって考えを改めない。命の続く限り、亜人迫害、殺害を続けるだろう。聖なる行いと確信して。そして、そんな危ない奴が沢山いるのが青の教団。怖くなってきた?」


 問いに、シンは言葉にはせず、ただ頷く。


 神父はかつて言った。神を信じることは正しいことであり、間違ったことである、と。その意味を正しく理解した。


 神を信じるのは己の心の拠り所として正しい。神の恵みに感謝する事で、全ての事への感謝を覚える。人生を豊かにする。けれど、過ぎればそれは他者を傷つけるだけ。神の教えである愛からは限りなく遠くなる。


 ふと、気づいた。


 ユーリの描いた図は、説法の中にあった。つまるところ――。


「なぁ、青の教団って神の教えを説いてるのか?」

「そうだよ。彼等は宗教団体だ」

「神の教えってのは、全ての命を愛せよ、じゃないのか?」

「馬鹿だね、そんなこと言ったら人間はモンスターの脅威の前に、力を振るわず死ぬことになる。それに、何も食べられなくなるだろう? 植物だって生きてるんだから」

「ん……いや、でも、そういうのは考えないんだろう?」

「そう。都合の悪いことは考えないんだよ。不思議だねぇ。でもその不思議に目をそむけたものが宗教ってものなのさ。あくまでも自分達に都合よく。矛盾も飲み込んで。だって、アレは心の救済なのだから、わざわざ自分の心を責め立てる必要はないだろう?」

「成程、な」


 大体理解した、と頷く。そして厄介な事だ、と頭を掻いた。


 どうやってあの村を救うのか。少なくとも、シンには男の説得は無理だし、解決策も思いつかない。例えば、ユーリの素晴らしい錬金術の腕をもってして造り出したアイテムで、毒を中和し、痩せた土地を復活させたところで、男が毒を流すのをやめるわけではない。いたちごっこになるだろう。もしかしたら、効果が出ない事に焦れ、村に火を放つかもしれない。火を放たなくても、誰もが寝静まった時間に、仲間達を率いて現れ、一軒一軒殺して回るかもしれない。


 男を殺害するなり、証拠を提示して騎士に突き出すなりしたところで、第二第三の男がやってくるだけかもしれない。


「どうするんだ?」

「簡単さ。あの男を捕らえたうえで、国王に動いてもらうんだよ。あの教団の者はこの国に入らないように、ね」

「いやいや。流石に無理だろ。いくら宰相がお前をかっていたからと言って、この間ばらしたから、もうこっちには構いにこねーだろうよ」

「ふふ。甘いなぁ、シン。僕の伝手が宰相だけだなんて思わないでよね」

「カインか?」

「違うよ」

「そうかい」


 にんまり笑みだけを寄越し、答えを言わない。それをシンも別段追求しようとは思わない。


 ユーリの全てを知らなくても問題ない。シンにとって必要なユーリの情報は、どれほど戦えるのか、とか、どういった便利アイテムを所持しているのか、とかで十分なのだから。後は普段繰り返される会話と、時折ふとした拍子に見せる態度と、信頼があればなんとかなる。


「んじゃ、ま。王都に帰るか?」

「いやいや。こちらから知らせをやって、来てもらう。それまでの間、僕らはあそこを監視してればいいのさ。早ければ十日もかからず来てくれると思うよ」

「ふぅん?」


 確かあの王都から村まで七日。こちらから使いを出しても往復十四日。それがどうやったら十日で来るというのか。


「誰かに走ってもらうわけじゃないんだよ。世の中には、地を駆けるよりも早い方法があるんだよ」


 そう言って笑うユーリに、何が言いたいのかわからないシンは、とりあえず眉根を寄せるに留めた。どうせ今はっきりと言わないという事は、聞いたところで、嬉しそうににやにやと笑いながら、のらりくらりとはぐらかすのは目に見えている。


 まだ駆け出しで、子供だった時ならいざ知らず。今は立派な成人男性となり、ユーリとの付き合いも七年。わざわざ反応し、喜ばせるほど浅慮な真似はしない。


「ま、お前がそう言うなら、いいさ。俺はお前の望むように動くだけだ」

「流石はシン。良く判っているね」

「おう。んじゃ帰るぞ」


 軽く顎をしゃくり、歩き出すことを伝えれば、ユーリは嬉しそうに笑った。何がそんなに嬉しいんだか、とは思うが、問うこともない。


 枯れた大地を踏みしめ、能天気に二人の帰りを待つミーユがいるあの村へと歩き出した。


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