32 教育と反省と1
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舗装されている、とは言い難い道を歩く。舗装された道に対し、舗装されていない道の歩きづらさは言うに難くなく、街に慣れた者はわざわざ使わない。多少遠回りでも、舗装された道を歩くものだ。しかし、そんな道も、一度城壁の外へと出れば野山を駆けるハンターには大したことではない。舗装された道のように容易く歩く。
シンとミーユはさくさくと歩いて行くのだが、たまったものではないのがユーリ。まるで物語の魔法使いが着ていそうな漆黒のローブは裾が長く、踏んではつんのめっている。それを呆れたように支えるシン。
「うぅ……ごめんよ」
「いや。だけど意外だな」
「そうかな? 体力だけじゃどうしようもないことってあると思うけど」
それもそうだが、とシンは困ったように眉根を寄せる。
そうではないのだ。シンがユーリと採取に出る時、そこまでユーリの状態が気になったことはない。何故今日に限りこんなにもこけているのかが分からなかった。もっとひょいひょい歩くイメージがついていたから余計に。
「一応、言っとくけど、僕が歩けたのはシンのおかげだよ」
「俺の?」
「あれ? 気づいていなかったの? わかってやってるんだと思ってたけど」
「は?」
ユーリの言っている言葉の意味が分からず、シンは首を傾げる。その様子に、本当に分かっていないのが分かり、ユーリはくすりと笑った。
「君やカイン聖騎士長って、僕のペースに合わせて歩くよね。僕がバテないように配分を決めてさ。あと、獣道の時は道を作ってくれてるよね。邪魔な葉や枝は切り落とし、落ちた枝は踏みつぶし、大きな障害物は先回りで教えてくれるでしょう。あれのおかげだよ」
「……ああ、そういうことか」
現在、ミーユは自分のペースでさくさくと歩いていた。これは本来、護衛としてはあるまじき行為。護衛ならば、雇い主の状態を常に気遣わなくてはならない。雇い主の為にするべき行動というものは、ただ守っていればそれでいい、というわけではないのだ。
雇い主がハンターならばさほど気にする必要がないが、雇い主はただ人であることの方が多い。多いというか、ほぼただ人なのだ。当然、道なき道を歩くのなら、道を作らねば無駄に時間がかかり、あっと言う間に体力は削られる。殆ど進むこともできないだろう。ハンターと同じ速度で歩けるわけもないので、歩く速度を気にしなければならない。距離を移動するのなら、体力を測り、適度な休憩を計算に入れねばならない。
カインは騎士で、雇った護衛とは違うが、彼には騎士道精神というものが存在し、市民への気遣いは身に沁みついている。誰に何を言われるまでもなく、ユーリの状態に合わせた行動をとることができた。
これらをこなしつつ、襲ってくるモンスターをなぎ倒し、雇い主の要望どおりの日数で移動をしなくてはならない。
これほどの苦労を抱えているのだが、何日護衛をしようとも、一度の護衛料は決まった料金。例えば、ユーリに雇われたシンなら、往復一日のカリオン湖でも、往復で二十日かかるミリアの滝でも、護衛料は一律銀貨十枚。ここに何日もの採取日数がかかったとしても、賃金は変わらないのだ。常に銀貨十枚。ハンターにとって『護衛』という仕事は割りに合わない事も多い、大変な仕事なのだ。
現在、シンはユーリに雇われたハンターだが、ミーユはただの道案内。つい、仕事ではない、という認識の下、自分のペースで歩いてしまっている。
「ミーユ。早すぎだ。気持ちはわかるが、ユーリは一般人だぞ」
「んにゃっ!? あ、ごめんにゃー。ついつい帰郷する気分だったにゃー」
耳がぺったりと倒れ、右に左に揺れていた尻尾が下がる。それにユーリはにんまり笑みを返した。
「いいんだよ」
「ユーリは優しいにゃ~」
「お、惚れそう?」
「それはないにゃー」
ぱっと笑ったユーリに、間髪入れずに返る言葉。大きく腕を開いていたユーリは、思わずその場でかくっとこけた。対するミーユは曇りのない笑顔を浮かべている。先程までぺったりと倒れて髪に隠れていた耳はピンと立ちあがり、尻尾も高く上がり、機嫌よく震えている。かなりご機嫌で、本音を話しているとわかる姿に、シンが噴き出した。
「ユーリみたいに豪華なのは色だけで、顔は記憶にも残らない程凡庸。そのくせ何考えてるのかわかんないけど、とにかく性格が悪いだけはわかるような男、絶対に嫌だにゃ~」
どすり、どすり、とユーリの頭に言葉の矢が刺さる。
満面の笑みから繰り出される、正確すぎる内容。何一つ間違っていないので、ツッコミも否定もできない。隣でシンが顔を背け、肩を震わせているが、言われている当人は反応もできない。吐血しそうな思いに口を引き結ぶだけ。
「シンなら大歓迎にゃ~。ユーリと違って男らしくて、そこそこ整った顔にゃ! それに性格もイイにゃ~。ちょっと口うるさいお母さん気質だけど、愛嬌にゃ。彼氏でも結婚相手でも大歓迎にゃ~。ユーリと違って!」
げふっ、とユーリが声をあげ、よろめく。さりげなく軽い流れ弾を受けたシンは笑いを止め、一瞬遠くを見た。
いい笑顔のまま尻尾を震わせているミーユに、悪気はない。怒るわけにもいかない二人。ユーリは両手両膝をつき、がっくりと項垂れ、シンはただただ遠くを見つめる。そんな二人に、ミーユは不思議そうに首を傾げた。二人の反応が何故だかわからないのだ。問われたから正直に答えただけだし、シンの事は全力で褒めた。少なくとも、同じ獣人の男が聞けば、即座に自分を口説きに来るぐらい全力で褒めたはず。何故死んだ魚のような目で遠くを見ているのかがわからなかったのだ。
どうしたにゃ、と瞬くミーユにシンは苦笑を浮かべ、首を左右に振る。打ちひしがれているユーリを引き起こし、歩みを再開した。動き出した二人に、ミーユも再び歩き出す。
チリンチリン、と軽やかな音が響き渡った。
「ミーユのそれ、可愛いよね」
「えへへ~ありがとにゃ~」
「おしゃれでしてるって前に言っていたけど、本当にただのおしゃれ? 何か理由があって鈴がいるから、おしゃれな場所につけてるの?」
「熊よけにゃ!」
「熊?」
「熊にゃ!」
自信たっぷりに胸を反らせば、豊かな胸がたゆん、と揺れる。それを、眼福眼福、と拝むユーリと、そんなユーリの頭をはたき、呆れた視線を寄越すシン。そんな二人に、やっぱりシンの方がいいにゃ~、とミーユは独り言ちた。
ミーユの故郷は森の中だ。モンスターは勿論、野生の熊や狼が出ることがある。鈴を持って鳴らしながら移動すれば、熊にはハンターや獣人がいることが伝わるらしく、熊の方から回避してくれるのだとか。
普通モンスターは音が鳴れば近寄ってくるものだ。獣の熊だけが逃げていくという言葉は、にわかには信じがたい。しかし、それでもミーユは鈴をつけてから一度も熊に出会ったことがなく、これを教えてくれた両親にとても感謝している。なので、この鈴を外す事はない。
もしも鈴の音が気になる時は、鈴を巻き込むようにしながら尻尾を身体に押し付けることで、殆どの音が消せる。周りから色々と言われるが、ミーユとしてはわざわざ外す必要がないと考えているのだ。
「へー。熊って鈴の音が嫌いなんだ?」
首を傾げるユーリに、ミーユは大きく首を左右に振った。
「違うにゃ~。この音は自然にない音にゃ! だから熊は警戒して近寄らないんにゃ!」
「成程。熊は意外と警戒心が高いんだね」
「熊はとっても臆病な獣にゃ。攻撃してくるのも怖いからだにゃ」
「近寄ってきたら殺して、肉は食べるし、毛皮はコートにしちゃう僕らのことなんて、怖がって当然、というわけだね」
成程成程、と頷くユーリ。ミーユは、そうにゃ、と大きく肯首してみせた。しかし、シンは難しい表情をする。それも当然だろう。熊を追い払う代わりに、モンスターを引き寄せているのなら、それは安全とは言えない。
ハンターの護衛任務は、依頼主、または依頼された荷物の安全が第一なのだ。そんな中、熊を追い払う代わりにモンスターを呼び寄せる危険を抱える。そんなことが許されるはずがない。
ミーユは知らない。理解していない。ミーユの鈴のせいでモンスターが集まったことがあることを。そして、ハンター達の中で、その鈴を快く思っていない者が多いことを。街中なら構わない。しかし、共に護衛として雇われた時、ミーユのせいではないモンスター来襲も、ミーユのせいだと噂されていることを。
人の負の感情は簡単に広がる。正の感情よりもよほど早く、よほど広く。よほど、深く。広がり、浸透するもの。
基本的にハンター同士というものは仲が良い。街の中にいざこざを持ち込まない。ハンターというくくりなら、まだ少々何とかなるのかもしれない。けれども、獣人と人間、という観点から見ればそうではない。
ミーユを見た人間のハンターが、ミーユの噂を聞いた人間のハンターが、青の教団を受け入れたら。考えるまでもない。しかし、シンが今まで幾度となく、鈴を外すように説得しては見たものの、ミーユは聞く耳を持たなかった。心配性のシンの言葉、くらいの認識程度。
さて、どうしたものか、と自分の護衛対象であるユーリを見る。今回、ミーユは護衛ではない。けれどもシンはユーリの護衛だ。ユーリを危険に晒す気はない。そんな事を考えていると、ユーリと目が合った。にんまりとした笑みが浮かび、すぐにユーリはミーユの方を向く。
「でもさ、熊はそれで離れていくけど、モンスターはどうかな?」
「にゃ?」
「モンスターは音がすれば近寄ってくるよ。ほら」
ユーリの指し示す先には一匹のモンスター。長いミミ、白い毛皮に覆われた筋肉質な身体、血走った眼。兎と呼ぶには厳つい姿をしたモンスター。グルル、と獰猛な肉食獣のような唸り声をあげ、涎を垂らしていた。
キラーラビット。すばしっこく、そこそこ力強い。群れで行動する事もあり、一匹目の斥候を倒して気を抜くと、その後、大量のキラーラビットに襲われ、駆け出し程度なら彼らの餌となるということもあり得る。
「あんなの雑魚にゃ!」
勝気な笑みを浮かべ、弓を構えると、射る。
ミーユの放った矢は空を切り割き、寸分違わずキラーラビットの眉間を貫いた。キュイ、と甲高い悲鳴を上げ、キラーラビットは後ろへと一歩、吹き飛ばされるようにして倒れた。
どうだと自信ありげに振り返る、ミーユの見事な弓の腕に、しかしユーリはにんまりとした笑みを崩さず口を開く。
「一匹ならいいよね。でも、あれがニ十匹。君は僕に雇われ、僕が護衛対象だとして、どうする?」
「にゃ!? に、ニ十匹??」
驚いたように見ひらかれる目。尻尾が緊張にゆらゆらと揺れる。
成程、とシンは納得すると、素早くその場を離れた。ミーユの教育をシンがするのなら、たった今倒されたキラーラビットの仲間がいないか、シンが確認に行くべきだろう。
「に、ニ十匹……た、例えば、私と同じ弓使いが二人、剣や盾を使う剣士が三人、罠や牽制の目くらまし担当が一人……七人くらいいれば、囲まれても、新人ハンターばかりでも何とか、なるにゃ」
「君一人と護衛対象の時、どうするの?」
「一人は無理にゃ~」
「でも、君の鈴はそれをおびき寄せるよ?」
「こ、こうすればいいにゃ」
尻尾を体に巻きつける。鈴は体と尻尾に挟まれ、音は殆ど聞こえなくなった。それに、ミーユが満足そうに笑みを浮かべる。しかし、ユーリは首を左右に振る。
「その程度で彼らの耳は誤魔化されないよ」
「そうなのかにゃ?」
「うん。他にも森狼も絶対に誤魔化されないね。ドラゴンだって耳がいいしねぇ。僕が君を護衛に雇わないのは、雇い主である僕を危険に晒すからだよ。そんなハンター、依頼者からは勿論、同じハンターからも信用されない」
「ユーリが私を護衛として雇わないのは、信用してないからにゃ?」
驚いたように尋ねるミーユに、ユーリは、何を当たり前な事を、とさらりと告げた。雇い主を危険に晒すようなハンター、信用されると思っていたのか、と大げさなくらい驚いてまで見せる。そうすればミーユは、これでもかと言うほどに青ざめた。
自分が『信用がないハンター』などと思ったこともなかった。沢山の依頼をこなし、成功させてきたのだから。
「そ、そんにゃ!」
「それと、君は獣人だ。青の教団には都合が良いだろうねぇ。獣人が人間の信用を損なう為のいい逸材だ」
「えぇぇ、ど、どうしてにゃ??」
「わからない? 依頼者の大半が人間だよ? ハンターの大半も人間だよ? それを、モンスターを呼んで危険に晒し、不信感を与える獣人なんて、糾弾するのにもってこいでしょう? そして彼らは扇動する。全ての獣人が人間に害を為す存在だ、と。獣人はわざと音をたててモンスターをおびき寄せ、一人でも多くの人間を殺そうとする悪しき存在だ、と」
ユーリの説明に、そんにゃ、と呆然と呟く。
耳はぺったりと倒れ、髪に消えた。青ざめ、震えながら、理解する。自分が『信用がないハンター』で、同じ獣人の立場を悪くする『人間の街にいる獣人』であることを。
一緒に組むとき、シンがあれほど忠告してきた理由も、その時初めて理解した。
他のハンター達はおそらくモンスターの件だけだろうが、シンは青の教団の事も含めていたに違いない。何しろ彼は一度懐に入れた人間に甘いから。ミーユが周りから弾かれないよう、色々と気を遣ってくれていたに違いない。そう、初めて理解した。
「で、でも、それじゃぁ熊はどうするにゃ? アイツら、私達を頭からバリバリ食べちゃうにゃ」
「じゃぁ錬金術師に依頼したら? 熊よけの鈴をってね。そういう道具があるんだよ。熊にしか聞こえない鈴」
「じゃ、じゃぁ、今度造ってにゃ!」
「相場をしっかり調べて、支払える、と思ったら、僕の所に依頼においで。そしたら造ってあげる」
熊は君を頭からバリバリ食べないだろう、という言葉は飲み込み、親指と人差し指をくっつけて見せれば、ミーユはぐぬっと息をのんだ。ユーリの言い方から、高いのだろう、と考えたのだ。
ハンターは自由があるが、さほど儲かる職業ではない。ハンターをやっていて貴族並みに稼ぎのある者もいなくはないが、それはあくまでも一握り。少人数で精鋭騎士にも勝てる、カインとかなり良い勝負ができる、そういった者の中から、運が良い者だけ。
装備の手入れ、新調。食事、宿の長期契約。諸々の経費を考え、貯金をしながら働く。それでも、剣を持ち、モンスターを倒せれば、土地を持たずとも金が稼げる。文字が読めなくとも、畑仕事ができなくとも、料理が作れなくとも、行儀作法が分からなくとも、金が稼げる。だからハンターになる者が多いだけ。
余計な出費はお断りしたいのがハンター達の本音。
鈴は、銀貨にして十五枚。ミーユクラスならば普通に買える。それをユーリが黙っているのは反省を促すため。今簡単に鈴が手に入れば、何を反省したのか忘れかねない。だから、お灸をすえる意味を込めて、あえて教えなかった。
尻尾から鈴を外し、残念そうに布に包み、腰に回したポシェットに押し込む。そんな姿に、ユーリはただただにんまりとした笑みを向けるだけだった。




