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錬金術師は人間観察がお好き  作者: 猫田 トド
三章 消えた虎児
26/85

26 虎穴に入らずんば2



 宰相閣下が敬愛する主人相手ににこやかな対応をしていた頃、ユーリは地下牢に転がっていた。


 薄汚い床とそう変わらない石造りの寝台。こんなので寝たら身体を悪くする、等とぶちぶち文句を零しながら、その上に寝転がり、狭いそこで左を向いたり右を向いたりして時間を潰す。


 壁に面した場所にぴったりと体を寄せ、その場でごろごろと転がり続けてどれくらいの時間が過ぎただろうか、おい、とかかる声に動きを止める。のっそりと起き上がり、声がかかった方に目を向けた。――因みにその間も被ったフードが乱れる事はないので、ユーリの顔は口許しか見えていない――鉄格子の向こうに立つ兵士。顔の上半分を隠すような兜のせいで表情はわからないが、声から察するに呆れているようだった。


「ごそごそ煩いぞ。何をやっているんだ」

「何って……暇つぶし?」

「お前は自分が牢に入れられているのだという自覚はあるのか?」

「あるよー。だから転がってるんだよ? 転がる以外、牢でやる事なんてないだろう?」

「いや、反省しろよ! 牢に入ったってことは何かやらかしたって事だろうが!」

「あははは。そんな真面目にやってると禿げるぞ~」

「うるさいわ!」


 イライラとしたように怒鳴る声。ユーリは顎に手をあて、ふむ、と頷いた。


「君は王都の出身者じゃないね。僅かにあるその訛り、北のマリス村辺りの出身かな」

「な!? ど、どうして……」


 男の言葉に訛りは殆どない。どれほど注意して聞いたとしても、王都の人間でもわからないだろう。それほどない。にもかかわらず、ユーリは男の出身をぴたりと言い当てた。ほんの僅か、誰も気づかない程度に残った訛りを聞き取り。


「声の質から年齢は二十台前半。そうだね、二十一歳くらいかな。真面目で実直。融通が利かない。君、ここには左遷されてきたんだね」


 びくりと男の肩が跳ねた。ユーリの言うことは全て当たっている。しかも、年齢までぴったりなのだから気味が悪い。


「この道を歩く慣れた足音からするに、既に数年、牢番をしているようだね」

「な、なんで……」

「え? 逆に解らない方がどうかと思うよ?」


 畏怖する相手に、ユーリは小首を傾げる。


 ユーリにとってこの程度、当たり前のことだ。だてに十年以上もの時間を人間観察に費やしてきたわけではない。普通の人間ならば一言二言話せば大体の性格を把握できる。


 今、男が畏怖しているのを理解しながら、あえて更に畏怖させる。その為ににんまりとした笑みを浮かべ、何を言っているの、と首を傾げて見せた。恐怖は怒りの次に相手をからめとりやすい、強い感情の揺れ。もう、兵士はユーリの玩具同然。


 次々と兵士の事を言い当てる。


 兵士となった理由。恋人の有無。近頃の悩み。僅かに気配を揺らせば次々と。何故、と疑問を口にする間もなく。


 恐怖と、それと同時に、いい知れない崇拝の念。


 ふらりと足が動いた。隔てる鉄格子を掴めば、ガシャリと音をたてる。


「お、お前は、いや、貴方は、何なんだ……」

「何って、僕はただの錬金術師だよ。それ以上でもそれ以下でもない。ただ、僕は沢山の人を見てきたからね。人の心の機微には敏感なんだよ。君、さっきのとは別に、何か大きな悩みがあるんだろう? 僕で良ければ聞こうか?」

「い、いや、それは……」


 突然の優しい声。兵士の気持ちが面白いほど大きく揺れる。


 真面目、実直、融通が利かない、そして美しい恋人。導き出される容易い解。


「君の悩みは恋人へのプロポーズ。たかが牢番程度では彼女に申し訳がたたない、そうだろう?」


 う、と呻き、兵士の視線が揺れる気配。素直な兵士にユーリは、ふふ、と笑いを零した。兵士は気づかない。優し気に零される笑みが、酷くつまらなさそうな事に。


 ああつまんねぇな、と心中吐き捨てながら頭の中で言葉を組み立てる。恋人は君を待っている、仕事の事を気にするな。言うのは容易い。しかしそんな薄っぺらな言葉に意味がない事は良く知っている。兵士が求めていない事も。彼が欲しい言葉は否定と肯定の両方。彼の事は否定しつつ、恋人の事は肯定してほしい。


 くっだらねぇ、と心中で冷たく吐き捨てながらも兵士を見た。


「俺は、どうしたら……」

「昇進してさっさとこの場を抜け出せばいいよ」


 己の仕事に誇り一つ持てないクズが、という言葉を裏に乗せつつ、簡単に返す。きっと兵士は怒るのだろう。その怒りはどちらか。簡単に言うな? この国の兵士長は腐ってる? もしもそれらの言葉を口にしたのなら、その瞬間、ユーリの中からこの兵士への興味は完全に失せるのだろう。


 不平不満は赤子でもできる。赤子はそれが仕事だから良いが、この男は良い大人だ。大人ならばそれに見合った努力が必要となる。その努力、この男がしたと思えない。


 牢番が中に入れられた者に自ら話しかけている時点で、牢番、という仕事の何を理解しているのか。牢番は中の者と馴合ってはならない。彼等は見張りなのだから。見張る対象と馴合うという事がどれほどの危険を生むのか、それを考えれば当然の事だろう。それが考えられない程愚かという訳でもないのに。


 歩き方で兵士としての能力がどれほどのものかもわかる。まぁ、正直下の上。兵士としての才能はないだろう。歩く歩幅、身に纏う防具がたてる音。一般人との差はほぼない。ある意味、通りを歩いていて見分けがつかない、という分には紛れる者としては合格だろうが、兵士はそういった職業ではない。戦う為の職業。守る為の職業。専門職としている以上、一般人と同じ、ではダメだ。いつだって守る為戦いに投じられるように気を遣わねばならない。目の前の兵士にはそれがない。


 真面目であれば、実直であれば、それが美徳であると誰が言ったのか。教会ならばそれで良いかもしれないが、兵士がそれではどうしようもない。実力、それが足りない者が誰かを、何かを守るなどとおこがましい。その事にさえ気づかず、口だけを出してここに送られたのだろう。ここが実力主義の場所だと認識できないまま。


「それができれば苦労はない! 昇進!? こんな場所でどうやって!?」


 ああ、くだらない。


 ガシャリと鳴り響く鉄格子を眺め、吐き捨てる言葉を溜息とすり替える。


「いいか!? ここに送られたら昇進は絶望的だ! こんな場所では立てる手柄もない! そのくせ、騎士達が赴く魔物討伐にも連れて行ってもらえない! ここの見張りがいないのは容認できない、とな! こんな王城地下の牢に誰が来ると!? たかが二、三日の討伐程度、なんの問題もないはずだ!」

「そんなに手柄を立てたい?」

「当たり前だろう!?」


 ああ、とユーリは理解した。この男には目指すべき目標がなかったのだ。確たる思いを持って兵士という職業を選んだわけではない。国を守りたい、誰かを守りたい、そんな思いがない。


 真面目で実直。だから安定した収入を求めた。将来の為、田舎の両親への仕送りの為。まぁそれは構わない。動機は何であれ、そこからどういった未来を見据え、その為にどう動くべきか考えるのであれば。


 恋人は兵士になってからのものだろう。都会でできた美しい恋人。兵士というステータスに寄ってきた。それを感じているのだろう。自分という人間に惚れたわけではない、と。それが感じられるのなら、努力すればよかったのだ。自分という人間に惚れてもらうために。それらを怠っておきながら、何故不満を貯めこめるのか。不満を覚えるならばそんな女、捨ててしまえばいい。どうせ男を足掛かりに他の、より上位の兵士に鞍替えしようと狙っているだろう。価値のない女だ。


「君は、なんの為に兵士になったの? 手柄を立てる為? 誰かに褒められるため? でもそれだけならハンターでもいいだろう?」

「あんなゴロツキ! 所詮盗賊予備軍じゃないか!」

「失礼だね、君。彼等は確かに気は荒いが善良だ。むしろそんな思想をもつ君の方が盗賊予備軍だね。偏見で他人を見下すような人間じゃ、どうあがいても上に立つだけの人格者とは言えない」

「ハッ! だったら何故ここの兵士長達は上に立っている? アイツらの方が余程クソみたいな人間だぞ! 自分より実力がある若い奴が台頭してこないように、権力で抑え込み、ゴミ溜めのような場所に送り込み、上へあがる機会を潰す! 俺は規定に沿った行動を、と忠言しただけで牢番送りだ! 捕らえた盗賊の扱い方が規定外の方法だったから、そう言ったのに、だ!」

「どうせ、命令に違反して、自分が思う通りにしたんだろう? 規定だ規則だって」

「それの何が悪い? 俺は軍規に沿ったまでだ!」

「いいや、君は軍規に違反したんだよ。最も重要な軍規、上官の命令に従う、という、ね」


 え、と兵士が固まった。どうやら自分が軍規違反をしていたという自覚がないようだ。呆れた男だな、と半眼を向ける。兵士というものが、軍というものが、どういったものか理解のないまま、給料の安定性と己の能力を考えてただ就いただけ。その結果がこれだ。


 男は、教会の人間ならよかったのだろう。真面目に、正しいとされる行いをこなし、やってくる信者に神の言葉を淡々と伝える。ただそれだけで周りからは「素晴らし神父だ」と評価されたに違いない。彼がそれではダメだったのは田舎の家族だろう。神父になっては給料はなく、収入は国からの依頼をこなして得た分だけ。それでは教会の経営で精一杯となる。仕送りの為に都会に出て、仕送りのできない職業に就いた、ではどうしようもないだろう。


 道を誤った男。


 けれども構わない。そんな彼だからこそ玩具として使える。そう、ユーリは嗤う。


「もし、ここから脱したいなら、僕は一度だけ君にチャンスをあげよう」

「え……?」

「チャンスが欲しいのなら今日の僕の食事の時間、係の人間に気づかれないようにここにおいで。ただし、そのチャンスをものにできるのかどうかは君次第だ」


 どういう意味だ、と兵士が問うが、ユーリは答えない。もう話は終わったと言わんばかりに寝台に転がった。兵士の気配は牢の前にしばらくあったが、ユーリが一切答えないとわかると、不安そうにその場を立ち去った。


 最早ユーリの記憶に兵士との会話はない。駒がどう動くか以外の興味はない。


 ユーリが指定した時間までまだ一時間以上ある。兵士との会話で随分時間は潰せたが、それでもまだ一時間以上あることにうんざりしながら、再び寝台の上で壁に向かって転がりだす。


 時折「暇だー」と呻く以外やることがない。ああ、シンも一緒に入れてもらえばよかった、等と馬鹿な事を考えながら、どれくらいの時間そうしていたか。不意に近づいてくる足音。ぴたりと動きを止め、その足音が真っすぐとこちらに向かっているのを確認すると、のっそりと起き上がる。壁に背を預けて座り、近づいてくるものを待った。


 おい、と声がかかり、目を開ける。ゆるりと首を巡らせ、鉄格子の向こう側を見た。簡素な盆に、木製の器が二つ。それを持った兵士が一人。


 飯の時間だ、と鉄格子の隙間から入れられる器。もう一つは正面の牢へ。


「ねぇ」


 すぐに立ち去ろうとする兵士に声をかける。兵士は立ち止まらず歩き去ろうとするが、許さない。


「ああー大変大変。この国の兵士は僕に毒をもる気なんだー。明日は宰相様が直々に聴取に来るってのに、毒殺された死体を渡すつもりなんだー」


 わざとらしいほどの大声に、ぴたり、と兵士の足が止まった。ゆっくりとした動作で振り返り、近づいてくる。


「嫌なら、食うな」

「うん、食べないよ。黒蠍なんて毒が入ったご飯は要らない」


 ぴくん、と兵士の指先が僅かに動く。けれどそれだけ。気配も乱れない。


 なかなか優秀じゃないか、とユーリは兵士を評価した。


「でもダメだよー。この毒は臭いがある。混ぜるのならご飯をもっと強い臭いのやつにしなくちゃ」

「言いがかりも甚だしいな」

「言いがかりじゃないよ。嘘だと思うなら自分で食べてごらんよ。黒蠍の毒なら一滴で致死量。一口口に含めばその場でもがき苦しんで死ぬだけだ。でも、君的には言いがかりなんだろう? なら、君がそれを食べても問題ないはずだ。ほら、食べてみてー」


 けらけらと笑い声を零す。


 僅かに気配が揺らいだ。


「あーっと。さっきも言ったけど、明日には宰相様がここに来るよ。短気で僕を手にかけたら大変な事になるよー」

「かまわん。目撃者はいない」

「目の前の牢にいる人はー?」

「アレも殺せばいい」

「じゃぁ、彼は?」


 白い手が、牢の入り口を指さした。男はそれに、何を、と呟きつつ首を巡らせ、硬直する。そこに立っていたのは一人の兵士。


「せ、先輩……どう、いうこと、ですか……?」


 驚愕に震える声は、先程ユーリに面白いように転がされていた男の声。まぁ来るよね、とユーリはこっそり笑う。あれほど揺さぶって、来ないわけがない。そんな男だったから。けれども彼に期待はしていない。来ても来なくてもいい。その程度にしか思っていなかった。


「何故、ここにいる?」

「僕がお招きしたからさ。こういった事態がおこる『かも』しれないからね、タルポット男爵子息殿」


 チッと小さな舌打ち。それからあからさまに敵視する視線は一瞬。


「何故、わかった?」

「君の当番の日の、投獄者の死亡率は高すぎる。疑ってくれと言っているようなものだよ」

「城内に、お前の子飼いがいるのか?」

「まさか。僕はそんなものを持たなくても情報が入ってくるんだよねー。僕に依頼を出したい国王陛下や、宰相様から。調べてくれって」

「成程、子飼いはお前の方だったか」

「そういうこと。でも残念。君が来たって事はここはハズレか。いや、ハズレになったんだなー。そしてついでに、疑われている君は用済みってことでグッバイフォーエバーってわけだ」


 あーあぁ、と実に残念そうに零される溜息。


 すらりと音がしてもユーリは目を向けない。代わりに息をのんだのは、冗談ですよね、と半笑いのような声を上げながら、迂闊に近寄った兵士だった。


 帯刀していた剣を抜き放ったタルポット。それに対峙するはずの兵士は、ガタガタと震えるだけで役に立たないのは一目瞭然。


「俺の仕事はお前を殺す事。その為なら、目撃者は全て殺しても問題はない。牢の中なら死体の側に短剣を。お前は……」


 震える兵士をちらりと見て、やはり淡々と紡ぐ。


「殺した後、死体はバラして適当に捨てよう。そして、失踪者として扱う。それだけだ」


 ひぃ、と無様な悲鳴を上げて、逃げるために背を向けた兵士に一閃。鎧を紙きれのように切り裂くその剣に、ふぅん、と小さく声を上げる。特殊な加工がされている。それも、錬金術による。成程成程、と頷きつつ、地に伏し、掠れた声を上げる兵士に目をやった。


 つまらなさそうに口元を歪める。


「なんだ、君、本当に役立たずなんだね。実力もないくせに口ばかりが達者。そりゃぁ疎まれて左遷もされるよ。軍ってのは実力主義だ。実力もないくせに軍規にも沿えない。疎まれて当然じゃないか。そんなんだから女には踏み台程度に見られるんだよ。女にも価値がないけど、君にも価値はないんだね」


 呆れて肩を竦める。


 今まさに死に向かおうとしている者へかける言葉ではない。ただの死者に鞭打つ行為。とどめの剣を振り降ろそうとしていたタルポットも、思わず一瞬動きを止めた。その一瞬が命取りとは知らずに。


 入り口の方から飛んできた何か。素晴らしい反射でそれを剣で撃ち落とすタルポット。勿体ないなぁ、と独り言ちるユーリ。


 タルポットの腕は、今見る限り貴族騎士の中どころか、実力派叩き上げ平民騎士達の中でも上位。そんな男が騎士の下で働く兵士、それも牢番を務めているという勿体なさ。カインほどの男がタルポットの腕を見抜けないわけがない。とすると、これはタルポット自身の志願。この位置にいる方が都合が良いというわけだ。


「残念だ、タルポット。お前ほどの使い手を失わねばならんとはな」


 入り口から現れたのはカイン。窮屈そうにやってくる様子に、どこにいても窮屈そうだなぁ、とどうでも良い感想を抱きつつ、ぼんやりと中空を見た。どうせもう結果は決まった。来たのが宰相だったら少々問題があったが、来たのはカイン。シン、偉いぞー、ととりあえず心の中で褒め称える。もう結果は見えた。ユーリのやることはない。カインの方がひと段落付いたら出してもらうだけ。


 ここに、もう用はなかった。


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