25 宰相ルルク2
一通り説明を受けたルルクは、打ちひしがれている男共々ユーリを捕らえ、牢に叩きこむ。牢番にはある事件の首謀者と需要参考人であると伝え、別々の牢、向かい合う形にした。シンはこっそりカインに預ける。不審がるカインに、ユーリの策だ、とだけ伝えた。後はシンが何とかするだろうと丸投げする。
戸惑うカインをシンが宥めるのを横目に立ち去ると、自分の執務室に逃げ込んだ。乱暴に椅子に腰かけ、両手で頭を掻きむしる。後ろになでつけた茶斑の髪が乱れ、一気に老け込んだように見えるが気にしない。もしもここが自分一人の場所なら大声で喚き散らしていたかもしれない。
クソが、と心中で口汚く罵る。
上手くいかない。
ルルクは生涯自分の主はクリストファーただ一人と定めていた。外面だけでなく、内面までもズタボロのぼろ雑巾のようになりながらも、歯を食いしばり、国の為、民の為、戦い続けたクリストファー。自らの親を手にかけてまで守ろうとする、王族としての矜持を貫いた男。あの尊い存在は正に王に相応しく、彼以外の王など、ルルクには想像もつかない。
そんなクリストファーの足を引っ張ろうとするゴミ共。
何故、彼の王の偉大さが理解できない。何故、自らの行いは己の足元をじわじわと削っているだけだと気づかない。
ルルクには不思議で仕方がなかった。彼等は、国が倒れれば自分達も倒れるのだと言う事に、何故気づかないのだろうか。自分達は蜜を吸うだけ吸ったら逃げるつもりだろうが、彼らが懇意にしている者とて打算があっての事。旨味もなく、ただの逃亡者となったくせにその事実に気づかず、偉そうに顎を上げて見下すものを、誰が助けたいと思うものか。
何故わからんのだ愚か者どもが、と叫びたくなることも幾度あったのか、数えるのも馬鹿らしい。
だから、クリストファーの地位を確たるものにしたかった。その為に己は完璧でなくてはならない。その為の努力は惜しみなくした。そして持って生まれた色のせいで『公爵家の忌み子』と呼ばれていたルルクは、今では氷の宰相としてのみ呼ばれるようになった。
自分の事は終わった。これからもこの調子で続けるだけだ。
次にルルクが目を付けたのはカイン。民の為に身命を賭して戦う彼の姿を知らぬものはいない。民に絶大な人気を誇る聖騎士長。彼がクリストファーの剣であるかぎり、クリストファーが惑う事はないだろうし、民が惑うこともない。王が民に寄り添う王だと信じてくれる。
実に順調にクリストファーに都合の良い駒が揃った。宰相である自分と、聖騎士長であるカイン。それでも足を引っ張りたいゴミ共は、コバエのようにたかり続ける。
だから、もう一人、目を付けた。それがユーリ。
誰もが足元に及ばぬ錬金術師。あのプライドだけでなく、実力を持った錬金術学校の教師達でさえ、嫉妬に身をやつし、自らの力以外で排除しようとせざるを得ない、錬金術の使い手。
彼の錬金術は、最早神の御業と呼べる代物。その素晴らしい腕で、街に出回る錬金術あての依頼を次々こなし、先の戦争を終わらせた功労者。民の人気もカイン並みに高い。そこに不思議な魔法使いと言う称号が加わり、憧れる者が後を絶たたない。そう言ったところも素晴らしいが、何より彼は、隣国との戦争を完全に終わらせることができる可能性がある。それもたった一人で、フィンデルン王国の勝利と言う形で。
この男こそクリストファー最後の駒に相応しいと考えた。だからあの手この手でアプローチを続けていたというのに。
ルルクの目に焼き付いて離れない。白い背に鮮やかな薔薇の痣。
あれはダメだ、と奥歯を噛みしめる。そして再び、クソが、と呟き、苛立たし気に乱れた前髪を払った。
「荒れているな、宰相」
「陛下!?」
不意にかかった声に慌てて立ち上がり、臣下の礼をとる。それを片手で制し、ゆったりとした足取りで近づいてくる主人に、困惑した表情を向けた。
銀髪を短く刈り上げた菫色の目の偉丈夫。日に焼けた肌。国王というよりも騎士と言われた方が納得しそうな体格。男くさい顔に浮かぶ笑みは太陽のように眩しい。記憶の中にいる細い少年と中々合致しないこの男こそが、ルルクが唯一の主君と仰ぐ男。この国の王、クリストファー。
「ご執心だったユーリを捕らえてきたと思えば荒れ果てて、愉快だな、お前は」
呵々、と笑う豪快な笑みは、クーデターの頃からだったな、と思い出す。王子だったころはこうやって笑う事さえなかった。常に肩肘張って、今の自分以上に『氷』という言葉が相応しい様相だったのだから。こうやって笑える場所を守っていくのだと、彼が王になった時にひっそり心の中で誓った。
「陛下、何故こちらに?」
「ん? 面白そうなことになっているみたいだからな。話を聞きたいと思ってな」
「……本日の執務は終わられたのですか?」
「んんっ!」
ちらり、と視線を向ければ途端にせき込む。
あれほど国政に真面目だった主人だが、国王となり、三年。どうも近頃手を抜くようになった。だがそれも問題にならないように見極めてやっているので、子供の頃甘えられなかった事を今やっているだけなのだと知っている。だからルルクは応えて年長者として子供を咎めて見せるのだ。
「陛下? 政は遊びではないのですよ。あの書類一枚に民の願いや臣下の想いが五万と詰まっているのですよ」
「わかっている。全く。お前と来たら母親のように口煩くてかなわないな」
「そこはせめて父親の方が良いのですがね。それとも、私は貴方の為に男の証を切って捨てた方がよろしいのでしょうか?」
「いや、いやいやいや! 止めてくれ! 冗談でも頷けば、お前は実行しそうで怖いぞ!」
「ええ、陛下がお望みとあれば即座に実行いたしますとも」
「止めてくれ。本当に止めてくれ。まったく……俺はお前には勝てんな」
がりがりと頭を掻きながら苦笑する姿に、ルルクは穏やかに微笑んだ。年の離れた弟に甘えられているような感覚。実家である公爵家では覚えがない。
家族の誰も持ちえぬ色を持って生まれたルルク。母の不貞が疑われたが、それがない事は両親が知っている。何しろ、母は父が初めての相手で、その初めての契りで生まれたのがルルク。母も父も相思相愛で、結婚して一月、互いに一秒たりとも離れていなかった。それは、執事を含め、当時の使用人も、祖父母も周知の事実。だから母の疑いは即座に晴れた。だからこそ、ルルクの異様さは際立ったのだが。
家族も使用人も気味の悪い存在は屋根裏に押し込め、基本的にはないモノとして扱った。ただ、公爵家内にて餓死や変死をされては困る、という理由で最低限の生活だけは保障されていた。だったら毒殺でもして病死とすればよかったろうに、と思う。だが、それだけはなかった。曲がりなりにも愛しい人の子種で、愛しい人が生んだ存在。どちらも手を下したがらなかったのだ。
与えられなかったルルクは、与えられない理由を理解せず、両親に振り向いてもらうために努力した。あらやることを学び、身につけた。けれども二人との、いや、誰との溝も埋まらない。両親と同じ色をした弟が産まれた後は、深まる溝は更に加速した。
やがてルルクは知る。努力が報われない事を。けれどもその頃には振り向いてもらう事よりも、知識を、技術を、身に着けるという事が心の拠り所だった。変わらず努力を続け、やがて甘やかされた弟とは雲泥の差が産まれた。嫌になれば、わからなければ、飽きれば、投げ出しても受け入れた両親達のせいで、弟は性格も頭も残念なまま。それに比べ、完璧な貴族としての嗜みを身に着けたルルク。両親が気づいた時にはもう遅い。
両親が、表に出さないためについた『病弱』というレッテル。使用人たちの噂から広がった『忌み子』のレッテル。それは却ってルルクを後押しした。初めからマイナスのスタートなら、後は上がるだけなのだから。堅実に、確実に、けれども両親親族を刺激しないように静かに、着実に築いた地盤。いつしか公爵家の跡取りは残念な弟ではなく、ルルクに、と流れた。
慌てふためきルルクを失脚させようと動く弟は、容易く御した。所詮頭の出来が違う。弟が甘やかされ遊び惚けていた間、ルルクはひたすらあらゆる力を蓄え続けたのだから。それにいい大人になってなお、公爵家の人間としての自覚のない言動を繰り返す弟に、流石の両親も跡取りに、とは望めなかった。
ルルクが公爵家を継いだのは必然。
愛情の欠片もない両親は領地の奥に押し込め、弟は公爵家から叩きだした。忠義のない使用人はまとめて両親と共に領地の奥へ。自分の屋敷には冷遇時代も側に控えてくれた信頼できる執事とメイド、それに不憫がってくれ、こっそりと花を届けてくれた庭師と、ルルクの為だけに菓子を用意してくれた調理師の四名のみ。広い屋敷に少ない味方。それがルルクの手に入れたもの。あまりのむなしさに、乾いた笑いしか零れなかった。
冷たい日々を送ってきたせいか、クリストファーを見た時、不覚にも己の過去を思い出した。不敬にもかつての苦労を続けた己と重ねてしまった。気になって気になって仕方がなくなり、気が付けば目で追っていた。
気にかけ、不自然でないように話しかけ、フォローし、二人の間に静かに築き上げられた信頼関係。頼られることが嬉しい。軽口を叩けることが楽しい。実の弟とは分かち合えなかった諸々を、クリストファーと分かち合った。
はぁ、と溜息を零す。
目に入れても痛くない程可愛いクリストファー。彼の地盤を盤石にしようと思っただけなのに、何故にこうなった。
「どうした? また考え事か? あんまり根を詰めるなよ? 禿げるぞ」
「余計なお世話です、陛下。それより、仕事に戻ってください」
「冷たいなぁ、お前は。少しは私と話さないか?」
「何をですか?」
「お前が隠そうとしていることだ」
「御身には関わらない事ですよ」
「でもこの城に入れたんだから、俺は聞く権利があると思わないか?」
むぅ、と黙る。
どうしてこう、一歩も引かないようになってしまったのか。昔ならば自分が言えば何でも納得し、引き下がってくれていたのに。成長が喜ばしいような、手を離れてしまいそうで悲しいような、何とも言えない気持ちになる。
「少々きな臭い案件がありまして、ただ、あまり話すことはできません。申し訳ありませんがどこに耳目があるのか不明なのです」
「ほぅ……入り込んでいるのか」
「ええ、おそらく。それもかなり深いところに」
クリストファーの眉根が寄る。
口元を隠すように手を当てるのは、考えている時の癖だと知っている。クリストファーは頭が良い。非常に不味い状況である事が瞬時に理解できたのだろう。自分のできることを考えているようだった。
「由々しき事態だな。手は足りているか?」
「今のところ彼に任せます。陛下は御身をお守りする盾を、剣を、けして傍らから御離しにならないよう、お願いいたします」
「わかった。カイン聖騎士長に選抜させ、昼夜問わず傍らに置くとしよう」
「わたくしの下へいらっしゃる際も一人歩きはおやめください。しばらく窮屈な思いをしていただくかと思いますが、申し訳ありません」
「構わん。それが王の務めだからな」
「では、執務室までお送りいたします。わたくしごときでは御身を守る剣足りえませんが、まぁ、一秒二秒は稼げるかもしれませんので」
「お前を失うと困るので、そういう事がない事を祈るよ」
勿体ない言葉だ、と心の底から思った。ルルクは己の全てをクリストファーに捧げた。彼の為なら命も惜しくない。そんな自分を主人が惜しんでくれるのだ。こんな幸せな事がどこにあるのか、と誇らしく思う。
左手を胸に当て、頭を下げる。
礼とは相手への敬意があれば自然とできること。それを教えてくれた主人に、最大の敬意を。
「さて、執務室へ行きましょうか、陛下」
「ああ」
頭を上げ、自然な笑みを浮かべる。それに応えてにやりと笑った主人に付き従い、王の執務室へと移動した。




