ついてくる足音
忘れていた。本間先生が誰かに恨まれているかもしれないことを。
どうして3年女子の間でだけこっくりさんが流行ったのか? 誰が流行らせたのか?
どうして本間先生が突き落とされたことを皆は知っていたのか? どうしてその人物は事実を捻じ曲げて広めたのか?
今朝学校に着いた時、学校中が混乱に包まれていた。
北川さんと秀さんが除霊を済ませたというのに、また本間先生が階段から突き落とされたのである。それも今度は運が悪く、左腕を骨折したという。生徒達の間では除霊のすぐ後に事が起きたことを知っている人がいて、不信感が広がっていた。誰も人がやった可能性については話していない。皆、心霊現象だと思っている……。
普通に考えたら人がやったことだと分かるはずなのに。昨日の3年4組事件(そう呼ばれている)と、除霊の直後に起きたという情報によって正常な判断ができなくなっているのだ。
昼休み、私とエイプリルが多目的室へ向かう時、針の筵を歩いている気分だった。中は結構普通の雰囲気だったことが救いである。もっとも、北川さんはかなり悔やんでいたけど……。
「あたくしとしたことが失敗しましたわ……。どうして誰も付き添わせなかったんでしょう……」
「仕方ねーよ、人間はあたしらの範疇じゃない。もう除霊は済んだわけだし、とっとと帰っていいんじゃねえか」
「……問題がありますの。おそらく三年女子にこっくりさんを広めた人物と、本間先生を突き落として噂を広めた人物は同じです。誰なのか突き止めなければ根本的な解決にはなりませんわ」
「だからそれがあたしらの仕事じゃないっつってんだよ」
「まあまあお二人とも、今話してもどうにもなりませんから」
言い合いになりそうだった所を西園寺さんがすかさず仲裁する。もはや職人芸だ。
「ここはいっそのこと本間先生に聞くのが早いんじゃありませんか? この前の一回ならまだしも、今回は骨折までしたんですから、相当怯えているはずですよ。だからちょっと脅して甘い言葉を囁けば……」
「ま、それが最善だわな」
「だって本当に殺される可能性があるんですからね」
西園寺さんの一言で空気が凍った。確かにそうだ。例え犯人が故意に殺そうとしなくとも、打ちどころが悪ければ死ぬ。痛い目に合わせるのが目的ではなく、殺すのが目的だったとしたら……。
「だとしたらまずいな……。どうだ、そういうのは北川の方が適任なんじゃないか」
「やるだけやってみましょう。後で職員室で聞いてきますわ。西園寺さんをご一緒にお願いしても?」
「なんでだよ?」
「頼みたいことがありますの」
北川さんはすっかり冷静さを取り戻したようだ。……でも、秀さんの自然な悪口に反応していないあたりまだ本調子じゃないのかも。西園寺さんは「喜んで」と即決。
「じゃあ北川と西園寺はこれからいなくなるんだな? となると、霊的なもんに対処できるのはあたし一人か……」
「もう除霊は済みましたわ。今朝先生方が全校生徒にこっくりさん禁止令を出しましたから、昨日のようなトラブルは起きないと思いますけれど」
どうやら昨日私とエイプリルが帰った後も、北川さん達(誰が残ってたんだろ)は校内で護符を探していたという。
「ていうことは職員室にも護符があったんですか?」
エイプリルが私も思っていたことを聞いてくれた。
「ええ、西園寺さんが上手くやってくれましたの」
「……あれ? 職員室って誰もこっくりさんしなさそうなのに、どうして地震が起きたんですかね」
「おそらく一階の第二理科室でやっているのだと思います」
第二理科室って、いつもカーテンで中を隠していることで有名な生物部の。そういえば、位置は職員室の真下かも。
「そう都合良く上にだけ行くのかという疑問と、護符で結界ができているのにどうして入れるのかという疑問はありますが……、たまたま霊が職員室に溜まっていた時に護符が貼られたのでしょう」
「加島先生は災難ですね。まあ加島先生が悪いのはそうですけど、善意だったのに」
「エイプリルさん、知らないことは言い訳にはなりませんわ。いくら善意であろうと結果が全てです」
北川さんが言ってることは正しい。私も、いくら加島先生が善意でやったんだとしても同情できなかった。
「園田さんエイプリルさん、また室温を測って来ていただけますか。もう除霊は済みましたから、昨日のようにはなりませんわ」
北川さんから温度計をもらって多目的室を出る――と、そのとき「聞き忘れたことがありました」と北川さん。
「足音が聞こえたことはありませんか? まるで自分の動きにぴったり合わせたかのような……」
「あ、昨日一度だけ」
そういえば室温を測りに行く前から嫌な感じはしていたんだ。
「エイプリルさんは」
「うーん……あんまり気にしてませんからねえ、あったとしても気づいてないと思います」
「ありがとうございます。もう行って構いませんわ」
秀さんや田中先生も乗っかって「そんなことがあった」と言い始める。そんなこんなで多目的室から完全に出ると、私とエイプリルに周囲の冷たい視線が向けられた。どうやら私達はあやしい人達に協力していると、避けられているようだ。
「じゃ、昨日と同じでいいよね?」
「ええ」
エイプリルとも別れ、私は3年の教室に向かう。生徒達の雰囲気は嫌な感じだったけど、昨日みたいな薄気味悪い感じはしなかった。
3年の教室を無事全て測り終えて階段を上ろうとした時。
……妙な感じを覚える。
私が一歩進む。後ろの誰かが一歩進む。
止まる。すると後ろの誰かも止まる。
驚いて振り向いても、駄弁っている生徒達がいるだけで私の後ろには誰もいなかった。
……こんだけ人がいるんだから、気のせいか。
そう自分に言い聞かせて階段を上る。……でも、まだ何かが尾けてきている……。私は怖くなって走り出した。
後ろから聞こえる足音も早くなる。きっとここで振り向いたら誰が追いかけているのか分かるだろう。でも、もし誰もいなかったら……?
そう思うと振り返ることができなかった。ようやく最後の一段になり、振り返った後ろにはーー誰も、いない。
私は逃げるようにして、二年の教室に転がり込んだ。
結局あの時何が起きていたのかは分からない。室温はどこも異常無しだった。測り終えた私は多目的室に戻り、北川さんにメモを渡して、ついでに足音のことを言った。「そうですか……」と難しい顔をすると、そのまま黙り込んでしまう。私は昼休みが終わると同時に教室に戻った。
放課後になり、エイプリルと多目的室に行ってみる。北川さんと西園寺さんはまだ帰っていないのか、秀さんと田中先生しかいなかった。
で、ここはひとつエイプリルに借りでも作ろうじゃないか……ということで、私は秀さんと話すことにする。その傍らでエイプリルは田中先生と楽しそうに話していた。
「北川さん達はまだ本間先生の所に?」
「ああ。北川曰くだいぶビビってるからもうすぐ吐きそうだと」
連絡手段とはいえ、連絡先を交換してるのが結構意外。
「もし犯人が生徒だったとして、見つけたらどうするんですか?」
「学校側に任せる」
秀さんはなんだかそわそわしている。今北川さんはいないから、もし何かあったら対象できるのは秀さんのみ。でも今回はたまたま協力しているだけなのだ。だから普段は一人で対応しているはずだし、それが当たり前……。だから心配する必要はない。
なのに何かが起こるような、悪い予感がする。
嫌な感覚……。
その時、初めて女子更衣室のマイクが音を拾った。
「秀さん……」
「分かってる」
エイプリルと田中先生は遠いから気づいていない。画面を覗くと、薄暗い女子更衣室に三人の生徒が入ってきた所だった。埃を被った蛍光灯が灯され、教室の中心にある机がぼんやり浮かび上がる。そこに紙が置かれ、三人が机を囲んだ。おそらく動体検知カメラに毎回映るいつものメンバーだろう。
たかがこっくりさんなのに、まるで何か儀式を始めるかのような重苦しい雰囲気だ。
「まずいな……。まだやる気かよ」
「言ってきましょうか」
「お前だけじゃ危ない。……おい明久! 行くぞ」
唐突に言われたのにも関わらず、田中先生は表情を引き締めた。
「お前ら二人はここにいて画面から見てろ。状況次第で誰か呼んでくれ。分かったな?」
「は、はい!」
エイプリルも画面の前にやってくる。秀さんと田中先生は走って教室を出て行った。重たい空気を残して……。
「こっくりさんこっくりさん、今日本間先生を突き落としたのは誰ですか」
机の辺が長い方に立つ一人の少女が言う。いつもの三つ編みの子だった。他二人はそれぞれ机の両サイドにいて、まるで三つ編みの子がボスのように見える。そういえばいつもこの配置なような……。
三本の指を乗せた十円玉は動かない。
「こっくりさんこっくりさん……」
もう一度言いかけたとき、ぐいっと指が動いた。私達の方からはこっくりさんが何を差したかは分からないけど、その一文字を示した瞬間、明らかに三人が緊張したのは分かる。
ずーっ、ずーっ。
十円玉が紙を擦る鈍い音。
こんなの、いつも録画に映っていたのと同じ展開だ。でも今日はなんだか違う気がする。凶々しい気配が画面を隔てた向こう側からする……。
「…………。……」
一人が何かを言った。
「うううううううぅぅぅぅぅ」
獣のような唸り声。それは一人が口から出していた。
他二人が驚いたようにその子を見た瞬間、少女は十円玉から手を離す。
「あああああああああぁぁぁぁ、おおおおおおぉぉぉぉ」
昔映画で見た、悪霊に取り憑かれた子どものように、気持ちの悪い動きをしながら地べたを這う。三つ編みの子は唖然としてそれを見ていた。残りの一人はというと、狂ったようにこっくりさんに質問をし続けている。
「こっくりさん、こっくりさん、教えてください。これは誰がやっていますか?」
信じられないことに、なぜか十円玉は動くようだった。
これが現実の光景とは思えない。
そのとき、ガラガラッ! と音が鳴って秀さん達が入って来た。
田中先生は秀さんに言われたのか叫んでいる子を取り押さえる。秀さんはずかずかと奥に進んでいき、奥で唖然としていた子の腕をーー掴んだのだった。
「腕出してみろ」
棘のある声。
秀さんが掴んだのは、十円玉に乗せていないほうの手。徐々にそれが出てくる。その子はどうやら机に手を入れていたらしかった。
手首まで出てきて、それを秀さんが引き上げたとき――その子の指には、銀色の何かが挟まれていた。




