第44話
先斗町-
四条では、舞妓が襲われたことがもう知れ渡っていた。
どうも、かご屋が触れ回ったらしい。
そして、舞妓達の間では、あやめを襲ったのが「秋吉」の跡取りだということがばれていた。
というのは、あやめは「秋吉」の跡取りが開いた宴に出ていたのである。そして、その宴の間、ずっと跡取りは、一緒にいた舞妓があきれるほど、あやめに言い寄っていたという。
そして宴が終わると、あやめを先斗町まで送ると言って、あやめをひきずるようにして連れて行ってしまったのであった。
その舞妓の噂を聞きつけてか、「秋吉」の老主人と跡取りが綾乃屋へ現れた。
女将は憮然とした顔で、二人を客間に入れた。
老主人「…このたびは…ほんま、うちの息子がえらいことをしてしもて…」
女将はただ黙っている。
老主人「謝っても済むことじゃないとはわかっております。…どうか、これで許しておくれやす。」
老主人は、金の包みを女将の前に差し出した。
女将「こんなんもろても、うちの子の気はすみまへん。…無理やり乱暴されて、商売道具の顔傷つけられて…。もう身も心もずたずたどすわ。」
老主人「これで足りんかったら…」
そう言って老主人は、また包みを出した。
老主人「たのんます…どうか、これでこのことは他言しないでおくれやす。このことが堅気はんにしれたら、商売なりたちまへんのや。」
女将は、怒りで体が震えた。この主人と息子は、謝罪に来たのではなく口止めに来たのだった。謝罪に来たのならば、金を受け取るつもりだった。が、この主人に言葉で違うことがはっきりとわかった。
うすうすわかっていたことだが、ここまではっきり言われて、女将は怒りのあまり、口を利くこともできない。
女将「…お金もって出て行っておくれやす!…自分の商売のことは自分で処理しなはれ!」
やっとの思いで、そう叫んだ。
が、老主人は「言わないと約束してもらわな帰れまへん」と言って、頑として動かない。
女将と老主人は、にらみ合っていた。その横で、当事者の息子は平然とした顔をしている。この息子はこうやって、いつも親に尻拭いをしてもらうことになれているのだった。
その時、廊下から足音がした。
舞妓ではない。
女将が何事かと腰を浮かせた時、女将の後ろのふすまがいきなり開いた。
女将「!…沖田はん…!」
足音の主は、総司だった。そして、後ろには中條がいた。
総司「女将、すまない。…外から呼んだが、返事がなかったので、勝手に入らせてもらった。」
総司は、老主人の隣にいる跡取りを見据えながら言った。
跡取りは、わけがわからないような表情で、きょとんと総司を見返している。
総司の後ろにいた中條が刀に手を掛けて、二人の前に進み出た。
跡取りは「ひいっ」と悲鳴をあげて、立ち上がろうとしたが、すぐに腰を抜かして動かなくなった。
老主人「なんや…あんたはんら!いきなり入ってきて…」
老主人が、中條に向かって言った。
中條の目が吊上がり、刀の柄を握る手に力を入れた時、総司が中條の前へ進み出て、後ろ手にその手を抑えた。
総司「ここではやめなさい。…部屋が汚れます。」
中條は、ぐっと唇を噛んで後ろに下がった。
それを見て、老主人と跡取りは少しほっとした表情をしたが、その次の瞬間には、金の包みが跡取りの顔に投げつけられていた。金色に光る大判が音を立てて飛び散る。跡取りは、悲鳴をあげて顔を両手で押さえ、うずくまった。
総司「…その金を持ってすぐに出て行け!…二度とあやめの前に姿を現すな。…それが守れなかったら、容赦なく斬る!」
その総司らしくない言葉に、中條は驚いた目で自分の前にいる総司を見ていた。
跡取りの顔に金を投げつけたのも、総司だったのである。
老主人と跡取りは散らばった大判をかき集めると、逃げるようにして、置屋を出て行った。
女将は、しばらく呆然としていた。
が、はっとして、黙って出て行こうとする総司と中條を追いかけた。
女将「待っておくれやす!…ほんま、なんてお礼を言っていいのか…」
総司「…あやめに…ゆっくり養生するように伝えてください。」
総司は、振り向かずに言った。中條も黙っている。
女将「あやめに会ってやっておくれやす。あの子もその方が喜ぶさかい…」
総司「いや、よしておきましょう。…具合がよくなったら、礼庵殿から連絡をいただくことになっています。その時にまた来ます。」
二人はそのまま、綾乃屋を出て行った。
女将は二人の背が見えなくなるまで、ずっと頭を下げていた。




