どんな道でも僕らは
2025年10月────
A県灰畑町の こじんまりとした戸建ての貸家に、真淵家の姿はあった。
真淵和弥は、庭でもう1時間以上補助輪を外した自転車の練習をしている。後ろから父親が支え、家の近くからは母親と兄が声援とアドバイスを送っている。
だが なかなか上手くはいかない。もう何回も何回も転倒している。そして今度も────
「うぁっ!!」
再び倒れてしまった。父親がすぐに息子を抱き上げ、子供用自転車を起こすが、和弥の膝はもうあちこちが擦りむかれている。
母親の── 実咲は声をかけた。
「和弥、もういいんじゃない?お兄ちゃんも簡単には乗れるようにならなかったの。でも何日も続けて頑張ったら できるようになった。一日じゃあ 無理なのかも」
和弥は少し神妙な顔になり、考えてから言った。
「分かった。明日また頑張る。お兄ちゃんみたいになりたいから」
言われて聖はポカンとした。弟は続けた。
「だってマウンテンバイク乗っててカッコいいじゃん!! 」
一家は笑った。それは、主に多分マウンテンバイク効果が高い。
それでも実咲は言った。
「憧れるのがお兄ちゃんならいいわね、和弥。お兄ちゃんはとっても強いから。だからね、諦めないで自転車も何度も何度も練習したの」
「そうだったな。お兄ちゃんは本当に強かった」
真淵耕平も── 父親も言ってくれた。
聖は何か むず痒くなってきた。でも 嬉しい。
「じゃあ もう今日はうちに入る。僕お腹空いてきちゃった」
和弥の言葉でみんなが片付けを始める。空気入れを持ちながら聖はふと、
「今日の……夜ご飯は?」
と聞いた。
実咲ではなく耕平が
「カレーライスだよ。オレが作る」
と言った。
「え─────────!? 食べられるの、それ !?」
和弥が凄まじい速さで叫んだ。
一家には笑いが起こった。
庭から戻って、聖は2階の自分の部屋に上がった。
さっき見た時に、水樹さんからLINEが来ていた。
前に
秀一が目を合わせてくれないことがある
何か悪いことをしたかと不安になる
と相談が来ていた。
僕はどうにもしようがないので
聞いてみたら?
なんか悪いことをしたかなって
と返信していた。
しばらく経っていたが、彼女からは
良くなった
という文章とハートマークの舞うスタンプが来ている。
幸せなんだろう。良かった。
正火斗を見送った後、高校に戻ると先生方は当然カンカンだった。校長先生に至っては、なんと親に電話までかけていた。
風晴の母はとにかく平謝りをしてくれたようだ。風晴が家で謝った時には
「いいわよ、風晴のやったことに謝るくらい。あなたの親なんだもの」
と言ってくれたらしい。
問題はむしろ自分の父── 真淵耕平の方だったかもしれない。
父は高校にわざわざ乗り込んだ。乗り込んで、息子が言葉を発する貴重さと友達の重要さを……コンコンと説いたのだ。果ては、どうも子育ての大変さまで話は及んだようだ。
これが意外と聞いていた先生方の中に響いたらしく、ハンカチで涙を拭う者までいたとか。なんとか。
結果、僕らにはこれと言った処罰は無く済んだ。
僕には、先生方はむしろ目をかけるようになってくれた気がする。風晴は生徒達からは物凄く人気が上がった。あの直後はあちこちから声をかけられ、なんと女子生徒に告白までされた。
風晴が
「嬉しいけれど、まだお互いよく知り合ってもいないから友達からで」
と答えると、女の子からは
「それ遠回しに断ってるじゃん。もういいよ」
と、逆に断られたらしい。
風晴は首を振って言っていた。
「女子って全然分からない」
ちなみにこの話は、簡単に水樹さんに伝えた時には絶賛された。女子にも色々タイプがあるみたいだ。…………面倒臭い。
聖は2階の窓から外を見た。
住宅の傍の木々はもう紅葉も終わり頃で、落ち葉となってきていた。
あれから父は警察官を辞めて、僕らは駐在所を出た。父は次の仕事を、陽邪馬市の警備会社に決めた。
その頃 風晴のお母さんが家に来てくれた。
そこで父さんに、手術が成功して戻ってくる風晴のおじいさんと農業をしてみないか と言う申し出をもらったのだ。
風晴は高校卒業してすぐに農業を継ぐというわけでは無くなった。しかし、祖父の土地では、今後畑と田んぼの復興を試みるようだ。今いる民宿を出る予定の親子は、信頼できて農業に興味のある人間を探していたのだ。
風晴達は風晴の叔父さんと事業も興そうとしている。
大型農機具、雪寄せ機械等のレンタル会社と一緒に、屋内空調完備施設を作って 分割した" エリア " を、また農家や個人に貸し出すことを計画していた。
近年の異常気象による暖房費クーラー代、生産物の成長不良を心配する必要なく、生産者が安定して出荷を見通せるようにするためだ。
全ては新しい試みなので、小規模で実践を重ねていくらしい。
真淵耕平にも ゆくゆくはそちらでも社員になって欲しい
と風晴のお母さんは言ってくれた。
思わぬ就職の見通しに、真淵家は灰畑町に残ることにしたのだ。今は、父が週に3日の警備の仕事をしに陽邪馬市に通っている。
母は、罪状に関しては心神喪失が認められ無罪となった。
今も薬も通院もカウンセリングも受けているが、良くなっていることを家族全員が感じていた。
輪命回病院について、イギリスメディアでの報道は本当に起こったらしい。
日本メディアにも取り扱われることになったが、なんと朝毎新報は 当時の卵子提供者側の告発者や、僕や風晴の母以外の被害者を数名取材できていた。それで僕らの母達は、取材を申し込まれるのは数社だけで 断ることもできた。
警察も捜査を始め、すでにかなりの医療関係者が捕まった。
一方で今の──爆発被害を受けた輪命回病院は、大切な地域医療施設として住民から寄付金が集まっている。また匿名でどこかの誰かが数千万円寄付して、職員の最低賃金を上げることを考えるように手紙が添えてあったとか…………
僕はこれを吉沢くんから聞いた。
吉沢くんのお母さんが、輪命回病院の事務員らしい。
最近僕は、風晴以外にも吉沢くんとも話すことがある。
緑川まどかの事件以来 黒竜池の周りには、低いが柵が建てられることになった。正直言って気休め程度だが、いくらかは事故は減るかもしれない。
お地蔵様は新しい場所に移動し、新しい体になった。今度は中が空洞でもないので、きっと動くことも無いはずだ。
赤い布も新しくなったのだが、頭は同じものが使われている。
大山のおばあちゃんは、まだ通っているらしくて、たびたび新しい駐在員が呼び出されることもあるようだ。
聖はベッドに座って、スマートフォンの写真を開いた。そこには、民宿での泊まり会で撮った写真がある。
自分と、秀一、桂木、水樹、神宮寺、椎名が写っている。
撮影を風晴がやってくれたのだ。
楽しかった思い出に笑みを浮かべ、それから、本棚に目を移した。
分厚くて白いカバーの "生物解体図説" を聖は見つめた。
僕はこれを借りた日────何故だか 正火斗の気持ちが分かった。
ごくたまにだが、あることだった。
何かの感覚が物凄く研ぎ澄まされて、話し声を大きく聞き取ったり、誰かの感情がぶつかって来たりする。言葉までは流れてこないが、感情の塊のようなものを 人の内から感じるのだ。
僕は、僕の身体の機能が壊れているんだと思っていた。
僕は、あちこちが悪かったから。
あの日の正火斗は
とても帰りたくない と思っていた。
このままここにいたい と
多分……風晴の隣りに
なのに
それと同じくらい強く
帰ろうともしていた。
帰らなければいけない と
静かに強く
念じるように繰り返していた。
僕は不思議だった──
分からなかったんだ。
傍にいたいなら
できるだけいたらいいのに。
風晴だってきっとそう望んでる。
彼の気持ちまでは 感じたわけではない……けれど。
だから 本を預かっておくことにした。
あの時、2冊
僕の分 と 風晴の分
あの後 風晴に怒られたら
君を恐怖と絶望が襲っていた。
だから大丈夫かなぁと思っていた。
本を預かって良かったとも思った。
風晴は君を心配しただけ
すぐ仲直りできる。
聖は最後の別れの時の、正火斗の驚いていた顔を思い出した。少し微笑む。
ねえ、正火斗
君は僕に言ったんだ
輪命回病院で、風晴のスマートフォン越しに
"君のお母さんは爆弾を運んでいるかもしれない。
止めて欲しい。
君ならできるし 君にしか きっとできない。
君が駄目なら 他の誰がやっても無理なんだ。
だから僕は 君を応援してる。頑張って。"
僕は凄く嬉しかった。
その前日には風晴がLINEに送ってもくれていた。
"オレ達は変わらないし オレは変わらせない。
できると思うんだ、きっと。
何かを変えることも 何も変わらせないことも。
それからオレは、お前だってそうできると信じて
る。お前はオレより強かったから"
これも嬉しい言葉だった。
僕は2人と友達になれて本当に幸せだと思った。
友達って、こういうものなんだと初めて分かったんだ。
友達って いいな。
だから 正火斗
僕は応援する
君の本当の気持ちを
何が悪いんだろう?
どうして恐れる?
他の人がどう思うかなんてどうでもいいはずなのに
大切なのは
風晴が どう君を思うか だけなんじゃないのかなぁ
2人の力が合わさったら
僕達は きっと
変えていける
変えていけるんだ
あのときの ように
だから僕は君を応援する
友達だから
僕達3人は必ずまた会う────
ほら 感じる しっかりと
聖は満面の笑みを浮かべた。
それは もう ニッコニコだった。
ー完ー
後記
長かった最終編とエピローグまで読んで頂きましてありがとうございました。
そして、この作品を読んで頂きまして誠にありがとうございます。
書きながらキャラクターに作ってもらうのが自分の書き方で、ミステリートリックやある程度のセリフは用意するものの、恋愛や人間関係の行末はキャラクターに任せました。
このキャラクターに自由に動いて生きてもらい、それを字で伝えると言うのが私の書き方で、だからこそ面白いとまず自分が感じ、筆を止めず続けられている気がしています。
書くことは好きですが、このたびこうして誰かに読んでもらうということになり、プレッシャーや不安もありました。しかし間違いなく、私の構想をキャラクター達が越えてくれた作品であり、また多くの人に支えられたからこその完結となりました。このまま しばし代表作として掲げます。今の気持ちとしては もうこれ以上はないかと感じています。
活動報告コメントやメッセージを下さる方々、本当にありがとうございます。
レビューを下さった霧原零時(すっとぼけん太)様、星野満様、清坂正吾様、くろくまくん様に、心より……心より感謝を申し上げます。
第一作目新人、キャリア無し大型長編ミステリーを共に歩いてくれた読者の皆様、何度書いても足りません。ありがとうございました。
この『炎と水と』が終わった後私は、他ジャンルや短編、中型の連載作品に挑ませてもらっております。
そんな中で、この、二重カギカッコ使用や三点リーダーを使えていない、おそらくはデジタル小説表記の仕方としては問題のある大作に、それでも読んで頂き、そして多くの温かい感想を日々頂いておりました。(改稿作業始めております)
大変励みとさせてもらっています。
キャラクター達の選んだラストには、やはり続きがあるのだなと私自身が思い始めております。いついつと明記はできないものの、続きを書かなくてはいけない気持ちが生まれてきております。
私を引き上げてくださり、ありがとうございます。
書きたいとなるところまで、どうかお時間下さい。
また いつか きっと。
2025年8月21日 完結
2025年9月28日後記改訂 シロクマシロウ子




