余興/天秤
「なんだあれは」
「うん? ああ、贄だよ。それも最高級のね」
もう子供ではなくなってしまったけれど。
音もなく笑うアンディックに耐えかねて、苑は壇上に上がり込む。
「な、なんです君は」
「煩い」
仕切り役の男からドレス姿の女性──リーシャを、奪うように引き寄せる。細い腕は震えていた。
よろめいた彼女を抱きとめた苑は、ドクドクと鳴る心臓の音を聞く。
会場中からざわめきだし、黒い服の男たちに取り囲まれる。
あの女。
リーシャを片腕に抱いたまま、苑は客席で脚を組むアンディックに目を向ける。
女は笑っていた。
見せ物を愉しむかのように。
◇ ◇ ◇
(どうしてこんなことに……)
薄暗がりの会場で。訳もわからずリーシャは、仮面越しにエンを見つめていた。
ことの起こりは数時間前のこと──。
『儀式の日付がわかりました』
数日前に息を切らした情報屋から、そう告げられ。
リーシャたちは即座に対応を練った。
護衛の人数を増やし、市警にも協力を仰ぎ、一斉に乗り込もうと計画を立てたのだった。
リーシャは乗り込むまではしないものの、会場と目される教会の近くで待機することが許された。
計画が成功したのち、すぐにエンに会えるようにと。
情報が漏れないよう細心の注意を払い、極秘裏に準備は進められた。
そうして今日。
いよいよ儀式の当日を迎え、リーシャは、ルイたちと共に会場近くへ向かう馬車のステップに足をかけた。のだが。
『お待ちしておりました、リーシャさん』
『え……っ?』
中にいた仮面の男にそう話しかけられた刹那、リーシャは中に引きずり込まれていた。
『リーシャ!!』
馬車の扉が外から勢いよく閉められ、ルイの叫びが瞬く間に遠ざかっていく。
馬車が走り出すと同時、薬品の匂いのするハンカチを鼻と口に押し当てられ、気絶させられたからだった。
『う……』
そうして次に目を覚ました時、リーシャは、拘束されていた。
壁に寄りかかるように地べたに座らされ、両手を後ろ手に縛られている。
目隠しをされていたから、そこがどんな部屋だったかはわからない。
嗅がされた薬品のせいか意識がはっきりとせず、身体もひどく重たかった。
そんな恐怖と混乱に苛まれていたリーシャの耳に、足音と共に話し声が近づいてくる。
『この女で間違いありませんか』
『ああ、うん。間違いないよ、彼女だ。ありがとう』
成人男性の声と、女性にしては少し低い声。
リーシャはすぐにその主を察して顔を上げた。
『おや、お目覚めかな』
絹ずれの音がして、甘い香りが鼻をつく。
目の前に屈まれたようだった。
『ああ、そう怖がらないで、お嬢さん。あなたは綺麗だから余興に選ばれたんだよ』
『……余興?』
『そう。余興。……エンも喜んでくれるといいね』
くすくすと笑った女性に、リーシャは強く眉根を寄せる。
『エンに会わせて。話があるの』
『それはできない。あの子は仕事中だ。……でも大丈夫、今夜には会わせてあげられるから』
突然頬を撫でられ、リーシャは肩を跳ねさせる。
塞がれた視界の中、次に何をされるのかわからないのが、恐ろしくて仕方がなかった。
リーシャの頬を撫でながら、女性は話を続ける。
『調べてくれていたんだろう? 私たちの【儀式】のこと……』
『……っ』
『黒い星の子供たちにも会わせてあげようか? 知りたかったんだろう? 教えてあげるよ、いくらでも』
何が愉快なのか。
女性の声には喜びが溢れていた。
『でも、その前にあなたも準備をしなくてはね。湯に浸かって、身を清めて、髪も結って……そうそう、服も着替えなくては。それではだめだ。あとはそうだね、男を知っていないといいんだけど、それは無理かな』
言った瞬間、音をたててブラウスを破られる。
『……!』
ナイフか何かで切られたのだろう。
素肌に風を感じて、リーシャは身を強張らせた。
『………………』
見られている。強い視線を感じて、リーシャは俯いた。
場にどれほど人がいるかはわからないが、先程の男性は確実にまだいるはずで。彼にも見られているのかもしれないと思うと、羞恥で逃げ出したくなった。
と、目の前の女性が、掠れた声をあげる。
『…………これは』
そう呟くや否や、立ち上がる気配がして、冷静な声が続く。
『急いで連絡を回して。【姫君】が見つかったと』
『! は』
ばたばたと、慌ただしく駆けていく足音が聞こえる。
それが一人分なことに少しだけ安堵して、リーシャは気を持ち直した。
残った女性が言う。
『……まさかこんなことが起きるなんて』
(こんなこと……? 姫君……?)
ミーリアのような遊び言葉ではないのだろう、その発言に、リーシャは訝しむ。
女性は、説明するように言った。
『ああ、あなたは何も覚えてないのだろうね。赤ん坊の頃、贄に捧げられそうになったこととか』
『…………』
『それをあなたのお父上が、命からがら助け出したこととか』
『……………え?』
『あなたは贄の中でも最高の位だったこととか。 最高位の生贄が盗まれたせいで、私たちに降りかかった厄災のことだとか』
『…………────』
『何にも、覚えてないんだろうね』
『どういうこと……? あなた、何を言っているの?』
笑った女性が部屋を出ていく。
質問には一つも答えてもらう事ができなかった。
その後リーシャは、目隠しをされたまま、メイドらしき女性たちに身体を洗われ、化粧をされ、髪も結われ。仕上げとばかりにこの仮面をつけられ────訳もわからないまま、ステージに上がらされたのだった。
(私も、贄だった……)
薄々は勘づいていた過去と現状に、リーシャは混乱を覚える。
エンに庇われたまま、それでも、この窮地をいかに脱するかを考え続けていた。
すぐ頭上から、低い声がする。
「リーシャ、大丈夫か? 怪我は?」
「ないわ」
小さく答えると、僅かに抱きしめられる力が強くなった。
彼も混乱しているのに違いなかった。リーシャを片腕に抱きとめたまま、周囲に近寄ってくる男性たちを、全身で警戒している。
「エン様、お離しください。その方はリーシャ・ラングレン嬢。ラングレン家の姫君なのです」
「彼女はそんな名じゃない」
「出生の秘密を教えてあげようか、エン。そのお姉さんが大好きみたいだからね」
席についたまま、エンの上役──あの女性が声をあげる。
リーシャは狭い視界から、必死に会場を見渡した。
着飾り、仮面をつけた人々。
揺らめく蝋燭。
今自分の立っている舞台と、客席。
(……ここで儀式が行われるのね)
そうして、その反応から察するに、エンは確かに彼らと関わりはあるけれど、完全な仲間ではないようだった。
武器を手にしたまま距離をとり、今もリーシャを守ろうとしてくれている。
「出生なら知ってる、この人は贄にするな」
「じゃあ、他の子たちはいいんだ?」
挑発するように女性が言い、目を細める。
リーシャは咄嗟にエンを仰ぎ見た。
「他の子たちって……?」
「…………」
「今夜の贄だよ。調べていたんだ、わかってるんだろう?」
呆れたように息を吐いた女性は、エンに柔らかく微笑みかける。
「さあ、エン。良い子だからそのお姉さんを離して。そのお姉さんはね、私たちなんかには触れられない、とーっても価値があるお姫様なんだよ。なんと言っても、公爵家の血筋だからね。尊すぎて、当時は皆興奮していたそうだよ。ああ、私はまだ子供だったけど痣をつける時なんて」
「黙れ」
エンに言われて、女性が口をつぐむ。
彼女の言っていることが真実かどうかは、この際どうだって構わなかった。
リーシャはとにかく現状を切り抜けなければと、辺りを見回す。
(大丈夫。きっと計画通りに、ミーリアさんたちが動いてくれているはず……)
攫われた時、一緒にいたルイの安否がとても気になるけれど。
何処かに綻びがでても、何処かで補填できるよう、計画は綿密に立てられていた。そのための別行動だった。
「じゃあこうしよう、エン」
と、女性が思い立ったように再び口を開いた。
その笑顔がどこか恐ろしく、リーシャはエンに身を寄せ続けた。
この子を、守らなくては。
「そのお姉さんはお前にあげる。好きにしていいよ。でもその代わり、おまえには一生贄を集める仕事をしてもらう。お姉さんの対価としてね」
どっちがいい? と悪魔は笑った。




