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再会

◇ ◇ ◇


「ねぇ、いいでしょう? 少しぐらい」


全身に酒の臭いを纏わらせたその男性は、言って、掴んだリーシャの腕を引き寄せた。

鼻をついたアルコールの香りに、思わず眉を顰めてしまう。


「いえ、私は」

「そんなつれないことおっしゃらず。お連れの方を探す間だけですから。さぁ、どうぞこちらへ」


無遠慮に腰に手を回され、リーシャは悲鳴をあげそうになった。

成人男性に、こんなに密着されたのは初めてだった。


(どうしよう)


男性は、フィアリアの貴族だと名乗った。

ミーリアの元へ向かっていた矢先、ルイと逸れてしまったリーシャに、親切に声をかけてくれたのだが──すぐにその雲行きは怪しくなった。


「探すのを手伝う」と言いつつ、一向にそんなそぶりを見せてはくれず、どころか、「少し休みませんか」などと明らかな下心を露わにしてきたのだ。


(困ったわ……)


リーシャは思い、嘆息する。

子供たちを守るため、日々起こる事件や事故に関心を寄せているリーシャは、初心でも無知でもなかった。

だから、高位貴族の人々が、〝そうした〟火遊びを好む傾向にあることもよく知っていた。

屋敷の主人が使用人に手を出したり。

既婚者同士で一夜限りの関係を持ったり。

時折新聞の隅で語られる醜聞を思い出し、リーシャは男性から距離をとる。


「あの、やっぱり私、自分で探してみます。すぐに見つかると思いますから」

「この人混みです。難しいですよ」


男性は囁くように言って、リーシャに身を寄せてくる。


「……っ、あの」

「大丈夫です。すぐに見つけて差し上げますから。さ、こちらへ」


──ここがヨルンドルテの街角なら、突き飛ばすなり、声を上げるなりできるのに。

生憎相手はフィアリアの貴族で、ことによってはミーリアに迷惑をかけてしまうかもしれない。

そう思えば、リーシャは強く出られないでいた。

もどかしさに、焦りが募る。


「あの、私、ほんとうにだいじょうで──」


「──失礼」


そのときだった。


突然後ろから強く肩を引かれ、リーシャはそのまま倒れ込みそうになる。

が、予期した衝撃は訪れなかった。

すぐ後ろに、リーシャを受け止める者があったからだ。


「!」


ぽすん、とぶつかったその〝何か〟は。

温かく、大きく、ひとの──男のひとの身体だと認識できた。


(でも、誰が)


背後からかかった声は、ルイではなかった。


リーシャは自分の肩を痛いほど掴んでいるその人物を振り返り見上げ────硬直した。


異国を思わせる切長の瞳。

陶器のように滑らかな肌。

凛とした顔立ちと、輝くぎんいろの髪。

その特徴は全て、あの少年とおなじに見えて。


着ているそれは、【了】の礼服なのだろう。

裾の長い黒の着物は、青年にひどく似合っていた。


「彼女は俺の連れです。迷惑をかけたようで、申し訳ない」


──爪の先ほども〝申し訳ない〟なんて思っていなさそうな顔と声で、青年は言ってのけた。

その見下すような冷えた視線に、フィアリアの貴族は「あ、ああ」と、酔いから冷めたように瞬きを繰り返す。


「そ、そうでしたか。なら、よかった……」


青年は軽く会釈をすると、まだ何か言いかけていた男性を黙殺し、リーシャの肩を抱いたまま歩き出す。


「…………」


密着したまま、リーシャは言葉もなく、青年に合わせて歩き続けた。

「助けてくれてありがとう」だとか。

ルイを探さなくちゃだとか。

言いたいことやしなければならないことで頭のなかは混乱していた。

なぜなら、思い違いでなければ。このひとは。


「もう、大丈夫だ」


低い声で言われて、立ち止まる。

いつの間にかリーシャと青年は、パーティ会場を抜けた人気のない廊下に出ていた。

少し遠くからはまだ、賑やかなさざめきも聞こえてくる。

けれど、そんなものは少しも耳に入ってはいなかった。


リーシャは向かい合った青年を見上げて、尋ねる。


「…………エン?」


問われた青年は答えなかった。

ただじっとリーシャを見つめ、瞳を揺らがせている。

だからリーシャは確信した。


「ほんとうに、エンなのね……」


誘われるように、そっと手を伸ばす。

青年──すっかり成長したエンは、されるがまま、リーシャに頬を撫でさせてくれた。

その眉間に、深い皺を刻んだまま。


「エン……エン…………」


繰り返し、名を呼ぶ。

初めて彼の名を知った、あのときのように。

ああ、この子はほんとうにエンなのだ。

思って。それでもまだ、怖くて。夢ではないのだと確かめたくて、力無く降ろされていたその手を握りしめる。

温かく、けれど記憶のそれよりずっと大きくなった、節くれだった手を確かめる。


今までどこで何をしていたの?

どうしていたの?

元気だった?

病気は? 怪我は?

危ないことは、していない?

ちゃんとごはんは食べているの?


たくさんの疑問が次から次にあふれて、なのにそのひとつも口には出来なくて、代わりにリーシャは涙をこぼした。口内に、塩の味が広がっていった。


「……しんぱい、してた………ずっと」


そうしてやっと口にした言葉は、それで。


エンは、静かにリーシャの手を握り返すと「うん」とだけ、返事をしてくれた。


「会いたかった……」


堰を切ったように言えば、エンは困ったように頷いた。


「…………うん。俺も……会いたかった──ずっと」


手を引き寄せられ、気づけばリーシャは、エンの胸の中にいた。

そのまま加減も遠慮もなく抱きしめられ、息が苦しくなる。耳元で、彼のか細い声がした。


「……ごめん、心配かけて。俺は元気だったから。だから……泣かないで、リーシャ」


ああ、エンだ。


そう、確信して。

リーシャはエンの腕の中でそっと顔を上げた。


「ねえ、話したいことがたくさんあるの。……話せる? ルイとミーリアさんも一緒なの」

「………………」

「……だめ、かしら」

「………………わかった」


時間を作る。と言って、エンは腕の力を緩めた。

すぐ目の前で、心許なそうにしている彼を安心させたくて、リーシャは涙を拭い微笑む。


「あと、さっきは助けてくれてありがとう、エン。びっくりしたけど、嬉しかったわ」

「……ん」


言えば、エンは思い出したように眉を寄せた。

そこに昔の面影をみて、リーシャはまた、胸を締め付けられるのだった。



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