表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/35

少年の行方/手駒

◇ ◇ ◇


ふわりと。

開け放した窓の外から、春の風が舞い込んできた。

身支度を整えていたリーシャは、揺れたカーテンにふと、懐かしい少年の姿を思い起こした。

九年前。

彼と出会ったのも、こんな暖かな季節だった。


耀く銀色の髪をした、不思議な少年。


最初は言葉も通じなくて、しかも素っ気なくて。接し方に、戸惑いもしたけれど。

時間ときて、だんだんと打ち解けていって。冬が来る頃には一緒に菓子をつまみ食いする仲にまでなっていた。


今頃、どこでどうしているのか。


知るすべのないその問を、リーシャはこれまで幾度となく繰り返してきた。


九年前のある夜。

友を探しに出かけた少年は、それきり、戻ることはなかった。


「リーお姉ちゃん」

と、窓と同じく開いたままにしていた扉から、アウローラが顔を覗かせてくる。

「みんな、準備できたよ」

「わかった、今行くわ」

リーシャは頷き、スカートの裾を翻しながら私室を後にする。

今日は孤児院で暮らしていた娘──ロマの門出、結婚式だった。


「おめでとう、ロマ。幸せにね」

「ありがとう、リーお姉ちゃん」

教会での厳かな式を終えた後。

晴天の下で抱きしめた少女は、涙を浮かべながら笑っていた。

純白のドレスに身を包んだロマをそばで見守るのは、火に近い赤茶色の髪とそばかすを鼻頭に散らした青年──ジャックだ。リーシャを見下ろし、意気揚々と宣言してくる。

「ロマは俺が責任を持って幸せにするから、安心してくれよな、リー姉ちゃん」

「ええ。ふたりとも、本当におめでとう」

リーシャは妹と弟のようなふたりをそれぞれに見つめて微笑んだ。

借り物の衣装──白いタキシードと蝶ネクタイを身につけたジャックは、照れくさいのか、落ち着かないのか。戯けたように頭を掻く。

「あー、早く酒飲みたい。披露宴の時はこれ、脱いでいいんだよな?」

「もう、情緒がない」

ロマに小突かれ、ジャックはけれど、幸せそうに微笑んでいた。

そんなふたりと祝福の抱擁を交わし、リーシャは、場を他の列席者に譲った。

そうして人の群れから少し離れた場所に移動し、すっかり大人になってしまったふたりを見つめる。

(あんなに小さかったのに……)

時の流れを実感し、小さく息を吐く。

どうりで自分も歳をとるわけだ。

最近では、結婚を急かされることもない。

リーシャは日差しを遮るように、木陰へと身を潜める。

ジャックは同性の友人たちに囲まれ、せっかく整えた髪を崩されているところだった。

悪ふざけの延長線。

その輪の中に、かつて混ざっていた少年を思い出して、リーシャはまた、胸を痛めた。

その、瞬間。

「ロマお姉ちゃん、すごく綺麗だね」

いつの間にか隣に並んでいたアウローラが、リーシャに寄り添い、手を繋いできた。

香水をつけているのか、甘い花の香が漂う。

「……ええ、そうね。とっても綺麗」

「でもまさか、あのふたりが結婚するなんてね。思ってもみなかったわ。喧嘩ばっかりしてたし。……人生は、不思議の連続ね」

その妙に芝居めいた口調に、リーシャはつい笑みを溢してしまう。

今年で十五になるアウローラは、もうほとんど大人といってもおかしくはなかった。

背だってリーシャと同じくらいになっているし、恋人もいて、よくデートに出掛けていた。彼女もそのうち、結婚するのかもしれない。

と──。

「……ねえ、リーお姉ちゃん」

「? なあに?」

アウローラが、握った手に力を込めてきた。

「お姉ちゃんもそろそろ、自分のこと考えなくちゃダメだよ」

「…………」

「……お兄ちゃんも、絶対そう思ってるはずだから」

思わずアウローラを見つめてしまう。

昔から、思いやりのあるいい子だとは思っていたけれど。

本当に、大人になった。

リーシャは、可愛い妹の成長を誇らしく思いながら、繋いだ手を握り返した。

「ええ、そうね」

前に進まなくてはね。

リーシャは、姿を消した少年との決別を、迫られていた。



──九年前の冬。

それは、ひどい雨雷の夜だった。

雪こそ降っていないものの、風は冷たく、空気は冷え切っていて。

リーシャは帰宅したガブリエルからの知らせに血の気を失った。

ジャックが港で、瀕死の状態で発見されたというのだ。

ルイが蘇生にあたっているらしいが、希望はない、とガブリエルは目線を合わせずに告げた。

出血がひどく、呼吸も止まっていると。

眩暈がした。

けれどリーシャは、しっかりしなければと気を持ち直し、孤児院の家族たちと共に、ひたすらにジャックの無事を祈った。

その甲斐あってか──いいやきっとジャックの生存本能と、ルイの腕が一流だったのだ──ジャックは奇跡的に一命を取り留めた。

それでも意識が戻るまでに半年。まともに暮らせるまでに一年以上の月日を要したけれど。

無事回復したジャックは、今では市警の仕事に就き、日々街のために奔走している。

立派な若者になっていた。


しかし。

ジャックを探しに行った少年──エンが戻ることはなかった。


リーシャたちは街中を探し、隣街にも赴き、海も、街道も、何度も往復したけれど。エンを見つけることは、できなかった。


『ごめん。俺、わからない……』


事件後。意識を取り戻したジャックは──あまりに凄惨が過ぎたのか──事の前後のことを、何も覚えてはいなかった。

あの日、ジャックと港で遊んでいた子供らが言うことには、日暮れ前には帰路についたそうなのだが。

帰り道の途中で、ジャックは手袋を無くしたことに気づき、単身、港に戻ったらしい。


そこで何があったのか。

エンの失踪と関係しているのか。

リーシャたちには、わからないことだらけだった。


孤児院がそんな状態で、ひとり離れることなど出来るはずもなかった。リーシャは孤児院の正式な職員になることを決意し、それからずっと、エンを探し続けていた。

けれど。


──あれからもう、九年も経ってしまったのね。



リーシャは泣きだしたいような気分で、ジャックとロマを祝福する鐘の音を聞いた。

そばの木々から、驚いたように鳩が数羽飛び立っていく。

ここに、あの子がいてくれたら。

どんな笑顔を見せてくれたのだろうかと、考えずにはいられなかった。





それから数日後。

いつものように子どもたちを学校へ送り出したあと。

居間で帳簿をつけていたリーシャは、そこに見知った商会の名を見つけて手を止める。

「…………あら」

(また、この人からだわ……)

ちょうど一年ほど前から、定期的に寄付をしてくれるようになった、覚えのない新興の商会。

ガブリエルに聞いた話では、都市部で貿易を営んでいるらしいけれど。

それにしたって、寄付額が多すぎた。

「……お礼状、出さなくちゃ」

リーシャは独り言ち、帳簿に数字をかきつける。

この商会のおかげで孤児院の経営はここのところ、とても楽になっていた。

礼状だけではなく、何か品物も贈るべきかと迷う。

ガブリエルは「どうせ売名行為だろ」と肩を竦めていたけれど。それでも有難いことに変わりはなかったから。




「あ、そこのカフェおすすめですよ」

午後。

その日の仕事を終え。あとはもうホテルに戻るだけだった。

だからブライアンは、敬愛する青年──苑に笑顔でそう呼びかける。

苑はちらりとブライアンの勧めた店を見やったが、しかしすぐに視線を逸らしてしまう。

(……好みじゃないか)

ブライアンはめげることなく微笑んだまま、苑の隣に歩み並ぶ。

「そうですよね、疲れましたよね。早く戻って休みましょう」

言いながら、整ったその横顔を眺める。

凛とした青年の蒼い眼差しはいつだって深く翳っていて、だからこそ放ってはおけなかった。

──多分に癪だが、あの女も、そこだけは同じなのかもしれない。

幼い頃、身を売られそうになっていたブライアンは、この青年に助け出された。いや。正確には、命と引き換えに手駒にされただけなのだが。それでも熱い焼印を押され殺されるよりはマシだった。

今では彼のもとで働けることに幸福さえ感じている。

「あ、そうだ。いつもの【慈善事業】も済んでますよ」

「変わりは?」

「ありませんでした」

「……わかった」

短く答えた青年は、ふと、その視線を横に流した。

淡い金色の髪をした女性が、通りすがるところだった。

「……」

好みなのか。

彼は極稀に似たような女性を目で追うことがあった。

しかしそれもすぐに興味を失ったようで、つと顔を逸らしてしまう。

(わかんない人だな)

ブライアンは、眩しいくらいの陽光に目を細めた。

暑いくらいの春の日ことだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ