#57 少女は全力で逃げる
ルカが魔力の流れに従って走っていくと、そのうち街の外れにある路地裏近くまでたどり着く。
「……どこにいるんだろ」
さすがに路地裏に入るのは、と。ルーナやクレンシーの言葉を思い出しながら、しかし魔力の流れる向きが路地裏へと続いていることに、ルカはタラリと汗をひとつ流した。
(エアは、もしかして路地裏に入ったのかな……?)
もしかしたら、そこにいるかもしれない。しかし、やはりというべきか、そこが再三に警告をされてきた路地裏であると思うと、どうにも足が動きそうになかった。
まるで影が縛られたかのようにしばらくその場に立ち尽くして、路地裏を見つめていた彼女だったが。
「おや、こんな夜更けに、こんな辺鄙な場所に。どうされましたかな? お嬢さん」
「――ッ!?」
突然に後方から声をかけられてしまい、思わず飛のいてしまう。
見れば、男性が追いついてとでも言いたげな様子で、両手をこちらに向けてきていた。
よくよく考えてみれば自分自身の存在のほうが異質だということに気づいた彼女は、落ち着きを取り戻しつつも警戒は解かずに、男性に応対した。
「えっと、その……お兄ちゃんを探しに来た。起きたら、部屋にいなくて」
「ほう。それはたしかに不安だったことだろう。……しかし、きっとそのうちに帰ってくることだろうから、部屋で待っている方が吉だろう」
あまりにもド正論過ぎるその言葉にルカはなにも言い返せず、ただただ男性の言葉を聞くしかできなかった。
「もし、朝になっても帰ってこなかったら、そのときに改めて探すといい。そうじゃないと、帰ってきたお兄さんが君がいないことに不安を感じて、逆に探しに出てしまうことになりかねない」
彼の言うとおりだ、と。彼女はそう考えると、止めてくれた彼に「ありがとうございます」と、一礼してから、踵を返す。
「それに、きっと、ではあるんだがね。君の探している人はここにはいないよ」
「えっ……?」
どうしてそんなことがわかるのだろうか、と。そう問いかけたい気持ちもあったが、とにかく今は帰ろう、と。そんな気持ちが先行していた彼女は、帰路に着き、駆けだそうとする。
「……ふむ。しかし、ここをピンポイントで抜いてくるとは、ただの偶然か、あるいは」
後方で、そんな要領の得ないことをつぶやく男性に疑問を抱きながら、ルカが帰ろうとしたその時。
「疑わしきは、始末しておくか」
聞き間違いかと、思った。しかし、直後から感ぜられた背後の違和感に、それが聞き間違いでも、勘違いでも、なんでもないということを確信する。
「なに、あれ」
振り返れば、そこには宙に浮いている2つの火球。親しいものを見たことがないわけではない。が、それをできる人物が限られていることをるかは知っている。
ふと、目を凝らしてみれば、男性に向かって魔力の流れが存在していることが見て取れた。
つまり、これらが意味することとは――、
「逃げなきゃっ!」
「逃がすわけがないだろうっ!」
火球がルカに向かって飛んでくる。
――魔法使いだ。そう確信して、ルカはとにかく逃げの一手に切り替える。
魔法の訓練を行った彼女ではあったが、対人戦としての魔法の扱いは未だ慣れておらず、戦うことは不利であると判断した。
……いや、それだけではない。さきほど、視覚的に彼に集まる魔力を見たからか、あるいは、直感としてか。ルカには、ひとつの確信があった。
この人の魔力は、自分より圧倒的に多い。
素質としても、経験としても。
全力で逃げる。身体強化に流し込む魔力を惜しまず、ひたすらに脚力を強化する。
(逃げなきゃ、逃げなきゃ、逃げなきゃ!)
ルカの全力疾走は、たしかに速かった。魔力によって補強された筋力は、たしかにエアハルトが言うとおり、下手な成人男性なんか比ではないくらいに、速い。
しかし、それはあくまでなにもしていない人間相手としての話。
「ほう。随分と逃げ足が速いことだな」
余裕の有りそうな声色で、男性がそうつぶやく。
振り返っている余裕はない。ひたすらに逃げつつ、投擲されてくる火球を気配だけで察知して、なんとかかわす。
しばらく逃げて、距離を離したかと思えば、その距離もすぐに縮まる。
当然相手も魔法使いなわけで。足の速さも、もちろんルカより速い。
このままでは、ジリ貧だ。そのうち詰め切られて、捕まってしまう。
しかし、ルカの方からなにができるだろうか。魔法を使うことはできなくはないが、即座にいなされてしまうことだろう。
なによりこれの問題は、今現在走ることに集中させている魔力を、別に充てないといけなくなるということ。さほど大したリターンも見込めないのに、走りに割いている今のリソースを使うのは良くない。
でも、だとしてもどのみちこのままだと――、
「ルカ、伏せろっ!」
前方から、そんな叫び声が聞こえてきて。
その、親しみのあるその声に、ルカは即座に反応して、伏せる。
直後、背中の上を強い風。否、衝撃波が走る。
「チィッ! なんでテメエがここにいるんだよ!」
「……ルカ。言いたいことはたくさんあるが、今はとにかくこっちに」
「エア……」
ルカの前に、立ちふさがるようにしてエアハルトが現れる。
思わず、ルカの瞳に安堵の涙が浮かぶ。
「相変わらずのようだな、エアハルト。貴様が人間の味方をしているというものは」
「……? なるほど、色々と情報の齟齬はありそうだが、……だいたい把握した」
正面の彼が言う言葉をそのまま受け取るのであれば、とりあえずルカが魔法使いであることはバレていないのだろうか。
その身体からは似つかわしくない、ちょっと想像ができないスピードで走っていたはずではあるのだが……しかし、身体強化だけなら、魔法を使用しているかの判断が難しいのも事実。ともなく、バレていないのであればその方が都合がいい。
同時、エアハルトがここにいることに驚いていた。と、いうことは先程エアハルトに接触してきた魔法使いとは別の人物だということだ。
彼らに接点があるのか、などはまだわかったものではないが、しかし、
(面倒だな。……いや、予め知ることができた、と割り切るべきか)
関わりがあろうがなかろうが、魔法使いがふたりもいる時点で面倒な状況である。これならば、まだ他にもいると見込んでおくほうがいいだろう。
そういう意味合いではとにかく面倒くさいに尽きるのだが、その面倒な事例に対して、事前に知ることができ、対策を講じることができるのはある意味では幸運である。
しばらく、睨み合いが続く。
「チィッ!」
相手の魔法使いは、強く舌打ちをすると、そのまま退いてどこかへ行ってしまった。
魔法使い同士で正面から戦えば、少なからず被害が出る。そうなれば、魔法使いの存在が察知されてしまい、いろいろと面倒なことになりかねない。
それをわかっているからこそ、相手も引いてくれた。万が一には戦う覚悟はできていたものの、そうならなくてよかったと。エアハルトは大きくため息をついた。
「えっと、その……ごめんなさい」
ルカが、エアハルトに向けてそう謝る。
自身の起こした行動と、その結果についてだろう。
わしゃっと、エアハルトはルカの頭を乱雑気味に掴み、そのままくしゃくしゃっと撫でる。
「なんだ、その。俺の方こそ、なにも言わずに出てすまなかったな。心配かけた。だが、夜中にひとりで出歩くのはやめておけよ?」
「……うん」
今回の事例は相当イレギュラーとはいえ、その危険性を身に沁みて感じたルカは、そう素直に反応をした。
(しかし、思ったよりも魔法使いが多いな)
もちろん、魔法使いが街に常駐することが珍しいとは言わない。リスクもあるが、うまく隠れ家を作ることができた魔法使いが居着くことはそれなりにあるケースだ。
しかし、それにしても魔法使いが多い気がする。この一晩だけでふたりに出会ったとなると……、
いったいこの街になにがあるのだ、と。想像を超えるナニかが裏にあるような気がして、エアハルトが少し、背筋が冷え込んだ。




