#43 少女はお腹が気持ち悪くなる
ダンジョンに潜り始めてから、どれくらいの時間がたっただろうか。
「ふしゅう……」
安全地帯の床で寝っ転がり、伸びてしまったいるルカがそこにはいた。
「ほら、エネルギーが足りてないだろ。飯だ」
エアハルトがそう言って干し肉とパンとを差し出す。ルカはそれを受け取ると、いつもなら喜んで齧りつくところ、複雑な面持ちでそれを見つめた。
「……おなかが減ってるのに、すごく食欲がない」
「だろうな。とはいえ食べないとどうにもおならない。一旦食っておけ」
エアハルトに催促をされ、ルカはしぶしぶそれらに口をつける。言い表しようのない気持ち悪さがこみ上げてきながら、何とかそれらを口に含み、さらには水で流し込む。
真っ赤な瞳はエアハルトを睨みつけながら、少し涙を蓄える。
「ううう……気持ち悪い……」
こぼれるようにつぶやいたその声は、正しくルカの本音を告げるものだった。
(さすがにそろそろか……)
声には出さなかったが、エアハルトはそんなことを考えていた。
遮りの魔窟は地下にあるため時間感覚が狂いやすく、正確な時間はわからないが、少なくとも2日は潜っていることだろう。
その間、他の冒険者とかち合わせないように気を付けながら安全地帯を巡り、ダンジョンの構造変化のタイミングを中心に魔法の練習をしてきた。
その内容は彼女の元の適性である自然系の魔法のみに留まらず、例えば自己強化の魔法であったり、あるいは回復魔法であったり。そして、多くはないがある程度の攻撃のための魔法であったり。
また、訓練のための環境としても遮りの魔窟は最適だった。魔法を受け付けない壁はわかりやすく魔法の標的として機能するので、慣れない魔法で出力がブレたところで全く動じなかった。
とはいえ、出力のブレによる影響はどちらかというと術者自身に降りかかるので、いくらダンジョンが頑丈とはいえ好ましいことではないのだが。
この推定2日間はルカにとって非常に濃密で実りの多い期間であったのと同時に、彼女にとってとてつもなく負担になる期間でもあった。
なによりも大きな影響としては、今ちょうど彼女に起こっている症状だろう。おなかが減っているのに食欲がわかない。
それもそのはずだろうと、エアハルトは強く感じた。魔法の行使に必要な魔力。もちろん自然に発生しているものを呼吸などを通して摂取する方法もなくはないが、急速な回復を要する場合、本人の体力を糧に生産される。その結果、とてつもなく、おなかが減る。
そこで食事だった。食事をすることでエネルギーを補給することができ、それらをベースとして再度魔力、あるいはつかい過ぎた体力の回復が行われる。
とどのつまりは、理論上魔法使いが食事をし続ければ魔法を使い続けることができる。もちろん理論上、それもかなりの極論ではあるが。
しかし、実際にそんなことをする魔法使いはいない。いやもしかしたらいるかもしれないが、少なくともエアハルトの知る範囲にはいない。
その理由は単純であり、それこそがルカの今の状況。強引に食事からエネルギーだけを取り出すようなことをするがゆえに急速な回復ができる一方で、食事自体の消化吸収は普段の食事と同じように行われる。しかしエネルギーは消費されるので、身体は、頭は、さらなる食事を求める。
結果、こうなる。ぐるぐると無茶苦茶な蠕動運動をするおなかを抱えながら、ルカはやはり気持ち悪そうな顔をする。
とはいえ魔力は、体力自体は回復される。その感覚がまた、絶妙に気持ちが悪い。
「……やっぱり、そろそろ潮時だな?」
「ふみゅ?」
エアハルトはそう言うと、指導という立場もあってキツめに向けていた目を、柔らかなものに変える。
「帰るぞ。撤退だ」
「えっ? あっ、うん!」
まだ粘れないかどうかでいえば、もう少し粘ればするはずだ。しかし、それは練習よりも身体の苦しさのほうが勝る勢いで行うことになるだろう。そうなってくると、練習の効率も悪くなる。
……もちろん、苦しい状況下でもしっかりと動けるように、と。だからこそむしろちゃんと経験しておくべきという考え方もあるのだが、そういった苦しみに慣れる訓練はまだ後でも大丈夫だろう。
そもそも、ここに来た最大の目的は果たせていた。
(自然系の魔法の発展的な使途。その属性に限らない様々な魔法の発達。そして、ルカ自身の魔力の容量の確認と瞬間的に扱える量の認識)
特に最後のふたつが重要だった。緊急時にこれらを把握できているかは生死を分ける。
容量はどれだけの魔法を補給無しに撃ち続けられるか。返して言うならどれくらい使えば一旦引かなければいけないのか。
瞬間的に扱える量は身体がどれだけ耐えられるのか。訓練の中でも何度か魔力のコントロールがブレて、想定より大きく流れ出したことがあった。ルカ自身それには気づいているようで、つまりはそのあたりが今の自分に扱える魔力のギリギリちょっと上なのだということだった。
この自分にコントロールできる量というのは、とても大切だ。これを理解せずに無闇に魔力を使いすぎると最悪身体が消し飛ぶ。
実際、ちょっとのブレでも自分の身体に反動が来る。
(おおよそ2日間の、少し無理やりなスケジュールではあったが、かなりしっかりと理解はできているように伺えた)
ついでに、ルーナへのお土産もそこそこに集まったところだった。ここに潜るといつも要求されるものがあったので、それが結構な量集まったのは幸いだった。
(さて、帰るとなるとどこから帰るか……)
エアハルトひとりなら、こと帰りに関しては正面から帰れなくもない。自身の姿を魔法で隠しながら人が少ないタイミングを狙って出れば、おそらく見つからずになんとかなる。
だが、ルカがいる状況ではそれはかなり難しい。と、なると入ってくるときに使った入り口を見つけるのが最適ではあるのだが、あの入り口は通路、つまりは構造変化の影響をモロに受ける場所にある。だから、捜索がかなり難しい。
(正面入り口を目指しつつ、裏口が見つかればよし。見つからなければリスクはあるが、ふたりで隠れて正面突破……という形かな)
エアハルトはひとりそんな計画を立てながら、立ち上がりルカに手を差し伸べた。
「立てるか?」
「うん!」
彼女はその手を取り、エアハルトに少し引っ張ってもらいながら立ち上がる。
そうして来た道を引き返す。
きっと大きな騒ぎもなく、このまま帰れるものだと信じて。
しかし、想定外は起こるもので。エアハルトの計画はどちらも達成不可能なものとなってしまった。
通路を歩くルカが少し顔をしかめる。
「なんか、騒がしいね?」
「ああ、そうだな」
地上まで、めちゃくちゃに近いというわけではないがかなりの上層まで戻ってきて。現在に至るまで件の裏口はまだ見つかっていない。
そんなさなか、ふたりの耳にはこのダンジョンに潜り込んでから一度も聞いたことのないような騒ぎ声を耳にした。
その騒ぎ声は次第に近づいてきて――、気づけば前から冒険者が走ってきていた。
「はっ、速く走れっ!」
「あんなに出てくるなんて聞いてねえっつーの!」
肩で息をしながら必死に駆けてくる男ふたりは、そんなことをぼやいていた。
「……ああ、魔物部屋か。遮りの魔窟のはたしかに厄介だな」
魔物部屋は、ダンジョン内に不定期に発生するいわゆるハズレ部屋で、侵入者を確認するや否や、大量のモンスターを生み出し、襲いかかってくる。
遮りの魔窟ではゴーレムが大量に出てくることになる。硬くはあるが動きは遅いので少数相手なら苦戦はしないのだが、倒しきらないと再生してくるという性質も相まって、大量の敵となるとその強さが今までの比ではなくなる。
「面倒だから、ここは迂回をして――」
「けどよ、ほんとによかったのか? 来たのはあっちの勝手とはいえ、形の上では助けに来てくれた奴らを身代わりにするような形で逃げちまってよぉ」
「仕方ねえって言ってんだろ! それがダンジョンでの決まりだ。これで死んだらアイツらが勝手にやって勝手に死んでるだけだ」
男ふたりの言葉に間違いはない。ダンジョンでの振る舞いは彼らの言うとおりであり、助けに入って死んだのであれば、それはそいつらの自己責任以外にほかならない。
だが。
「ねえ、エア」
「……助けられないか? だろ」
エアハルトの質問に、ルカはコクリと頷いた。
冒険者の男たちはすでにもうかなり遠くに行ってしまっていた。
「アイツらだけが引っかかって逃げてきたのなら、俺もスルーして迂回しようと思っていたが、さすがに助けられる可能性があるのにそれを見捨てるのは俺も気に触る」
エアハルトがそう言うと、ルカは顔を輝かせる。
(ただし、この判断は危険ではある。最悪魔法を使うことになる)
軽く《探知》を使ったところ、かなりの数のゴーレムがいるように感ぜられる。
ただでさえ感度の下がるダンジョン内で、だ。
(これは、助けたその流れで強引に正面突破の流れか?)
ルーナのところには最低限のやり取りだけしにいって、そのままこの町を出立することになりそうだ。
本当はある程度物資の補給もしてからにしたがったが、仕方がない。
グッと、エアハルトが拳に力を込める。
「いくぞ、ルカッ!」
「うんっ!」




