あなたを恋う文字
m-bookmark様に捧ぐ。
Twitterで親しくしていただいているm-bookmarkさん(@mbookmarkr)から『再召喚!・八重香・本編ラスト近く』のお題をいただきました。
聖都の夏は過ごしやすいけれど、そのぶん短い。
夏のはじめにこの世界へ留まることを決めて、バタバタしているうちに空はずいぶん高くなっていた。
肌を焼くようだった日差しも和らいで、そこここに秋の匂いがしはじめていた。
私は窓の外を眺めながら、ふう、とため息をついた。
目の前の紙にはミミズがのたくったような文字。
「だめだ……。全然上手く書けない!」
ペンを放り出して机に突っ伏せば、目の前にはお手本帳。綺麗な字が等間隔に並んでいる。
何度まねても綺麗に書けなくて、何枚の紙を無駄にしているか分からない。
「間に合わないかも」
泣きたい。
ディナートさん達が魔導国へ帰る日は刻々と迫っている。
彼が行ってしまったら今みたいには会えない。帰ったら忙しいだろうし、時間が合わなければ水鏡で話すことも出来なくなる。
だから手が空いた時に読んでもらえるよう、手紙を書けばいい。
いいアイディアだと思ったんだけど……なぁ。
ある程度は字を読めるので、書く練習だけなら楽勝だと思ってたのに、こっちの文字は複雑でなかなか上手く書けない代物だったのです!
それに気づいて慌てて書き取りの練習を始めたけれど、一朝一夕で上手くなるものじゃなかった。
一応『なんて書いてあるかかろうじて判別はつく』と言う程度には書けるようになったけど、そんなへったくそな文字で書かれた手紙をディナートさんに送れるかと言われれば、絶対送りたくない。私のなけなしの乙女心が全力で拒否る。
となれば、何が何でも一刻も早く字が上手くならねばなるまい! と意気込んだけど、世の中には根性と気合だけは切り抜けられないことが多々あるわけで……この期に及んでまだ脱ミミズできません!
日本語だって綺麗に書けない私が、こっちの字を上手く書なんて無理も良いとこ。
「こんなことならペン習字でも習っておけば良かった~」
なんて嘆いても後の祭り。
ディナートさんとお別れするとき『手紙、いっぱい書きますね!』って言いたかったけど、やっぱり言えないかも。
「どうしたんですか、ヤエカ殿?」
不意に背後から声がかかって飛びあがった。
「ディナートさん! ど、どうしてここに!?」
「部屋にうかがったら、こちらだと聞いたので。──おや、字の練習ですか?」
机の上を隠すように立ち上がったのに、隠しきれなかった。
「え、あ、えっと、ここここ、これは」
「どのくらい書けるようになりました?」
「わ、わわわ!」
紙をかき集めて隠そうとした拍子に、一番上の紙が机から落ちてしまった。
間の悪いことに、それはディナートさんの足元へと舞い落ちた。
当然のように彼はその紙に手を伸ばした。
「見ちゃダメーー!!」
慌ててひったくり、後ろ手に隠す。
「ヤエカ殿、それは……」
私の勢いに驚いたのか、ディナートさんは呆然と私を見下ろしている。
「ごめんなさい! 私、まだすごく字が下手だから恥ずかしくて。見られたくないんです!!」
そう。こんな下手な字、見られたくない。
でもそれ以上に知られたくないのは──。
練習していたのが、ディナートさんの名前だということ。
今の一瞬で悪筆加減は見られちゃったかもしれない。
けど、どうか何て書いてあったかはバレてませんように!!
大丈夫。
あまりの下手さに何て書いてあるのかはバレていないに違いない。
いや、そうであって欲しい。
切、実、に!
「ヤエカ殿。字なら私が教えて差し上げますよ」
恥ずかしくて顔を上げられない私の頭上で、彼がふっと微笑む気配がした。
「続きをしましょう。さ、座って」
「でも!」
彼の手は優しく、けれど有無を言わせずに私を座らせる。
「いいから。ペンを手に取って。良いですか、こう書くんです」
「ディナートさん!」
「ヤエカ殿、腕の力を抜いて」
背後に立った彼は私に覆いかぶさるようにして、右手に右手を重ねた。
大きな手に包まれた右手、そこに握られたペン先が安定する。
「字が滲んでしまうのはペン先に余計な力が入っているからです。紙に引っかかってしまうんですよ。だから、こうして軽く滑らせるように動かすんです」
言いながら彼は私の手を握ったまま、ペン先を動かした。
そんな無理のある状態で書いたにも関わらず、彼の書いた文字はぶれることも滲むこともなく、まるで見本帳の文字のように美しかった。
「ね? これさえ分かれば後はすぐ上手くなりますよ」
「そっか、文字の形がどうこう言うより先に、ペンの使い方を覚えなきゃダメだったんですね!」
今まで字を書くと言えば鉛筆やシャーペン、ボールペンしか使ったことがない。それらはどんな力加減でもそれなりにかけてしまうから、力の加減でこんなに変わるなんて知らなかった。
「ありがとうございます!」
「どういたしまして。ではもう少し練習してみましょうか」
「はい!」
ディナートさんは、また同じように私の右手ごとペンを持って動かした。
サラサラと迷いなく書かれたのは──
『ディナート』
ちょ!?
さっきのあれ、バレてた!?
無理な姿勢を承知で振り返れば、すぐ間近で金の瞳が煌めいていた。
「ディナートさん!?」
「嬉しいですね。貴女が一生懸命練習してくれたのが私の名前だなんて」
「あ、え……」
かんっぜんにバレてたーーーー!!
顔から火が噴き出しそうなほど熱くなる。
恥ずかしくて立ち直れない。
逃げたい。
脱兎のごとく逃げて、どこかひとけのないところで叫びながら転がりたい。壁に頭打ち付けたい!
なのに、この姿勢。
逃げるどころか立ち上がることすら無理。
「もう少し、練習しましょうか?」
「い、いえ、あの、その……」
「字の練習を兼ねて、たくさん手紙を送ってくださいね。楽しみにしています」
ふふ、っと笑う吐息が耳を掠めた。
恥ずかしいやら、ドキドキするやら、混乱してわけが分からない。こんな状態で文字の練習したって絶対頭に入らない。
なのに、ディナートさんはしばらく解放してくれなくて、終った頃には精神的に削られるわ、緊張の連続で体力を消耗するわでフラフラになっていた。
魂を半分どこかへ飛ばしたような私は、上機嫌なディナートさんに抱えられて部屋に戻る羽目に陥って、一生忘れられない恥ずかしい思い出の一つになりました。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「ヤエカ、どうしました? 手が止まってますよ?」
ディナートさんに声をかけられて、私はハッと我に返った。
「あ。ちょっとボーっとしてました。ごめんなさい」
と謝って書きかけの手紙に目を落とした。
随分長い間、思い出に浸っていたらしく、ペン先が渇いていた。
インク壺にペン先を浸し、瓶のふちで余分なインクを扱いて落とす。
「疲れているなら、手紙を書くのはもうやめて先に休みなさい。無理はいけない」
「大丈夫です。もうすぐ書き終わるから」
「そう?」
ディナートさんは私の言う事を信じかねているようで、曖昧な返事が返ってきた。
けど、本当に書き残しているのは結びの言葉だけなので、彼の返事には構わず書き上げてしまう。
最後に日付と署名を入れて終わり。
「出来た!」
後はインクが乾くのを待って封筒に入れるだけ。
乾くのを待つ間にもう一度文面をチェックする。うん。書き間違いはナシ。
ディナートさんに文字を教えて貰ったあの日からもう一年。
領主の妻と言うのはけっこう手紙を書く機会が多い。もちろん正式な招待状なんかは代筆して貰うけど、でも私的な手紙は自分で書きたいから、あれからもずっと文字の練習は続けていた。
おかげで、ディナートさんみたいな美しい字は書けないけれど、とりあえず親しい人に手紙を送れるくらいには上手くなった。
あの日の文字とは比べ物にならないくらい。
「書き上がった?」
「はい! ルルディと母に送るんです。ちゃんと届くと良いんですけど」
ルルディと母は今もエオニオの周囲に結界を張って回っている。いつも移動してばかりだから、無事届くかどうか心配。
「大丈夫ですよ。配達事故など絶対に起こさせませんから。封を終えたら私が預かりましょう」
「ありがとうございます」
蝋で封をした封筒を渡すと、彼は宛先の文字を見て目を細めた。
「美しい文字ですね。もう代書はいらないんじゃないかな」
「──お世辞ばっかり」
そんな一年ちょっとでそんなに上手くなってるわけないじゃない。確かに見られる字にはなったけど、ディナートさん褒めすぎ!
「こんなことで世辞など言いませんよ。本当にそう思ったから口にしただけです。柔らかくて繊細でヤエカらしい字だ」
確かにディナートさんならお世辞を言うより、「ここはこうしたほうが良いですよ」って優しく教えてくれるだろう。
これは素直に喜んで良いのかな。
「そう? 嬉しい!」
笑った私の頬にディナートさんが優しく触れた。
「そうだ。──ねぇ、ヤエカ。また私の名前を書いて?」
「え?」
「昔みたいに」
「え、えええええ!? それは……!」
もしかしてディナートさんも去年のこと覚えてるの!?
恥ずかしい。
出来ることなら忘れて欲しい!
「ダメ?」
「ダメじゃないですけど……」
でも、でも、でもぉ!
「ヤエカ?」
期待に満ちた目で新しい紙を用意されて、私は上手い断りの言葉を見つけられず、大人しく机に向かうことにした。
窓の外からは涼やかな虫の音が聞こえてくる。
私の焦りっぷりをよそに、初秋の夜は静かに更けていった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ディナートの机の引き出し。
その一番奥の奥。
たどたどしい筆跡で彼の名が書かれた紙が、後生大事に仕舞ってある。
そのことを八重香は知らない。
初出:2015年1月3日ぷらいべったー(フォロワー限定公開)




