雪の日
2014/12/24の活動報告より転載。
クリスマス記念SS。
一面の雪が、大陽の光を反射して眩しく目を射る。
寒々しい枯れ枝も、常葉樹の濃緑の葉も白く彩られて重たげに首を垂らしている。
今冬、初めての積雪であった。
ディナートは足跡一つない庭を眺めながら小さくため息をついた。
真っ白な雪を喜び、飼い犬とじゃれながら転げまわったのは、すでに遠い遠い日の思い出だ。
騎士団に入隊した年以来、雪は忌むべきものに成り果てた。数々の災いをもたらす美しい悪魔。
今日も今日とて頭の中を巡るのは領地内に雪害が出ていないかどうか、その一点だ。
雪崩が起こるほどに積もっているわけではないが、しかし甘く見るわけにはいかない。
長年この地に住んでいる家令や使用人たちは口を揃えて
「今年は雪が早い」
と言っていた。なら、今年は雪が深くなる可能性が高い。
今はまだ良い。しかし、そう遠くないうちに雪に閉ざされる町や村が出てくるはずだ。
秋のうちに備蓄はしてあるだろうが、果たしてそれで足りるのか。人をやって確かめ、足りない村や町があるなら倉を解放して──
考えることはたくさんある。
が、しかし、この時間まで何の連絡も入らないと言うことは、大した問題は起こっていないと言うことだろう。
少しばかり休憩して、そのあとは館周りと、城下を少しばかり見て回るか。
夜明け前から起き、悪い知らせが入れば即座に対応できるようにと待ち構えていたディナートは、眉間のしわを指で揉みほぐしながら、小さなため息をついた。
そろそろヤエカが起きる時間だ。
傍に控える家令を振り返り、朝食の用意を始めるように言いつけるつもりだったが、とうの家令は心得ているとばかりに微笑んだ。
「朝食のご用意はすでに」
「そうか」
鷹揚に頷いたディナートの髪が肩からさらりと落ちた。
白い陽光に眩しく煌めくそれは、もともと切るのを面倒くさがっているうちに伸びてしまったものだ。が、今となっては愛しい妻の要望により肩甲骨より少し下で切りそろえられている。
それを鬱陶しそうに払い、彼は再び窓の外へ視線を向けた。
静かな時が流れる。
──こういう時間も悪くないな。
ディナートは心地よさそうに小さく目を細めた。
暖炉にくべられた薪が小さく爆ぜる音すら耳に優しく響く。
しかし、一人は物足りない。
一度そう思ってしまえば、坂を転がるように寂しさは加速していく。先ほど寝顔をゆっくり眺めたばかりだと言うのに、もう会いたい。
己のこらえ性のなさに彼は苦笑いを浮かべた。
寝室に戻って彼女の寝顔を眺めるか、それとも目覚めを促すか。さて、どちらにしようと迷いながら、もたれかかっていた窓辺から体を起こした。
途端、忙しない足音が微かに耳に届いた。一瞬ぎくりとするが、その音の軽さから足音の主が彼の愛しい妻であることを知る。
一足ごと迷いなく大きくなっていく音に、八重香が真っ直ぐ彼のいる書斎へ向かっていることを察した。
足早に部屋を横切り、彼女を迎えるように部屋の扉を開ければ、すぐそこに八重香の姿があった。
どうして分かったのかと驚きに目を見開いた彼女に、ディナートは溢れんばかりの笑顔を見せる。
「どうしました、ヤエカ? こんなに急いで」
走る勢いを止められず、八重香は彼の胸に飛び込んだ。
ふわりと舞う栗色の髪から彼女の好む花の香りが匂い立ち、ディナートの鼻孔を柔らかくくすぐる。
「ディナートさん! 雪!! 雪!!」
彼を見上げる八重香の目は子どものようにキラキラ輝いている。「ええ、積もりましたね」と事もなげに答えるディナートがいささか不満なのか、彼女はかるく唇を尖らせた。
「そんな格好で出歩いては風邪を引くでしょう? ちゃんと着こまないと」
ディナートが言う通り、八重香は少し薄着だ。いくら館の中が温まっているとは言え、雪の日にする格好ではない。
人一倍過保護と言えなくもない彼が眉をひそめるのは当然と言えば当然なことだった。
薄着で飛び出した八重香の後を慌てて追って来た侍女は、息を切らしつつ後ろにじっと控えている。
目線ひとつで侍女からカーディガンを受け取ったディナートは、急に浮かない顔になった八重香に首を傾げつつ着せかけた。
「いつまでもここにいては体が冷える。さ、中へ」
「うー……」
書斎へ引き入れようと肩を抱けば、八重香が小さく唸った。
「ヤエカ、いったいどうしたと言うんです?」
困ったようにのぞき込む彼に彼女は答えられず、ただ首を横に振った。
関東圏に住んでいた彼女にしてみれば初積雪はテンションがだだ上がりするものであり、ディナートとその気持ちを分かち合いたくて、侍女の制止も聞かず部屋を飛び出したのだ。
が、顔を合わせたディナートがあまりにも普通の様子でガッカリしたのがまず最初。
そして、まるで子どもに言い聞かせるように薄着を咎められて、面白くない気持ちが膨れ。
それから数瞬遅れて、ディナートが純粋に雪を喜んでいられない立場であることを思い出し、その妻である自分が無責任に雪を喜んでいたことに思い至って自己嫌悪に陥った。
そんな流れで、彼女は上機嫌から一転して急下降したのだ。
「困りましたねぇ」
己の腕に飛び込んできた時はあんなに嬉しそうだったのに、なぜ八重香は急に落ち込んだのか。少し逡巡した後、ディナートはほぼ正確に彼女の心の動きを察して、小さく笑った。
「今日はどうやら暇なようです。せっかくの雪ですから午前中はのんびりしましょうか」
「でもディナートさんお仕事が……」
俯くヤエカの顔を、悪戯っぽい笑みのディナートがのぞき込んだ。
「毎日真面目に仕事をしてるんですから、こういう時ぐらいサボったって良いでしょう? それに何かあったら、私以上に真面目な連中が大慌てて呼び戻しに来ますよ」
「でも」
「でも、なんです?」
「サボるのは良くないです。もし何かあったら……」
と言うその生真面目な顔の裏から、嬉しげな雰囲気が見え隠れしている。本人は巧妙に隠しているつもりかもしれないが、ディナートにはまるわかりだ。
彼は目を細めて八重香の頭を撫でた。
「うーん。確かにヤエカの言うことは正しい。では朝食を終えたら、庭に出てみませんか? それなら良いでしょう? 何かあったら誰かが窓から大声で呼んでくれるし、すぐに戻って来られるでしょう?」
「う。それなら……」
「良かった。では決まりですね」
窓辺に導いて外を指し示せば、八重香はさきほどと同じように目を輝かせた。
「こんなに綺麗な景色を堪能しないのは勿体ない。あとでゆっくり──」
「わー! 綺麗!!」
寝室の窓からでは樹木が視界を遮るが、この書斎からは眼下に城下町を見下ろすことが出来るのだ。
雪に彩られた町はいつもに増して美しく、キラキラと輝いている。
まるでお伽話の中に出てくる町みたいだ。そう思った八重香は矢も楯もたまらなくなった。
ディナートの腕からするりと逃げだし、テラスへ続くガラス張りのドアを開けた。
「ヤエカ!?」
慌てて伸ばした手は虚空を掴む。
「大丈夫ですよ、ディナートさん。 ちょーっと出るだけですから~」
のほほんと笑う彼女の髪を寒風が煽った。
「大丈夫なわけないでしょう!? 待ちなさい」
眉を吊り上げる彼をよそに、八重香はひらりとドレスの裾を翻した。
室内に流れ込む冷気と入れ替わるように八重香はテラスへ、そしてそのさき真っ白に化粧をした庭へと走り出た。防寒着を纏わず、室内履きのままで。
これにはディナートも呆気にとられて、反応が遅れた。
が、すぐに気を取り直し、いつでも出かけられるようにと用意しておいた防寒着をひったくるように掴んだ。窓から外を見れば八重香は寒さをものともせず、雪の真ん中で楽しそうにくるくる回っている。
なんとも呑気そうなその姿に気勢が削がれそうになる。
「ヤエカ! いい加減に戻りなさい!」
雪を蹴立てて八重香のもとへ走る。あまりの走りにくさに、吹き飛ばしてしまおうかと思った。
「あ、ディナートさん! 見て見てー! スノーエンジェル!!」
ディナートに分からない言葉を発すると、八重香は雪の上にあおむけに倒れ込んだ。そのまま手足を楽しそうにばたつかせている。ドレスの裾が乱れてぎょっとするが、よくよく見ればスカートの下にはしっかり長ズボンを履きこんでいる。
「何をしてるんですか、ヤエカ」
「えー何って。スノーエンジェル作ってたんです。ほら、見て。天使みたいでしょ?」
「天使? そうですか?」
──どうやらヤエカのいた世界とこの世界の『天使』は全く違うようだ。
そんなことを考えながら手を差し伸べれば、八重香は素直に彼の手を取った。
「もう気は済んだでしょう? 風邪を引かないうちに戻りましょう」
「えー! もう少しダメですか?」
「寒いでしょう?」
「ぜーんぜん寒くないですよ~」
問えば、八重香はしてやったりと言いたげな顔で笑った。
「私、進化したんです」
人差し指を立てて、チッチッチッと左右に振る。得意げな彼女にディナートは首を傾げた。
「進化、ですか?」
「そう! 進化です。進化。私は寒さを克服しました! 今の私はぁー! 無敵ですー!!」
「無敵、ですか」
異常なテンションに呆れ気味になる。が、八重香はそんな彼の心情も知らず楽しげに雪を蹴っている。
薄く柔らかい室内履きでそんなことをすれば瞬く間に濡れ、中の指まで凍えるだろう。
が。
ようやくディナートは違和感の正体に気が付いた。
これだけ遊びまわっているのに、八重香はどこも濡れていない。
「もしかして?」
「はい! 体の周りに冷気を遮断する結界を張ってみましたー! なので私の周りはお家の中と同じ温度なんです。凄いでしょ!?」
褒めてと言わんばかりに目を輝かせている。
「え? ええ。それはすごい。いつの間にかそんなことも出来るようになっていたんですね」
「毎日、練習してますから!」
嬉しそうに笑う。
が、その笑顔を見ながらディナートの心の中は少しばかりささくれていた。
彼女の結界にすぐ気が付かなかった自分が不甲斐ない。また、そのせいで慌てふためいてしまったことも気恥ずかしい。
ディナート自身、大人気ないとは自覚しつつ、しかし少しばかり意趣返ししたくなった。
彼ははしゃぐ八重香に見つからないように、そっと手で雪を掬い、軽く握って雪玉をこしらえた。当たっても痛くないようにごくごく軽く。
「ヤエカ」
名前を呼べば、八重香は疑いもせず彼のほうに向きなおる。
「なんですか? ──わ! ぶっ!!」
彼女が振り向きざま雪玉を放り投げれば、それは彼女の肩口にぶつかって粉々に砕けた。
「つ、つめたーい!!」
八重香はいきなり飛んできた雪玉に驚いて、ついつい結界を解いてしまっていた。そのため雪玉の直撃を喰らったのだった。
冷たさにぶるっと体を震わせた彼女の肩に、大きすぎる防寒着を着せかけながらディナートがにやりと笑った。
「雪玉なんかに驚いて結界を解いてしまうようではまだまだですね」
「う!」
「今後も練習に励んでください。じゃないと無敵になんてなれませんよ」
「く、悔しい……!」
唇を尖らせる八重香を見下ろしながら、ディナートは声を上げて笑った。
それが面白くなかったのか、彼女は足元にしゃがみこむと、次々に雪玉を作ってディナート目がけて投げつけた。
が、彼の体に届く前に、それらはことごとく見えない手によって叩き落とされてしまう。
「ちょっと! ディナートさん、ズルい! 一個ぐらい当たってくれたってていいじゃないですか! ケチ!」
「嫌ですよ。冷たいのは嫌いです」
「こうなったら何が何でも当てます。そこを動かないで!! 動くなってばー!」
「だから嫌だって言ってるじゃないですか。動きますよ。どんどん動くんで、悔しかったら頑張って当ててくださいね」
「もー!!」
ますますいきり立つ八重香と、彼女をからかいつつ愛おしそうに眺めるディナート。
二人は結局、見かねた家令に声をかけられるまで雪合戦に興じていた。
室内に戻ってから、二人仲良く家令から小言を喰らったのも、良い思い出である。
それは、二人が一緒になって初めての冬、初めての雪の日のことだった。




