未来はここに
「ヤエカ様、お疲れ様でございました。お支度はこれで全て整いましたわ」
ずしりと重いチョーカーをつけるために、背後に回っていた侍女さんと鏡越しに目が合った。にっこり笑う彼女につられて何とか笑ってみたけれど、ぎこちなさすぎて笑顔にならない。
「そんなに緊張なさらなくても……」
「あ、あはははは」
無理矢理絞り出した笑い声まで裏返ってて ああ、もうダメだ。緊張して胃のあたりがざわざわする。
「自信を持ってください、ヤエカ様。今日の舞踏会で一番美しいのはヤエカ様ですわよ。私たちが保証しますわ」
舞踏会の支度を手伝ってくれた三人の侍女さんがそろって頷くけど、それお世辞だって分かってるから!!
「あ、ヤエカ様、いま、お世辞だなんて思ってらっしゃるでしょ? もう!! 絶対の絶対お世辞じゃないです!」
一番年若い──きっと私より少し年下だ──侍女さんに力説されてたじろいだ。
「これ! おやめなさい。ヤエカ様が困ってらっしゃるでしょう」
「……すみません」
他の侍女さんにたしなめられて、一番若い侍女さんは肩を竦めた。けど、悪びれた様子はなくて、おどけたように片眉を上げて、チラッと私を見る。その仕草が面白くて、ついつい吹き出しちゃった。
「そうです、その調子です、ヤエカ様! 笑顔です、笑顔! それでディナート様はイチコロです!!」
「へっ!? あ、そそそそそそんなっ」
不意打ちを食らって全身から冷や汗がでた。熱くなった頬を押さえようとして、すんでのところでお化粧して貰ったことを思い出す。急に宙ぶらりんになった手を意味もなく振り回したら、鏡台の上の瓶を倒しそうになったので、慌てて押さえた。
高そうな瓶、落とさなくて良かった。とホッとしている私の頭上で、一番年上らしい侍女さんが呆れたようなため息をついた。
「申し訳ありません、ヤエカ様。この子たちも今日を随分楽しみにしていたもので、浮かれて失礼を……」
「い、いえ。失礼だなんて、そんなことないですから! こうやっておしゃべり出来るのは楽しいし、緊張もほぐれます」
「お気遣いありがとうございます」
彼女が深々と頭を下げると残りの二人も慌てて頭を下げた。
「この子たちの言いようは褒められたものではございませんが……。ヤエカ様、本当にお綺麗でございますよ。お世辞などではございません。長年、この聖女宮で侍女を務めさせていただいておりますこの私が申し上げるのです。どうかご自分に自信をもってくださいまし」
「は、はい……」
返事をしないのも申し訳ないし、かといって自信が持てるかと言うとそうでもなくて。曖昧な返事をしつつ、鏡の中の自分を眺めた。
確かに鏡にうつる自分の姿はいつもと全然違う。侍女さん達の腕と努力のおかげで。
何時間もかけて手入れをして貰った髪はきっちり結い上げられていて、カールさせた毛先がフワフワ揺れる。生花と真珠がバランスよくちりばめられていて、何の変哲もないこげ茶色の髪がまるでそれ自体が何かの装飾みたい。
首には深い海の青をした大ぶりな宝石が嵌められたチョーカー。金具に好きなリボンを通して後ろで結ぶタイプのものだ。
今日は、スカートに使用されているフワフワの生地と同じ布で作られた水色の幅広のリボンを使う。リボン結びされたその羽の部分が、首の左右から少しだけ見える。大ぶりな石と幅広リボンのおかげで、自分でもびっくりするくらい首が華奢に見える。
そして何よりも目を引くのは、海色のドレス。
きらきら光る濃い青の生地がベースで、左胸の辺りから斜めに白いレースが縫いとめてある。上半身の飾りはあえてその白いレースだけ。そのかわりスカート部分はボリュームがある。オーガンジーのように柔らかくて薄い布が幾重にも重ねられていて、その布も一色じゃなくて、水色、エメラルドグリーン、少し青みがかった白の三色が使われている。その三色が絶妙なバランスで重なり合っているから、遠い南の海の、打ち寄せる波みたい。
そこに髪に飾ったのと同じ真珠がちりばめられていて、ため息が出るほど美しい。
夏にぴったりの涼しげなドレスを、と侍女さん達や仕立て屋さんとあれこれ相談して作った一着で、私自身もすごくすごく気に入ってる。
けれど……。ドレスに着られてる感じがモリモリ。鎧の形にそってマダラに日焼けした腕を見下ろすと、ますますその気持ちが大きくなっていく。
首の日焼けのは幅広のチョーカーで隠し、手の日焼けは肘の上まで覆うロンググローブで何とか誤魔化す。
けど、それって誤魔化すだけであって、本当の貴族の令嬢みたいに綺麗な真っ白い肌なわけじゃない。
今日は綺麗な令嬢もたくさん出席する。きっと彼女達と並んだらすぐにメッキが剥がれちゃいそうだ。
前はこんなこと思いもしなかったのに。
決められたパートナーにリードして貰って、挨拶して、適当に雰囲気を楽しんで、美味しいものを食べながら、女性陣の美しさを感嘆の眼差しで眺めて。時間が来たら自室に帰って「ああ、楽しかった!」って思いながらベッドにジャンプして。
なのに今回は思考マイナス方向へ突っ走りすぎ、緊張しすぎ。
原因は分かってる。
分かってるんだよー!
ディナートさんが他の女の人に見惚れたら嫌だ。
他の女の人が、ディナートさんに寄って来るのも嫌だ。
それだけ。
それだけなんだけど、これが結構きつい。
そこに美人がいたら男の人はつい目で追っちゃうよね。目移りされても仕方ないかなぁと思ったりするけど、でもディナートさんが他の女の人を眺める姿を想像すると理屈抜きで嫌な気持ちになるし、それにあの通りの美形だから絶対に注目の的になるだろうし、女性陣から取り囲まれてあれこれ……うわああああ! 考えたくない! 考えたくない!!
「ヤエカ様、そろそろお時間ですので、手袋を……」
「はい」
渡された手袋をはめながら、誰にも気づかれないようにため息をついた。
私もルルディみたいな美人だったら良かったのに。そうしたら、こんな卑屈な気分にならなくても済んだのに。
ああ、そうだ。
ルルディと言えば。ルルディと母は、舞踏会の最初に何やら重大発表をすると言ってたよね。母は飄々としてたけれど、きっととんでもない発表になるはずだ。
それがどんなものになるのか分からないけれど、でもおそらく楽しいことじゃないだろう。
それを思うと、またため息が口からこぼれた。
今度のため息は隠し切れないくらい大きかった。
「どうしたんですか、ヤエカ殿。ため息なんて」
背後からかかった声に、背筋がピーンと伸びた。
「ディナートさん!?」
な、な、なんでここに!?
私の背後に立ったディナートさんと、鏡の中で目が合った。
「お迎えにあがりました」
「え!?」
考え事に気を取られてノックの音も聞こえてなかったみたいだ。ディナートさんの後ろで侍女さん達三人がニコニコとニヤニヤの間ぐらいの感じで笑っている。
「もう用意はお済みだとうかがったのですが、まだ?」
「いえ! 大丈夫です。支度はもう終わっていますから」
慌てて立ち上がった私に向かって、大きな手が差し出された。そっと手を載せると優しい力で握り返してくれて……。
──あれ?
何で、ディナートさん、動かないの?
不思議に思って恐る恐る上を見ると、困ったような顔をした彼と視線がぶつかった。
「ディナートさん?」
「──失礼。月並みな言葉で申し訳ないのですが、今日は一段と美しいですね。つい見惚れてしまいました」
私、いま、なんて、言われた!?
聞き慣れない言葉の羅列で、え、ちょっと待って。やっぱり聞き間違い?
一気に体温が三度くらい上がってそうだ。平熱が三十六度として、現在三十九度。大変です、それ高熱です。
「あ、ああああああああ、あ、ありが……」
しどろもどろになりながらお礼を言おうとしたら、ディナートさんは何故か怖い顔をして身を乗り出してきた。一気に詰められた距離に、さらに体温一度上昇、ああ、四十度越え……!
「絶対に私のそばから離れないでください。良いですか、絶対に、ですよ?」
「はいっ!?」
気迫に呑まれて頷けば、彼はようやく納得したようで体を離した。
「では、参りましょう」
「はい!」
なんだかよく分からないけど、まぁいいか。傍から離れなきゃ良いってことだもんね。今日は離れる気全然ないし、大丈夫!
私たちは侍女さん達に見送られて部屋を出た。
人影は全然見えないのにどこか浮き足立った雰囲気が漂う廊下をゆっくりと歩いて行く。歩調がゆったりなのは、華奢なヒールを履いている私を、ディナートさんが気遣ってくれているから。ありがとうと言いたいけど、言えば無粋な気がして何も言えない。
正装したディナートさんはいつもに増して格好良くて、見惚れずにはいられない。横目でちらちら盗み見ながらドキドキする胸をそっと押さえた。
普段は緩くまとめている銀の髪をきっちりと結んでいるから、整った顔立ちが露わになっている。
いつもみたいに銀の髪が顔に微妙な影を作っている時は神秘的な印象が強い。けど、今日みたいに髪を上げていると銀色の獅子みたいだ。何事にも動じない堂々とした──
典礼用の制服のデザインは普段の制服とほとんど変わらないんだけど、マントのすそや上着の袖や襟周りに銀糸で刺繍が施されている。その刺繍も階級によって細かく意匠が決められているらしい。そのあたりはよくわからないけど、でも黒い制服も銀の刺繍も、ディナートさんによく似合っている。
こんなに格好良いんだもん。他の子が放っておくわけないよね。嫌な空想が現実になりそうで、胸の辺りがざわざわして落ち着かない。
上手く抑え込めない不安にだんだん背中が丸くなって、それに気づいて慌てて背筋を伸ばした。
だめだめ。背中が丸まったら、顔も俯くし、視界まで下になっちゃう。それじゃ、見えるものも見えなくなっちゃう。ビシッとしないと!
「緊張しているのですか?」
唐突にディナートさんが立ち止まった。
はっと顔を上げると、穏やかな笑顔が私を見下ろしている。彼の背後には窓から差し込む赤い夕陽。どちらも眩しくて、目を細めた。
「緊張?」
「ええ。先ほどから貴女は全く喋らないでしょう? それとも何か心配事でもおありですか?」
緊張してるし、心配事もある。けど。
「ディナートさんが一緒だから大丈夫です!」
あははと笑ったら、彼は驚いたように目を丸くして、それから蕩けるように笑った。
うわぁ。なんて優しい顔で笑うんだろう。
見る間に頬が熱くなって、鏡を見なくても自分がいま茹でダコみたいになってるのが分かった。
恥ずかしくて顔を背けようとしたら、彼の手のほうが一瞬早かった。両頬を優しく抑えられて逃げられない。
「そんなに可愛いことをおっしゃらないでください。でないと、このまま……」
「この、まま?」
「──いいえ。何でもありません。とりあえずはこれで満足しておきましょう」
なんのこと? と思う間もなく、彼の顔が近づいて柔らかいものが頬をかすめた。
「なっ!?」
「何度も言いますが、絶対に私の傍を離れないでくださいね」
頬を押さえて硬直する私に向かって、彼は晴れやかな笑顔を向けた。
「ディナートさんの」
「はい?」
「バカァァアアア!!」
「何とでもおっしゃってください」
なんて、しれっと言うし!
舞踏会の会場は、聖女宮で一番大きなホールで行われる。
足を踏み入れるのも気後れするくらい広いホールには豪華なシャンデリアがいくつも吊られていて、煌びやかな光が隅々まで溢れている。真っ白い壁も磨き抜かれた床も光に照らされて、それ自体が輝いているようにも見えた。
この国の中枢を担う人々やその家族が、思い思いに着飾って談笑に興じている。華やかな笑い声、あふれるほど色とりどりのドレスの群、入り混じった香水の香りに、明るい熱気。
そんな煌びやかなホールの片隅でディナートさんと私は、ルルディの登場を待っていた。すぐ近くには黒衣に身を包んだ魔導軍の皆も揃っていたけれど、誰一人近寄ってくる人はいなかった。カロルさんと目が合ったら、会釈が返ってきたけれど、彼はすぐに視線を逸らしてしまった。
なんでよそよそしいんだろう? とちょっと不思議に思ったけど、今はそれどころじゃない。
「まだ怒ってるんですか?」
「知りません」
「やっぱり怒ってる」
「──私が怒るような事をしたって自覚はあるんですね」
不機嫌さを目に込めてじーっと見上げたら、彼は微笑を引っ込めてすっと視線を外した。
「先に不意打ちしたのは貴女のほうでしょうに……」
「してません、そんなこと!」
そう抗議した途端、あたりが水を打ったようにしんと静まり返ったので、慌てて居住まいを正した。
大扉から壇上にあるルルディの席までの一直線上にいた人々が脇に寄って、自然と道が出来る。
扉を守っていた護衛が、手にした槍の石突を打ち鳴らした。
それが合図で、純白のドレスに身を包んだルルディが姿を現す。堂々とした態度で進む彼女の後ろに、淡い藤色のドレスを身に着けた母が続いた。ルルディにも劣らない落ち着きようで、さすが元聖女の貫録。
二人が通り過ぎた後には、かすかなざわめきが満ちている。
よく聞き取れないけれど、母がいったい誰なのかを尋ねる囁きと、母の生存を驚く呟きのようだ。前者は主に若い人から、後者はある程度年かさの人から漏れてきている。
静かなざわめきが満ちる中、ルルディと母は壇上に登り、みんなと向かい合った。
ルルディはホール全体を見渡した後、右手をスッとあげた。途端、あたりが静まり返った。
「みなさん、今日はよくお集まりくださいました。初めにわたくしから皆様へお話したいことがいくつかあります」
凛とした声が、静寂に支配されたホールの隅々まで響き渡った。みんなが固唾を飲んでルルディを見守る中、彼女の傍に控えた母はゆっくりと私のほうへ向きなおった。目が合うと母は小さく笑って頷くと、素知らぬふりで前に向き直る。
「まず初めに。長らく消息不明となっていました先代聖女エリカ様がご帰還なさいました」
ルルディがそう言った途端、どよめきが起こった。
今までどこにいたのか、どうしていたのか、そう囁き合う声があちこちから聞こえる。
「エリカ様は、勇者──片月の乙女の御母堂でいらっしゃいます」
とルルディが話した途端、会場中の人の視線が私と母とを往復する。
一斉に向いてくる視線の、その迫力に後ずさりしそうになった私の肩をディナートさんがそっと抱いた。
「ヤエカ殿。大丈夫ですか?」
耳元に囁かれた声に、頷いた。
色々な思惑が混じった沢山の視線。それを何でもないことのように受け止めて顔を上げる。
何も疚しいところはないし、何か言いたい奴には言わせておけばいい。文句があるなら受けて立つ。半分以上虚勢だけど、でも、虚勢が虚勢だってばれなきゃそれは本物でしょ。
おどおどした態度を見せて侮られるよりはマシだよね。どこにどんな思惑を持った人がいるか分からない以上、弱みは見せたくない。オレストの件で身に染みた。
奇妙な緊張状態はルルディが二度手を叩いたことで破られた。
「みなさん、お話したいことは他にもありますの」
みんなの注目は私から逸れてルルディへと集まる。再び静まり返り、咳払いひとつ聞こえない。
「わたくし、聖女の任から退くことにいたしました」
響き渡ったルルディの声に、今度はホールが揺れるくらい大きなどよめきが起こった。
「え! 嘘でしょ!?」
無意識のうちにそんな驚きの声が自分の口から出ていた。隣のディナートさんも驚いたように目を瞠ってルルディを凝視している。
この会場の中で驚いていないのは、ルルディ本人と母だけだ。
「次期聖女候補アドナにもすでに打診は終えております。新年とともに交代いたします。アドナは歳こそまだ若いですが、聖女の任にあたるに相応しい力と高邁な精神を持った優秀な聖女候補です。素晴らしい聖女となることでしょう」
驚きを隠せないみんなをよそに、ルルディはもう決まった事とばかりに涼しい顔だ。
「此度の妖魔の発生では対応が後手に回って、多数の尊い命が失われました。もっと早く気づくことが出来たら……そう後悔しない日はありません。そこでわたくしは考えたのです。エオニオから妖魔がやってきたらすぐに分かるように、警報装置のようなものをつくれないか、と」
警報装置?
そっか! 妖魔が森を出て聖司国へ侵入しようとしたらセンサーが作動してみんなに知らせる──そういうシステムをつくるってことだね。
「はじめはエオニオを結界で覆ってしまうことも考えましたが、それには膨大な力が必要となり、ほぼ不可能に近いと言う結論に達しました。幸いにして我々は妖魔を知っています。その身体組成パターンを組み込んで式を形成すれば、妖魔のみに反応する術が作れるのです。使用する力も遥かに少なくて済みます。この術式については、先代──エリカ様とともに開発し、ほぼ出来上がっています」
む。ちょっと話が難しくなってきたけど、つまり結界は作るの大変だし、力がないと張り続けられないからムリ。でもセンサーを張り巡らせるのは低コストで出来るってこと?
「この術式は一度施してしまえば、あとは一般の神官数名の力で維持することが可能です。そのためにはエオニオの近くに何か所か術を維持するための拠点を作らねばなりません。この件については神官長や聖軍ともすでに相談を終え、ある程度の目途も立てました」
ここのところルルディたちが忙しくしていたのは、もうそこまで決めていたからなんだね。
でもさ、一番最初に術を施すのは誰? 聞かなくても分かってる気がする。けれど、それが当たりじゃないといいな。
「最初にこの術を施す役目には、私とエリカ様があたります」
ああ、やっぱり。嫌な予感ほど当たるものだよね。
『この世界を放り出したツケは払わないとな』
前に聞いた母の言葉が脳裏によみがえった。ツケを払うってこのことだったんだ。
全てが腑に落ちる一方で、日本で待っている父が可哀想に思えて、そんな選択をした母に腹が立った。
理性では、この世界と日本の家族との間で板挟みになっている母の苦悩は分かる。なのに、気持ちが追い付かない。
ギュッと握りしめた拳が震えた。手袋越しだと言うのに手のひらに食い込んだ爪が痛い。それでも拳を解く気にはなれなくて。ただ茫然としていた。
そんな私をよそに、驚きの発表で暫くざわついていたホールは段々と落ち着きを取り戻し、それを見て取ったルルディはまるで何事もなかったかのように舞踏会の開始を宣言して、母とともに壇上にしつらえられた席についた。
「私、ちょっと母と話して来ます!」
「ヤエカ殿!」
走り出そうとした私の手首を、ディナートさんが掴んだ。
「離してください!」
「落ち着いてください。そんなに慌てていると要らぬ詮索を呼びますよ」
彼の言葉にハッとしてさりげなく周りを見渡せば、何人かがちらちらとこちらの様子をうかがっている気配がする。
「ごめんなさい。つい……」
「仕方ありませんよ。私も驚きました。随分大胆な事を考えたものですね。警報装置ですか。なかなか興味深い」
楽しげに笑うディナートさんにつられて、私もようやく笑うことが出来た。
「結局、ルルディも母に負けず劣らず変人ってことなんでしょうか」
「あはは! そんな悪口を言っていると二人に聞こえますよ?」
彼の冗談につられて二人のほうを見ると、なぜか二人ともこっちを見ていて目が合った。
沢山の人が彼女達と話をしたいと大挙して押し寄せてるって言うのに、その人だかりの中から何でこっちを??
「え、やだ。本当に聞こえてたの!?」
「まさか!」
「でも……」
「ありえないと言いきれないから怖いですね」
ディナートさんと私は顔を見合わせて、それから一斉に噴き出した。
ひとしきり笑ったら、さっきまで感じていた苛立ちとか焦りが嘘みたいに消えていた。
「きっと母もルルディも、たーっくさん悩んで、悩んで、悩みぬいて。それで結論を出したんですよね」
母はちょっと不思議な考え方をする人だけど、でも決して無責任だったり薄情だったりはしない。それは母に育てられた私が一番良く知ってる。
こっちの世界と日本と。どっちを取るかでは私も散々悩んだ。今思い出しても胸が痛くなるあの苦しさ。
きっと母も同じ苦しみを噛みしめながらこの選択肢を選んだんだろう。そして父は母の選択を受け入れた。
あの後、まだ父と話す機会は持てていないけど、近いうちにゆっくり話したいな。
ディナートさんとのことは反対されるかもしれないけど、いろんな事を沢山話してみたい。
「ええ。貴女が私を選んでくれたように、お二人は己が取るべきと思った道を選んだのでしょう」
「じゃあ、私があの二人の結論にわーわー文句言うのはお門違いですね」
にやっと笑って見上げれば、ディナートさんは優しい目をして私の頬を撫でた。
「貴女のそう言う優しさも好きですよ。痛みを知る者の優しさだ」
「ディナートさん……」
「踊りませんか? せっかくの舞踏会です。楽しまねば失礼にあたります」
悪戯っぽく言って彼は体を離した。
「私と踊っていただけますか?」
作法通りの礼を取り、凛とした声が告げる。
「はい、喜んで」
差し出された手に手を重ね、ダンスに興じる人々の輪へ向かった。
ディナートさんはダンスもすごく上手くて、不慣れな私を優しくリードしてくれる。
ダンスの練習のために他の人とも踊った事があるけど、ディナートさんと踊るのが一番心地いい。強引に引っ張られているわけでも、頼りない感じもしない。
腰に回された腕も、重ねた手も頼もしくて、ただこうしているだけで安心する。踊りながら安心するって言うのもおかしな話かもしれないけど。
「やれやれ。これで一安心だ」
独り言じみたため息が、私の髪をくすぐった。
「何がですか?」
上目使いに尋ねればディナートさんは苦笑いを浮かべる。
「貴女をダンスに誘おうと機会をうかがっている輩が多くて、気が気じゃなかったんですよ。こうして踊っていれば声をかけてくる者はいないでしょう?」
「ダンスに誘う? そんな素振りしてる人なんていなかったですよ。ディナートさんの勘違いじゃないですか?」
確かにちらちら見てる人は見かけたけど、あれってそういう意図じゃないと思うけど。
「全く。貴女は全然何も分かってない──まあ、良いでしょう。私が気をつけていればいいだけのことですから」
呆れたような彼の顔に、ゆっくりと謎めいた微笑が浮かんだ。
「これからは私以外の男と踊ってはいけません。良いですね?」
有無を言わせないくらい迫力のある声は、同時に滴るぐらい甘い蜜を含んでいた。
「約束ですよ、ヤエカ」
耳元で囁かれて、心臓が壊れそうなくらい早鐘を打つ。
甘い毒が回ったかのように痺れる指先に力を込めて、彼の腕をしっかりとつかみ直した。
「もちろんです。もうディナートさん以外の手は取りません。絶対に。だから──」
「だから?」
「ずっと、傍にいてくださいね?」
私の腰を抱いていた彼の腕にぎゅっと力が籠った。密着していたはずの体がさらに強く重なる。
「もちろんです。もう離さない。ずっとこの腕の中にいてください」
ここが、私の居場所。そっか、だからこんなに安心するんだ。
煌びやかな光の中、少しだけテンポの速くなった曲に合わせて踊りながら、夢見心地で思った。
この先、私は何度もこうやってディナートさんと踊るんだろう。
一緒に時間を重ねて、二人で歳を取って。
何度も何度も踊って、そのたびに今日の事を思い出すに違いない。
そして「あの時はこうだった」なんて笑い合う。
そんな幸福な未来はここにあるんだ──と。




