夕焼けはもう寂しくない
こうしてようやく彼氏いない歴=年齢状態に終止符を打ったわけだけれど。
付き合うとかそういうことをすっ飛ばして、つまり、その。婚約とか……け、け、け、結婚!? に向けての準備になるわけで。
なんだか三段飛ばしで階段を駆け上がってるような気分だ。
何はともあれ、まずは母やルルディたちに知らせないといけない。
ディナートさんと一緒にいたいから、こっちに残ります──たったこれだけの言葉なのに、言いにくくて困った。
けど迷ってたら、ディナートさんが
「言いにくいなら、私から話をしましょうか?」
なんて言うんだもん。
その言葉に本気を見たので、先を越されたら大変だと思って急いで母に話した。やっぱりこういう事は私の口から言いたかったから。
緊張しながら母に告げると
「そうか」
とたった一言。そして楽しそうに、だけどほんの少しだけ寂しそうな、そんな顔で笑った。その笑顔に胸が痛んだ。
「父さんには後で報告しよう。な?」
「うん。──お父さん怒るかな?」
勝手に将来決めて。あっちに戻らないんだから、大学だってそのまま退学するしかない。
父は穏やかで大らかな人だけど、中途半端なことを嫌う真面目な人だ。私の選択は父から見たら、きっと……
「大丈夫。私は八重香の味方だよ。自分の選択に自信を持ちなさい」
「ありがとう。あのね、何度も諦めようと思ったんだ。何でもないふりして日本に帰ったら、いつかこの世界の事も忘れられるかなって。でも出来なかった。誰に何て言われても、誰を悲しませても、もう帰れない」
ごめんなさい。
俯いて小さな声で謝った私の肩を母が抱きしめてくれた。
暖かくて柔らかい腕。
小さいころから大好きな母の匂い。
「大丈夫。大丈夫だ。だから泣くな、八重香。君が幸せならそれが一番なんだ」
「お母さん……」
「私も少し話をしてみたが、ディナート君は生真面目でいい青年だな」
「うん!」
優しいけど厳しくて、でもやっぱり優しい。いつも傍にいてくれて見守ってくれた人。
「幸せになりなさい。幸せは故郷に戻ることだけじゃない。旅したその先で運命と出会うことがある」
「お母さん?」
母は遠い目をして、小さく笑った。
「私もそうだったから分かるよ。迷い込んだ日本で父さんに出会った。何度も自分はいつかここへ帰るんだから、誰かを好きになっちゃいけない。そう思ってたのに全然ダメだった」
「後悔、してる?」
「まさか! 何度繰り返しても同じことをするさ。 後悔は絶対にしない。が、この世界を放り出したツケは払わないとな。聖女はこの国を守護する者。退いたって守護者であることに変わりない。なのに、私は……」
「だって、それは不可抗力だったんでしょ!?」
「いや、それは違う。一人でエオニオに挑んだ私の浅慮が招いたこと。全て私の責任だ」
母は何をしようとしてるの?
黒い不安が胸に漂う。
「お母さんは……どうやってそのツケを払おうとしてるの?」
「んー? 嫌だな、そんな怖い顔するな。なぁに心配はいらないよ。そんな危険な事はしないさ。私だって命は惜しいからな!」
あははと笑い飛ばす母にますます不審を覚えた。あやしい。
「本当に、本当に、ほんとーーに危なくないの?」
「うん! 危なくない」
「じゃあ、何をするのか教えてくれてもいいじゃない」
「それじゃあつまらないだろう? 今度の舞踏会の初めにルルディと一緒に公表するからさ。それまで待ってくれないかな? 君の驚く顔見たいから、壇の近くにいてくれると嬉しい。間違っても二人で雲隠れしないようにな!」
二人? 雲隠れ? 一瞬首を捻ったけど、すぐに母の言いたいことは分かった。
分かった瞬間、顔から火が出そうに熱くなる。
「おっ、おっ、お母さんってば!! 急になにを言い出すの! ばかーーー!!」
「あ~、赤くなった、赤くなった!」
「う、うるさああああい!!」
慌てる私をよそに、母はひっくり返りそうな勢いで大笑いしてる。
面白くない!
そんな母を残して私はソファに腰を下ろした。テーブルに置かれていたお菓子を頬張る。薄ピンク色の焼き菓子は甘酸っぱくて、葡萄に似た爽やかな香りがする。美味しいものを食べると、ささくれた気持ちがおさまるのはなんでだろう。
なんて思いながら黙々と平らげていると、ようやく笑いをおさめた母が向かい側に座った。
「私は真面目にお母さんの心配してるの! なのにそれちょっと酷くない?」
「ご、ごめん。あんまり八重香が可愛いから、つい」
「もー、怒った!」
「だから、ゴメンって。──ほら、新しいお茶、どうだ?」
「いる! あと、このお菓子おかわり」
空になったお皿を差し出す。
受け取った母は「はいはい」と苦笑して、脇の方に置かれていた大皿から新しい焼き菓子を取り分けてくれた。
焼き菓子を小さく切り分ける母の目は伏し目がちで、少しだけ寂しそうに見えた。
「その左目に術をかける準備をしないとな」
ぽつりと呟かれた言葉に、私は小さく頷いた。
万年新婚夫婦な両親はどうやら毎日連絡を取り合っているらしい。こっちとあっちは微妙に時間がズレてないのかなぁ? まぁその辺りはきっとうまくやっているんだろう。
母に助けて貰いつつ状況を説明すると、父は青くなったり赤くなったりしつつそれでも最後まで聞いてくれた。
「……すまない。ちょっと考える時間をくれないか……」
「お父さん」
「悪いね。今はこれ以上話してもお互いのためにならない。失礼するよ……」
父はゆらりと立ち上がった。そのまま体の向きを変えて、フラフラと部屋を出て行くのが見えた。
「お父さん!」
「やめるんだ、八重香」
「……うん」
反対されることは覚悟していた。
「八重香は日本に帰らないかもしれないって話は前々からしておいたんだけどねぇ。さすがにディナート君の一件は衝撃だったんだろう」
「……うん」
「さ、行こう。父さんが落ち着いたらディナート君も紹介しないとね」
母に促されて水鏡の部屋を出た。
廊下に待機していたディナートさんと合流すると、母は仕事があるからと一人で先に行ってしまった。
去り際、私の頭の上で二人が頷き合っていたけれど、あれって何だったんだろう。私だけ蚊帳の外っぽくてちょっと寂しい。いや、自分の母と、こっ……こここここっ恋人が仲良しなのは嬉しいんだけど!
「少し外へ出ませんか?」
「今からですか?」
「ええ。夕陽が綺麗に見える場所を知っているんです。いかがですか?」
ああ、もう夕暮れなんだね。水鏡のある部屋は窓が厚い布で覆われているから気付かなかった。
そう言えば最近、夕陽を見ていないなぁ。
「行きます! どこですか?」
「鐘楼ですよ」
ディナートさんは笑って、上を指差した。
「鐘楼って、結構高いですよね」
外から見える高い高い鐘楼を思い浮かべてちょっと怖気づいた。あそこすっごく高いよ。ってことは長い階段が! 私に登れるかなぁ。
「大丈夫。いざとなれば私が運んで差し上げますよ」
「うえっ!?」
「今さら何を驚いてるんですか」
私の顔をのぞき込みながらくすくす笑った。まずい。眩しくて目がくらむ。
ああ、やっぱりカッコイイ!!!
毎日見てるのに何で慣れないんだろう。むしろ日ごと重症化してるような気がする。
「あ、は、はい! それもそう、ですね。……よろしくお願いします」
「とは言え、少しは動かないと体力が戻りませんから、出来る範囲で頑張りましょう。ね?」
ポンポンと頭を軽く叩かれた。前なら『また子ども扱いして!』って思ったけど、今はただ心地いい。
「まだ体が本調子じゃないでしょう? 無理はしないでくださいね。駄目だと思ったらすぐに教えてください。約束ですよ?」
もう。優しくて厳しくてやっぱり優しい。
「さ、そろそろ行きましょう。一度暮れ始めたら後は早いですからね」
窓から差し込む光はすでに赤く染まっている。まずい。上るのにどのくらい時間がかかるか分からないし、せっかくの夕陽を見逃しちゃうかもしれない。
「急がないと!」
「そんなに慌てないでください。大丈夫。まだ充分間に合いますから」
苦笑交じりで差し出された手。私はそれを躊躇うことなく取った。
螺旋状の階段を上って、上って、また上って。
「や、やっと着いたーー!!」
「お疲れ様でした。とうとう一人で上りきってしまいましたね」
膝に両手をついてぜいぜい息を切らしている私の横には、呼吸ひとつ乱れていないディナートさん。この体力差! 分かってるけどなんだか悔しい。
「ずるい」
「何がですか?」
「ディナート、さん、全然、息、切れて、ない」
「それは、まぁ。一応鍛えていますから」
と困ったように首を傾げる。
そんな彼の銀の髪を風がさらった。赤い夕陽に舞う銀が綺麗で目を奪う。
同じ風が汗を冷やして行くから、体を震えが走った。日中は暑いのに、やっぱり夕暮れは気温が下がってちょっと肌寒い。
「大丈夫ですか? もっとこっちへ寄ってください。ここは手すりがないので気を付けて」
「でも、足を踏み外して落ちても、ディナートさんが助けてくれるでしょ?」
「それはそうですが。驚いたら寿命が縮むんでやめてください。貴女と一緒にいられる時間が少なくなってしまいます」
軽口を叩いたら予想以上に破壊力のある返事が返ってきて、心の底から後悔した。私の寿命が縮むわ!!
「ほら。固まってないで、もう少しこっちに寄ってください」
熱い頬を持て余したまま、彼の言う通り近づく。
と、耳元でばさりと音がして、あっという間に私は彼のマントの中にいた。
肩に回された腕も、すぐそばに感じるディナートさんの体温もとても暖かい。
「これなら寒くないでしょう?」
「は、はい!」
寒くないけど、寒くないけど!
心臓の音がドキドキうるさい。一瞬にして平常心なんてどこかにすっ飛んでいた。
なのに、仰ぎ見たディナートさんはいつもと変わらない顔で夕陽を見ている。私の視線に気づくとにっこり笑ってくれたけど、その顔は完全にこの状況を何とも思っていない顔だ。
私だけこんなに慌ててるのかな。自分の落ち着きのなさが恥ずかしい。
「見てください。もう太陽が沈みますよ」
「あ、ほんとだ……」
街のずっとずっと向こう。西の地平線へ赤くて大きな太陽がゆっくりと沈んでいく。
あの太陽の方向に、ルルディの故郷・西都があって、エオニオがあって、その向こうに魔導国があるんだ。
「綺麗! でも……」
「でも?」
「ちょっと寂しい」
ディナートさんはここから美しい夕焼けが見えると知っていた。それって以前もここに来たことがあるって事でしょう?
誰かと一緒だったらいい。
けど、もし一人で眺めていたのだとしたら……。
何を思って、この夕焼けを見たの? こんな、怖くなるくらい物悲しい空を。
「寂しい、ですか?」
「正確に言えば、切ないです」
「私と一緒にいても?」
だって。だって。一緒にいるからこそ切ない。
「ディナートさんは平気なんですか?」
答えたくなくて、質問に質問を返した。
「ええ。逆に嬉しいですよ。貴女と一緒にこうして眺められるのですから。どれだけ焦がれたと思ってるんですか。人の気も知らないで!」
「なっ!? 人の気も……って! それは私のセリフですよ」
「本当に?」
「本当です!」
即答すれば彼は「良かった」とため息をつくと、途端にくすくす笑い出した。
あまりに楽しそうに笑うので、しんみりした空気は消えて、あとは穏やかな気持ちで、ただただ美しい空を眺めた。
赤い残照、東から迫りくる藍色。その狭間に浮かぶ雲はオレンジ色と青紫が入り混じって輝く。
「お父上との会話、いかがでした?」
ディナートさんが呟くように口を開いた。
「時間が欲しい、って」
「そうですか」
「次は猛反対されるかもしれません」
「無理もないことだと思います。──早く貴女のお父上とお会いしたい。生半可な気持ちで貴女を欲しいと思ってるわけじゃない。そのことをきちんとお伝えしたいのです」
ぎゅっと抱きしめられて、耳に吐息がかかった。
「誠実に話をすれば、きっと分かっていただけます。私は絶対に貴女を諦めないし、諦めないからには貴女の周りの方々にも認めて頂きたい。私は欲張りなんです」
「ディナートさん……」
「貴女も欲しいし、周りの祝福も欲しい」
肩を抱き込んだ腕にさらに力が籠った。苦しいくらい強く。それが心地いいと思えるなんて。
「私もディナートさんを諦めないし、周りのみんなにも祝って貰いたいです」
彼の手に自分の手を重ねて、頭を彼の肩に預けた。
「父に認めてもらえるまで、私も頑張ります、ね?」
「ありがとう、ヤエカ」
しんみりした話題はそれで終わり。
夕闇に呑み込まれる空を眺めながら、私たちは他愛もないことを話した。最後の光が空から消えるまで。
今日の事を思い出せば、夕焼けはもう寂しくない。きっと。




