甘言
次に目が覚めた時にはもうだいぶ日が傾いているようで、部屋の四隅には暗い闇が溜まり始めていた。
うららかな雰囲気は消え失せ、代わりに得体のしれない不気味さが部屋中に漂う。まるで、闇の中から人ではない何かがやってきそうだ。寒さからではない震えが全身を駆け抜けた。
日が暮れれば、この部屋はきっと真っ暗だ。月が明るければまだましかも知れないけど、それだって薄ぼんやりと見えるだけだろうし、あんまり期待は出来ない。
そんな暗闇で誰かが襲ってきたら?
自分がどんな状況に置かれているのか分からないんだから、そんなことがないとも言い切れない。
もしかして夜は起きてた方が安全なのかな? とも思うけど、体のだるさは変わらなくてとても徹夜はできそうにない。
「困ったなぁ」
そもそも何でこんなにだるいんだろう?
ここに来てから何も飲み食いしていないから、そのせい? にしてはお腹が空いている感じも、喉の渇きもないなぁ。
そんなことを考えていると、遠くで足音が聞こえた気がした。耳を澄ましてみるとそれは確かに足音で、段々と大きくなっているから誰かこっちに向かっているらしい。
どうする?
武器になるもの……は椅子がある。
ドアの陰に隠れて、誰かが入ってきたらガツンと殴って、隙をついて逃げ出す?? うーん……小説や漫画ではよくあるパターンだけど、現実ではそう上手く行くものなの? 失敗したら相手を余計怒らせるだけじゃない?
どうしよう。
勝負に出るか、それとも次の機会を待つか。
「ヤエカ様、起きてますか?」
扉についた窓の向こうから、オレストの顔が見えた。燭台でも持っているのか、彼の顔はオレンジの炎に照らされている。ちらちらと揺れる炎のせいで表情が上手く読み取れない。
「何の用?」
「つれないなぁ。せっかく食事を持ってきてあげたのに」
……。
それ毒入ってないよね?
「あ、いま『毒入ってるんじゃないの?』って思ったでしょ。そんな姑息なまねはしないって。だいたい殺すつもりならとうの昔にやってるよ」
まぁそれはそうかもしれないけど、簡単に信用していいのか迷うのは当然でしょ。
「それより、ちょっと手伝ってもらえませんかね。僕、両手がふさがってるから代わりに扉開けて」
「え? この扉って鍵かかってないの!?」
「かけてませんよ。この部屋だけじゃ足りないでしょ、色々と」
かかってると思い込んでたから試してなかったけど、半信半疑で引いてみたらあっさり開いた。
「あ、どうも」
右手に食事の乗ったトレイを、左手に燭台を持ったオレストは、扉を押さえている私の脇をすり抜けて部屋に入ると、テーブルにその二つを置いた。
「ちなみに出て右の突当りがトイレ。その隣が湯あみ用の部屋だけど湯を運ぶ手が足りないから、沐浴は諦めてね。それから真向かいの部屋は物置だから、もし布団が足りないとか着替えたい時はそこを探して」
オレストの説明を聞きながら部屋の外をのぞいてみた。左右に廊下が続いていて、彼の言う通り左に扉が二つ。あれがトイレとお風呂だろう。真正面は扉のない部屋があって、壁面には物置らしく木製の棚が置かれていた。それを踏み台にして窓に届かないかな……と思ったけど、残念なことに窓のある壁面には棚がなかった。じゃあ、移動すれば……と思ったけど、窓は私の体が入るほど大きくないので、どちらにせよ窓からの脱出は無理そうだ。
顔に出さないように気をつけつつ、内心では思いっきり落胆した。
「出て右側の扉は鍵かけてあるから開けようとしても無駄」
そっか。さっきオレストが出て行った時どこかで錠が下りる音がしたけど、それがいま彼が言った右側の扉ってやつか。と言うことは、出口に通じるドアはそれだよね。覚えておかなきゃ。
「さ。用意できたよ。聖女宮の夕食に比べたら劣ると思うけど、我慢して」
トレイにはパンとスープ、香草と塩を振って焼いたらしい肉と、ポテトサラダに似た料理が載っていた。見た途端、胃の辺りがきゅっと鳴った。気付いてなかっただけで、お腹空いていたらしい。
お肉の香ばしい匂いが……。でも、ホイホイ食べちゃっていいの? だいたい、こいつの出してきたお菓子を食べたせいでこんなとこでこんな目に遭ってるんじゃない。ああ、でもオレストが『殺すならとうの昔にやってる』って言ってたのには一理あるし、毒入りってことはなさそうだ。けど、毒じゃなくて変な薬入ってたら!?
食べたい。けど信用できない。
「さっきから無言で百面相してるけど、地味に怖いからやめてくれない? 本当に毒は入ってないから安心して食べていいよ」
「って言われて、信用すると思う?」
「少しは学習したみたいだね」
嫌味たっぷりに笑われた。悔しい。言い返したいけど、言い返せない!
「じゃあ、毒も何も入ってないって証明するために、僕が毒見をするよ。それで譲歩してくれないかな? 僕らも君に死なれちゃ困るんでさ」
「……分かった」
今、『僕ら』って言ったよね? と言うことは仲間がいるんだ。
警戒を隠さない私に構わず、飄々とした顔で椅子に座った彼は、向かいの席を指した。
「とりあえず座ったら?」
向かい合って食事するのは嫌だけど、でもいつまでも突っ立ってるわけにはいかない。
一緒に食事していれば自然と会話が生まれるだろうし、そこに何か逃げ出す手掛かりがあるかもしれない。ここは割り切って情報の入手と栄養補給にいそしまねば!
というわけで始まった奇妙な晩餐。
毒見と言っても、品数は少ないのであっという間に終了。
あとは何が楽しいのか、テーブルに頬杖をついて、私が食べる様子をじっと見ている。おかげで居心地悪いことこの上ない。
「……なに見てんの」
食べにくくて仕方ないから、どっか行くか、視線を外すかしなさいよ。って意味を込めて睨んだ。
なのに、「ん?」とすっとぼけて動こうとしない。小憎らしいほど察しが良いんだから、絶対にこれ分かってやってるんだ。なんて嫌な奴! こんな意地悪を良い人だな~なんて思い込んでた過去の自分に飛び蹴り食らわせたいね。
「なんでこんなことしたの? 私なんて誘拐したって何の得にもならないでしょ」
「それはどうかな」
オレストはゆっくりと唇を吊り上げた。
「反聖女派」
西都でディナートさんとテリオさんがそんな話をしていた記憶があったので、カマをかけるつもりで呟いてみた。するとオレストのチェシャ猫みたいな笑みがますます深まった。
ディナートさんが言っていた曖昧な懸念が現実になってしまったこと、油断してあっさり捕まってしまった自分の迂闊さへの落胆で、大きなため息が漏れた。
気をつけます~、なんてどの口が言ったの!
「なぁんだ。ぼけっとしてるようで少しは物を考えてるんだ」
「……馬鹿にしないで」
「やだなぁ、馬鹿になんてしてないって」
その態度のどこが馬鹿にしてないっての!? ……なんて腹を立ててたらこの男との会話なんて全然進まない。
後で絶対ぶん殴る。力の限りぶん殴る。だから今は我慢。我慢!
心の中で三回唱えてぐっと我慢。手に持ってたパンをうっかり握りつぶしちゃったけど。
それを見てニヤニヤしてるオレストの顔面に幻の拳を叩きこんで気持ちを無理矢理切り替えた。
「で、どうするの?」
「色々あるよね、君の使い道は」
「私の命を盾に、ルルディの退位を要求する? やるだけ無駄だと思うけど」
あのルルディが屈するはずないでしょ。
「僕もそう思うよ。あの女は君を簡単に切り捨てるだろうね」
「だったらこんな面倒くさいことしなきゃいいのに」
あの女呼ばわりも腹が立ったけど、興味ないようなふりをしてちぎったパンを口に放り込んだ。
こんな状況でなんだけど、このパン素朴な味で美味しい。
「うーん。どちらかと言うと君にお願いがあって来て貰ったんだよね」
「無理矢理さらったくせによく言うわ」
「あははー! 手厳しいね!」
なんて笑って誤魔化すなっ!!
オレストは背をのけ反らせて愉快そうに笑った後、おもむろに体を乗り出してきた。
「僕たちはそのくらい強く、君を必要としてるんだ」
急に至近距離で目をのぞき込まれて、危うくパンを喉に詰まらせそうになった。慌てて水を飲み、パンを流し込む。この真剣な場面で、窒息するなんて珍事はどうにか免れた。
内心ホッとしながら、空になったコップをテーブルに置いた。わざと大きな音を立てたのは、間近で見つめてくる彼に呑まれないようにだ。
オレストは私を見つめながら、手元を見もしないで水差しの水をコップへ注ぐ。なんて器用なんだ。
「僕たちに協力してくれない?」
「は!?」
「君だっておかしいと思うだろう、聖女のやり方」
呆気にとられる私の左頬を、のびてきたオレストの手が覆う。
「ねぇ。誘拐同然に君を召喚したのは誰? 君は君の世界で幸せに暮らしていたんだろう? それをある日突然この世界に召喚してさ。戦え、戦場に出ろ、妖魔を殺せ、だ。挙句こんな傷まで負わされて」
温かい指が、左目の下をそっとなぞる。
確かに最初の召喚は有無を言わさずだったけど、でも二度目は私の意思だ。でも周りからはこんな風に見えているんだろうか。
「理不尽だと思わない? 悔しいと思わない? あの女が召喚なんてしたせいで君の人生はめちゃめちゃだ。違う?」
そんなことはない! 言い返したいのに、いつの間にかカラカラになった喉はひくつくだけで声を出してくれない。
「おかしいだろ? 何の縁もゆかりもない君に重い荷を背負わせて、役目が終わったらハイさよなら。ね、思い知らせてやらない? 君に全部押しつけた奴らや、守られて当然とふんぞり返ってる奴ら、君の苦労を知ろうともしない奴ら。そういう愚か者どもに、さぁ」
表面上はこれ以上ないくらい優しい声が、毒を含んで囁く。
「君の苦しみや悲しみをみんなに分からせてやるんだ。君ばかりが苦しむなんて、そんな世界のあり方は間違ってる」
この男は、何を寝ぼけたことを言ってるの? 復讐なんて考えたこともないし、自分のことをみんなに知ってもらおうなんて、そんな。
「僕のそばにいなよ。君が嫌だと思うものは全部排除してあげる。苦しいことも怖いことも悲しいことも考えなくていい。全部僕がやってあげるから、だから君は綺麗な物だけを見て、楽しいことだけ考えればいいんだ」
熱っぽい目が、私をのぞき込む。
「だから、さ。僕を選んでよ。幸せにする。絶対に後悔なんてさせないから」
彼の目に浮かぶ熱も言葉も蜜のように甘い。けれど決して恋なんかじゃない。ただの狂気だ。
ディナートさんが以前言っていた、私を反聖女派の旗印に……って話そのまんまで、つい笑みが漏れた。
「ヤエカ様?」
クスクス笑う私をいぶかしんで、オレストが名前を呼ぶ。
私はゆっくり瞬きをして、それからオレストの目を真っ直ぐに見つめた。
「何と言われようと、お前の言いなりにはならない」
一字一字区切るようにはっきりと告げた。私からの宣戦布告だ。
命を懸けるつもりなんてなくて軽い気持ちで参加しちゃった妖魔討伐。けど凄惨な被害を見て、傷付いた人たちを見て、私は本気で妖魔や核を倒さなきゃいけないと思った。
そうして核を倒したことを私は誇らしいと思っているし、みんなの命を守れて心の底から良かったと思う。
世の中には良い人だって悪い人だっている。きっと私のことを嫌ってる人だって、恨んでる人だって、色々いると思う。けど、でも私は私が自分が守った人や国や世界を裏切るような真似はしたくない。
絶対にオレストの側になんかつかない。せっかく平和になったこの国に騒乱を起こしたがる、そんな輩には。
沈黙が落ちた。
彼の顔に張り付いていた笑みが表情から仮面へと変わっていった。
怖い。けど、ここで目を逸らしたら負けだ。
「そう。……まぁ良いけどね。もうちょっと時間はあげられるから、少し考えてみてよ」
「いくら時間があっても私の意思は変わらない。時間の無駄だよ」
「人質を取って脅す、薬で自我を奪う、拷問を加える──君を言いなりにする方法なんていくらでもある。でもさ、僕は今の君が気に入ってるから、そういう無理矢理な方法は使いたくないんだよね。というわけで、もう一回ゆっくり考えると良いよ」
「……脅しになんか屈しないんだから」
「良いね。そうやって震えながら逆らうなんて可愛くてゾクゾクする」
暗く笑いながらオレストはゆっくりと私の唇をなぞった。
気持ち悪い!
反射的に彼の手を叩き落とすと、彼は目を丸くして、それから楽しそうに声を立てて笑った。ひとしきり笑うと、何ごともなかったかのように食器を片づけてトレイに乗せると、立ち上がった。
「僕はそろそろ帰るよ。また明日の朝、来るから。その時は良い返事をもらえると嬉しいな」
「誰がするか!」
絶対言いなりにならないって今言ったばかりじゃん、ぼけ!!
「あ、真っ暗だと可哀想だから、この燭台は置いてくね。くれぐれも火遊びなんてしないよーに。ボヤ騒ぎなんて起こしてもここからは出られないし、君が煙に巻かれてひどい目に遭うだけで、最悪死ぬからさ」
軽薄な口調でそう告げると、彼はさっさと部屋を出て行った。
「二度と来るな、馬鹿!」
去っていく背中に叩きつけるように吐き捨てたけど、彼は「あはは~」と軽く笑うだけで気にも留めていない。
いつか絶対ぶん殴る。絶対の絶対にぶん殴る!!




