封印された力
「やぁ、やっとお目覚めですね、ヤエカ様。気分はどうです?」
この場に不釣り合いなくらい普段通りののほほんとした口調だ。
「どこか痛んだりしませんか?」
言いながら、緊張の欠片もない態度で体を起こして、部屋の中央にあるテーブルへ歩み寄った。手にしたノートのようなものをテーブルに置いて、椅子に腰を下ろす。ノートをパラパラとめくって目当てのページを開くと、ようやく彼は顔を上げて私のほうを見た。
「これは……どういう事?」
「そんなこと後でいいじゃないですか」
「良いわけないでしょ!」
会話が噛み合わない。ありったけの怒りを込めて睨むと、彼は面倒くさそうに眉をひそめ、大仰なため息をついた。
「あーうるさいなぁ。後で説明するって言ったじゃないか。──それより僕の質問に答えてよ。記録を取りたいんだよ。頭痛は? 吐き気は? 眩暈は?」
「なっ!?」
今まで聞いたこともないぞんざいな口調で聞いてくるから、びっくりして開いた口がふさがらない。
「呼吸が苦しかったり、手足がしびれたりしない?」
唖然としてる間にも追い打ちみたいな質問が次々と飛んでくる。
「体がだるかったり、熱っぽかったりは?」
最初は驚いてばっかりだったけど、聞いてるうちにだんだん腹が立ってきた。
挙句の果てに
「答えてくれないの? 面倒くさい子だなぁ」
なんて、まるで我ままを言う妹に困った兄みたいな口調で咎めてくる。
ますます答える気が失せた。絶対答えてやるもんか!
「声が出ない……って事はないよね、さっき喋ってたもん」
うるさい。喋りたくないから喋んないの!
私は彼をひと睨みして、そっぽを向いた。『お前の言う事なんて聞くもんか!』って態度で示したつもりで、それは成功したようだ。
何にもない壁を見つめる私の耳に、大きなため息と、ガタンと椅子の音が届いた。
「もう少し協力的になって貰えないかな? そういう態度はお互いの益にならないと思うんだ」
大きな影が差して、すぐ近くから声がした。
今までの飄々とした軽い口調じゃなくて、底冷えするような冷たい声だった。獰猛な獣の目の前にうっかり飛び出してしまった──そんな錯覚を起こし、背中を冷たい汗が流れ落ちた。
これ以上この男を刺激したら、自分の身が危険だ。そう思ったけど、私も相当頭に来ているし、意地でも言いなりにはなりたくなかった。
壁から視線をはがして、私に覆いかぶさるようにして影を作っている彼を見上げた。私を見下ろす目には、今までずっと彼が見せていた優しい色も、真っ直ぐな光も、人を安らがせるような穏やかさもなかった。あるのは苛立ちと、どこか狂信的な熱と、そして人をなんとも思っていないような冷酷さだ。
今まで私が見てきた彼は偽りの彼で、これが本当のこの人なんだろうか。
「私の質問に答えてくれたら、あなたの質問に答えてあげてもいいけど?」
怖くてひくつく喉をなんとか気力でなだめて、めいいっぱい嫌味に聞こえるように言い返した。震えたがる手足は筋肉にありったけの力を込めることで抑えている。
目を逸らしたら負けな気がして、私は無言のままオレストさんを睨み続けた。
「へぇ。さすがに片月の戦乙女と異名を取るだけあるね。こんな状況でまだそんな虚勢が張れるんだ?」
「虚勢? ふざけた事言わないで。本当に怖くないんだってば」
オレストさん──いや、もうさん付けで呼ぶ義理は無いよね? 呼び捨てで充分! ──オレストを睨みつけながら、私はどうにかしてここから逃げ出せないかを考えていた。
幸い、ドアは開いている。彼を突き飛ばしてその隙に逃げ出せない? ディナートさんみたいに戦い慣れているわけでもなさそうだし、細いから。男性とはいえ、私の渾身の体当たりならいけるかも? でも、力を込めすぎて自分が転んだりしたら元も子もないし……。
あんまりやりたくないけれど、やっぱり力を使うか、アレティを呼ぶ?
ただ力加減にいまいち自信がないし、アレティは結構我ままだから制御しきれない可能性もある。というわけで、最悪の場合は殺しちゃうかもしれない。さすがにそれはやりすぎじゃない?
ディナートさんからは甘いって叱られそうだけど、躊躇いが捨てられない。妖魔を殺すのとはわけが違う。
西都でディナートさんを傷つけたあの時の、肉を斬る感触が今でも手に残っている。あの感触を思い出すたびに、胸が潰れそうになる。
あんな思いはもうしたくないし、出来ることならだれも傷つけたくないけど、でも最悪の場合は遠慮なく攻撃しよう。しなきゃダメだ。
「怖くないの?」
「怖くないったら!」
「本当に?」
オレストの目がスッと細くなって、獲物を見つけた猫みたいにきらりと光った。
その自信たっぷりな態度に不安がよぎる。私がアレティの使い手で、大きな力を持ってる事は知っているはず。こんな風に私と一対一で対峙するのは、彼にとって分が悪いんじゃないの? どうして彼は平気でいられるの?
「そろそろ気づいても良いんじゃない?」
彼は自分の首をトントンと軽く叩きながら含み笑った。まるで自分の首を確かめてみろとでも言うように。
つられて首に手をやると、固い金属の感触があった。首にぴったりと嵌った──首輪!?
「な、何これ!?」
外れないかとあちこち触ってみた。基本的に表面は凹凸のないつるつるで、蝶番らしきものと、鍵穴みたいなものが一か所ずつある。鍵があれば簡単に外れるんだろうけど、ニヤニヤと面白そうにこっちを見ているオレストの様子を見る限り、鍵を渡してくれそうにはない。ダメだろうなと諦め半分で力任せに引っ張ってみたけど、当然の事ながらびくともしない。
「ちょっと! これなに!? 外してよ!」
「それ良く出来てるでしょ? 僕は専門は薬草学だけど、呪具を作るのも結構得意なんだ」
「呪具?」
嫌な予感がした。
呪具は、力を増幅したりするために使われる補助道具だ。聖司国内には強い力を持つ者が少ない。それを補うために呪具の開発が盛んだと言うことは聞いてる。
私の場合は力が強すぎるのか、呪具を使おうとするとものの数分で壊れちゃうんだけどね。
だから、この首輪には違和感があった。私がつけていても壊れない呪具。
状況から考えるに、普通の呪具のように力を増幅させるためのものじゃないよね。もしかしてその逆?
「私の力を封じた、の?」
「ご名答。さぁ、どうなさいますか、麗しの戦乙女様?」
「嘘……」
「そう思うなら、試してみれば? ほら、君の力をもってすれば僕なんて一撃で殺せるだろう?」
言われなくても吹っ飛ばしてやる!! 挑発にもなってない挑発にまんまと乗って、私はいつも通り体の中の力をに意識を集中させた。
けれど、いくらやっても術は発動できなかった。体の奥に力を感じるのに、体中を巡らせることも、右手に集中させることもできない。今までどうやってこなしていたのかさえ分からないほど、集めようとした力は次々に散ってしまう。これじゃ力が放出できない!
迷ってる時間はなかったから早々に諦めて、アレティを呼ぶことにした。
(アレティ、アレティ、聞こえてる? 来て! お願い!!)
呼びかけてみたけれど、答える声はない。
アレティは力を使い果たして疲れているのか、核を倒してからこっち、うつらうつらと微睡んでいることが多い。だから、切羽詰ってない呼びかけには答えてくれないことが多い。でも、こんなピンチなら絶対に来てくれるはず。
なのにいくら待ってもアレティは私の手の中に現れない。
(アレティ、アレティってばー!!)
おかしい。なんだろう、この空虚な感じ。
アレティと会話が出来るようになってからは、離れていても傍にアレティがいるようなそんな安心感があった。なのに、今はいくら心の中で呼びかけても手ごたえがない。まるで何もない空間に向かって話しかけているように空しい。
「こんな……嘘、だ……」
持っているのは怖かったけど、でもいざとなれば使えると思っていた力。何かあったら絶対に助けに来てくれると思っていたアレティ。あるのが当たり前で、だからなくなる事、使えなくなる事なんて全く考えていなかった。
それは予想以上に怖くて不安で、今まで必死に抑えてた震えがとうとう抑えきれなくなった。歯の根が合わなくて、カチカチと耳障りな音を立てる。
「嘘じゃないよ。どうやら力の封印は完璧みたいだ」
オレストは自分が作ったものの出来映えが嬉しいようで、今にも鼻歌を歌いそうな浮かれ具合でノートに何かを書き留めている。
「君の首につけたその輪。それの裏側に特殊な方法を使って力を封じる呪文を刻んであるんだ。だからね触れている部分……つまり君の肌に呪文をかけ続けている。わかる? 君の力を直接封じているのは首輪じゃない。君の皮膚なんだ。これなら首輪への負担は少ないからね、簡単に壊れたりしない」
いいアイディアでしょう? とでも言いたげに得意顔だ。
「でも、ちょっと不安もあるんだ。ほら、この国には強力な力を持つ人間ってあんまりいないでしょ? 実験が出来てなくてさ。君の体にどの程度の負担がかかるか分からないんだ。だから、僕の研究に協力、してくれないかなぁ?」
断られると思ってもいない傲慢な態度に腹が立つ。
「誰が協力なんてするかっ!」
「こんなに震えてるのに、まだそんなことが言えるんだ?」
「さ、触るなっ!!」
彼の冷たい指先が頬を撫でた。ぞわりと肌が粟立って、私は反射的に彼の手を振り払っていた。
「ふーん。まぁ良いけどね。時間はまだたっぷりある」
「……本当にそう思う? こんなとこ、さっさと……」
「逃げ出せると思う? せいぜい頑張ってみて。──ああ、そうだ。多分君自身も薄々分かっているだろうけど、聖剣は呼び出せないよ? あれは君の力の気配に反応する。今みたいに完全に力を体内に封じ込めてたらいくらアレティでも君を追う事は出来ない」
だから呼びかけても答えないし、つながりが遮断されたような感じがしたんだ。
「君みたいに気の強い子は好きだよ。その強がりがいつまで続くか楽しみだ。──後でまた様子を見に来る。じゃあね」
「ま、待ちなさいよっ!」
彼は私の制止を無視して、背中越しにヒラヒラと手を振ると部屋から出て行った。どこかで扉が開いて、閉まる音がした。一、二拍遅れて錠の下りるような耳障りな音が続き、靴音が遠ざかると後はしんと静まり返った。
とりあえず、私がここに閉じ込められたのはオレストの仕業で、力もアレティも使えないことは分かった。
それだけでも収穫とするしかないかな。
私がここに来てからどのぐらいの時間が経つの?
オレストが私をここに閉じ込めた目的は?
彼の単独犯行? それとも仲間がいるの?
知りたいことはまだまだたくさんある。
そして知りたいこと以上に考えなきゃいけないことがたくさんある。
オレストが去ったことで緊張の糸が切れたのか、座っているのも億劫になった私はそのままベッドに体を倒した。ごろんと上を向いて天井を眺める。黒ずんだ木の梁と、同じように黒ずんだ天井板。所々シミになっているのは雨漏りのせい? そのシミを一つひとつ眺めているうちに、強烈な睡魔が襲ってきた。
寝たらいけないと思うけど、高い窓から差し込んでくる太陽の光はうららかだし、体はだるいし、あっという間に寝入ってしまった。




