水鏡の向こう
翌朝も雨が降り続いていた。
昨日よりは少し小降りになっているのようで、音もなく静かに降り続いていた。雲が薄いことを示すように、空の灰色も昨日よりずっと明るい。
午後には一度止むんじゃないかという侍女さんのおしゃべりを聞きつつ、ルルディとの謁見のために支度を整えている。
上着は赤、パンツは白。色使いはいつもの制服と同じだけれど、ずっと装飾が多い。大きな金のボタンには赤い石が嵌められているし、所々にちりばめられた金糸の刺繍が上品に煌めく。
マントの裾にも花と蔦を模した刺繍が施されているし、留め具も豪華な装飾のものが用意されていた。アレティを差すための帯剣用のベルトも……以下同文。
というわけで普段の何倍も重い。鎧より重い。この格好で走れと言われたら、普段の三分の一の距離でへばる自信があるよ!
あとは帽子を被れば完了。
ディナートさんが迎えに来てくれることになっているので、彼が来てから被ればいいや。室内で帽子かぶってるのって、どうも落ち着かないしね。
「ヤエカ様。御髪は本当にそのままでよろしいのですか?」
申し訳なさそうにおずおずと尋ねられて苦笑いする。この質問は二度目で、彼女にしても何度も同じ質問は気が引けるけど、でも言わずにはいられないようだ。
襟足のあたりで一本に結わえてるんだけど、彼女達はどうやらシンプル過ぎると思っているらしい。帽子かぶっちゃうんだから、綺麗に編み込んだって、凝った髪型にしたって見えないのになぁ。
でも、二度も尋ねられると、もしかしたらこの髪型はしきたりに反してるのかもしれないと不安になってくる。こっちの世界のことは侍女さん達のほうがずっとずっと詳しいんだから従った方が良いのかな?
幸い、支度は早めに終わったし、あとはディナートさんが来るまで暇だ。ただ座って待っているだけだし……
「じゃあ、お願いしてもいいですか? あんまり時間はないかもですけど」
「はい! お任せください!」
彼女はブラシを片手に嬉々として私の髪を編み込み始めた。
鏡越しに彼女の器用な手の動きをぼんやりと見つめる。彼女の指が動くたびサイドの髪が綺麗にまとまっていく。見ていたら編み方覚えられるかな? と思ったんだけど、早いし複雑だし、私は早々に根を上げた。編み込みできなくても、普通の三つ編みが出来ればいいもん! なんて強がってみたり。
ここに来た時は肩につくかつかないくらいの長さだったのに、気が付いてみたら縛れるくらいに伸びてたんだなあ。
「さ、出来ました。いかがですか、ヤエカ様。痛いところはございませんか?」
「大丈夫です。ありがとう。これなら帽子も被りやすいし、可愛い!」
鏡に映して髪型を確認していると、ノックが聞こえた。「どうぞ」と答えると、予想通りディナートさんが現れた。彼も式典用の衣装に身を包んでいて、いつも以上に格好良い。ここまで整ってるとそれだけで力だよね。現に部屋にいた侍女さん達がほうっと感嘆のため息を吐いた。
彼の美貌に一応慣れているはずの私だって見惚れるんだから、彼女たちが呆ける気持ちは分かる。すっごく分かる。
でも心の片隅では、ディナートさんが彼女たちの目を奪うことを嫌だと感じていたりして、黒いもやもやしたものが胸の奥で蠢く。ああ、こういう自分は嫌だなと思うのに、そのもやもやは消えてくれない。
「おはようございます、ヤエカ殿」
「お、はようござい、ます」
さわやかに微笑まれて、私はどぎまぎしながら挨拶を返す。
彼は私が今すごく嫌なこと考えてたなんて知らない。後ろめたくて自然と視線が下を向きそうになる。それを誤魔化すように、私は帽子を被った。
「ちょうど支度が終わったところなんです。行きましょう!」
「え? ええ。それでは参りましょう」
急いで部屋を出ようとする私に一瞬驚いたみたい。でもすぐいつもの平静な顔に戻って私が部屋を出やすいようにドアを押さえてくれる。
案内して貰わなくてもどこへ行けばいいか分かるので、私は目的の部屋まで迷いなく進む。ディナートさんはそんな私を守るようにすぐ左後ろを歩く。
すれ違う人たちの会釈に応えながら、もやもやが消えなくて困っていた。
だって、みんなディナートさんを見て驚いたように目を見開いたり、顔を赤くして狼狽えるんだもん。何か面白くないんだもん。
けど、こんな気持ちどこかにぶつけるわけにもいかないし。面白くない! って気持ちだけが増えていく。
「どうしました?」
勘の鋭いディナートさんがそう聞いてくるから、
「何でもありません」
そう答えるしかない。
「緊張してらっしゃるんですか?」
確かにそれもある。指先がピリピリと冷えるくらいにはしっかり緊張している。
「ええ、まぁ」
と曖昧な返事をしつつ、内心では「ディナートさんが格好良すぎるのが悪いんだからね!!」と八つ当たりした。
彼は私の返事を信用したのかしてないのか、少しの間黙り込んで、それから口を開いた。
「今日は本当に形式だけのようですから、黙って立っていれば大丈夫ですよ。報告は西方騎士団長がすると言うことですしね。あまり心配ばかりしていては疲れてしまいますよ?」
「──って言われて『はい、そうですか』って解れるようなら、初めから緊張なんてしません!」
これだから場数を踏んでる偉い人はっ! 新米の気持ちなんて分かんないんでしょ!
唇を尖らせて反論したらディナートさんが急に噴き出した。びっくりして飛び退いた私は、非難を込めてまじまじと見つめた。
彼は片手で口元を押さえつつ「失礼しました」と謝るけど、でも途切れ途切れなのはまだ笑いの発作が収まってないからでしょ。
「こんなとこで立ち止まってたら遅れちゃいますよ! 行きましょう!!」
恥ずかしさとちょっとの苛立たしさから、私は彼を置き去りにして歩き出した。目指す控えの間はもうすぐだ。
「待ってください! ヤエカ殿!」
慌てたように追いついてきたディナートさんの姿にちょっと溜飲を下げながら、いつの間にかもやもやも緊張も忘れていたことに気がついた。
謁見は静かに始まって静かに終わった。あまりに呆気なく短時間だったから「え、これでいいの? 本当に終わり??」と首を捻りながら部屋へ戻った。
せっかく着付けて貰ったのに、もう普段着に着替えるのかと思うとちょっと申し訳ないなぁ。
着替えを手伝ってもらいつつ、気の良い侍女さん達と他愛もないおしゃべりをする。今日のお昼はどうだとか、今年の雨期は例年より少し雨が多いとか、そんな感じ。
そのついでに教えてもらったところによれば、私たちの帰還のお祝いはこれから本格化するらしくて、今日の謁見はその前哨戦に過ぎないとか。
前の時もそうだったかなぁ? と記憶を掘り返してもよく思い出せない。あの時はソヴァロ様の親書のせいで大騒ぎになったしなぁ。それどころじゃなかった感じだったよね。私自身も「これで家に帰れるー!」って喜びが大きくて、祝賀会とかそう言うのには全然興味がなかったしね。
ここの国の『聖女』って、神様からこの国の統治を任されていることになってる。つまり国王みたいなものなんだよね。少なくとも私はそう理解している。
でも、神に仕える身分だから、あまり華美なことは出来ないらしい。というわけで、彼女に代わって宴や夜会を主催するのは宰相の役目なんだって。
聖女は宰相の主催したそれらの会にちょっと顔を出す程度で、一緒に楽しんだりは出来ない、と。──昨夜も挨拶だけで帰って行ったのはそのためだ。
で、話を今後のお祭り騒ぎに戻せば、今後半月ぐらいに渡って宰相主催のあれこれが予定されているようで、聖女宮で働く皆は上を下への大騒ぎ中なんだそうだ。
私から見るといつもどおり静かなように見えるけど、裏では大変なんだなぁ。と呑気な事を考える。私にも多少手伝えることはあるかもしれないけど、どちらかと言うとみんな邪魔にしかならないだろうから、迂闊に手を出すわけにはいかないよね。
宮で働くみんなはその道のプロ、それもプロ中のプロと言って過言ではない人達ばかりなんだから、みんなの仕事の妨害をしないように大人しくしておいた方がいい。
「はー、皆さん大変なんですねぇ。お疲れ様です」
と呑気に言ったら、何を言ってるのかと言いたげな顔をされた。そして、彼女達は目配せをして頷き合う。なに、その結束を固め合っちゃってる感じは。
「ヤエカ様」
「は、はい?」
「ヤエカ様もこれから先、お忙しくなります」
え? 何で?? 何で??
「凱旋パレード、祝勝のための夜会各種、そのほかにも視察や有力者の皆様との面会、予定は色々ございますのよ? 時間などいくらあっても足りませんわ」
「え、えと?」
行事って日程が決まってるわけだし、それに参加すればいいだけなら、時間が足りないなんてちょっと大げさじゃない?
「お肌や御髪のお手入れ、ドレスや制服の仕立て、身に着ける装飾品の選定、やらなければならないことは山ほどございますのよ?」
「服の仕立てって……今あるものじゃダメなの?」
つい今、脱いだ服は式典用の制服でしょう? それがあれば夜会以外はなんとかなるんじゃないの? それに夜会用のドレスは以前作って貰ったものがあるから、それを着ればいいじゃない。何も新調なんてしなくたって……。
「まぁ! 何をおっしゃいますの。着回しのドレスでは、沽券に関わります!……いえ、通常の夜会でしたらそれでも構わないでしょうけれど、今回は特別ですからね。制服につきましても先ほどヤエカ様がお召しになっていらした正装の他に、礼装も用意すべきと存じます」
「正装に……礼装?」
それどう違うの?? 一緒の服じゃダメなの!?
ドレスコードって向こうの世界でもややこしかったけど、こっちの世界もややこしそうだ。
「ええ。正装は今日のように公式な式典などで用います。礼装はもう少し砕けた場で用いられる、と覚えて頂ければ間違いはないかと思います」
って言われてもなぁー。不安だ。私、着る服を間違える自信あるよ。
「そんな不安そうなお顔をなさらないでくださいませ。我々が責任をもってその場に相応しい衣装をご用意いたします。ヤエカ様、よろしいですか? 貴女様は雑事に煩わされることなく、どうかご自分を磨くことに専念してください。とにかくその荒れたお肌、日光と乾いた風に晒されていたんだ御髪を短時間で回復させなければいけません! よろしいですねっ!?」
「は、はい」
侍女さんの迫力に呑まれて、勢いよく首を縦に振った。出陣前の視察の時に、彼女達の恐ろし……いや、凄さは充分知ってる。
「分かっていただけて嬉しいですわ、ヤエカ様。さて。そうと決まればこれからすぐにドレスの採寸に入らせていただきます。以前にドレスをお作りした時とサイズが変わってらっしゃいますわね? 細かく測り直しますので少しお時間がかかりますがよろしいでしょうか?」
「でも午後はルルディと会う約束があるので、あんまり長くは」
「心得ております。ルルディ様との面会には支障が出ないようにいたしますからご安心くださいませ。──さ、みなさん、始めるわよ!」
後半部分は私じゃなくて、周りに待機していたみんなへ向かって言った言葉だ。彼女のその声で、みんなが一斉に動き始めて、私はあっという間に囲まれていた。統率の取れた動きをする彼女達に感心しながら、私は真ん中で棒立ちするのが仕事だ。
「ヤエカ様! 動かないでくださいませ」
「え、あ、ごめんなさい」
少しでも動いちゃダメって辛い。稽古より疲れる気がするって言っても言い過ぎじゃないよ、これは。
──ああ、早くお昼ごはんにならないかなぁ。
窓の外を見るともなしに眺めながら、ぼんやり考えてたら、本当に小腹が空いてきて困った。手持ち無沙汰の時ほど、時間が過ぎるのは遅く感じられるし、空腹は鋭く感じられる。ちょっと離れたテーブルの上には、口が寂しいときにちょっとつまめるように、一口サイズのお菓子が入ったガラス瓶がある。届きそうで届かない距離。ああ、なんて拷問。
と言うようなちょっと苦しい午前を終えた。
自室で昼食を取ったあと、食休みをしている間にルルディからの使いが来た。彼女の後をついて行くと、案内されたのは謁見の間でも、彼女の執務室でも、私室でもなかった。
大きな水鏡がある部屋。
水鏡自体はルルディの私室にもあるけれど、この部屋の物は大きくて立派だ。きっと公的に使用されるものなんだろう。西都で見た水鏡と同じ文様が縁に刻まれている。
ルルディはすでに来ていて、鏡の前に佇んでいる。その隣にはセラスさんと、神官長さんが並んで立っていた。私は二人に軽く会釈してからルルディに声をかけた。
「ルルディ? 待たせてごめんね。どうしたの?」
彼女は水鏡からゆっくりと視線を外して振り向いた。
いつもとは全く違う浮かない顔で、何かをひどく迷っているように見えた。ルルディは私から見ると何でもパパッと決断できる、迷わない人だった。けれど、今日は違う。どうしたんだろう?
私がそう考えた一瞬のうちに、彼女は顔の憂いを消して、いつもの飄々とした表情に戻っていた。
「呼びつけちゃってごめんね。どうしても知らせなきゃいけないことがあって。──これから起こること、絶対に驚くと思う。ごめんね」
「え? あ。うん。分かった」
本当は何も分かってないけど。とりあえず驚かないように、気持ちの準備をしておこう。
「じゃ、始めるね」
ルルディが鏡に向かって手をかざした途端、薄暗い部屋の中で水鏡が青白く光った。部屋にいるみんなの顔がその光に照らされて青白く浮かび上がる。
ほどなくして浮かび上がった風景は……
「私の、部屋……?」
鏡が映し出したのは、見覚えのある、そして懐かしい部屋。向こうの世界にある私の部屋だ。カーテンの模様も、ベッドや布団の柄も、机の椅子に無造作にかけたパーカーも、みんなみんな懐かしい。
映し出された映像の角度からして、パソコンのモニター画面と繋がっているみたいだ。
「どう、して?」
何で私の部屋とつなぐの? 部屋の主──つまり私──はここにいる。無人の部屋と繋いで何が起こるというの?
問いただそうとした私の耳に、少しくぐもったような声が飛び込んできた。
『やぁ、ルルディ。少し遅かったね』
私は、ルルディの肩を叩こうとしていた手を止めた。と言うより、体がひとりでに止まったと言うのが正しい。
この声。この声の主は、聞き覚えがある。ありすぎるほど、ある。
「申し訳ありません。色々ありまして」
『そうか。まぁいい。それより──』
ルルディは水鏡の向こうの誰かと話している。が、死角にいるらしくて相手の姿は見えない。
いや、姿が見えなくてもこの声が誰なのか分かる。でも姿を見ない限り、確信は持ちたくない。硬直した体の奥で、頭は目まぐるしく働いていた。
と、目の前の椅子を引く手が現れ、その人物が椅子に座った。
『うちの娘は元気か?』
「お母さん!!」
水鏡の向こうの人物がルルディに尋ねるのと、私が驚愕の声を上げたのは、ほぼ同時だった。驚きながらも、心の片隅に「やっぱり」と思う自分がいる。
何なの。この状態は何なの!?




