果たせなかった約束のかわりに
「そんなに急がなくても、私は逃げませんよ。どうなさいました?」
駆け寄った私を、ディナートさんはいつもと変わらない穏やかな微笑で迎えてくれる。
「お願いがあるんです!」
「何でしょう?」
「あの……以前、西の砦で……」
あれから色々あったし、あんな些細な約束はもう忘れられてるかもしれない。そんな迷いがあって口が重くなった。
「今から行くのですね?」
途切れた私の言葉に代わって、ディナートさんが確認するように聞いてくる。
何をするとも、どこへ行くとも、何をお願いしたいかも言っていないのに。あの約束を覚えていてくれたからこその言葉だ。
「覚えていてくれたんですか」
「当たり前です。忘れるわけないでしょう? 大事な約束ですからね」
覚えていてくれたことが嬉しくて思わず呟いたら、ディナートさんは苦笑を浮かべた。
彼は自然な仕草で右手を上げ、けどすぐにハッとしたような顔をして手を止めた。自分の行動が信じられないと言った風に手のひらをまじまじと見つめて、それからぎゅっと拳を握って腕を下ろす。
「ディナートさん?」
「あ、いえ。何でもありません。失礼しました」
何事もなかったかのように私を見る彼に、胸の奥がズキンと痛んだ。
今のあの仕草。昔だったらきっとあの手で頭を撫でてくれたはず。子どもにそうするように勢いよくくしゃっと撫でられて、そして私は「髪がぐしゃぐしゃになっちゃった!」とか「また子ども扱いする!」なんて言いながらむくれて。
もうあんな時間は戻ってこない。
「ヤエカ殿? どうしました?」
「あ、いえ。何でもないです! ごめんなさい。ちょっとぼーっとしてただけです」
彼と入れ替わるように考え込んだ私を心配してのぞき込む金色の瞳。心の中を見透かされそうで怖い。私は元気だからと笑ってその眼から逃げた。
「ディナートさん、早速で申し訳ないんですけど、行きましょう! 天気も怪しいし、行くなら早く行った方が良いってってセラスさんも言ってましたし」
「──その格好で、ですか? 凱旋した今日の今日です。貴女のその姿を見た者も多いでしょう。大混乱になりますよ」
「あっ! そう、ですよね」
すっかり忘れてたけど、この格好はすごく目立つ。
やっぱり着替えた方が良いかな。でも着替えと言ってもなぁ。いつも着てた制服は上着が赤いくてそれも目立つ。それに避難所には一度あの服で行ってるから、思いっきりばれちゃう。となると、何か目立たない服を侍女さんに調達してもらうしかない。
「何か目立たなそうな服を調達して貰って着替えてきます。ちょっと時間かかるかもしれませんけど……」
「それは構いません。では後ほどここで落ち合いましょう」
「分かりました。じゃあ、なるべく急いで着替えてきますね!」
ディナートさんと別れて懐かしの自室へ戻れば、顔見知りの侍女さん達が待っていた。ひとしきり再会を喜び合って、それから出かけたいので目立たなくて動きやすい服を用意して欲しいと頼んだ。そんな服、すぐには用意できないなんて言われるかと思っていたのだけれど、あっさり箪笥の中から地味な色合いの服が出てきた。
ちょっと裕福な家の男の子が着るような服で、街に出てもそれほど悪目立ちするような派手さはない。濃い緑色の上着に白のシンプルなブラウス、そして黒の細身のパンツに茶色のブーツ。最後に帯剣用のベルトをつけて、アレティを差せば準備完了。思ったより時間はかからなかった。
「ヤエカ様、これを」
そう言って一人の侍女さんが、上着と同じ生地で出来たつば広の帽子を差し出す。
こんな曇りの日に帽子?
「お忍びで行かれるのですから、お顔は少し隠されるのがよろしいのでは?」
「あ! そうですよね。気付きませんでした!」
私は彼女の手から帽子を受け取って被った。鏡でチェックしてみると上着と同じ生地だからか、顔を隠していると言うより、おしゃれのために被っている感じに見える。これなら周りから怪しまれることもなさそうだ。
「みなさん、ありがとうございました。じゃあちょっと行ってきます」
「行ってらっしゃいませ、ヤエカ様。正式な宴は後日になりますけれど、今日の夜もご馳走ですわよ。遅れないようにお早くお戻りくださいませね」
侍女さんに見送られて部屋を後にした。廊下の窓から見た空はますます嫌な色になっている。
小走りで外へ出ると、もうディナートさんは待ち合わせの場所にいた。彼も旅装を解いていて、制服でもないシンプルな服を着て、黒い帽子を目深に被っている。それでも輝くような銀の髪と美貌は隠しきれていない。
彼の横に控えているのが見慣れない馬なので、ちょっと不思議に思った。
「ディナートさん、お待たせしました! あれ? いつもの子じゃないんですね」
「ええ。あの子は長旅で疲れているでしょう? なので他の子を用意して貰いました」
そっか。そうだよね。長い旅だったもんね。
「よろしくね」
と鼻筋を撫でたら、分かったと言いたげに瞬きする。
「ではそろそろ参りましょう。ヤエカ殿、手を」
いつものように差し出された手を取って乗せてもらった。
「大通りはいまだごった返しているでしょうから、少し遠回りをして参ります」
「詳しいんですね……」
「先ほどルーペス殿から聞いておきました。聖都のことは彼ら近衛騎士が良く知っているでしょう?」
ルーペスさん! ここで訓練している頃、何度か手合せしてもらったことがある隊長さんだ。それに前回の視察にも同行してもらったっけ。
そんなに時間が経っているわけでもないのに、もう長いこと会っていないような気がする。
そんな感傷的な気分に浸っている間に、私達は聖女宮を出ていた。真っ直ぐ南に向かわず、東へ。聖都の道は基本的に碁盤の目状になっているからそんなに迷うことはないんだけど、ディナートさんの選ぶ道は『三つめの角を右に、二つめの角をまた右、次の角を左、そして四つめのをまた左……』なんて具合に入り組んだルートだ。五つめの角を曲がったあたりで、道を覚えようなんて気はすっかりなくなった。こんなの覚えられるわけないよ!
これを教えてくれたルーペスさんも、それを正確に暗記したディナートさんも凄い。凄すぎてついて行けない領域だ。
大通りを南下するのと、大差ないくらいの時間で南門の避難所へ着いた。
馬を南門近くに繋ぎ、徒歩で見て回る。相変わらず、たくさんの人たちが滞在していたけれど、以前とはだいぶ雰囲気が変わっていた。重苦しくてピリピリした空気はもう漂っていないし、すれ違う人たちの表情も明るい。
前に来た時はなかった露店があちこちに立っていて、店の前を通るたびに陽気な呼び込みの声がかかる。
けれど、大事な用事を前にした私はそれどころじゃない。ごめんなさい、と思いながら、足早に通り過ぎる。
そこかしこで荷造りしている人たちを見かけたけれど、彼らはきっともうすぐ自分の故郷へ向けて旅立つ予定の人たちなんだろう。
これだけ人が多いとあの少女に会えるか不安だ。
西の砦に向かう前、私が──今よりずっとずっと世間知らずで馬鹿だった私が出会った少女。残酷な約束をして、そして私はこれから一番ひどい形で傷つけてしまうあの子。
本当のことを言えば、会いたくない。会うのが怖い。でも何が何でも会わなきゃいけないから。
私はあの子の顔と、それから生まれた村の名前しか知らない。せめて名前か今どこに住んでいるのかのどちらかぐらい聞いておけばよかった。
とりあえず以前出会ったあたりに彼女の住まいがあるだろうから、まずはその辺で聞き込みをしてみようと思ってる。
「あの子に会ったのって、この辺ですよね?」
自分の記憶に自信がなくて、隣を並んで歩くディナートさんに聞いた。
「ええ。確かにこのあたりでしたね」
ちょっとした広場みたいになっているので、近所の子ども達が集まって鬼ごっこのような遊びをしていた。子どものネットワークって大人が思うより広いし、もしかしたらあの子のことも知ってるかもしれない。私は遊んでいる子たちに声をかけて、少女のことを聞いてみた。
ダメもとに近い気持ちで声をかけたんだけど、みんな少女のことを知っていて彼女の家はあっさり判明した。広場のすぐ近くの建物だと教えてもらった。教えてもらった通りに訪ねると、少女も、彼女のお母さんも在宅だった。
玄関先で、不審そうな目で私とディナートさんを交互に見るお母さんのうしろで、少女も胡散臭そうに私たちを見ている。ぱちっと目が合ったので、帽子を脱いで小さく手を振ってみると、少女はハッとしたような顔になった。
「あー! 勇者様だ!! 今日帰ってきたんでしょ? お帰りなさい!!」
少女の声に、お母さんも帽子を取った私の顔をまじまじと見て、それから慌てた様子で一歩下がり深々と首を垂れた。
「こ、これは失礼いたしました!」
「あ、あの、そんなに畏まらないでください」
とお願いしても、彼女は頭を低くしたまま動いてくれない。こういう時ってどうしたらいいの??
困り果てた私はすぐ後ろのディナートさんに目で助けを求めた。
「頭をお上げください。本日は個人としてお邪魔しております。混乱を招かぬためにも、どうか普段通りになさってください」
あ、お忍びで来てるから普通にしててって、こんな風に言えばいいのか。
「は、はあ……。では失礼して……」
戸惑いながらも彼女はようやく顔を上げてくれた。
「突然お邪魔してごめんなさい。あの、私、お二人に伝えたいことがあって……」
なんて切り出したらいいの?
言いよどむ私の前に、お母さんの陰から飛び出した少女が現れる。キラキラした目で見上げられて苦しくなった私は、逃げるように視線を逸らした。それを誤魔化すように、ベルトにつけたポケットの蓋を開けて中を探る。そこに渡さなければならないものが入っている。
探ると言うほどの事もなく、それはすぐに指先に当たった。小さな革の袋。私はそれを手に握りこんで、少女の前に片膝をついた。今度は視線をそらさず、真っ直ぐに少女の目を見つめる。
「これを……」
手にした袋を少女に渡すと、彼女は中からペンダントを一つ取り出した。瑞々しい緑色をした石が印象的なそれは、少女の胸にかかっているものと全く同じで。違うのは、首にかける紐が千切れていることと、所々赤黒く汚れていること。砦の兵士が綺麗に血や泥をぬぐってくれていたのだけれど、でも紐に染みついた血は洗っても落ちなかったと言っていた。
立ったまま私と少女のやり取りを見ていたお母さんは、その汚れがなんであるか正確に察したようで、声にならない小さな声を上げた。悲鳴を無理矢理押さえこむように、両手で口元を抑えている。
「勇者様、これ、これ……おとうさん、の?」
「西の砦にね、大事に保管されてた。君の村──シオーピ村で回収したって。明るい金髪の三十歳ぐらいの男の人のそばに落ちてたって。その男の人ね、左手の甲に古い火傷の痕が……」
少女の脇で、お母さんがぺたりと座り込んだ。まるで糸が切れたみたいに。
「おとうさんにも火傷の傷、あるの。村の男の人で他にそんな傷がある人、いない、の」
「ごめん。ごめんね。君との約束守れなかった。お父さんに、君が待ってるって伝えられなかった。私……私、君に取り返しがつかないくらい酷いことを……」
泣くな。私に泣く権利なんてない。
「勇者様。あのね、本当はね、私も分かってたの。きっとお父さんは来ないって。知ってて勇者様にお願いしたの。そうしたらお父さんが生きてるような気がして……。私のほうこそごめんなさいって言わなきゃいけないの」
彼女は、何も言えないでいる私の、左頬にそっと手を置いた。
「勇者様は左目と引き換えにこの世界を救ってくれたって聞きました。ありがとう。我が儘言ってごめんなさい」
そう言って静かに涙を流す少女に、私はかける言葉を知らない。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
私がもっと早くにエオニオに向かっていたら、私がもっと強かったら、私が前回の召喚を不審に思って帰らずにいたら。もしかしたら、彼女のお父さんは死なずに済んだかもしれない。そんな後悔が胸の中で荒れ狂う。
どうして良いか分からない私は、俯いたまま「ごめんなさい」を繰り返した。




