月を宿す乙女
「やっぱり緊張する」
ようやく到着した聖都。正確に言えば、聖都の西門。
そこで私たちは門が開くのを待っている。西都へ入った時と同じような状態だけれど、あの時よりも緊張してる気がするのはやっぱり『帰ってきた』感が強いからだろうか。
落ち着かなきゃと思えば思うほどそわそわしちゃって、私は高い城壁を仰いだり、俯いて地面を見つめたりを繰り返していた。
「いつも通り、堂々としていれば問題ありませんよ」
私の独り言を拾ったディナートさんは事もなげにそんなことを言う。
けどね。いつも通りとか、堂々とできたらこんなに緊張しないってば!
「難しいこと言わないでください」
ふて腐れて言えば、背後からくすっと笑う気配がした。
「じゃあ、何が原因でそんなに緊張しているんですか?」
「原因? ええと」
そう言われてみると、何で緊張するのかってはっきり分からない。
大勢の人が出迎えてくれるだろうから?
ルルディやみんなに会えるから?
もう少しで日本に帰れるから?
──それとも、この左目のせい?
どれも違っているようで、どれも正しい。
「色々……かなぁ」
「ではその色々の中に、いまあなたが何とかできるものはありますか?」
「ないです」
「なら何かあった時に緊張すれば間に合うんじゃないですか?」
「え~?」
そんな器用なこと無理だって! と内心突っ込みを入れていたら、すぐ前にいる西方騎士団長さんと目が合った。なんだか孫を見守るおじいちゃんみたいな顔をしている。
「あ、いや。失礼。お二人のそのやり取りを見るのもこれが最後かと思うと寂しいですな」
そう言えば、西都を出てからここまでの道中、町や村に立ち寄るたびにディナートさんとこんな会話を繰り返していたような気がする。思い出したら恥ずかしくなって、頬がかっと熱くなった。
「毎度お騒がせしております……」
「いやいや、そう恐縮せんでください」
むしろ、微笑ましくて聞いている周りも楽しい、と言われてしまってますます顔が熱くなる。いたたまれない私をよそに、背後のディナートさんはにこにこ笑っているだけだ。助け舟ぐらい出してくれたっていいでしょーに!!
心の中で文句を言っているうちに、門のほうからゴトゴトと重いものを動かす音が、次いでギギッと軋む音が聞こえてきた。
開門を待ち構えていた私たちは一斉に音のした方向に目を向ける。重そうな分厚い門が少しずつゆっくりと開き始めていて、その向こうに懐かしい街と、たくさんの人たちが見えた。
おしゃべりで緩んでしまった気持ちを引き締めなおして背筋を伸ばす。
「準備はよろしいですかな」
一度は前を向いた西方騎士団長さんが、再び私を振り返った。「はい!」と返事をすると彼は小さく頷いて、いつものように全軍に進めの合図を出した。同時に隊列がゆっくりと動き始める。
門は横幅も高さもあるので、騎乗したまま二列で通ってもまだまだ余裕があった。大きさに圧倒されて、くぐりながらついつい上を見てしまう。何て名前の石なのか知らないけれど、真っ白な石で造られた門や壁。晴れた日に見れば陽の光に煌めいて、いかにも『聖なる都を守る城壁』って言う感じだし、青空との対比も惚れ惚れするくらいなんだけど、あいにく今日は鬱々とした曇り。
せっかくだから晴れた日に戻ってきたかったとも思うけれど、みんなの話によればこの時期の聖都は雨期だと言うし仕方ないかな。
道中、余り布を分けて貰って作ったてるてる坊主のおかげでどうにか降らないで済んでいる──とポジティブに考えよう。
太陽の光が遮られて少し肌寒いくらいだけれど、門をくぐった途端に迎えてくれた歓声のおかげでそんな寒さなんて一気に吹き飛んだ。
耳が痛くなるくらいの歓声。降り注ぐ、色とりどりの花びら。沿道を埋め尽くす人々が浮かべる笑顔、笑顔、笑顔。
ああ、そうだ。
私、ちゃんと帰ってきたんだ。
生きて、帰ってきたんだ。
みんなと一緒に。
そう思った途端、胸が苦しくなった。目にじわっと涙が浮かんで、みんなが向けてくれる笑顔がぼやける。
泣いてどうする。ここは晴れやかに笑うとこでしょ!!
私は慌てて涙をぬぐって、深呼吸をひとつ、ふたつ。それで何とか胸の辺りに込み上げてきた熱い塊を飲み込んだ。
西都からの道中でそれなりに場数を踏んできたから、緊張していても笑顔を浮かべることぐらいは出来るようになっている。
強張っていた口元を緩めて、出来る限り口角をあげて。
右手をゆっくりと挙げて、小さく手を振った。
すると歓声がさらに大きくなって、降り注ぐ花びらがどっと増した。まるで花の嵐みたいに。
私たちは聖女宮へ向かって、その甘い香りが漂う中をゆっくりと進んでいく。
「ヤエカ様、お帰りなさい!」
「勇者様、ありがとう!」
みんなの声に手を振って応えていると、何度か聞き慣れない単語が耳に飛び込んできた。けれど、歓声に掻き消され気味でよく聞こえない。なんなんだろうと思いつつ、まぁいっかと通り過ぎる。
そうこうしているうち、最前列にいる男性二人のおしゃべりが聞こえた。歓声に掻き消されないように、二人は声を張っている。
「あの方が、片月の?」
「どう見てもあの方だろう」
「噂通り月のようだな」
彼らは会話の内容が私にまで届いているとは思っていない様子で、こっちを見ながら月という単語を何度も口にしていた。
舞い上がった時の思考は鈍るものだし、私は深く考えないで「気のせいかな?」とか「ディナートさんの髪のことでも言ってるのかな?」なんて思ってた。
だけど……
「片月の戦乙女様ーー!」
と言う絶叫にも似た呼びかけを聞いて、さすがにスルー出来なくなった。
――その長ったらしい名前は何かなー? そもそもそれ誰のことよ?
その声を上げたのは、同い歳か、私よりちょっと年下くらいの女の子だ。私のほうをじーっと見てる。
あー。えー。――……もしかしてその、なんたらの戦乙女って私か? 私なのか!?
まさか「ねぇ、それって私のこと?」って聞くわけにもいかないので、とりあえずその子に向かって笑いかけてみた。
するとその子は、私のほうがビックリするくらい大きな悲鳴を上げた。いや、歓声と言った方が正しいのかもしれないけど、どう聞いても悲鳴にしか聞こえない。
彼女は興奮した面持ちで周囲にいる人たちの肩や腕を叩いている。
やっぱり、なんたらの戦乙女って私のことなのか。
「ディナートさん」
私は前を向いたままディナートさんを呼んだ。小さな声だって彼は聞き漏らしたりしない。
以前みたいに顔を近づけて耳元に囁いたりしないのは、彼がイタズラ半分でわざとそうしていただけで、実は普通にしてても会話が成立するって私にばれたからのようだ。
西の都を出て以来、なんとなく彼の態度がよそよそしい感じがするけれど、でもそれは私自身が彼と距離を置こうと思っているからで、私の思い違いかもしれない。寂しい気持ちはあるけれど、でもこれでいいんだよね?
「はい?」
案の定、すぐに返事が返ってきた。短い返事だったけど苦笑交じりなのが分かった。
「片月の戦乙女、って何ですか」
「ああ、一部の者が貴女のことをそう呼んでいるそうです」
何がどうして、どうなったらそんなことになるのかな!? と言う心の声を察してくれたのか、ディナートさんは理由を教えてくれた。
「貴女の左目が由来のようです。月の光のような綺麗な銀色でしょう? 片目に月を宿す戦乙女、略して片月の戦乙女。そういう事らしいです。噂と言うのは本当に走るのが早いですね。我々よりも先に聖都へ到着しているんですから」
「……そーですね」
くすくすと楽しそうに笑う彼へ返す言葉が投げやりになったのは仕方ない。
片月の戦乙女、かぁ。
ちょっと中二病っぽい感じがしないでもないけど、仰々しい二つ名貰っちゃった。名前負けしてるって思われてそうだなぁ。
けど「その名前は恥ずかしいからやめてください!」なんて言えるわけもないし。諦めるしかないか。人の口に戸は立てられないし、名前と本体がそぐわないと思えばみんな自然に呼ばなくなるでしょ。
片月の~って呼び方はもうかなり定着しているらしくて、聖女宮につくまであちこちから聞こえてきた。それが物凄く面映ゆくて、いつの間にか緊張は吹き飛んでいた。冷や汗ダラダラなのは緊張している時と変わらないけどね。
街の北に位置する聖女宮は相変わらず優美だった。
一番外側の門を通れば、宮を囲むように作られた堀にかけられた大きな橋が目の前に現れる。聖女宮を正面から眺める絶景ポイントで、私はこの橋の上から眺めるのが好きだ。そのうち時間が出来たらまたここでのんびり景色を眺めたいな。
橋を渡り終えればその先にもう一つ門があり、それを通れば前庭だ。
門番の兵士たちがゆっくりと鉄製の門を開くと、その先には宮まで真っ直ぐに白い道が伸びている。その道のわきにも、街中と同じようにたくさんの人たちが並んでいた。
門が開いた瞬間から、大きな歓声が溢れて来ていた。
私たちは速度を緩めることも、早めることもなく、彼らに向かって進む。
「エーカ!!」
二番目の門をくぐったら、すぐに聞き慣れた声が聞こえた。宮殿から庭に出るための階段を下りてくるルルディの姿が見える。
「ルルディ!?」
みんなが一斉に馬から降り、私もディナートさんの手を借りて降りた。最敬礼を取る騎士たちの間を抜けて、ルルディは真っ直ぐに走ってくる。華奢な靴でそんなに走っちゃ危ないよ! なんて心配してるうちに彼女は私の前にいた。走ってきた勢いそのままで抱き着かれてちょっとよろめく。けど、ひっくり返ったりしないのは私が多少は鍛えられたからかな。
「エーカ! エーカ! お帰り。本当に戻ってきてくれたのね、エーカ!!」
「うん。ただいま、ルルディ」
首に回されたルルディの腕には力が籠ってて、私も彼女の背中に回した腕にぎゅっと力を込めた。
「エーカ、ありがとう。なんてお礼を言ったらいいのか分からないわ」
そう言うルルディの声は聖女じゃなくて、普通の女の子みたいだった。「ありがとう」と「ごめんね」を繰り返す彼女に、私はうんうんと頷きながら、無事に帰って来られたことにホッとしていた。
そしてそれと同時に、私の左目がこうなっちゃったことに対してルルディが負い目を感じていることを感じ取って、やりきれない気持ちになった。この傷はルルディのせいじゃない。油断した私のせいだ。けれど、どうやってそれを伝えたらいいのか分からない。
きっと彼女は私を無理矢理召喚したことも、戦場に放り込んだことも、それこそ全部に責任を感じていて、そして許されることも解放されることも望んでいない。
だから私はただ彼女の背中をポンポンと軽く叩く。
ひとしきり抱き合って体を離した時、ルルディはすでに聖女の顔に戻っていたから、私も気持ちを切り替えて姿勢を正して一歩身を引いた。
ルルディは控えていた宰相、神官長、セラスさんのもとへ戻り、私たちと正面から向き合う。
「勇者ヤエカ、そして聖軍、魔導軍の皆、よく戻られました。あなた方の活躍により世界は救われました。すべての民を代表して心から礼を申し上げます。ありがとう」
騎士たちはその言葉に最敬礼で応え、私も見様見真似で最敬礼をした。
ルルディは一人ひとりの顔を心に刻み付けるようにゆっくりと私たちを見渡し、それから再び口を開いた。
「今日は疲れているでしょう。ゆっくり休んでください。正式な報告は明日の午前中といたします」
それが解散の合図となった。
ルルディは宰相と神官長を従えて宮殿内に戻り、他の者たちはあらかじめ指示を受けていたみたいで、私たちの荷解きを手際よく手伝い始めた。ディナートさんも西方騎士団長さんも忙しそうに部下へ指示を出している。
まだ昼なので、これから報告や諸々の手続きをしちゃうのかなと思ったんだけど、拍子抜けしちゃった。
急にやることがなくなって、どうしたらいいか途方に暮れた。ディナートさんのお手伝いでもしようかな、と思っていたら背後から名前を呼ばれた。女性にしては少し硬くて低めの声。セラスさんだ。
「セラスさん、お久しぶりです!」
「ああ。お帰り、ヤエカ殿。体はもう大丈夫か?」
「はい。もうすっかり良くなりましたから」
「そう、か」
セラスさんは私から目を逸らして少し寂しそうな顔で笑った。彼女もきっと私の目に負い目を感じているんだろう。そしてルルディと同じで、私がいくら気にするなって言っても、気にし続けるんだろうな。優しい人だから。
「セラスさん、私って今日はもうやることは何もないんですよね?」
しんみりとした空気を変えたくて、わざと明るい口調で尋ねた。
「ん? あ、ああ。明日からはやれ祝勝会だなんだと忙しくなるからな。今日のうちにしっかり休んでおくといい。君の部屋はそのままに残してあるし、君付きの侍女も前と同じだから気兼ねはいらないだろう」
「じゃあ、行きたい場所があるんですけど、行って来て良いですか?」
「行きたい場所? それは後日では駄目なのか?」
先延ばしにしたら決心が鈍っちゃうかもしれないし、一刻も早い方がいい。行かなくちゃ。そして伝えなきゃ。
「はい。出来るだけ早く行きたいんです。行かなくちゃいけないんです」
「──そうか。ヤエカ殿がそこまで言うのなら、どうしても行かねばならないところなんだろうな。腕の立つ護衛を何名か用意しよう。少し待っていてくれるか?」
「えっと。ディナートさんに同行をお願いしようと思っています。まだディナートさんの予定は聞いてないんですけど……」
「分かった。ではディナート殿が忙しくて行けないようだったら、改めて声をかけてくれ」
セラスさんはそう言うと、金の髪をなびかせて踵を返した。相変わらず綺麗で格好良いなと後ろ姿を見送っていたら、セラスさんは何かを思い出したように急に足を止めて振り返った。
「どこに行くにしろ、行くなら早くした方がいいぞ。いつ降り出してもおかしくない」
そう言って空を指さす。つられるように見上げた空はさっきよりも濃い灰色をしていて、確かに今にも雨が降り出しそうだ。術を使えば見えない傘を生み出すことも、濡れないように障壁を張ることも出来るけど、私は素直に頷いた。
「はい! 早めに行って帰ってきます」
「それがいい。日が傾けば一層寒くなる。気を付けて行っておいで」
セラスさんは鮮やかな笑顔を残して、今度は振り返らず去って行った。私は彼女が宮殿の中に消えるまで見送ってからディナートさんの姿を探した。
周りには彼と同じ黒ずくめの騎士たちがいっぱいいる。けれど、彼ほど目立つ銀髪はいない。少しあたりを見回せばすぐに見つかった。カロルさんと何か打ち合わせをしているみたいだったけど、ちょうど話が終わったところらしく、カロルさんは小走りに去って行った。
「ディナートさーん!」
大声で呼んだ。
その声はちゃんと彼に届いたようで迷うことなく私のほうを向く。視線が合うと聞こえたと言うように小さく手をあげてくれる。
私は忙しく立ち働く騎士たちの間を縫って彼のもとへと急いだ。
彼と一緒なら、私は逃げ出さないで果たせると思うんだ。自分のしなければならないことを──
【片月】は通常『へんげつ』と読み、片割れ月と同じ意味で使われるようです。
が、ここでは造語として使わせていただき、読み方も『かたつき』としております。




