心はどこにある
なんて考えてたのが悪かったのか。
それとも私の運が悪いのか。
それはもう見事にばったりと出会ってしまった。ええ。いっちばん会いたくないような、会って文句の一つや二つや三つ言いたかったような彼に。
「やぁ、奇遇ですね、ヤエカ様。本日も麗しい」
太陽の光のように美しい笑顔が非常に胡散臭い。だいたい奇遇ってなに? 奇遇もなにも同じ屋根の下――と言うには少し語弊があるけど――に泊まってるんだもんそりゃエンカウント率高いでしょうよ! それにそのお世辞も気持ち悪い。見目麗しい人が私に向かって『麗しい』だなんてね。見え透いたお世辞過ぎて鼻で笑っちゃう。
だいたいルルディの美貌を見慣れてた人がどの口でそんなことを言うのかな!!
「この上もなく見え見えのお世辞をありがとうございます」
うらめしげに睨めば、彼は心外だと言わんばかりに目を丸くしてる。そんな大仰な仕草さえ似合っちゃうんだから腹立たしいことこの上ない。
「お世辞など! そんな無粋なことはいたしませんよ。心から美しいと思うからそう申し上げただけですのに、信じて頂けないとは残念です」
さも悲しげにひそめた眉の下で、一体この人は何を考えているのだろう?
得体の知れないものと向き合う怖さって言うのはやっぱり本能的なもので、抑えようと思ってもなかなか難しい。私は無意識に一歩下がっていた。
その途端、テリオさんが私の手首を掴んで引いた。思ったよりも大きく力強いその手が不安を煽る。
「なぜ逃げるのですか?」
そんな言葉が彼の口から漏れた。皮肉げな笑いでも浮かべているだろうと思っていたのに、そこにあったのは予想外に真面目な顔。射ぬくような彼の目に、不安げな顔の私が映っている。
こんな顔をしてちゃダメだ。呑まれる。
何でもないふり。怖くないふり。
「逃げてなんか、いない。逃げる必要もない」
早鐘を打つ胸を彼の顔には見る間にまた胡散臭い笑みが広がった。
「ほう……」
そう微笑む彼はもうさっきまでの彼と同じ。
私は自分が彼の腕に抱き留められていることを思いだして、慌てて体を起こそうともがいた。その私の耳元で彼が囁く。
「それで、昨夜の話は考えて頂けましたでしょうか」
「っ!」
そんなことを尋ねながら彼は何ごともないかのように平静な顔で、一人で立てるように私の体を支える。
「昨夜の話? 何かお答えしなきゃいけないようなことってありました?」
「これはこれは。なかなかとぼけるのがお上手だ」
私がとぼけてるって言うなら、あなたは寝ぼけてるんじゃないですか、と言いたくなるのをぐっとこらえた。
激昂したら冷静な判断が出来なくなって、気がついたら彼の思うツボな気がする。ここは落ち着いて、落ち着いて。
いざとなったら術で吹っ飛ばすかアレティ呼ぶか、そういう実力行使があとあと政治的な問題になるって言うなら、大声を上げてディナートさんに助けて貰おう。彼なら私なんかが思いもつかないような方法で事態をおさめてくれるに違いない。大丈夫。怖くない。
私は拳をぎゅっと握って彼を見上げた。
「私はあなたからは何も聞いてないし、誘われてもいません。そう言ってるんです」
「それはつまり?」
「言わなければ分かって貰えませんか? あなたの誘いになんか乗らないってことです。あなたはルルディのお兄さんですし、親切にもてなしていただいた恩もあります。だから、あの失礼な発言はなかったことにして差し上げます。二度はありませんけど」
出来るだけ丁寧に嫌味を込めて。ちゃんとそういうふうに伝わってるといいんだけど……
「どうしても、ですか? ヤエカ様」
「ええ。私はルルディの判断を信じています。そして、ディナートさんのことも信じています。昨日会ったばかりのあなたに彼の何が分かるって言うんですか? 私は彼と一緒に戦ってきました。少なくともあなたよりは彼を知っています。彼は私を操って私欲を満たそうとする人じゃない」
真っ直ぐに彼の目を見て言えば、彼はさっきまで浮かべていた微笑みを全て消して私を見下ろす。
笑みを消した彼の顔は別人かと思うほどに冷ややかで、私を見る目には探るような色さえ見える。
「私の言うことは信用できないと?」
「ルルディやディナートさんを信じていますから。それだけです」
彼を信用する、しないの問題じゃない。
私は選んだ。だから選んだものに反するものを切り捨てただけ。単純な話だ。
「昨日あなたは言いましたよね? 自分で考えろと。私は自分で考えて選びました。もし仮にあなたが言っていたようなことが起こったとしても、それは自分が選んだ結果です。後悔しません。だから――」
私はそこで一度大きく息を継いだ。ゆっくり口を開く。完全に彼を拒絶するために。
「あなたの手は要らない」
掴まれたままだった手を振り払った。あまり力が入っていなかったらしくて、難なく外れる。
私が話している間、無表情に見下ろしていた彼の口の端に、ゆっくりと笑みが広がった。なんで笑うのか理解できない。何かまずいことを言ったんじゃないかと、背中を冷たい汗が滑り落ちた。
「そうですか。それは……」
「そこまでです」
テリオさんの言葉を、硬質で冷たい声が遮った。
「いくら聖女様のお身内とはいえ、あなたは地方領主の子息という身分でしかない。その距離は無礼でありましょう。――下がれ」
そばで聞いてるだけで充分震えあがれるほどおっそろしい声の持ち主は、言わずと知れたディナートさんだ。彼は私とテリオさんの間に割って入る。広い背中に庇われた途端、ほっとして背筋がへたった。
テリオさんは彼の視線を真っ向から受け止めながら、顔色ひとつ変えていない。
「おや、時間切れのようだ」
「遅くなって申し訳ありません、ヤエカ殿。大丈夫ですか?」
ディナートさんはテリオさんを無視して、肩越しに私を振り返った。
「はい!」
慌てて背筋を伸ばして返事を返した。少し声が裏返っちゃったけど。
そんな私を見てディナートさんは穏やかに目を細めた。彼の笑顔が頼もしくて、私はそっと彼のマントの端を掴んだ。
頑張って自分で何とかしようとしても、結局こうして私は彼の影に隠れてばかりだ。そのことが少し悔しいと思うけれど、でもそれ以上にこうして彼に助けて貰えてうれしいと思っちゃう。情けないほどとんだ甘ったれだ。
「後は私が」
「――大した忠犬っぷりだ」
皮肉げに顔を歪めるテリオさんに対峙するディナートさんの顔は見えないけれど、かわりに小さな笑い声が聞こえてきた。
「お褒めいただきまして光栄ですね」
「別に褒めたつもりはありませんけどね。まぁいい。そろそろ茶番は終わりだ」
茶番!?
「ちゃ、茶番ってなんですか!?」
ディナートさんの陰から顔を出して問えば、テリオさんは私を見て悪戯に成功したような顔で笑った。
「全部。――まぁ君は妹の友人として合格のようだな」
「な、な、なっ!?」
「ああ、ヤエカ殿、あまり前に出てはいけません」
驚いた。詰め寄ろうとした私をディナートさんが冷静な声で制止する。
「……なんでディナートさんは落ち着いてるんですか?」
「こんな事態も予想しておりましたので」
あっさりと言われて拍子抜けした。と、同時にふつふつと腹が立ってくる。だって。
昨夜のあれは一体なんだったの!?
知ってたなら何であんな真似したの!?
「じゃあ、あれは……」
「その話は後でもよろしいでしょうか?」
ディナートさんを問い詰めようとしたら、氷点下の眼差しが返ってきたので慌てて口をつぐんだ。器用なことに、彼の言葉は疑問の形を取りながらしっかり命令だ。
そうだ。テリオさんに昨夜のこと突っ込まれたくないし、確かにいま口にしちゃダメなことだった。ごめんなさいの意味を兼ねて小さく頷くと、彼はテリオさんに見えないように僅かに目を細めて相槌を打った。そしてそのまま顔を正面に戻し、テリオさんと見つめあう。
「さて。詳しくお聞かせ願えますか、テリオ殿?」
「なに、簡単な話ですよ。私は妹が可愛いんです。あの子はそれでなくても沢山の物を背負っているんです。敵も多い。敵の甘言に騙されてすぐにフラフラような『お友達』は要らないんですよ。邪魔になりこそすれ、益にはならない。ですから試させていただきました」
ディナートさんに答える形をとっているけれど、彼の視線は真っ直ぐに私を捕えている。
「ずいぶんな非礼だ」
「それがどうしました? 非礼だろうが無礼だろうがどうでもいいんです。私はあの子に害虫がつくのをみすみす見逃すつもりはありません。例え私が不敬で罰せられても、ね」
「何をおっしゃる。罰せられる気などなかったくせに。あの程度の言動を問題視し騒ぎ立てたとなれば、逆に我々がいい笑い者になる」
氷の刃を応酬しているような会話を聞きながら、『害虫』と言う言葉をぐるぐると考えていた。
「あの……」
彼らの会話に割って入るのは勇気がいったけれど、恐る恐る声をかけた。
「それで……私は、その害虫なんでしょうか?」
「いいえ。今の時点ではそうお答えするべきでしょう」
「よかった……」
「ヤエカ殿、何が良いのですか。良くありませんよ。貴女はこの者にだいぶコケにされたのですよ?」
ディナートさんから立て板に水のお小言が降ってきた。
「だ、だって。テリオさんのルルディへの思いを聞いたら怒れないですよ」
「貴女って人は! 少し人が良すぎる。これも貴女を籠絡するための芝居かも知れないんですよ?」
しどろもどろで口にした反論には、更に辛辣な言葉が返ってきた。
「確かにディナートさんの言う通りかもしれません。でも……私は彼が本当のことを言ってると信じたいんです」
だって、今にして思えば彼の態度は少しおかしかったから。
テリオさんのような人が誰かを本気で騙したいと思ったら、きっとあんなボロは出さないと思う。あれはたぶん私に対するヒントのつもりだったんだろう。軽く違和感を感じただけで、私は全く気付いてなかったけれど。
どれが彼の本音か分からないけど、でもどうせ人の本心なんて分からないんだから、自分の直感を信じたい。
「この件はこれでおしまいにしましょう? 問題は何もありませんでした。ディナートさん、テリオさん、それでいいですね」
「――ヤエカ殿がそうおっしゃるのなら」
ディナートさんは長いため息のあと、そう言って私に向かって軽く目礼をした。内心全く了承してないってありありと分かったし、だいぶ呆れられたなとは思ったけど、これは曲げたくない。
「ヤエカ様。昨日からの数々の非礼、伏してお詫びいたします。覚悟はできております。いかようにも御処分ください」
テリオさんは片膝をつき、私を見上げてそんなことを言う。正直、腹が立った。どいつもこいつも何で処分処分うるさいかな!! まったくこの男どもはっ!!
「テリオさん。私はいま、問題は何もないと言いました。何を片膝ついちゃってるんですか」
「いや、ですが、しかし……」
「私は! 問題ないと! 言ったんです! テリオさん、耳がお悪いなら早急に医師に診てもらうべきですね。だいたいこんなところでだらだらお喋りしてる暇があったら、お父さんのお仕事手伝って来たらいかがですか! まだお昼には時間がありますし、今からだったら一仕事どころかふた仕事ぐらいできますよ!? もしかしてお父さんの手伝いも出来ないくらいの放蕩息子だったりするんですか? なら荷造り手伝ってくださいよ。その筋肉無駄にしたら勿体ないでしょ!! ほら、さっさと立ちなさいっ」
一気にそれだけ言ったら息が切れた。途中で自分が何言ってるのか分からなくなってきたけど、でもとりあえず言いたいことは言えた……と思う。
ぜぃぜぃ言いながらテリオさんを凝視したら、彼は最初呆気にとられたような顔をして、それから吹っ切れたような微笑を浮かべて立ち上がった。
そして私の隣ではディナートさんが笑いをこらえて肩を震わせている。
「ディナートさん。笑いをこらえるのは体に悪いですよ? 遠慮なく笑ったらいかがですか」
「や、そ、それは……くっ……」
目を細めて睨んだら彼はバツの悪そうな顔をして視線を逸らした。その間も口を押さえた手はそのままだ。
彼がこんなふうに笑うところは二度とみられないかもしれないと思っていたから、また見られて嬉しいと思う反面、これだけ大笑いされるとやっぱり面白くなくて、非常に複雑な心境だ。




