朝の光が降り注ぐ
泥のように寝て、カーテンの隙間から零れる朝日に目覚めて。私はその光がだいぶ強くなるまでベッドの上でぼーっと座り込んでいた。
膝の上には昨夜から抱えたままのアレティ。
何をどうしたらいいのか、考えても考えても結論は出ない。一晩寝て頭もスッキリしたはずなのに、考えようとすると端っこからぽろぽろと崩れてしまって形にならない。
「起きなきゃ、ね」
思考がまとまらなかろうが何だろうが、そろそろ起きないと変だと思われちゃうかもしれない。
私はのろのろとベッドの上から降りた。
さて。どうしよう。服は洗濯中。ドレスは一人で着られない。
「誰か呼ぶしかないかぁ」
続きの間のテーブルに呼び鈴が置いてある。昨日、侍女さんが『御用があればこちらを鳴らしてください』って言ってたよね。
私は寝間着の上にガウンを羽織って寝室を出た。さらさらとした生地で作られた寝間着は着心地が良いんだけど軽すぎて足にまとわりつく。いつもの調子で歩こうとしてうっかり転びそうになった。相変わらずのドジっぷりに苦笑が漏れる。
呼び鈴を持ち上げると、それだけでちりんと小さな音を立てた。涼やかなその音は、この部屋で鳴らしてどれだけ周囲に届くんだろう?
もしかして聞こえないかもしれないと思った私は、廊下で鳴らしたほうが良いんじゃないかと廊下に続く扉を開けた。
誰もいないことを確認して呼び鈴を振ると、しんとした廊下に予想より大きな音が響き渡った。鳴らした私まで驚いたけど、まぁこれなら階下にも聞こえただろう。
遠くから微かに金属がぶつかるような音がした。カシャン、カシャンと規則正しい間隔で聞こえる。おそらく見張りの兵士さんが歩く音だ。もしかして呼び鈴の音を耳にしてこちらに向かってくれてるのかもしれない。
この格好で男性の前に出るのはよろしくない。慌てて首を引っ込めて扉を閉めた。
ほどなくして、控えめなノックの音が聞こえた。
「はい?」
返事をすると
「御用を伺いに参りました」
とくぐもった女性の声が聞こえてきた。
どうやらさっきの音は、侍女さんを呼びに行ってくれた足音だったらしい。ほっと息をついて、「どうぞ」と返事を返した。
すぐに扉が開いて、昨日色々と世話をしてくれた侍女さんが姿を見せた。乱れのない服装に、ピンと伸びた背筋。彼女を前にして私は自分の寝起きのまんまの姿が恥ずかしくなった。
「おはようございます、ヤエカ様」
「おはよう、ございます……」
にこやかに笑う侍女さんに、私はしどろもどろの挨拶を返して、ぎこちなく笑った。
「着替えたいんですけど……その……」
「かしこまりました」
私の服は? と聞こうとする前に、侍女さんはすべて承知してますって顔で笑うと、手を叩いた。
「失礼いたします」
新たに部屋に入って来た侍女さんの手には淡い黄色のドレスが乗っていた。
「え?」
あれ? 私の服はまだ乾いてないのかな。
いや、でもそれならドレスじゃなくてもっと動きやすくて、洗濯やアイロンの手間が少ないシンプルな服を貸していただけるとありがたいんだけど……
そう告げると侍女さん二人は目を真ん丸にして驚いた後、苦笑して顔を見合わせている。
「ヤエカ様、ここは戦場ではございませんのよ!? せっかく女性として過ごせる時間なのでございますから、もっとお楽しみくださいまし」
「そうでございます。また明日からは男装をなさらねばならないのです。今のうちに少しくらい羽を伸ばしても誰も咎めたりなさいませんわ」
うふふ、と楽しそうに笑い合いながら、侍女さん二人はてきぱきと作業を進めていく。
呆然としてる間にドレスを着つけられて、気がつけば髪も綺麗に結いあげられていた。ついで薄くお化粧も施されて、どうだと言わんばかりに手渡された手鏡を覗き込んで驚いた。
誰だ、これ!? ……なーんて劇的ビフォーアフターじゃない。ほんのちょっとどこかが変わってるだけ。どこがどう足されてどこがどう消されたのか分からないのに、雰囲気が違う。普段下ろしてる髪をアップにしたせいなんかじゃない。
聖都でも何度かお化粧をして貰ったことあるし、日本にいた頃だって軽く化粧はしていた。だから、化粧した自分の顔を初めて見たわけじゃないのに。
「すごい……」
ぽつりとつぶやいた言葉に、ふたりは頷いた。
「ヤエカ様の雰囲気とは少し違う化粧をさせて頂きました」
そう言われて何となく納得した。そうか、普通は自分の魅力を引き出すようなメイクをするわけで、はなから雰囲気を変えるメイクって言うのはあまりやらないよね。
だって、ちょっと間違ったら似合わないメイクになっちゃうもの。それをさらっと上手くやっちゃうなんて凄い。ふたりのセンスに驚くしかない。
「失礼ながら申し上げますと、今日のヤエカ様は少々気鬱のように見受けられます。そういう時こそお顔をお上げくださいまし。私たちは少しだけそのお手伝いをさせて頂きました」
「外見を少し変えるだけでも、だいぶ気分は変わりますでしょう?」
「私、そんなに落ち込んでるように見えますか?」
自分ではけっこう平静を装えてると思ったんだけどな。
「そうですねぇ。私たちが気づく程度にはお顔に出てらっしゃいますわね」
事情を知らない人にもばれるくらい表に出てるんだ。がっかり。肩を落とす私に、ふたりは穏やかに笑った。
「そう落ち込まないでください。私たちは尊い方の身の回りのお世話をする専門家です。お仕えするお方のご気分をお察しするのも能力のうちです」
「そうですよ! ですから、お顔を上げて堂々となされば、きっと皆さん気付きませんわ」
「そう、でしょうか?」
彼女たちが特別敏感なだけだと言う。本当にそうならいいんだけど。そんな気持ちで口にした私の問いに、ふたりは大丈夫だとよく似た仕草で頷いた。
「あまり下を向いていては幸運を逃がしておしまいになりますよ。幸運は空から降ってくると申しますから」
年嵩の侍女さんが、悪戯っぽく片目をつぶってそんな事を言う。あんまりにもあっけらかんと明るく言われたから、つられて私も笑っちゃった。
幸運は空から、かぁ。何だか良いな、そう言うの。ぐるぐるしてた頭の中に、ちょっと光が差した気がした。
朝食は静かに食べたいから部屋に運んで欲しいとお願いした。
ドレスや寝間着をもっていったん部屋を出た侍女さんたちが、朝食を持ってきてくれるまでの間、手持ち無沙汰だ。暇を紛らわすように何気なく窓にかかった薄いレースのカーテンを開けてびっくり。
「きれい!」
自慢だと言う花咲き乱れる庭園。その向こうには統一された街並。城壁の向こう彼方には緑の地平線が見える。街のすぐそばを流れる川が、蛇行しながらキラキラと地平線に向かって伸びている。遠くにポツリポツリと見えるのは、近隣の村かな。
私は窓の鍵を外してバルコニーへ飛び出した。手摺から身を乗り出すようにして眺めれば、心地の良い風が頬をくすぐって通り過ぎていく。
ここでご飯食べちゃダメかな? ああ。でも、ディナートさんに怒られそうだ。
『どこから何が飛んでくるか分かりませんよ』なんてね。
今まで無理に彼のことを考えないようにしていたのに、一度思い出しちゃうと止まらない。昨夜は『大嫌い』とか『許せない』って思ってたけど、やっぱり私は彼が好きだし、叩いたらそれで気が済んじゃったみたいで意外とすっきりしてる。
なんだかなぁ。私、自分で思ってた以上にベタ惚れじゃん。馬鹿だなあ、本当に。
苦笑いしか浮かばない。
ひとしきり景色を眺めて、部屋に戻った。あんまり長居するのも不用心かもしれないから。
ディナートさんみたいに自由自在に各種結界が張れればいいんだけどな。そうしたらもう少し外にいられるのにね。
障壁でバルコニーを囲うって言うのも手なんだけど、物理的に遮っちゃうからこの気持ちいい風にあたれなくなっちゃうのが問題だ。
「残念。諦めるしかないか」
室内に戻れば、頭が勝手に昨夜の光景を再生しようとする。それを無理に押し込めて忘れたふりをするのは結構疲れる。
でもテリオさんと顔を合わせるかもしれない食堂でご飯を食べる気は起きないし、選択の余地はない。ため息と一緒に独り言を零した途端、ふと思いついた。
……ねぇ。
結界を張るのをディナートさんにお願いしたらどうだろう。それって話す切っ掛けにはならない?
『外でご飯食べたいから何とかして』なんて下らない我がままなら、仕方ない人だって苦笑しながら結界張ってくれて、それでまた元に戻れない? 甘い?
一度思いついたその考えが頭から離れないし、他に話しかける良い切っ掛けなんて思い浮かばない。この出方が合ってるか間違っているのか全然予測つかないけど、でもやってみなきゃ分からないし!
朝食を運んできてくれた侍女さんに少し待ってくれとお願いして、急いで部屋を飛び出した。
借りたドレスを汚したり破かないように気を付けつつ、出来る限りの早足で階段を降りて、ディナートさんの部屋へ急いだ。
ノックの前に一呼吸。大丈夫。ちゃんと喋れる、はず。
でもディナートさんのことが怖かったらどうしよう。びくびくしてたら絶対にばれる。元通りにしたいと思う人間が一番ぎくしゃくしててどうするの。きっとディナートさんの方が私の何倍も気まずいはずだし、私から声をかけなかったらきっと彼はそのまま私から離れて行っちゃいそうだ。
今日はなんとしても私から話の切っ掛けを作らなきゃいけない。
「よし!」
胸の前で小さく手を握って気合を入れ直し、思い切ってドアをノックした。
「どうぞ」
部屋の中から落ち着いた返事が返ってきた。私はそろりと扉を開けた。けれど中に入る勇気は出なくてその場に立ち尽くした。
正面の窓から入ってくる朝日が眩しくて、目がくらむ。逆光に目を細めていると、二人分のシルエットが見えたように思えたんだけど、気のせいかな? なんて思っていると予想外にのんびりした声がした。
「おはようございます、勇者殿。なんだ今日は随分早いんですね」
「カロルさん!? 何でっ?」
「何でって、酷いなぁ。打ち合わせですよ。こう見えても俺、何かと優秀なんで忙しいんですよ」
さりげなく自慢しながら、からからと笑うカロルさんの姿を見ていたら、強張った肩から力が抜けた。やっぱりカロルさんがいると調子が狂うなぁ。今朝はそれが凄くありがたいけど!
へなっと丸まった背中をもう一度伸ばして、彼の向かい側に立っていたディナートさんを見た。
「ディナートさん、おはようございます!」
「――おはようございます」
私はいつも通りに笑えてるかな? どきどきしながら挨拶をすると、彼は驚いたように少し目をみはってそれからゆっくりと穏やかな微笑を浮かべた。
ようやく逆光に慣れた目が彼の姿を鮮明に映す。相変わらず綺麗な銀色の髪が陽光にキラキラ輝いている。
「朝早くからどうなさいました?」
困ったように傾げられた首の動きにつられて、髪がひと房さらりと落ちた。いつもと変わりない優しげな眼差しに少しだけ心配そうな色が浮かんでいて、悔しいけど見惚れないではいられない。どきんと心臓が跳ねて苦しい。やだ、本当にこれどうしたらいいんだろう!?
昨夜のことはまだまだ尾を引きずってるけど、そう言うの全部忘れてなかったことにしちゃいたいって思う気持ちと、目的があったとしてもあれはやり過ぎでしょう、やっぱり一発殴ったぐらいじゃ許せないって気持ちとが心の中でせめぎ合う。
「ヤエカ、殿?」
黙り込んだ私をディナートさんが呼んだ。その心配そうな声音に、はっと我に返った。
「あ! すみません。まだちょっと寝ぼけてるみたいで」
あははと笑って誤魔化せば、ますますディナートさんは困り顔になった。
「実はですね、その、お願いが……ありまして、ですね」
「何か困ったことでも起こりましたか!?」
いきなり彼の周りの空気が張り詰めた。
「俺、席を外しましょうか?」
カロルさんまで、笑いを消して立ち上がった。
「え!? ええええー! あの、そんな大したことじゃないんでっ」
って言ったのに男性陣が私を見る目から鋭さが消えない。ちょっとこれ言い出しにくくなっちゃったんだけどどうしよう。いや、いま言わなかったら絶対もっと言いにくくなるから。
「あー……っと。その、ですね。朝食を、ですね。バルコニーで食べたいんですけど、そのままじゃ不用心だから結界を張って貰いたくて」
「そう言うことでしたか」
「相変わらず呑気な方だなぁ」
ホッと緊張をといたディナートさんに対して、カロルさんってば酷い。まぁ今の私が彼の目に呑気に見えてるなら、それはそれで嬉しいからいいや。
「すみません。あの、だめですか?」
「――いいえ。構いませんよ。むしろそのような考えを出来るのは良いことです」
にこりと笑った瞳の奥に陰りが少し見えた気がした。それが気まずくて私は「ありがとうございます」と頭を下げることで視線を逸らした。
「こちらの部屋のバルコニーから貼っておきますので、貴女は部屋にお戻りください。折角の朝食が冷めてしまいますよ?」
「はい! それじゃあ失礼します」
「朝食がお済みになったころ、カロルを呼びに行かせますので、またこちらに来ていただけますか? 今日と明日の予定を説明しますので」
隣で聞いていたカロルさんが驚いたように顔を上げてディナートさんを見た。まぁそうだよね。いつも私を呼びに来るのはディナートさん本人だもんね。
彼としては気を使ってくれてるつもりなんだろうけど……。それじゃ何かありましたってばれちゃうじゃない。特にカロルさんなんて勘が鋭いんだから!
ディナートさんも完璧じゃないんだなぁと思えてつい笑っちゃった。
「カロルさんを追い出して何かやりたいことでもあるんですか?」
悪戯っぽく言うと、ディナートさんは一瞬虚をつかれたような顔をしたけど、私の意図を察してくれたのかにやりと笑った。
「いいえ。ただ、今朝はずっとカロルの顔ばかり見ているので、少々飽きました。カロルがいない間に私も外の空気を吸って気分転換をしたいと思いまして」
「えー! 何ですかそれ。酷いなぁ」
カロルさんの不満の声をスルーして、私は退出するために踵を返した。ふと影が差して顔を上げるとディナートさんが扉を開けてくれていた。
かなり片目に慣れたつもりなんだけど、未だにドアノブを掴む時に距離感を誤りやすい。ディナートさんはそれを知っているから、わざわざ扉を押さえてくれているんだろう。そう言う小さな優しさに嬉しいような恥ずかしいような気持ちになる。そして今はそれに加えて少しだけ心が痛かった。
「じゃあまた後で来ますね」
「ええ。お待ちしております」
一度も振り返らないで歩き、階段を上がり、そこで力尽きた。片手を壁について大きなため息をはく。
「緊張したぁ……」
もう片方の手で、ドキドキとうるさい胸を押さえて何度か深呼吸を繰り返してると、キン!と甲高い音が耳に聞こえた。と言ってもこれは本当の音じゃない。きっと力を持たない人には感じられないし聞こえないはずのもの。ディナートさんが結界を張ってくれたその際に生じた揺らぎだ。
急いで部屋に戻れば、バルコニーにはディナートさんの結界の気配。ああ、やっぱりこの清冽な感じ好きだなぁ。
私以外は進入できないようになっていたので、結界のギリギリに朝食を載せたワゴンを置いてもらった。後は自分で運ぶからと下がって貰い、私はひとりでせっせとテーブルや椅子を動かし、テーブルクロスをかけた。
最近ずっとみんなでご飯を食べてたから一人ぼっちの朝食は久しぶりだ。
けれど思ったよりもさみしく感じなかったのは、ディナートさんの結界に守られていたからかもしれない。
――なんて、さらりと考えてしまう自分が情けないと言うか、何というか。恋は盲目ってこんな状態を言うのかもしれない。
梢でさえずる心地よい小鳥たちの声を聞きながら、私は今日何度目か分からないため息をついた。
ああ。本当に私はどうしたらいいんだろう?
やっぱりこのもやもやした気持ちは全部ぶちまけてしまわないとスッキリしないんだろうか。




