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再召喚!  作者: 時永めぐる
第二章:太陽の男と月の男
49/92

幕間劇:地に堕ちたがる月の闇

※7/14 web拍手小話としてUPしたものを、加筆修正して本編に組み込みました。web拍手に置いておいた時と多少設定が異なる部分があります。


 薄暗くしんとした廊下を歩きながら、ディナートは等間隔で結界を張っていく。それは蜘蛛の巣のように繊細なものだ。

 八重香の部屋に近づく者がいれば、この不可視の蜘蛛の糸が彼に侵入者の存在を知らせる。彼女の部屋の両脇、階段のあたりまで幾重にも張り巡らしたそれをもう一度確認し、彼は階段をゆっくりと下りはじめた。


「……ッ」


 切れたらしい口の端が鈍く痛んだ。その痛みをもたらしたのは八重香だが、そうされて当然――いや、もっと強く罰せられても仕方のないことをしたのは彼自身だ。

 痛みは彼の罪の証であり、彼女からの断罪の証でもある。

 彼にしてみれば軽すぎる罰だと思わずにはいられなかったが、それでも彼女が直接彼に向かって下したものだ。さらに痛むのは分かっていたが、彼は唇をゆがめて笑った。当然のごとく、痛みが増す。その痛みが愛しく尊いものであるかのように、甘んじて痛みを受け入れる。


(だが、他の者には見せられないな)


 哨戒の任についている者は、この館に仕える私兵だ。どこからどう話が漏れて、八重香たちの不利に働かないとも限らない。

 彼は、左肩でまとめていた髪を少しだけ緩めた。緩めた分、たわんだ髪で顔の左半分が隠れる。これなら闇に紛れて気づかれないだろう。


 何事もなかったかのように哨戒兵の間をすり抜け、宛がわれた部屋へと戻った。

 窓際のテーブルは先ほどカロルとの打ち合わせに使った時のまま、わずかな筆記用具が転がっている。

 念のために張っておいた結界にも異常はない。そうやってに異変が無いことを確かめた後、彼は窓際の壁にもたれて外を眺めた。

 宵闇に浮かぶ庭園。そのずっと先で、城下の明かりがポツリポツリと灯っている。

 

『触らないで!』


 先ほど聞いた拒絶の声が、耳の中で響く。

 彼は差し伸べることさえ許されなかった手をじっと見つめた。

 拒絶され嫌われることは、彼女の部屋に足を踏み入れた時点で覚悟していた。

 だと言うのに、今更なぜそんなに落ち込むのか、彼自身にも分からないでいた。


 何度注意しても、八重香の無防備さは改まらない。

 それはおそらく平和な世界で、大切に育てられてきたからに他ならないだろう。彼女はこの世界に住まうどんな世間知らずの令嬢よりも、己の価値に疎い。

 これまで幾度となくそのことを危ぶみ、また苛立ちを覚えてきた。

 大なれ小なれ、彼女に下心を持って近づいてくる男たちを、彼女に気付かれぬうちに牽制してきた。

 始めは頼りない子どもを庇護するような、そんな気持ちだった。それがいつ、その(のり)を越えたのか。

 気がつけばそれは手の施しようがないところまで来ていた。一度自覚してしまえば、後はもう坂を転がるようだった。彼女の仕草の一つ一つが愛おしく、また言葉の一つ一つが甘く響いた。

 いつか元の世界へ帰る人だと言うのは重々承知していた。

 だから、己の想いを彼女へ伝える気は一切なかった。ただ、一番近くにいて、彼女の兄であり、師であり、庇護者であれればそれで良かった。

 いや、違う。

 それで良いと思っていた(・・)のだ。


 死線を超え回復した彼女は、もう昔の彼女ではなかった。それは左目を失ったと言う身体的な傷のことを指すのではない。

 ずっとそばに付き従っていたディナートさえ預かり知らぬところで、彼女の精神は確実に深みを増していた。彼のからかいに真っ赤になりながら食ってかかるのも、小さな悪戯がばれて肩を竦めるのも相変わらずだったが、時折深遠な眼差しで遠くを見ていたり、憂いを含んだ目で物事の核心をついてくる。

 それは以前の彼女にはなかったものだ。そしてその変化は外にもにじみ出ていた。

 もともと、地味ながら整った顔立ちをしていた。整ってはいたがただそれだけだった。街ですれ違ったとしても、印象に残ることさえないほどに平凡であった。

 それが、今はどうだ。

 彼女を初めて見た者は、まず例外なくその清冽な雰囲気に息を飲む。そしてその次に、清冽さの影に見え隠れする憂いに心を引かれ、最後に美しく輝く銀の瞳に魅せられる。

 彼女の後ろに控えたディナートは、そんな風に彼女の姿に鼻の下を伸ばす男どもを、短期間でうんざりするほど見てきた。

 なのに、いまだ彼女には、己が魅力的な存在であると言う自覚がない。地位的にも、女としても、この上もなく極上だと言うのに、だ。

 

 彼女の疎さに、日々苛立ちが募っていた。

 砦から西都までの道のりに点在する町や村は、半分ほどは無人であったため、夜は野営と言うことがほとんどだった。

 いくら皆が勇者である彼女を神聖視し、心酔しているとはいえ、不埒者が出ないとも限らない。警戒してしかるべき状況であると言うのに、彼女は何の警戒もなく一般兵にも近づいて行く。

 『人の気も知らないで……』そう思いながら幾度もため息をついただろう。

 そんな日々の果てに着いた西都で、彼は聖女の兄であると言う、一筋縄ではいかなそうな男と出会った。

 爽やかな笑みの下で何を考えているか分からない。

 太陽と月のように相反する外見をしながら、ディナートはその男テリオに、自分と似た匂いを感じていた。

 彼の脳裏に、今までになく強い警鐘が鳴り響いた。


(この男は危険だ。きっと彼女を傷つける)


 にこやかに談笑しながら、心の中でディナートは警戒の度合いを引き上げた。


 彼の懸念通り、彼の知らぬところでテリオが八重香にちょっかいを出した。

 八重香が何を言わずともそれは彼女の態度ですぐ分かった。なのに、彼女は必死に隠し通そうとする。嘘も隠し事も下手なくせに、だ。


(どうしてそこまでして隠す? そんなにあの男が大事なのか?)


 そう思った途端、頭に血が上った。


(十中八九、騙されている。何故それに気が付かない? 何であんな胡散臭い男の甘言に載せられる!?)


 呑気そうな彼女の姿に、苛立ちはいつしか暗い怒りに変わっていた。


(私の助言を容れることもなく、あんな男にフラフラするのなら、少し痛い目を見て覚えて貰おうか)

 

 ディナートが彼女の手首を捕えたその時、彼の胸を焼き続けてきた感情が溢れだした。

 それは彼女に対する怒りであり、テリオに限らず彼女に近づこうとする男たちへの嫉妬であり、卑劣な行動に出た己への嘲りであり、行き場のない恋心への諦念であり、そして誤魔化しようもないほど、はっきりとした劣情も伴っていた。

 捕えた手首に噛みついた時には、理性のほとんどが飛んでいた。決壊した心を修復するだけの分別などとうになくなっていた。

 組み敷いた八重香の細い体と、思いのほか豊かな胸と、甘い香りに残りの理性すらもはぎ取られそうになりながら、彼女を傷つける言葉を吐き、彼女の体に恐怖を刻んだ。

 怯え、震え、泣く彼女に暗い喜びを覚えたことも否定できない。

 子が親を慕うよう、弟子が師を敬うよう、己を信じ切っている八重香の、その信頼をひとつひとつ断ち切る行為は、身を切るほどに切なく、そしてまた麻薬のように魅力的だった。

 八重香が自分を『男』として認識する。剥がれかけた庇護者の仮面に辛うじて縋っていた男に、それが魅力でないはずがない。

 このまま彼女を手に入れられるなら、と暴走しそうになる己を律しながら、彼は己の下で怯える彼女を冷たい言葉で煽る。 

 八重香にとってひどく恐ろしい時間だったそれは、彼にとっては心が擦り切れそうなほどに精神力を試される、甘く狂おしい拷問のような時間だった。


 崩れそうになる理性に必死で追いすがったその先で、彼は彼の目論み通り、八重香の反撃を受けた。

 それがどれだけ嬉しく、また一抹の寂しさをもたらすものであったか。

 まだ八重香の柔らかい感触が残る指先が、再びあの肌を求めて震えている。


(このまま彼女のそばにいては――)


 そう遠くないうちに、理性が欲望に負けるのではないか。そんな気がしてならない。

 彼女を組み敷くその瞬間までは、己がそこまで堪え性の無い男だとは思っていなかったのだ。彼女が異世界に戻るまで、その想いは秘しておけるとそう考えていた。だが、実際八重香を前にすれば、その自信はただの幻影でしかないと言うことを思い知らされた。

 あのまま彼女の手にかかって殺されても良かった。いや、いっそその方が幸せだったかもしれないとさえ思う。

 なのに彼女はそれを許さないどころか、大いに激昂した。


 なら、己で己を裁くしかない。

 彼女の部屋を退出する時にはそう決めていたのに。

 何故か彼女はディナートを引き留めた。

 そして、彼に『明日』を約した。

 明日と言う未来で彼を雁字搦めに縛ったのだ。

 

 逃げることも叶わず、彼は深い罪を負ったまま、唯一彼を断罪する権利を持った愛しい娘に囚われた。


 いや、すでにずっと前から心は囚われていたのだ。


 ただそこに、罪と罰も加わって、縛られた。それ、だけだ。


(あれだけ彼女を傷つけたんだ。もう、彼女を想うことは許されない)


 彼はそっと目を閉じると、小さなため息をついた。


(どんなに苦しくとも、この想いを封印してしまわねば……)


 奥歯をぎり、と噛みしめれば、唇の傷が疼いた。

 明日の朝には治癒してしまわなければならない。

 だが、もう少し痛みを受けていたい。それはただの未練でしかない。分かっているのに、治癒を施す気にはなれなかった。


(せめて、夜が明けるまで――)


 今夜は眠れそうにもなかった。






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