金の瞳が射る
耳の奥にこびりついた嫌な言葉を振り切るために、不必要なくらい急いで歩いていたら、あっという間に部屋の前まで着いた。
本当は先に一階下のディナートさんのところへ行くべきだったんだと思う。
でも、顔を合わせるのが何だか気まずかった。急いだせいで少し髪が乱れちゃったし、それを部屋で直してから行こう。そんな言い訳を無理矢理にひねり出して戻ってきちゃった。
「ヤエカ殿?」
ちょうどドアノブに手をかけようとした途端、背後から訝しげな声がかかって飛び上がった。
振り返らなくたって、その美声の持ち主が誰かなんて分かる。今一番顔を合わせたくない人だ。
やだどうしよう。まだ心の準備が出来ていないのに!!
「ヤエカ殿? どうかなさったんですか?」
訝しげな声が心配そうな色を帯び始めたので、それ以上無視するわけにもいかない。
「ごめんなさい。なんでもないです。ちょっとぼんやりしてたんで、ディナートさんの声にビックリしちゃって」
自然に話せてる、よね?
「それは失礼しました。――よくお似合いですよ」
「え? あ、これですか?」
ドレスの胸のあたりをぽんぽん叩くと彼は軽く頷いた。
「着てた服は洗濯中らしいので、お借りしたんです」
「そうでしたか。良いものを選んでいただきましたね。貴女にぴったりだ。実に華やかで可愛らしい」
「う……。それはさすがに嘘ってバレバレで……」
「嘘じゃありませんよ」
彼は少し眉をつり上げ、不本意そうに私の言葉を遮った。
いや、そんな顔をされても困る。
見えすいたお世辞なんていらないもん。
開き過ぎな胸元と背中は日焼けのせいで色の違いが目立ってる。腕だってそう。手の先は色が黒くて、籠手を着けてるあたりから上が白い。そんな腕に白くて繊細なレースなんて似合うわけないじゃない。
だいたいね、若草色なんていう可愛いくせに難しい色を着こなすなんて無理だ。
髪も右目の色も平凡なこげ茶だし、顔だってのっぺりしてて地味だし、ドレスに着られてます感しかない。
それなのに『華やか』だの『可愛らしい』なんてありえないでしょーが。
あ、ドレスですか? ドレスが華やかで可愛らしいと。ああ、それなら納得がいく。
私がよっぽど不満そうな顔をしていたのか、ディナートさんが小さく吹き出した。
「その顔からして私の言うことを信じていませんね? 困りましたねぇ。私の懸念をどうやったら理解していただけるのか。慮外者が続出しそうで心配です。これは貴女のお傍を離れるわけにはいきませんね」
りょ、慮外者?? そんなの出るわけないでしょ。だいたい皆いっつも私のこと子ども扱いしてるし、どっちかと言うと『ガキが背伸びして』って思われそう。ディナートさんの言うのとは別の意味で、皆の前にこの格好で出るのは遠慮したい。
「出来ることなら出立の直前まで、どこかに閉じ込めておきたいぐらいです」
迫真の演技ですね、ディナートさん。そんなにさも困ったふうに言わなくても良いですってば!!
「じょ、じょ、じょー!」
「じょ?」
そこで不思議そうに首を傾げない!
冗談もいい加減にしてくださいって言いたかったのに、言われ慣れてない言葉に大ダメージ喰らって舌が瀕死。
落ち着け。落ち着いてもう一回。はっきり口を開けて、一語一語ゆっくり丁寧に!
「冗談、は、よして、ください」
褒めすぎて逆に嘘くさいです。――とはさすがに言えないけど。
ああ、ほら。それよそれ。その大仰なため息とか、困ったふうなそれでいて苛立たしげな顔とか、それわざわざやらなくて良いんですってば。
「冗談、ねぇ。……まぁ良いでしょう。貴女の頑なさは今に始まったことじゃありませんしね」
頑固って何よ!
全然納得いかないけど、ドレスの話はそれで終わりになった。
話題は肝心のこれからの予定に移ったんだけど、直近の予定を聞いて、浮上しかけてた気分がどん底まで落ち込んだ。
領主のペルノさんから夕食の招待があって、出来ることなら受けるべきだって。
そりゃあね、私にだってその招待はよっぽどのことがない限り断れないものだって分かる。
けど、ね。
「――夕食ってテリオさんも一緒ですよね?」
ほぼ間違いなく一緒だろうと思ったけど、一縷の望みにかけて尋ねてみた。
「同席なさるとのことでしたよ」
ああ。やっぱり。
がっくりと落ちそうになる肩を気力で支える。
あんまり大げさに落胆したら、勘の良いディナートさんにさっきのやり取りまでばれちゃいそうだから頑張ってみたけど、でも小さなため息は止められなかった。
「彼が何か?」
目ざといディナートさんの目がすっと細まった。
まずい! 誤魔化さなきゃ!
「え? いや、だって。えーと。その……」
視線を合わせずに目を泳がせる私を、彼がじぃっと見下ろしている。
ど、どうしよう!? 何か言い訳になりそうなものは……。
ひとつだけ思いついたけど、これ言っていいのかな? いや、だってあながち嘘って訳でもないし? むしろ本当のことだし?
ちらりと見上げた彼の顔が予想以上に険しくて戦慄した。
悩んでる暇はなさそうだ。
「ディナートさん、彼と……その……あんまり相性が良くないでしょう?」
「なんだ。そんなことを心配なさってたんですか?」
そんなことっていうけれど。私、門の前で凍り付くかと思ったんですがね!
「安心してください。そんな無粋なことはいたしませんよ」
優雅で柔和な微笑みに納得しかけた次の瞬間。
「まぁあちらから向けられた水は謹んで受け取らせていただきますが」
背中を冷たい汗がしたたり落ちた。
やっぱりディナートさん怖い。そして意外に短気で好戦的だ。
「は、はあ」
どうやら誤魔化せたみたいだって言う安堵と、緊張を強いられる夕食になりそうだっていう気分の重さを曖昧な返事に隠した。
「で?」
「えっ!?」
威圧感のあるにこにこ笑顔が目の前にあった。
あんまりにも近いから驚いて反射的に飛び退ったけど、閉じられた扉にぶつかっただけだ。
「本当にそれだけですか?」
誤魔化しきれてませんでしたー!!
「それだけって何がですか?」
「先ほどから少し様子がおかしいですよ。何かあったのではないですか」
穏やかなのに有無を言わせない口調で聞いてくる。
彼の左手は、ドアが不意に開いてしまわないようにか、それとも私が室内に逃げ込むのを防ぐためか、はたまた両方の理由でか、ドアノブをしっかりつかんでいる。
右手はドア枠を掴んでいて、彼の囲いから逃げ出すのは不可能だ。
「ヤエカ殿?」
覆いかぶさるように上体を少し曲げたディナートさんが、ゆっくりと私の名前を口にした。
何でもないと小さく呟いて首を横に振ったら、「本当に?」と全く信じていない声が返って来た。
「隠し事が後々大きな痛手となることもあります。手遅れになることだって少なくないのです。――それを知っても貴女はまだ何でもないとおっしゃるんですね?」
冷たい言葉が心に刺さる。
彼の言うことは正しい。ほんの些細な理由で隠し事をしたせいで事態がこじれちゃうのはよくあることだ。
でも、さっきのやり取りはディナートさんには言いたくない。全部打ち明けても彼なら激昂なんてしないだろうし、冷静に対処もするだろう。
けれど、私の胸の中にテリオさんが流し込んだ言葉が染みになって残っている。そのことを知られたくなかった。『もしかしたら……』とほんの一瞬だけ思ってしまった、意志の弱さを認めたくなかった。
彼のことを信じてひとつも疑っていないと思われていたい。だから。
「ディナートさんの考えすぎです」
何でもない、と私は答えた。
「――そうですか。差し出口をききました。申し訳ありません」
覆い被さっていたディナートさんが、スッと身を離した。彼の影になって暗かった視界も明るくなる。
広くなった視界に突き放されたような心許なさを感じた。
「今後もし何かありましたら、必ず私にお話しください。それだけは約束していただけますか?」
「はい。分かりました」
金の瞳が暗く深い色を帯びて、彼の言葉に頷く私をじっと見下ろしていた。




