終わりの終わりと
ほどなくして、暖かいスープが運ばれて来た。
野菜と塩漬け肉を煮込んで作られたそれは、とても美味しそうな匂いを放っていた。部屋にふわりとその香りが漂った瞬間、お腹がぐうって切なく鳴いた。
空きすぎて痛くなったお腹をさすりながら、今更のように生きてるんだなって思えて、スープの匂いでそんなことを実感する自分に笑った。
さて。
この後、いただきますをする前にひと悶着あったんですけど、そこら辺の事情はすぱーんと飛ばして良いですかね。
「食べさせて差し上げます」「自分で食べる」なんてむず痒い攻防戦、誰が聞きたいと言うのですか。むしろ、私がしゃべりたくありません。
結果はご想像にお任せします。
ディナートさんはしれっと涼しい顔してるけど、私はいつまでも熱の取れない頬を持て余していた。
スープだけの食事はすぐ終わった。
絶食のあと急激に物をお腹に入れちゃいけないと言うけど、本当にその通りだと思う。目で見てただけの時はこれじゃ足りないと思ったのに、食べ終わってみると結構体に負担になってたみたいだ。満たされると同時に疲れも感じた。
ディナートさんの手を借りて横になって、彼が手早く後片付けをするのをぼんやりと見ていた。こっちの世界のことはよくわからないけど、ファンタジーのお約束から考えても、近衛騎士団ってエリートだよね。その副団長までつとめてる彼は、きっと身分の高い人だろう。それなのに、手慣れた様子で片づけをするから不思議だ。
こんなところで、こんなふうに私の世話なんてしていて、本当に良いんだろうか? また蒸し返すのかって叱られそうだから言わないけど。
お腹が満たされると眠くなる。体がもっと回復したがってる。けど、それよりも先に頭をぐるぐる廻ってる疑問を解決したい。
どこからどう話を聞いたらいいか見当もつかなかったから、とりあえず思いついたことを片っ端から聞いてみようかな。
「ディ――……」
彼の名前を呼ぼうと口を開いた時だった。
なんだか廊下が騒がしい。人が言い合う声と、鎧の音、足音。
「な、なに!?」
緊急事態発生かと思って慌てて身を起こそうとした私の横で、じっと扉に目をやりながら耳を澄ませていたディナートさんが首を横に振りつつ、大きなため息をついた。
それとほぼ同時に、ノックもなしに扉が勢いよく開いた。
「エーカが目覚めたって本当!?」
「――は?」
間抜けな声が出た。だって。なんで聖都にいるはずの聖女様がこんな辺境の砦にいらっしゃるんですかね!!
「エーカッ!!!!」
そう広くない部屋の中をぐるりと見渡したルルディは、私と目が合った途端すごい勢いで抱き付いてきた。
体を起こす途中、肘で体を支える姿勢をとったまま固まっていた私は、その勢いに負けてまたベッドに逆戻りした。
何するの、と抗議しようとして、やめた。首筋に抱き付いてるルルディの頭は私の顔のすぐ近くにある。いつも綺麗に結われていたり、結わない時も綺麗に整えられてる髪が、今はだいぶ乱れている。――そんなに走らなくてもいいのに。自分でも知らないうちに笑みが漏れた。
「おはよう、ルルディ。どうしてここにいるの?」
彼女の髪を指で梳きながら尋ねた。思ったより穏やかな声が出た。
「なに呑気なことを言ってるの! 心配したんだから!!」
がばっと顔を上げた彼女は、眉をこれ以上ないくらい吊り上げた。美人が怒ると迫力あるんでやめてほしいな、なんてね。怒らせたのは私か。
ごめんと謝ろうとする矢先、ルルディの大きな目に見る間に涙が浮かんで、あっと言う間にボロボロとこぼれはじめた。
「ルル、ディ?」
「ごめん、エーカ。ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんっ」
私の胸に顔を埋めて、わっと泣き出した。
枕元に佇んでいるディナートさんへそっと視線を走らせると、彼は無言で頷いてその場を離れた。
ルルディが開けっ放しにした扉の向こうで、銀色の鎧を来た人たちが数人、勝手に部屋に入るわけにもいかず困っていた。
ディナートさんはその人たちと何か話し合って、それからゆっくりと扉を閉めた。扉が完全に閉まりきる寸前、よく見知った顔が見えた。セラスさんだ。会わなかった期間はそんなに長くないのに、なぜか凄く懐かしい感じがした。
ルルディの肩に手を置くと、彼女が微かに震えているのが分かった。
彼女から洩れてくる小さな嗚咽を聞きながら、私は自分の身にたぶん何か取り返しがつかないことが起こったんだろうと理解した。そしてそのことでルルディが自分自身を激しく責めていることも。
取り返しのつかないことが何なのかも、何となく察した。予想通りなら確かにそれは取り返しのつかないことだし、このさき生きていくうえで不自由を感じることもあるだろう。
なのに、私の心は驚くぐらい穏やかにその事実を受け止めようとしていた。
「ねぇ、それって私の顔の包帯と関係あること、かな?」
私の口から出た静かな問いに、ルルディの肩がびくりと大きく跳ねた。
「これ、解いていいかな?」
左の手のひらは綺麗に傷が治ってる。なら、顔の傷も治ってるはずだ。それなのにこの包帯。おそらく壊滅的なダメージを受けたのは顔の皮膚じゃなくて――
左目、なんだろう。
「エーカ!」
泣きぬれた顔を上げて、包帯を取ろうとする私を諌める。
「でも、もう全然痛くないし、取っても大丈夫なんでしょう?」
駄々をこねる子どもみたいにルルディが首を横に振った。
彼女に聞いても埒が明かないと分かったので、今度はディナートさんに向かって尋ねた。
「駄目なんですか?」
「駄目と言うことはありませんが……」
彼にしては珍しいくらい歯切れの悪い返事が返って来た。怒ってるんじゃないかって見間違うくらい苦々しい顔をしている。
「じゃあ、邪魔だから外します」
「私が」
包帯の結び目が分からなくて迷っていた私の代わりに、ディナートさんが外してくれると言う。
私の意思が固いと悟ったルルディは身を引いて、ベッドから一、二歩下がった。丁度そこへセラスさんが入って来て、その横に並んだ。セラスさんは包帯を解こうとしてる私たちを見て一瞬驚いたような顔をしたけれど、そのあとすぐに表情を消した。目が合ったので私は笑って頷いた。私なら大丈夫だから、と。彼女もゆっくりと頷いた。
ディナートさんの手でするすると包帯が解けていく。解けた包帯は、ベッドに上半身を起こして座っている私の太ももへと溜まっていく。それをぼんやり見つめているうちに全て解けた。けれど、視界は包帯している時とほぼ変わらない。ただ、完全に真っ暗と言うわけじゃなくて、うっすらと明るさを認識してはいるみたいだった。
ああ、私の左目は本当に見えないんだ。
恐慌を起こしても、泣きわめいても、きっと誰も私を責めないだろう。なのに私の心は自分でも信じられないくらいの穏やかさでその事実をあっさりと認めてしまった。
次に起こった疑問は、皆からこの顔はどう見えているんだろうと言うことだった。出来れば見た人が嫌な気持ちになるような顔になってないと良いけれど。
「鏡、ありませんか?」
私の一言に皆が凍り付いた。
けど、いつまでも隠しておけないと思ったんだろう。ディナートさんが動いた。廊下で護衛をしている兵士のうちの一人に手鏡を持ってくるよう指示を出す。ほどなくして、少し大きめの手鏡が運ばれて来た。
失明したことはあっさり受け入れちゃったけど、自分の顔を見るのには少し勇気が要った。
恐る恐る覗き込んだ鏡の中に映ってたのは……
「えっ?」
思わず声を上げていた。
鏡の中の私の顔は、前と全く同じで火傷したなんて全然分からなくなっていた。強いて言えば、頬の近くの髪も焼けちゃったらしくて、一部の髪が耳の下くらいまで短くなってるのが火傷の名残と言えば名残だ。
ただ一つ。決定的な違いは。やっぱり左目だった。醜く濁っているわけでも、なくなっているわけでもなくて。
どういうわけか、とても綺麗な銀色の瞳に変わっていた。
「綺麗……」
ついそんなことを呟いたら、三人が三人とも何とも言えない変な顔をしてため息をついた。
私の受け答えがあまりにも呑気だったから、事実をちゃんと認識できてないんだと思われたらしい。これ以上の話は後にして一度休んだほうが良いと言われた。
でも、どちらかと言えばもう少し教えて貰えないと、気になって眠れない。しつこく食い下がる私に根負けした形で、三人は代わる代わる私が寝ていた時のことを教えてくれた。と言っても、ずっと一緒にいてくれたディナートさんと、治療にあたってくれたルルディからの話が主だったけど。
三人の話を要約すれば、こうだ。
あの日、私をこの砦まで運んだディナートさんは、水鏡を使ってルルディに私が負傷したことを連絡した。出陣する騎士たちを見送るため、兼、最悪の事態が起こった時にすぐ動けるようにと、西方騎士団の拠点のある街――西都という都市だ――までやって来ていたルルディは、その知らせを聞いてセラスさんたち精鋭を数人護衛に連れて、砦まで馬を駆った。
余談だけど、地方領主の娘だったルルディは馬に乗るのが得意で、セラスさんたちと遜色ない速さで馬を走らせられるんだそうだ。
一方、砦に運び込まれた私はと言えば、力を根こそぎ使い果たしてた上に、体力も底をつきかけていて、とてもじゃないけど大規模な治癒の術に耐えられるような状態じゃなかった。
ディナートさんの力を私に流し込むことで、騙し騙し術をかけながら、ルルディの到着を待った。けれど、他人の体に力を流し込むって言うのはすごく大変なことなんだって。ディナートさんの消耗も激しくて、万策尽きると思われたその寸前ルルディが到着。
彼女の規格外の力のおかげで、私にさしたる負担もなく火傷の治療は済んだ。
けれど、ホッとしたのもつかの間。
今度は左目辺りを中心に紫の痣が現れた。禍々しい気配を放つそれは、皮膚の下に木の根が張るようにどんどん広がった。初めて見るルルディたちにはそれを止める手立てもなかった。
その紫色の根が首に到着した頃。
突然アレティが現れて、私の胸の上で銀色に輝きだしたんだそうだ。結界が張られたらしく近づこうにも近づけず、固唾をのんで見守るうち、光はどんどん弱くなり、しまいにはアレティが力なくベッドに落ちた。
その時、私の顔にはもう痣はなく、ぼんやりと天井を見つめていたんだって。目覚めたのかと思ってルルディが声をかけると、私はゆっくりと視線を動かして彼女を見て一言、
「すまぬ」
と男のような声で言って、目を閉じた。
その時すでに私の左目は銀色をしていたらしい。
紫色の痣が何なのか、アレティは何をしたのか、分からないことが多い――と三人の話は締めくくられた。
紫色の根と聞いて、何故か私は「あれか」と思った。よく思い出せない夢の中でその話を誰かから聞いた気がする。あの根は人の心まで蝕む毒だと。
アレティが銀色に光ったのはその毒を浄化するため。それもなぜか確信していた。
なぜ瞳の色が変わったのか、視力がほとんど無くなったのかは分からない。
視力のほうは火傷のせいなんだろうなって見当はつくけれど。治癒の術は、人のもつ回復力を増幅させるだけで、失ったものは戻せないからね。
――ああ。それでこんなふうになったのか。
「すっごい納得しました」
私がそう言うと、三人三様に「え!?」っと驚いていた。その顔が面白くて、私はつい笑ってしまった。
納得した途端、急に眠くなった。このまま寝たらさすがに失礼だから我慢しようよ、自分。そう思うけど、思ってる途中ですでに半分夢の世界だった。




