終わらせるために
生理的嫌悪を引き起こす可能性のある表現がございます。
ご注意ください。
特に蛙関係が苦手な方は要注意です。
――モウスグ、ダ。待チワビタゾ、コノ時ヲ。
核に近づくにつれ、腰のアレティが熱を帯びて来て、興奮しているのか鞘の中で震えてカタカタと音を鳴らしている。
アレティに意識を向けると、歓喜の念と、物騒な殺気が流れ込んできた。
(アレティ、暴走しないで、ね?)
――暴走ナドセヌ
そんな答えが返って来たけど、興奮っぷりを見る限りなーんか怪しいなぁ。私は苦笑いをひとつして、アレティの柄をポンポンと叩いた。
私たちを囲むように北へ向かっていた騎士たちは、飛来する妖魔と戦うために、ひとり、また一人と離脱していって、最初の半分も残っていない。
「あれか!」
ディナートさんが低く呟いた。彼の視線の先を辿れば、森の中にぽっかり丸い穴が空いたように、木がなくなってる場所がある。
地獄に通じる穴から亡者が這い出すように、そこから灰色の妖魔が飛びたって、迷うことなくこっちに向かってくる。――やっぱり人がいるって分かるんだ。
全部こっちへ向かってくるのかと思いきや、南西へ向かう奴らもいた。
南西? 振り返ってそいつらが向かう方向を見れば……青い空の中に、無数の黒点が見えた。その黒点はどんどんと大きさを増して、あっという間に灰色の妖魔たちと対峙した。
「ディナートさん、あれ、アハディス団長たちじゃ?」
私の声にディナートさんがちらりと後ろを振り返った。
「我々の方が一足早かったですね」
「ですね!」
勝ったと言わんばかりに笑う彼に合わせて、私も笑う。
怖いと言う気持ちは随分薄れて、今は『絶対にやってやる!』って高揚感が勝ってる。アレティの興奮に引きずられてるのかもしれない。
「さて。そろそろ、離脱しますか」
「はい!」
私は彼の首に、改めてしがみつきなおした。
「カロル! 隊列から離脱する。あとを頼む」
「はっ!」
ディナートさんはカロルさんを振り返って、大声で命令を出した。返事を待たないうちに、速度が上がる。
ひゃっと言う情けない悲鳴が口から出そうになるのを、慌てて飲み込んで奥歯を噛みしめた。
あっという間に核の上にたどり着いた私たちは、文字通り絶句していた。
あまりに不気味で全身に鳥肌が立つ。
なんて言うか……
「生卵みたい……」
それもすっごくまずそうな。むしろ、食べたら中毒しそうな。
「……ヤエカ殿。卵を食べるたびに思い出しそうなので、やめて頂けますか、そう言うの」
心底嫌そうにディナートさんが言うので、私は思わず噴き出した。
「せっかく一緒に核を眺めた仲間ですし、仲良く卵苦手になりません?」
「なりませんよ。そもそもあんなのと一緒にされたら、卵が可哀想だ」
足元には『あんなの』呼ばわりされた核が、蠢いている。
もともとは湖だったのかな。きっと昔は綺麗な水を湛えていたはずのそこは、薄灰色の液体が溢れんばかりになっていて、空の上から見ても粘度の高そうな揺れ方をしている。
その真ん中、灰色の液体を被膜のようにうっすらと被って、赤黒い球体があった。まるでなにか透明な袋に血が入っているみたいだ。
それが生きているかのようにドクンドクンと脈動してる。生きているかのように、じゃなくて実際生きているのかもしれない。
「あの赤いのが、核なんでしょうかね」
ディナートさんのその問いにアレティが「是」と答える。
「アレティ曰く、そうらしいですよ」
私はアレティの答えを彼に伝えて、また眼下に目を向けた。
赤黒いものが脈動するたびに、周囲の液体がたぷんとぷんとさざ波を起こしている。その波が太陽の光を反射するのではっきりとは分からなかったけれど、灰色の液体の下に何かが沈んでいるのが分かった。濃い影が規則正しく点在している感じだ。
なんだろう?
よくよく目を凝らしてみて、総毛立った。蛙の卵のようなものが一面にびっしり沈んでいる!
無意識に、喉から「ひっ」と小さい悲鳴が漏れていた。私のその様子にディナートさんも私の視線の先に目を凝らしたらしい。
「あれは……妖魔の卵、でしょうか」
「え?」
「あそこを見てください」
ディナートさんが指示したのは、灰色の湖のほとり。妖魔の濡れた手が水面に現れた。その手が岸辺の土を掴み、水の中からゆっくりと妖魔が這い出してきた。陸に上がったそれは全身にまとわりついた粘液を振り払うように体をゆすり、体の動かし方が分からないかのように何度か歩くのに失敗し、やっと歩いた思ったら覚束ない足取りで森の中へ消えていった。
「今のは……」
「生まれたばかりの妖魔、でしょうね。ほら、よく見るとあの影は動いています」
ディナートさんの言う通り、蛙の卵のようなそれの、真ん中にある濃い色の影は、赤い球体の脈動に呼応するかのように蠢いている。
いくつかの影は卵の殻を破るためか、細い腕をいっぱいに伸ばしている。もうすぐ孵る妖魔なのかもしれない。
「あれが全部……妖魔……」
生理的嫌悪とかそう言うのを超越したところでゾッとした。あれが全部孵ったら。核を壊さない限り卵はずっと増え続けて、妖魔は孵り続けて……。おびただしい数の妖魔を想像して気が遠くなった。
私はその嫌な想像を振り払った。
「ディナートさん、手筈通りお願いします!」
「本当にいいんですね?」
「良いに決まってます。ちゃんとやれます。だから。だから私を核の上へ落としてください!」
「分かりました。では参りましょう」
ディナートさんに核の真上から落としてもらって、その勢いで核にアレティを突き刺す。それだけ。単純明快でしょう?
風の術を操れるので、落ちてもそのまま地面に叩き付けられることはない。万が一、落下位置がずれた場合の備えもOKってこと。――たぶんね。
ここに来てこの形状を見て、この戦法(?)で良かったと心の底から思った。
あんな気持ち悪い灰色の液体の中を核まで泳いでいくなんて、真っ平ごめんです。さぁサクッと行きましょ、サクッと!
「じゃ、ちょっと行ってきますね?」
「ええ。では、また後ほど」
そんな軽い挨拶で私たちは離れた。
彼の腕を離れた途端、耳元で風がごうっと唸った。体中に凄い力がかかる。私は慌てて障壁を張りなおした。途端に周囲の風が止む。
落下速度は変わらないけど、風の抵抗が止んだことで少し心の余裕が生まれた。
アレティを手の中に呼んでしっかりと握る。
遙か頭上で、剣の音が聞こえる。それに混じって、爆発音やひゅんと風を切る音、ギャアギャアと耳障りな鳴き声もする。ディナートさんが妖魔と戦ってる。
私は上を見上げた。そこには予想通り、群がる妖魔を切り捨て、吹き飛ばし、叩き落とすディナートさんの姿があった。
妖魔が私に気付かないよう、ディナートさんが最後の囮になってくれている。
彼が屠った妖魔の体液がこっちに向かって降り注いでくる。ぱたぱたっと水滴が当たる音がして、障壁にいくつか緑色の液体が付着した。
「え?」
その中に一つだけ、赤い液体が混ざっていて、私はつい声を上げてしまった。
赤い。赤い。赤いのは――?
ディナートさんの?
どんどん遠のいて小さくなっていくディナートさんの姿は、相変わらず鬼神のように凄くて怪我をしているようには見えなかった。
どうか。どうか、彼の怪我が軽いものでありますように!
今はそう祈ることしかできない。
私がやるべきことは彼の心配をすることじゃない。もうすぐそこまで迫った、不気味に赤い球体に、アレティを突き立てることだ。
――喜。喜! 喜!!
アレティから、言葉にならない感情が流れてきた。
(アレティ、お待たせ。存分にやっちゃって! 全ての元凶を壊して!!)
――御意!
私はアレティを構えなおした。いつもの構えとは違う。切っ先を下にして、核を突き刺すように。
そして自分の周りを囲っていた障壁を消した。途端、風が耳元で、ごうっと唸り、生臭い異臭が鼻をつく。
これで終わりだ! これで!!
アレティの切っ先が、赤い球体に触れた。




