第19話 実力差
護の登場に最も驚いたのは美咲だった。
動揺したという点でいえば、リッツが最も動揺していた。
そして最も平静だったのはローガンだった。
降りてきた護に突撃したりはせず、ローガンは護をただ見ていた。
知っていたからだ。
奇襲程度では倒せはしない、と。
美咲を抱き上げ、カラミティをビルの外に吹き飛ばした護は、襲ってきた魔法師たちの前からすぐに姿を消した。
美咲を抱えたまま戦う気がなかったからだ。
護は空中にジャンプし、プロテクションを足場にしすると、貯水タンクの上に着地した。
そんな護を冷静に目で追ったローガンは、ゆっくりと深呼吸をした。
美咲を抱えていたため、その動きを追えたが、全力で動かれれば、また翻弄されるだろう。
そう分かっていても、ローガンは笑っていた。
先ほど対戦したときと比べて、護の速度や動きには大した違いはなかった。
けれど、纏う雰囲気は全く別物だった。
怖い、と感じたのは久しぶりだと思いつつ、ローガンは口を開いた。
「派手な登場だな?」
「そっちが俺の友人を攫ったせいで、こんな登場をする羽目になった。そっちのせいだ。俺の趣味じゃない」
ローガンにだけ護は目を向けていた。
この場で敵と認識しているのはローガンだけなのだ。
それを理解しているのか、ローガンは集中力を高めていく。
それでも勝負になるかすら怪しいと思わせるほどに、護は強者の雰囲気を纏っていた。
自然と後ずさりしそうになり、ローガンは自分を叱咤した。
求めた相手が目の前にいる。
恐れている場合ではなかった。
「ば、馬鹿な……あの時の学生……? そ、そうか! サー・ドレッドノートめ! 子供に先陣を切らせたんだな!」
「常に真っ先に敵に突撃し、多くの敵をひきつけるがゆえにサー・ドレッドノート。その艦から1人だけ降りてきたのだ。どれだけ信じられずとも信じるしかない……。あの少年がサー・ドレッドノートだ」
ローガンはリッツの言葉を否定し、そう言い放った。
リッツも、そしてその場にいたリッツの部下たちも、内心では気付いていた。
それでも信じたくは無かったのだ。
騎士が目の前にいるという事実を。
「結城君……」
「驚いたか?」
「……少し」
「少しかよ。最大の秘密だったんだけどな」
抱えていた美咲を降ろしながら、護はそういった。
そんな護に対して、美咲は柔らかく微笑んだ。
「なんとなく軍の関係者だろうなって気がしてたから。流石に騎士だとは思っていなかったけれど……圧倒的防御に優れた体術。よくよく考えれば、噂のサー・ドレッドノートと一致するもの」
「まぁ、そうだわな。俺も真剣に隠す気はなかったし。ただの高校生と騎士を繋げられる思考の持ち主がいるとは思えないし」
どれだけ力を見せても、普通はありえないと思う。
今、目の前にいるレムリアの兵士たちのように。
「1つ聞いておきたいことがある」
「それは俺もある。それに答えたら、俺も答えてやる」
「なんだ?」
「残りの生徒はどこだ?」
「ここから数百メートル離れたところにある廃工場においてきた。“まだ”息はあるだろうさ」
「そうか」
護はビルを旋回しているデュランダルを見て、頷いた。
それだけでデュランダルは旋回を中止し、ほかの場所に向かう準備を始めた。
遠隔知覚用の魔力の球体が、いくつか護の近くにはあった。
それは映像と音声を術式に届ける。
最優先は人命。
それがリリーシャの指示である以上、生徒の場所が分かればそこに行くのは当然であった。
「艦を行かせたか……。大した自信だな」
「人命優先という命令だからな。降伏するなら命だけは助けてやるぞ?」
「できん相談だな。こちらの質問に答えてもらおう。この作戦を知っていたのか?」
ローガンの質問のシンプルさに護は苦笑した。
聞いたところで意味のある質問ではなかった。
こうして作戦は破綻しており、その破綻が偶然であれ、必然であれ、今更意味は無い。
「レムリアに不穏な動きがあったから、アストリアは事前に手を打っていただけだ。全貌を知っていたわけじゃない。ただ、ホールを狙うだろうことは予想できていたから、騎士の中で唯一、日本政府に顔が割れていない俺が派遣された。全て知っていれば、誘拐だなんて許しはしない」
「そうか……。では同胞が情報を売ったというわけではなさそうだな……。これで安心して命を賭けられる!」
ローガンは両手に握り拳を作った。
死ぬ覚悟での攻め以外に、護に勝つ手段はないと腹をくくったのだ。
そんなローガンを見て、護は自分の斜め後ろにる美咲に告げた。
「目を瞑ってろ。できれば耳も閉じててくれ」
「……人命が最優先じゃないの?」
「レムリアは敵だ。人である前にな」
護の言葉を聞いて、美咲はリッツの言葉を思い出した。
我々はお前たちを同じ人間として扱う気はないという話だ。
民間人を巻き込むことに欠片も罪悪感を抱いていないリッツの表情も、同時に浮かんできた。
民間人と軍人は違う。それはしっかりと美咲は理解していた。
護がいうことが正しいことも理解していた。
けれど美咲は嫌だった。
「私が……目を瞑らなかったら、殺さないでくれる?」
「……なに言ってるのか理解してるか?」
「してる。私は結城君には人を殺してほしくない。殺さないでも、捕まえることは可能なんでしょう?」
「まぁ、どっちも大して手間は変わらないけど、あいつらは俺の顔を見た。これは割と大事だ」
「じゃあ、私も殺すの? 日本政府にもバレたら困るんでしょ?」
美咲の言葉に護は困惑した。
なぜ、そんなことを言い出すのか理解できなかったからだ。
護としても、人を殺したいわけではなかった。ただ、殺しておいたほうが、後々、面倒が少なくなると判断していた。
「おいおい……怖くて頭がおかしくなったか?」
「失礼ね。私はただ、友人に人を殺してほしくないだけ。今だけでもいいから、お願い。自己満足なのはわかってるけど……嫌なものは嫌。聞いてくれないなら、私は目を閉じないし、あまりの恐怖でお父様に結城君の正体を喋ってしまうかもしれないわ」
脅しかよ、と護は思わず思った。
頬は引きつり、視線は完全に美咲に向いてしまった。
実際問題、美咲にはリリーシャ自身からの口止めが入るだろうから、それを破るというのは難しいだろう。
しかし、それらを無視して、父親である九条正仁に護の正体を伝える可能性は確かにあった。
そんな意味のないことを美咲がするとは、とても思えなかったが、護はその可能性を考慮した。
そして護は苦笑した。
できるだけ人を殺さないように。
そう自分に言った少女を思い出したからだ。
「昔、似たようなことを言った女がいたな……」
「じゃあ、私のお願いも聞いてくれる?」
「今回だけは聞いてやる。どうせ、殺すのも気絶させるのも、手間は変わらないし……それができるだけの実力差はあるしな」
護はゆっくりと正面を見た。
そのときにはローガンは護に肉薄していた。
それに驚くことはしなかった。
隙を見せたのは護であり、攻められることが分かっていて、わざと隙を見せたからだ。
あえて晒したのだ。
ローガンの腕には深い赤色の炎が纏っていた。
まずは左腕が護に向かってきた。
それを護はプロテクションで防ぐ。
≪プロテクション≫
それはローガンには予想通りだった。
美咲がいる以上、攻め込めば受けに回るはず。
その最初の受けは、魔術による防壁。
その最初の防壁にヒビを入れて、2撃目で砕いて、護に攻撃を当てる。
防御の硬い相手に対するセオリーだった。
ただ、1つ問題だったのは、護のプロテクションの防御能力を勘違いしていたことだった。
学園で対戦したときにつけていたギアは、あくまで学園で生活するためのモノ。
一方、今つけているイージスは、防御魔術を使うために特化した最新鋭のギアだった。
プロテクションの性能も勿論、底上げされていた。
ローガンの左腕から放たれたストレートは、護のプロテクションにヒビを入れることすらできなかった。
それでもローガンは攻撃をやめない。
この機を逃せば、次はないとわかっていた。
右腕から渾身のストレートが放たれた。
鎖骨を痛めている左腕よりは確実に威力の高いストレートだった。
しかし、それもプロテクションに防がれる。
攻撃を当てることすらできないことに、ローガンは笑みを浮かべた。
アストリアに48人いる騎士。
その中でも最硬と謳われる男の防御魔術。
そう簡単に破れるわけがない。
そこでローガンは気付いた。
自分が浮いていることに。
護に飛び掛った状態がずっと続いていた。
しかし、護は貯水庫のギリギリに立っている。
では、自分はどこに立っているのか。
ローガンは下を見て、目を見開いた。
そこには護のプロテクションが張られていた。
下だけではない。左右も、後ろもプロテクションが張られており、前には護がいた。
「これで逃げられないな」
「ちっ!」
身動きが取れない状態で、ゼロ距離からの技を食らうわけにはいかないローガンは、急いで魔力障壁の術式を展開し始めた。
動きを封じた護も、大技に出るつもりなのか、腰を下げていた。
どちらが速いかの勝負。
それにローガンは打ち勝った。
今までで一番といえるほどの速度で、魔力障壁を展開することに成功した。
障壁の向こう側では、護がようやく動き始めていた。
「魔力障壁か……それはもう“時代遅れ”の魔法だぞ?」
「なに……?」
「魔力障壁の不敗神話は九条正仁が終わらせた。それでも最高の防御魔法であり続けたのは、九条正仁が例外だからだ。けれど、俺は違う」
護は右手で手刀を作る。
その手刀には黒い“障壁”が纏わりついていた。
「魔術は魔法を超え始めてる。その実例だ」
「まさか……!? それは!?」
ローガンは目を見開いた。
魔力障壁は全方位の防御魔法である。
その硬度は圧倒的で、物理攻撃ではまず破壊されることはない。
常に周りの魔力によって硬度が保たれるため、硬度が落ちることもない。
ただし、術式が複雑なため、展開に時間がかかる。
そして自分も碌に動けなくなる。
そして複雑すぎる術式のせいで、柔軟な運用ができない。
腕にだけ纏わりつかせるなど、術式を自分で展開する魔法師には不可能な芸当である。
だが、ラピスに刻む段階でそういう術式にしておけば問題はない。
術式が高度であればあるほど、ラピスに刻むのは難しいが、一度刻んでしまえば、術式を展開する手間は省ける。
術式の展開が難しい魔法であればあるほど、魔術に転用すれば有効な技となる。
それを護が証明していた。
護の手刀はローガンの魔力障壁を易々と貫き、ローガンの右肩に深く突き刺さった。
どうして護が貫けたのか。
腕を思いっきり振る運動エネルギーが加わり、なおかつ衝撃を加える部分が小さかったから、という理由もあるが、単純に。
単純に護が展開した“イージス”のほうが硬かったというのが一番の理由だった。
「魔力……障壁を魔術で再現したのか……?」
「違う。発展させたんだ」
護はローガンの右肩から右手を引き抜くと同時に、左足をローガンのほうへ一歩踏み出した。
左手の形は掌底。
ローガンは咄嗟に後ろに下がろうとしたが、その動きはプロテクションで封じられている。
一切、威力を逃がす隙間はローガンには存在しなかったのだ。
≪激浪≫
ローガンの体が激しい魔力の波に襲われた。
内臓は揺さぶられ、体全体が内側から攻撃される。
ローガンは血を吐き出し、膝をついた。
そんなローガンを護は血で濡れた右手で受け止めた。
「悪いが、お嬢様のお願いなんだ。ちょっと気絶してろ」
必要はないだろうと思いつつ、護は左手で軽くローガンの首を叩いた。




