閑話 レコードで 家でゆっくり 聞いてみて
本日2025年8月25日(月)に『異世界で 上前はねて 生きていく』コミカライズ第11巻の電子版が発売されます。
実本版は少しズレて8月29日(金)の発売となりますので、何卒よろしくお願い致します!
この話に出てくるのは『第22話 弱そうだ どことは言わんが 弱そうだ』、『第101話、第102話 麗しき 女の影に 悩みあり』などに登場するサワディの同級生の女の子です。
トルキイバのシェンカー歌劇団通いの婦女子の間に、近頃流行っているものがあるそうで。
それはレコードと呼ばれる、ペラペラの円盤のようなもの。
約一年ぶりに訪れた友人の家の応接室で、そうとしか言いようがないものが、私の目の前で揺れていた。
「んふふふふ、どうかしらエルファさん? これを集めるのに、私もなかなか苦労しましてよ?」
私の同好の士である、トルキイバ住まいの子爵家の奥方であるロゼさん。
彼女はつるっとして黒いその円盤を私に見せながら、ニコニコと微笑む。
「それでロゼさん、そのレコード……? でしたっけ? それはどういうものなのでしょうか?」
「あら、エルファさんはレコードの使い方をまだご存知なかったの? それはごめんなさいね。そうよねぇ、年始から出回り始めた物ですものねぇ」
彼女はちょっとバツの悪そうな顔をして、ちょこんと頭を下げた。
「だって去年はこんなものなかったんですもの」
「そうよねぇ、ごめんなさい」
私は生まれも育ちもこのトルキイバなのだけれど、今は夫の仕事の都合で別の街で暮らしている。
この夏に久々の長期休暇で戻ってきたのだけれど、ずいぶん演劇情勢も変わってしまったみたいね。
「えっとねぇ、このレコードっていうのはね……うーん、話すよりも使ってみた方が早いかしら」
ロゼさんは黒い円盤入りの袋がぎっしり詰まった箱を見ながらそう言って、応接室の壁際に控えていたメイドを手招きした。
「ビーリー、かけて差し上げて」
そう告げられたメイドは、そそくさとロゼさんに近づき、何かを耳打ちする。
「うーん、そうねぇ……エルファさんはメジアスがお好きだから……先週のアストロバックスの恋で」
『アストロバックスの恋』と言えば、そこそこ新しい劇ですわね。
五年ほど前、私の同級生でもあるサワディ・スレイラという男に招待され、旅行がてらにトルキイバを訪れたメジアス。
様々な劇場や演劇好きの貴族から招待状を受け取りながらも、彼がそのほとんどを断って通い詰めたのは……
この地の有名店である、喫茶店アストロバックスだったそう。
そのアストロバックスで、ペペロンチーノを食べながら書かれた脚本がスレイラの手に渡り。
それが双子座で上演されたのが『アストロバックスの恋』でしたかしら。
でも、あの劇がどうしたのでしょうか?
パンフレットぐらいなら、私も持っているのだけれど。
「針に気をつけてね」
「かしこまりました」
メイドは部屋の隅に置いてあったラッパのような機械に、黒いつるつるのレコードをはめ。
そしてゆっくりと腕のようなものを降ろしていくと……
ラッパからシューッと何かが擦れるような音が聞こえてきました。
「すぐに始まりますわ」
「えっ?」
ロゼさんの言葉通り、それは始まりました。
なんと誰も吹いていないラッパから、音楽が聞こえてきましたの。
「まぁっ!」
それも鳴り響いたのはラッパの音ではなく、楽団の演奏する劇伴。
そしてそれに続くのは、役者さんたちの声でした。
『さあ! 麗しのアストロバックス! 今日も私の腹を、心を! その素晴らしい料理で満たしておくれ!』
流れ出したのは『アストロバックスの恋』の冒頭の台詞、どういう事かしら?
私がロゼさんの方を見ると、彼女は自慢げに微笑む。
「このレコードには、劇が丸ごと吹き込まれていますの」
「まぁまぁまぁ、こんなもののどこに……」
彼女が手に持つ円盤を眺めてみても、全然仕組みがわかりませんわ。
複雑な魔法陣が組み込まれているのかもしれないけれど、表面が黒くて全然わかりませんし。
「あの物知りなシュラインさんの旦那様がおっしゃる事にはね、この溝に音が入っているらしいですわよ」
「溝……? たしかに、言われてみればあるような……」
よく見てみると、なるほど模様に見えていたのは細い細い溝でしたのね……
「ここをあの魔具についた針で擦ると音が出るんだとか」
「な、なるほど……?」
「よくわかりませんわよねぇ」
クスクスと笑いながら、ロゼさんは意外とざらざらしていたレコードの表面を撫でた。
「これなら家にいても劇が聞けるというわけですわね。でも今の双子座にはあんなに演目があるのかしら? それとも予備かしら?」
私がそう言うと、彼女は堪えきれないとでもいうように口元を抑えながらムフムフと笑った。
「エルファさん、このレコードはね……先々月の白光組の『もう遅い』公演が録音されているものなの、この時のレニッツ役は薄光のローキャロン。こっちは半年前の『もう遅い』公演で、レニッツ役は金海組の穂影のエイビスよ」
「まぁ! それじゃあ……」
もしかしてレコードというのは、演じる組の劇ごとに存在しているのかしら?
それだと、各組にひいきの役者がいる人はずいぶん集めないといけないわね。
「そう! 双子座ではね、毎公演ごとにレコードが作られるの」
「えっ!? 毎公演?」
「そうよ、翌日の朝から販売されるのだけれど、なんと百枚限定なのよ! 毎回抽選になって手に入れるのは至難の業なんだから!」
毎回っていうのはどうなのかしら……
また、うちの同級生の悪い所が出ているような気がするのだけれど……
「マジカル・サワディ・グループの副社長のチキンさんが中町商店街の会報で言っていた事によるとね……」
「中町商店街の会報ですか?」
「そうなのよ、ほら双子座って中町商店街の所属じゃない? 役者さんが持ち回りで書いている連載もあるから、今は結構みんな購読してるわよ」
そうなのね。
どうやら一年と少し地元を離れていた間に、ずいぶん状況は変わってしまったみたい。
「それでね、チキンさんが言うには、レコードはサワディさんによる文化保存事業だって事らしいのよ。変わっていく公演の形態を音と魔画だけでも後に残していくつもりなんですって、だから配布はそのおまけで、一日百枚だけ」
「そうなんですのねぇ」
スレイラは本当に、子どもの頃から芝居芝居でしたものね。
そう考えながら頷いていると、ロゼさんはもういっそだらしないぐらいの笑みを零しながら、一枚のレコードを取り出した。
それは日付と劇名と役者の名前が入っている他の物の袋とは違い、役者たちの顔絵が書き込まれた厚紙で作られた袋に入れられていた。
「それでねぇ、これはなんと……年始の虹組の特別公演よ」
「虹組の!?」
「そうなのよ。これは抽選じゃなくて、特別講演を見に行った人の家に記念品として送られてきたものなの」
「それじゃあロゼさんは年始の特別公演に行かれたのね。羨ましいわ」
「実は、うちと同じ派閥にゴスシン男爵という方がいらして、その方がサワディさんのお友達なのよ。そこになんとかお願いしてチケットが取れてねぇ……」
双子座の虹組といえば、年に数回行われる特別な公演のために各組の花形が集まって作られる特別編成だった。
私の好きな看板役者の夜霧のヨマネス様も、なんて事のない端役に回ったりする、本当に特別なお祭り企画なのだ。
当然ながら、そのチケットは争奪戦。
きらめく名家の令嬢や奥方たちが、鎬を削るようにあの手この手を尽くす戦場だった。
うちのお父さまは野球大会の景品でそのチケットを手に入れたらしく、自分は行かないから私にどうかと聞いてくれたのだけれど……
下の息子の士官学校への入学準備があったため、血の涙を流しながら諦めたものだ。
その公演の吹き込まれたというレコードが、目の前にあった。
「そのう、ロゼさん……?」
「駄目ですわよ、これだけは。ごめんなさいね。私これは封も開けておりませんの、サワディさん風に言えば『永久保存版』ですわね」
一度でいいから聞かせてほしいと言おうとした私に、ロゼさんはもったいぶった態度でそう言った。
なんだか肩透かしを食らったような気分ですけれど、多分ロゼさん、今日はこれを自慢したかったんでしょうねぇ。
『ペペロンチーノは神のつくりたもうた美食だ! それを侮辱する事はこれまかりならん!』
『ハヤシライスの美味さも知らぬ若造が! 懲らしめてやる! そこへ直れ!』
『決闘だ~!』
『決闘だ~!』
『さぁ場っを作れ~! みちっを開っけろ~! 常連ふったりの決闘だ~!』
そんな『アストロバックスの恋』の音を聞きながら、私はロゼさんからレコードについて色々と教わりながら自慢を受けた……
「普段レコードをかける時は、演劇好きの使用人たちも椅子を持ってきて一緒に聞いていてね。それでもう、うちのメイドたちなんて劇の台詞みんな覚えちゃったんだから。ほら、どうしても握手会のために購入した台本集や版画集って余るじゃない? うちはそういうのを下げ渡してるから、みんな演劇贔屓になっちゃってね」
「なるほど……」
そんな話を、矢継ぎ早にされてしまったからかしら。
お暇する頃にはなんだかちょっと疲れたような気持ちで、私はこの家まで乗ってきた馬車で帰路についたのでした。
「レコードねぇ」
馬車の中で、自然と口から言葉が溢れる。
演劇がいつでも聞けるなんて素敵だし、ぜひ欲しいけれど……
劇の半券を持っていないと抽選にも参加できないようだし、そもそもレコードから音を出すための魔具もお高いようだし……
他の街で暮らす私には、なかなか手が出ないものね。
実家のメイドたちにお願いして劇を見に行って貰ってもいいんだけれど、それもなんだかずるいような気もするし。
「ああ、それにつけても虹組の特別講演は……聞きたかったぁ……」
誰も聞いていないのをいい事にそんな愚痴が口から零れ、馬車の中に差し込む夕日が苦悩する私の髪を赤色に染める。
なんとかならないものか……
そんな私の苦悩は、すぐさま、かつ意外なところから解消された。
その日の夜、そろそろ士官学校を卒業する上の息子の派閥の相談にと、父の部屋に向かった時の事だ。
父の執務机の上の壁に、フックのようなもので無造作にレコードがかけられていたのだ。
「お父様……? それって……」
「ん? これかい? お前を年始に誘ったけど行けなかった芝居があったろう、スレイラの婿からあれの記念品だけ送られてきたんだ。珍しい楯だろう?」
「そ、そ、それって……年始の……虹組の……」
「そうだったかな? ああ、袋があったはずだ……これだな」
父が机の横のチェストの一番下の引き出しから出してきたのは、今日友人に自慢されたあの袋だった。
「すぐに降ろしてくださいませ!!」
「えっ?」
不思議そうな顔をしていた父からレコードを譲り受け、翌日の朝すぐに家人に再生魔具を買いに行かせ……
私はようやく、虹組の演劇を聞く事ができたのだった。
『私はそうは思わない。裸族とは! 心が裸であるものだからだ!』
「んふふ、ヨマネス様……年を経るごとに、演技に深みが出て……端役でもまるで主役のような存在感……」
そうして自分の部屋でのんびりと、飲み慣れたお茶を飲みながら聞くレコードは、思っていたよりも格段にいいものでした。
しかし……こうなると、やはり他のレコードも聞いてみたくなるのは、人情というものよねぇ?
トルキイバかぁ……
夫も毎年冬になると冬の双子座の新聞を取り寄せたりするぐらい、この街を気に入っているようだし。
子供たちも上の学校に送り出しましたし、夫は年齢的にもそろそろ予備役勤務入りの時期。
一度、夫とお父様に相談してみてもいいかもしれないわね。
そんな事を考えながら、私は自分の部屋で……
少しだけシューッという音が混ざるひいきの声を聞きながら、至福の時を過ごしていたのでした。





