ゾウリムシイーター作戦-2-
夜の闇の中、俺たちは静かに進む。
耳が痛くなりそうな静寂の中、時折聞こえるのは見張りの兵士の足音だけ。
こつり、こつりと石畳を歩く音。
「来るぞ、隠れろ」
物陰に隠れてやり過ごす。
魔術のランタンを持った兵士が、通路を進んでいく。
光が通路の先に消えたところで、物陰から姿を出す。
「意外にバレないもんだな。もしかして視覚範囲に入らないと見つからない仕様か?」
「オークはあんまり夜目が利きませんから」
「じゃあ王子もあんまり見えてないのか?」
「ええ。その分、耳と鼻が良いのですが」
珍味とか見つけれそうだな。
そう思ったがアレなので口には出さなかった。
「この分だと、案外楽に王様んところ行けるかもな」
「でも気を付けてください。王宮にはいくつか侵入者用の仕掛けがなされていますから」
「もしかして、レーザーの網みたいなのが襲ってきて、サイコロステーキみたいになっちゃうアレか?」
俺の中の侵入者用トラップのイメージだったが、しかし王子には伝わらなかった。
「それともアレか。部屋の入口に網膜チェックがあって、ピーってスキャンするやつ」
「もうまくちぇっく……ですか?」
「そこまでセキュリティばっちりなのに、その辺にいる兵士を昏倒させてスキャンさせたら簡単に扉が開いちゃうっていうね」
「あまり意味ないですね、それ」
歩きながら、俺たちはどうでもいい話をする。
闇は深いが、今の俺はナイトヴィジョンデバイスを装備しているから、ばっちりと見えている。
対してイベル王子は先ほど答えたように、あまり夜目が利かないのか、俺の後をついてくる形になった。
「こんなに暗くても見えるんですね」
「まあな。わずかな光を増幅させて有効視認距離を増やしてるんだ」
「凄い魔法ですね」
原理が分からなければ魔法と同じようなもんかもしれない。
俺だって、別に分かって使ってる訳ではないし、魔法の力でそうなっていると言われても、そうなんだとしか思わないしな。
「とりあえず奥に進むか」
イベル王子の道案内で俺たちは王宮を進む。
途中何度かオーク兵と出くわしたが、物陰に隠れたりしてやり過ごす。
予定していたよりも早く、俺たちは王宮三階へと辿り着いた。
「この奥が父の寝室です」
「意外に簡単に入り込めたな」
「いえ、ここからが大変なんです」
そう言ってイベル王子が前を歩く。
少し歩き、広間のような場所に到達した。
少し広めの部屋の中央には、オークの姿を模した石像のようなものが立っている。
石像のその先に、豪華な扉が見えた。
「あれが王様の部屋か」
「ちょっと待ってください」
俺が扉に手を伸ばそうとすると、イベル王子に制止される。
「それはダミーの扉です。それに触れれば魔術のトラップが発動し、この広間から出られなくなるんです」
「なるほど、これがトラップか」
さすがに王の寝室前となると仕掛けも厳重だ。
「それで、本物の扉はどこなんだ?」
「この部屋に仕掛けがあって、それを作動させれば出現しますよ」
「仕掛けねぇ。もしかして、その石像を動かすとかじゃないよな」
「え!?」
そんな簡単なもんじゃないだろう、と話を振ってみたが、イベル王子の顔色が目に見えて変わる。
「まさか……本当に石像を動かすのか?」
「は、はい。よく御存じでしたね」
「いや……」
どこぞの警察署じゃあるまいし、そんな面倒な仕掛けなのか、この城は。
俺たちは石像の前に立つ。
台座にはプレートが飾ってあり、「東風を浴びる戦士の像」というタイトルが彫ってあった。
なんていうか……分かりやすい。
さらに親切な事に、台座の隣には方角を示す記号が掛かれている。今、石像は北を向いている。
小学生でも解けそうな感じの謎解きである。
「実は私も仕掛けの詳しい内容に関しては知らないんです」
「詳しいも何も……この像を東向きにすりゃいいんじゃねぇのか」
「え、もう解けたんですか?」
驚いた表情を浮かべるイベル王子。
大体この台座、毎日動かしてるからか、動かした方向に跡がつきまくってるじゃねぇか。
俺は台座を持ち、東に向くように石像を動かす。
そんなに力を入れなくても結構簡単に動く。動かしやすく油でも注してるのだろうか。
ガチャリ、と音がしたと思ったら、広間の壁の一部が消え、扉が現れた。
魔術で迷彩が施されてたらしい。
「王様ってのは毎日この面倒な仕掛けを動かして部屋に入らないといけないのか?」
「ええ、多分」
「隣の部屋に入るのに石版の欠片を集めないと入れない洋館並に厄介な城だな」
設計者は多分、住んでる人の事は考えてないのだろう、きっと。
まあ仕掛けが解けた以上、文句を言っても始まらない。
俺は扉に手を掛け、ゆっくりと押し開ける。
鍵は掛かっていない。ある意味不用心だな。
「…………」
灯りのない室内。部屋の奥にベッドが置かれているのが見える。
ナイトヴィジョンを使い、確認しようとしたその時だった。
「賊が入り込んでいるようだな」
室内の魔術の照明に、突然灯りが灯る。
一瞬だけ強い光に目が眩んだが、俺は声の方を見据える。
そこに立っていたのは、オーク王スプーキーその人であった。
「バレてたって訳か?」
「ぶひひ、貴様らが来る事は予想済みだ。もっとも、イベルが一緒とは思わなかったがな」
スプーキーの視線が俺の背後にいるイベルに注がれる。
王子は一歩前に出ると、父である王に告げる。
「父上、私の話を聞いてください」
「ふん、愚かな息子だ。ニンゲンに毒されたか」
「今は人間と亜人が争う状況ではありません」
「先に仕掛けたのはニンゲンだ。朕はそれを受けたに過ぎん」
「ですが、それは魔神の仕業です。その事は父上もご存じのはず!」
「魔神? 何の事を言っておる?」
イベルの言葉に、スプーキーは知らぬ顔を見せる。
その様子に、俺はかすかな違和感を覚える。
このような光景を、俺は以前に見た事がある。
あれは――
「もしかして、王様が変わったのは列王会議の後か?」
俺は小声でイベルに尋ねる。
「え、ええ。列王会議の後、父は人が変わったように人間を憎むようになりました。以前はそうでもなかったのですが……」
「やはりな。王様はオルティスタの精神魔術で、記憶を改竄されている。あの時、列王会議にいたのなら、その可能性が高い」
「そんな事が可能なんですか?」
信じられないと言う表情を浮かべるが、事実、俺たちはそのせいで国を追われたんだ。
オルティスタの精神魔術の凶悪さは、身に染みている。
そして今も、こうして俺たちの道を阻んでいた。
「どうすれば父は?」
「分からん。奏なら何とか出来るのかもしれないけど」
「何をゴチャゴチャと話している?」
密談をしていた俺たちを訝しみ、スプーキーが叫ぶ。
しかしこうなると話し合っている場合じゃない。
王様に掛かった魔術を解く必要がある。
「ここは一度退こう。奏ならあるいは……」
「ぶひ、逃げられると思っているのか、愚かなニンゲン」
そう言ってスプーキー王は片手を上げると、部屋の影や扉から、ドタドタとオーク兵がなだれ込んできた。
俺とイベル王子は、兵士たちに囲まれる形となった。
まずいな。強行突破するしかないか。
「父上、こんな事は間違っています」
「ふん、朕は常に正しい。間違っておるのは貴様らの方だ。
お前たち、この者らを捕えよ。即刻、広場にて縛り首にしてやろう」
じりじりとオーク兵がゆっくりとにじり寄る。
暴れるしかないか、そう思い俺は右手で手榴弾を握ったその時だった。
轟音と共に部屋の壁の一部が吹き飛んだ。
「なんだ!?」
壁に大穴が空き、外の様子が見える。
そして、闇夜に浮かぶように、竜にまたがったバシュトラの姿が見えた。
助けに来てくれたのか。
「イベル!」
王子の名を呼び、咄嗟に走り出す。
だが、逃げようとした俺たちの前に、オーク兵が立ちはだかる。
咄嗟に武器を取り出す。
「おらぁ!」
まさしく聖剣と呼ぶべき威力のバールを引き抜き、オークの体ごとぶっ飛ばす。
行ける。
そう確信したその時だった。
「シライさん!」
イベル王子が俺の名を叫ぶ。
先ほどの騒動で俺たちが分断されてしまった。
王子の下へ、兵士たちが殺到する。
「イベル!」
「行ってください!」
助ける為に駆け出そうとした俺を、イベル王子は制する。
「シライさんはそのまま行ってください」
「だが……」
「父を止められるのはあなた方だけです。お願いします」
一瞬の逡巡によって、オーク兵士たちが俺とイベル王子の間に居並ぶ。
ちっ、このままじゃ二人とも捕まってしまう。
「……必ず、助けに来る」
「期待しています」
イベル王子に背を向け、壁穴の外で待つバシュトラに向かい走り出す。
背後からオークたちの罵声が聞こえた。
俺はわき目も振らず走り、大空に向かって跳躍した。
一瞬の浮遊感の後、ララモラが俺の服を爪にひっかけて回収。
「……逃げる」
「ああ頼む」
バシュトラは小さく頷くと、飛竜を操り、オーク城から遠ざかる。
眼下の城が少しずつ小さくなっていく。
少しずつ、夜が白み始めていた。
隠れ家に戻ると、既に他の面々も揃っていた。
「イベルが向こうに捕まっちまった。助け出したい」
「しかし王子という立場上、そう手荒な事はされないのではないでしょうか」
アムダの意見に、しかし部屋の端にいたドーンがゆっくりと首を横に振る。
「先ほど、街の大広場に兵士が集まっていました。どうやら処刑台を設置しているようです」
「まさかイベルを処刑するつもりか?」
「その可能性はありますね。オーク王は元々は穏やかな性格と聞いていますが、最近は対人間路線に進んでいるようですので」
「そのオーク王の件で、一つ分かった事がある」
俺は、先ほどのオーク王スプーキーと会った時の事を話す。
そして、彼が魔神オルティスタの精神支配を受けているのではないかという仮説も。
奏が顎に手をやり、深く考え込む。
「そうね、その可能性は高いわ。むしろそう考えれば辻褄が合う事も多い。
オルティスタの精神魔術はあたしたちと親交のあった人間にも作用した。
だったら、オーク王を人間との戦争に仕向けるのも難しくはないでしょうね」
「どうすれば魔術は解けるんだ?」
「精神魔術は正直なところ、難しい魔術なのよ。
この世界で一般的な概念魔術や、あたしが使う虚数魔術に比べて、個人の資質によるところが大きい。
いわゆる超能力ってやつね」
「解除する方法は分からないって事か」
「推測になるんだけど、大きなショックを受ければ、少なくとも精神の支配は解けるはず」
「大きなショック?」
「まあ――ぶん殴るとかかしらね」
奏は物騒な事を言いながら、小さく笑った。
つまりはまあ、いつも通り、ぶん殴って止めろと、そう言いたいらしい。
「イベル王子の処刑は早ければ今日明日に行われるでしょう。
王子の処刑であれば、スプーキー王も顔を見せるはずです」
「だったら、その時にケリをつける」
俺はみんなの顔を見て、軽く頷いた。
そして、拳を突き出す。
奏たちも同じように拳を前に出し、軽く手を打ち合わせた。




