雪の陽炎-3-
壁を崩して現れたおっさんは、俺たちを取り囲む兵士たちを一瞥する。
蛇に睨まれた蛙とはまさにこの事か。
数で有利なはずの兵士たちが、その場から一歩も動けずにいた。
「……これは」
「こいつら、魔神に操られているみたいなんだ」
「ふむ……」
俺の言葉に事態を理解したのか、おっさんは軽く頷く。
そして――ゆっくりと拳を構えた。
「では、私が相手になろう」
兵士たちが顔を見合わせる。
無理もないだろう。いきなり壁を壊してムキムキのおっさんが現れたら、誰だってそうなる。俺だってそうだ。
しかし彼らの戸惑いも一瞬だった。
次の瞬間には、武器を構えて、おっさんの方へと向かっていく。
「…………」
対するおっさんは無言のまま、相手を迎え撃つ。いや、迎え撃つという言葉は正しくない。
なぜなら、おっさんは一切手を出さず、そのままの姿勢で耐え続けたからだ。
斬撃や突撃が雨のようにおっさんに降り注ぐ。
しかし顔色一つ変えず、声一つ上げず、その攻撃に打たれ続けていた。
「ば、化けもんだ……」
兵士の一人が思わず声を漏らすほど、その肉体は圧倒的であった。
幾多の斬撃にも物ともせず、先ほどと同じ姿勢のまま、立ち続けている。
このままでは埒が明かないと思ったのか、攻撃が止んでいく。
「は、離れろ! 魔術で仕留める!」
その声に、兵士たちが散開し、魔術士が登場。
力ある言葉と共に、魔術の刃が顕現する。
触れただけで粉微塵に分解されてしまう、力の波動。
「ふん、これは耐え切れまい!」
「御託はいい。さっさと撃ってこい」
しかしおっさんは動じない。
回避はおろか、防御の体勢すら取らない。
代わりに、腕を広げ、俺と奏を庇うかのように、正面に仁王立ちする。
「食らえッ!」
魔術が放たれ、おっさんの肉体を包み込む。
力の余波が、背後にいた俺たちにも届くほど、強大な一撃。
しかし――おっさんには遠く届かない。
兵士たちの斬撃も、魔術士の魔術も、彼の肉体に、傷一つ付ける事は出来なかった。
まさに――化け物だ。
「では、次はこちらから行かせてもらうぞ」
ゆっくりと腰を下ろし、拳を構える。
たったそれだけの動作に、兵士たちがパニックを起こしたように、我先にと逃げ出す。
無理もないだろう。
俺が同じ立場ならば、逃げたくもなるな。悪夢のような光景に違いない。
「ふんっ!」
攻撃なんてものではなかった。
真っ直ぐと拳を突き出しただけ。いわゆる正拳突きというやつだ。
ただそれだけの行為。
しかし、その拳圧は衝撃波と化し、逃げ出そうとしていた兵士たち諸共吹き飛ばす。
兵士たちの叫び声が聞こえ、一瞬の後、声は何も聞こえなくなった。
「……終わったか?」
恐る恐るおっさんの背後から覗き込むと、そこには、嵐が過ぎ去った後のような惨事になっていた
ただの拳の一突きにより、これだけの破壊力を生み出したのだから恐れ入る。
倒れ伏した兵士たちに、おっさんがぽつりと呟いた。
「……言ったはずだ。これが武である、と」
そう言ったおっさんの表情は、後ろにいた俺たちには見えなかった。
でも、おっさんは時間がある時は、よく城に行って兵士たちに稽古をつけていたんだったな。
俺たちよりもよほど、兵士たちに対する思い入れが強いはずだ。
きっと今戦った相手の中にも、見知ったやつがいたに違いない。
「……さて、終わったぞ」
「ああ、助かったよ。ありがとう」
「さすがですね、ブリガンテさん」
「礼には及ばん」
照れる事もなく、にやりと笑ってそう言うおっさんは、やはり男の中の男である。
「それより、どうしてここに? 宿で待ってたんじゃ?」
「ふむ……お前たちが城に行った後、中央教会のグラシエルが我々の下にやってきて、城の様子がおかしいと告げたのだ」
「グラシエルが……」
「ああ。様子を見にアムダと私の二人で来たのだが、入り口で兵士たちに拘束されかけてな。
何かあったと思い、お前たちを探していたところだ」
捜索していたのに城の壁をぶち抜く発想に辿り着くのは何も言うまい。そのおかげで俺たちは助かった訳だし。
俺と奏は、魔神によって列王会議の王たちが俺たちを敵と見なしている事を伝えた。
「なるほど、これも魔神の仕業か」
「どうするの? ブリガンテさんと合流出来たし、このまま魔神のところに取って返す?」
「いや……それはまずい。おっさんは戦力にならない」
「どうしてよ」
「忘れたのか。今回の魔神は女の姿をしてるんだぜ」
「あ、そういえば……」
おっさんから以前聞いた話によれば、女子供を攻撃出来ないという。
それがどこまでの範囲なのかは知らないが、少なくとも、オルティスタに対しては手が出せないという事になるだろう。
「頑張ったらいける……なんて事はありませんよね?」
「残念ながら、な」
おっさんの呪いは俺のシステムと同じだ。
制限の中では無敵の能力だが、制限を超えたところでは何も出来ない。
仲間を攻撃出来ない俺と、女性に攻撃出来ないおっさん。敵はつくづく、俺たちの事を知り尽くしているのかもしれない。
「当初の予定通り、アムダたちと合流しよう」
俺たちは城を後にした。
「あ、いました。無事っぽいですね」
城を出て大通りに差し掛かったところで、俺たちはアムダと合流した。
手には抜き身の剣が握られており、先ほどまで戦闘をしていたようだった。
「大通りを兵士たちが封鎖していたんですが、とりあえず潰しておきました」
「相変わらずやる事がアレだなお前は」
「褒め言葉としておきますよ」
後はバシュトラとドラゴン娘たちだが……
空からは相変わらず雪が降り続けていた。積もるほどではないにしろ、降り止む気配は無さそうだ。
「何があったんですか? 会議はどうなりました?」
「それが……」
俺たちは魔神の事をアムダに説明する。
飄々した表情のまま、アムダがなるほどと呟いた。
「ではこの街全体が敵となっていると考えるべきでしょうね」
「そうだな。連中ならそれくらい、やりかねない」
もし街の人間まで襲い掛かってきたら……
「ひとまずは街の外に逃げるというのはどうでしょうか?」
「外に? どうやってだ?」
俺たちの疑問に、アムダが街の南を指差した。
「あちらに移動用の馬を用意してあるそうです。先ほど、グラシエルさんから教わりました」
「グラシエルたちが……?」
「ええ。彼女たちが脱出路を用意してくれているようです。とりあえず、そこまで行ってみましょうか」
他に方法が無い以上、今はその提案に乗るしかない。
街の外へと退避すべく、行動を開始した。
街の中には兵士たちが巡回しており、俺たちの姿を見つけるや否や、襲い掛かってくる。
先ほどまでとは違い、おっさんやアムダがいる為、簡単にあしらう事が出来たのが幸いか。
不思議な事に、街の中には兵士たち以外の人影は無かった。昨日まではあれほど賑わっていた大通りにも、今は一人もいない。不気味な静けさ、というやつだ。
「このまま真っ直ぐか?」
「そのはずですが……」
大通りを走り抜け、角を曲がる。
そこにいた人影を見つけ、俺たちは足を止めた。
一人の女騎士が、剣を携え、そこに立っていた。
「ファラ、さん……」
それは、ファラ・アルダス、その人であった。
いつからそこに立っていたのか、金色の髪にはうっすらと白い雪が積もっている。
瞳を閉じ、まるで瞑想するかのように、静かに。
「……来た、か」
ファラさんがゆっくりと動く。
俺たちがこの異世界に来て、初めて味方になってくれた人。
共に魔神と戦い、死線を潜り抜けた仲間。
その人が……今、俺たちの目の前にいる。
「まさか、ファラさんまで……」
「…………」
戦うしか、ないのか。
この間、喧嘩別れみたいになってしまったけど。
それでも、俺は……俺たちは、彼女とは戦いたくない。
「……行け」
「え?」
小さくだがはっきりとした声で彼女は告げた。
手にした剣を、通路の奥へと向ける。
「さっさと行けと言っている」
「……ファラさん」
「上からはお前らを捕まえろと言われているが……今更お前たちと戦う気もせんよ」
そう言うと、彼女は薄く微笑んだ。
白雪が舞う中によく合う笑顔だ。
「私はこの国の人間だ。たとえいかなる状況であったとしても、国家に忠節を尽くすだけだ。
だが――共に戦ったお前たちとやり合うつもりもない」
「ファラさん……それじゃあ」
「行け。何が起きているのかは知らんが、やられっぱなしで終わるつもりはないんだろう?」
彼女の言葉に、俺たちは頷く。その答えに満足したのか、彼女は剣を納めた。
「俺たちはしばらく、ここを離れます。
列王会議のメンバーに魔神が混じっています。気を付けてください」
「そうか。お前たちも気を付けろよ」
「はい。それと……」
俺は心配事の一つを彼女に託す事にした。
「俺たちが泊まっていた宿にハチっていう名前の犬……っぽい生き物がいるんですが。
もし良ければ、そいつの世話をしてもらってもいいですか?」
「犬の世話か。分かった、安心しろ」
良かった。ハチを連れていくにはさすがに厳しいもんがあったからな。
彼女なら安心して任せられる。
「……それじゃ、行ってきます」
「無事を祈っている」
彼女に別れを告げ、俺たちは駆け出す。
振り返らない。いつかもう一度、共に戦う日を信じて。
雪は、まだ止まない。
「ここを抜ければ後もう少しです」
走りながら、アムダが道を示す。
そろそろ目的地が見えてきた頃合いか。
兵士はこの辺にはいないようで、先ほどから街中に人影は見当たらない。
不気味なくらい、静かだ。
「そういやバシュトラはどうしたんだ?」
「彼女なら脱出地点で待っているはずです。確保をお願いしていますので」
「そうか。それなら安心だな」
少なくとも、脱出地点に辿り着いたら敵がウジャウジャいた、という最悪の事態は免れそうだ。
しかしグラシエルたちが用意していたというが、やけに用意周到だな。
こんな事態を想定していたというのか。
信用はし切れないが、今は彼女らを頼るしかない。
そう思っていた、その時だった。
視界の端に、煌めきが映る。
「シライさん! 危ない!」
アムダが叫ぶ。
何事かと思った次の瞬間、飛んできた光が俺の背を掠めていった。
「ぐっ!」
矢だ、と気付いた時にはもう遅かった。
飛来した銀色の矢は、俺の肩から背にかけて、大きく切り裂いていた。
掠っただけでこの威力かよ。強烈な痛みに頭の中が真っ白になる。
「シライさん!」
奏の悲痛な叫び声が聞こえたが、俺はすぐさま狙撃銃を呼び出した。
M40狙撃銃。以前の魔神退治の時にも使ったこの銃を、直感的に矢が飛んできた方へと構える。
くそったれが。どこのどいつだ、狙撃なんて洒落た真似をしてきやがったやつは。
M40のスコープを駆使し、敵を探す。
いた。視線のその先に尖塔に立つ男が一人、弓を構えていた。
しかし、その距離は遠い。どう見積もっても1km以上は離れている。
あんな場所から、あんな距離で、こちらを狙ってきやがったのか。
「くそったれが!」
悪態をつきながら銃弾を放つ。
同時に、向こうも矢を放っている。照準の向こうの敵がこちらに向かって射撃していた。
引き金を引いた瞬間、すぐさま横に飛ぶ。
少し遅れて、俺の立っていた場所に矢が突き刺さった。なんて精度だ。
俺の銃弾は確認していないが、恐らく外れただろう。スコープ越しでも手応えは感じられなかった。
「大丈夫!?」
「ああ、何とかな。でも仕留めれてない。また撃ってくるぞ」
「とりあえず、矢は僕たちで処理します。シライさんたちは撤退を」
「ちっ……そうするしかないな」
そうこう言っている内に再び矢が飛んでくる。
アムダはそれを器用に剣で切り払う。
油断さえしてなければ、十分に対処は出来そうだ。
「先に行ってください」
「ああ、分かった」
「何か……聞こえるな」
おっさんが空を見上げた。まだ、何かあるのか。
耳を澄ますと、風に乗って声が聞こえてくる。
女性の声。まるで歌うような、清らかなる声。
「――私の言葉に応える者あらば、ここに彼の者の神殿は姿を現すだろう」
雪と共に滔々と言葉が響いてくる。
「――祈りは捨てなさい。嘆きも捨てなさい。彼の者が望むのは一つの知識」」
奏が顔色を変える。
周囲を見渡し、俺たちに告げた。
「大規模詠唱よ! 近くに術者がいるわ! 見つけて!」
「魔術かよ、くそ。どこからだ……」
しかし声は聞こえるが、術者の姿は見えない。
詠唱だけが、静かに続いていく。
「――ならばその知の源泉たる神殿よ。私の飢えを知りなさい」
しかし探そうにも断続的に飛んでくる矢がそれを邪魔する。
アムダとおっさんが矢の対処に追われる。
「――その神殿の鍵はここにある。大いなる魂の奔流と共に姿を見せよ」
そして詠唱が終わる。
「《万魔・追憶を編纂する天槌》――
では、滅びと共に、かくあれかし」
光が放たれ、音が消えた。
魔術を放ち終えたエルフの魔女は、その惨状に満足していた。
圧倒的な破壊力を誇る大規模詠唱による蹂躙。
光の力場によって街の一角が消滅していく。
「相変わらずエルフのオバサンは性格が悪いな。だから滅びるんだよ」
背後からの声に、エルフは視線だけをそちらに移した。
銀色の長弓を携えた男が立っている。
彼もまた、エルフと同じく教会に雇われた人間。
「あなたも一緒に消えてしまえば、その減らず口を叩けなくなるのでしょうけれど」
「はん……エルフの小汚い魔術なんかに誰が。
それで、全員殺せたんだろうな」
あれだけの魔術だ、無事では済まないだろう。
弓兵はそう思っていたが、エルフは笑みを浮かべ、首を横に振った。
「いいえ。ぎりぎりのところで防いだようです」
「はぁ? 結局逃げられたのかよ。口ほどにもないな」
「褒めるべきは敵の魔術士でしょう。良き判断です。並の魔術士の魔術障壁ならば圧潰していたでしょう」
「街を潰しただけじゃん。無駄な仕事だったな」
「仕事とは無駄な作業の積み重ねですわ。坊やにはまだ理解出来ないのでしょうけれど」
皮肉を込めたエルフの言葉に、弓兵は怒りを見せる。
彼はまだ若いが、坊やと呼ばれるような年齢でもない。
もっとも、悠久の時を生きるエルフにとってみれば、彼らなどはまだまだひよっこに過ぎないのだろうが。
「まあ目的は果たしましたわ。城に戻りましょう」
「へいへい……」
「あら、あなた、怪我をしているわね」
エルフの言葉に、弓兵は頬を撫でる。
頬筋にうっすらとだが傷があった。
「あいつ、あの体勢から僕の顔を狙ってきやがった。良い腕してるよ、ほんとに」
避けたはずだが、その衝撃波により、擦過傷をつけられた。
痛みはほとんどないが、傷付けられたのはプライドの方だ。
「……次は確実に殺す。あいつは僕の獲物だ」
街道を馬たちが走っている。
疾走する馬たちは、真っ直ぐ南を目指していた。
そして――俺たちはその馬に騎乗している。
「って馬なんて乗った事ねぇんだってば!」
「もううるさいわね。舌噛むわよ」
敵の魔術攻撃を回避出来ないと見るや、奏が瞬間的に魔術を構成し、防御結界を作ったのだ。
街が吹き飛ぶほどの破壊力のある攻撃であったが、何とか耐え、そのまま合流場所へと逃げ込んだ。
合流場所にはバシュトラやグラシエルたちが待っており、すぐさま街を離れる事が出来た。
馬に乗った経験があるはずもない俺も、無理やり馬に乗せられ走らされている。
鞍なんてないからケツが痛い。
バシュトラは竜に乗って空を旋回している。俺もあっちが良かったぜ。
ちなみにおっさんに合うサイズの馬は見つからなかったようで、ソフィーリスがドラゴン化して、そこに乗っている。
恐竜にまたがる大男の姿は、ターザンを彷彿とさせる。強そう。
「このまま南の亜人領へと抜ける予定です」
「亜人領? そんなとこに行っても大丈夫なのか?」
「リアーネ様がもしもの時は、彼らを頼るように、と」
リアーネ様……確か聖女様か。
教会が敵に回った以上、聖女様とやらを信じるのも怪しいもんだが。
今は他に頼る手段もないし、仕方ないか。
「やれやれ、まったく、こんな命からがら逃げだす事になるとは、思いもしなかったぜ」
「ですねぇ。この間までは英雄だの何だの持ち上げられていたのに、いきなり敵扱いですからね」
「人生万事塞翁が馬って事ね」
「馬に乗ってるだけに、か? このタイミングでギャグはちょっと寒いっすよ奏さん」
「違うわよ! バカ!」
「……サイオウ?」
「西の王様の事かもしれませんねぇ」
相変わらずバシュトラとアムダとは話が噛み合っていなかった。
しかしまあ、いつも通りの雰囲気だ。
逃げ出しているってのにも関わらず、俺たちに悲壮感はない。それも俺たちらしい。
「ま、なるようになるか」
今はただ行くしかない。
いつの日か、この街に帰ってくる事を信じて。
空はいつの間にか晴れ渡っている。
雲一つない、青天を目指して、俺たちはただ進むだけだった。




