雪の陽炎
宿の自室で目が覚めると、窓の外に雪がちらついているのが見えた。
積もっている様子はないが。
「まさか……本当に降るとは……」
昨日の夜、城の中庭で会った女性の事を思い出す。
まあこっちの世界では、よくある天候なのかもしれないが。
とりあえず、今日は大事な列王会議の日。
朝に王宮から使いが来る話になっているはずだが。
「とりあえず、降りるか」
自室を出て、一階の食堂へと降りる。
案の定、既に他のメンバーが揃っている。
「相変わらず遅いわね。夜更かしでもしてるんじゃないの?」
「夜型の人間なんだ」
「自堕落って言うのよ、それは」
朝っぱらからきつい奏さんだ。
今日はいつも通りの服装で、昨日のドレス姿の面影は無い。
愛想良く振る舞えば可愛いのにな、などとは口が裂けても言えない。
「それで、今日はどうするんだ? 会議の本番だろ」
「お城から迎えの兵が来るそうですけど……まだ来ませんねぇ」
「おかしいわね、もうそろそろ来る頃なんだけど」
「……寝坊?」
「シライさんじゃないんだし」
酷い言われようだな、おい。まあ間違いではないので聞き流す。
テーブルについて、お茶を飲む。紅茶と言うより、茶葉をそのまま濾したような、そんな味。つまり薄い。
そんな薄いお茶を飲んでいると、ドタドタとした足音が聞こえてきた。どうやら迎えが来たらしい。
食堂のドアを開け、兵士たちが入ってくる。しかしその雰囲気はいつもとは違い険しい。
「物々しい雰囲気ね」
兵士の一人、恐らく隊長格の男がこちらに近寄る。
居並んだ俺たちをざっと見渡すと、口を開いた。
「……王宮にて会議が始まります。どうぞこちらへ」
何となく腑に落ちない気がしたが、俺たちは彼の言葉に従う事にした。
宿を出て、馬車に乗り込む。
しかし俺と奏が乗り込んだ後、他の三人に関しては止められてしまった。
「呼ばれているのはお二人ですので、他の方々はこちらにお残りください」
「……まあ全員がぞろぞろと参列する訳にもいかないしね」
仕方ない、ここは俺たちだけで行く事にしよう。
馬車の中からアムダたちに向き直る。
「じゃあ行ってくる。後は任せた……って事もないか」
「何かあれば、すぐ駆けつけよう」
「おっさんにそう言ってもらえれば心強い」
「じゃあ行ってきます」
見守る他の面々に挨拶をし、馬車が走り出す。
石畳の上を馬車がガタゴトと走っていく。
「……なんか様子が変じゃないか?」
「……あたしもそう思うけど……」
小声で奏に話し掛ける。
馬車の中には俺と奏しかいないものの、何となく自然と声が低くなった。
馬車の周囲には兵士たちが囲むように展開している。
まるで護送車のようだ。
「まあ要人が集まってる会議だし、多少は仕方ないんじゃないかしらね」
「……だといいが」
自分の中にある不安を押し殺すように、俺は目を閉じる。
気のせいだといいんだけどな。
自分に言い聞かせるように、俺は心の中で呟いた。
雪はまだ降り続いている。
「こちらです」
城に着き、俺たちは会議の場所へと通される。
豪華な扉を開き、室内の様子が見えた。
中央には巨大な円形のテーブルが置かれている。円卓、というやつだろう。
そして、円卓に居座るのは、これまた偉そうな雰囲気がぷんぷんと漂う御仁たち。
列王会議に参加している各国の王族たちだろう。
トリアンテの王様や、エルフの女王など、俺の知っている顔も何人かいた。
「ほう……この者らが……」
小さいがはっきりと聞こえる声がした。
テーブルの奥に座る、一際目立つ衣装を着た壮年の男の声。
白い僧服に身を包み、柔和な笑みを見せてはいるが、その眼差しだけは厳しい。
間違いない。
あの男が中央教会の教皇バティストだろう。
「では、当人らが来たので始めるとしようか」
「……始める?」
一体何の話なんだ。
そう尋ねようとした時、背後の扉が閉まった。
さらに数人の兵士が、扉の前に立つ。
まるで、俺たちが逃げないように。
「これは一体……どういう事ですか?」
奏が王たちに尋ねる。
静かだが、その声にはかすかな怒りが含まれていた。
「どういう事か……それは貴公たちが一番理解しているのではないのかね?」
バティスト教皇は挑発するかのように、俺たちに告げる。
「これは――偽りの勇者である貴公たちを断罪する場である、と言えば、理解してもらえるのかね」
「なっ!?」
いきなりの言葉に、思わず声を失う。
それは奏も同じようで、彼女もまた反応出来ずにいた。
「ちょっと待ってくれよ。俺たちが偽りの勇者って、それは何の話だよ」
「見苦しいな。まだ虚飾を彩るか、哀れな。では教えてやろう。真の神託の勇者は、我ら中央教会において既に見つけておるのだ」
そう言えば以前、教会側も勇者を用意しているって言ってたな。
だが、そんな事は想定済みだ。
俺はちらりとエルフのトトリエル女王を見る。
彼女は目を閉じたまま、事の動静を見守っているようだ。
「偽りの勇者として民衆を欺いた大罪に飽き足らず、貴公たちはさらに罪を犯したのだ」
「罪、だって?」
「知らぬとは言わせぬ。そこにおられるトトリエル女王の暗殺を企てた事をな」
その言葉に、奏がバンと机を叩く。
一斉に視線が彼女へと向けられたが、それに臆するような玉ではない。
「冗談じゃないわ。女王暗殺を企てたのが誰なのか、それはトトリエル様が知っているはずです」
「では、女王本人の口から聞いてみるかね」
「トトリエル様!」
奏の言葉に、瞑目していた女王が瞳を開く。
切れ長の強い意志を感じる瞳が、真っ直ぐこちらに向けられる。
その中に、敵意があったのは、俺の気のせいではないだろう。
「気安く名を呼ばないでください」
「え……」
「私を襲い、あまつさえ娘をも手に掛けようとした人間など、私が知るはずもないでしょう」
彼女はこう告げたのだ。女王を暗殺しようとしたのは俺たちである、と。
明らかなる拒絶の言葉。
一体どういう事だよ、これは。
彼女はまるで俺たちの事など知らないと言うように、語勢を強めている。
昨日までの雰囲気とは全然違う、敵意を向けてきている。
「そんな……何をおっしゃってるんですか。ディアネイラを襲ったのは教会の人間だったじゃないですか!」
「醜いな。罪を我々に押し付けようなどと。目撃者もいるのだぞ」
「目撃者?」
「貴公が民家の屋根の上から女王を狙っていたのを見た者がおるのだよ」
「あれは、女王を狙っていた訳じゃない!」
「そのような嘘、誰が信じるというのかね。大罪人の言葉を信じる者などおらぬよ」
教皇の言葉に賛同するように、各国の王たちが頷き声を上げる。
その中には、奏が昨夜、協力をこぎつけた王も混ざっていた。
そして――トリアンテ王アウリウスもまた、その中にいた。
「王様まで、どうして……」
「そなたらが偽りの勇者と知っていれば、最初から信用などしなかったのだ」
「何だよそれ……」
おかしい。何かが間違っている。
ここにいる人は、誰一人として、俺たちの味方では無い。
いや、それどころか俺たちの事を忘れているような、そんな認識すらある。
どういう事だよ。
「――――言ったはずです。雪が降ると……」
それはとても小さな声であった。
しかし、その声ははっきりと、俺たちの耳朶に響く。
視界の端に、一人の女性が映る。
純白よりもなお深い白を身に纏った女がそこにいた。
昨夜の舞踏会で出会った、あの女性だ。
「あなた、は……」
「シライさん、知ってるの?」
「昨日、会ったんだが……」
「名乗り遅れました。私の名はオルティスタ。
人は私の事を大淫婦などとも呼びますが……
あなた方にはこう名乗った方が分かりやすいのかもしれません」
女性はそこで言葉を区切る。
そして――
「魔神オルティスタ。それで十分でしょう」
その言葉に、俺も奏も動く事は出来なかった。
今、目の前の女は魔神、とそう名乗ったのだ。
それはつまり……俺たちの敵。
だが、彼女の言葉に反応する者は誰一人としていなかった。
まるで、彼女がそこにいないかのように。
「私たちの会話は他の者には聞こえていません。
厳密に言えば、聞こえたところで、認識出来ない、と呼ぶ方が正しいでしょうが」
オルティスタの言葉に、奏は考え込む。
そして、何かに思い当たったのか、顔を上げた。
「もしかして……精神魔術ね」
「ご明察です。流石、と言っておきましょうか」
「何だよその精神魔術って……」
奏は忌々しそうな視線をオルティスタに向けている。
「あたしの使う虚数魔術でも、アムダたちが使っている概念魔術でもない、第三の魔術よ。
簡単に言えば、相手の精神に介入し、操作や干渉を行う魔術。
相手の思考を読み取ったり……記憶の改竄をしたり、ね」
「記憶の改竄だと?」
まさか、今のこの状況は、魔神が作り出しているって言うのかよ。
「記憶を一から塗り替えるのは難しい事です。
ですが、本来存在する虚実を入れ替える事は容易い。
例えば、魔神を倒している五人は、あなたたちではなく教会の用意した勇者である、という嘘と真を入れ替える……」
「何だって!?」
「そうやって認識を少しずらされるだけで、人は嘘ですら真実と信じ込んでしまう。
哀れなる脆弱な器……それが人間という生き物の限界なのです」
オルティスタは視線をこちらに向けた。
「私たちの会話が認識出来ないのも、全ては意識の外にあるからに過ぎない……
滑稽ではありませんか。人は愚かで醜く、そして惰弱です。
倒すべき魔神に操られ、自分たちの意思で行動していると錯覚する」
「何が目的なんだ、お前たちは」
その問いに、薄い笑みを浮かべる。ぞっとするほど美しい微笑。
「私たちの願いはただ一つ。女神の匣を解放する事……
そして、全てに復讐する事……それだけです」
「復讐? どういう意味だ?」
「あなた方に語ったところで無意味です。所詮、あなたもあの男の手繰る駒に過ぎないのですから。
そう言う意味では、私もあなたも、等しく愚かなのでしょう……」
「あの男……?」
「……これ以上は語る必要はありません。
ただはっきり言えるのは、この世界はあなた方にとって、敵となった……それだけです」
彼女の言葉に反応し、兵士たちが剣を抜く。
俺たちを取り囲むように、兵士が立ち並んでいた。
その瞳はどこか虚ろだ。正気を失っているような、そんな目をしている。
「あなた方はよく動いてくれました。全て、私たちの計画通りに。
私たちは、ずっとこの時を待っていたのですよ。
人間たちの中に入り込み、全てを奪う機会を」
「くっ……」
四方を取り囲まれており、逃げ場はない。
銃を抜いて一気に駆け抜けるか。
周囲を囲んでいる兵士を倒せば、何とか切り抜けられるが。
「それは止めておいた方がいいでしょう。あたら殺人を犯す事を、私は是としません」
「なっ!」
心が読まれた。それも精神魔術の一種なのかよ。
くそったれが。どうせ読まれるなら悪態でもついておこう。
「……人間を操って、何が目的なの?」
「決まっているでしょう。全ての滅び、です」
その言葉は淀んでいた。深く暗く。
「我々を裏切った全てに等しい終わりを与えるのです」
「神様のくせにみみっちい話だな」
「ええ、私たちもまた、矮小な存在なのですよ。
さて……話は終わりです。この者らを殺しなさい」
オルティスタの言葉に、俺たちを取り囲む兵士たちが剣を構えた。
数は五人ほど。無理に突破出来ない数ではない。
意を決し、俺は能力を使い、銃を取り出す。
取り出したのはH&K社のUMP。9mmパラベラム弾仕様の特殊部隊向けの短機関銃だ。
室内での取り回しを重視しており、まさしく今のような場面ではうってつけだろう。
いくら操られているとはいえ、味方だった相手だ。
殺さないよう、足元を狙って引き金を――
「あれ……?」
引けなかった。
引き金は固く、銃撃を拒んでいた。
ちょっと待てよ、まさかこのタイミングで給弾不良か?
しかしそんな俺の様子に、オルティスタがくすりと笑みを浮かべる。
「無駄ですよ。あなたには彼らは撃てません。そういう『約束』でしょう?」
「なに?」
「あなたに味方は撃てない。そうでしょう、異世界の銃使い」
まさかここにきて、その制約が逆手に取られるとは。
俺自身が彼らを味方と認識している以上、引き金を引く事は出来ない。
それが俺の能力のルール。FPSのお約束。
こいつ、俺たちの事を調べてやがるのか。
「ええ、あなた方の事は最初からずっと調べさせています。
私たちの仲間が散っていった事も、無意味ではなかったという事。
全てはただ一つの悲願を果たす為の贄に過ぎないのです」
「……くそったれ」
ならば直接オルティスタを狙うか。
いや、あいつは俺の思考を読む事が出来る。恐らく、周囲の人間で壁を作って攻撃を防ぐはずだ。
民間人に対し引き金が引けない以上、恐らく流れ弾が味方に当たった場合にはペナルティが発生するはずだ。
試した訳ではないが、FPSという制約が能力である以上、そう考えた方がいいだろう。
つまり、俺があいつを狙う訳にはいかない。
「アンフィニ! 虚数式展開!」
動けない俺の代わりに奏が咄嗟に行動する。
ケータイを取り出し、魔術を発動。虚数式が空間に固定され、周囲に電流が放たれた。
電撃により、俺たちを取り囲んでいた兵士たちがその場に倒れ伏せる。まさしく一網打尽。
「あたしもいるのよ、忘れてもらっては困るわね」
「すまん、助かる」
今のうちに後退し、立て直そう。
そう思った矢先だった。
「では、こうしましょうか」
魔神の言葉に、倒れたはずの兵士たちが再び起き上がる。
待てよ。どう見ても戦える状態じゃない。
しかし男たちは剣を握りしめる。
まるで亡者のように。
「くっ、悪趣味なやり方ね」
「彼らは死ぬまで戦い続けるでしょう。そういう風に認識をすり替えています。
あなた方がここを突破したければ、この城にいるすべての兵士を殺す必要があります
そうして、オルティスタは片手を俺たちに伸ばす。
「さて、勇者よ――あなたにその覚悟がありますか」




