黒面のグラディエーター-7-
英雄の話をしよう。
アムダ・コードウェルは幼い頃、どちらかと言えば内気な少年であった。
体も丈夫ではなく、何度か両親や家の者を心配させた事もあった。
しかし聡明でよく親の言う事を聞く子供であった。
コードウェル家は騎士の家柄であった。
先祖代々武勇に優れ、国の剣と呼ばれる事もあるほどだった。
残念ながら、アムダは身体能力にはあまり秀でていなかったようで、騎士となるには体が弱かった。
しかし優しい両親はそれは仕方のない事だと思い、騎士になる事を無理強いするような事もなかった。
アムダには年の離れた兄がいた。
王国の至宝と呼ばれた兄は、若くして騎士の最高位である聖騎士を叙任した。
口さがない者は、アムダと兄を比べたが、アムダには兄と比較される事すら嬉しかった。
兄は、アムダにとってまさしく英雄であった。
強く優しい兄は、アムダにとっては誇りであり、兄の勇名を聞く度に、自身の事のように喜んだ。
騎士の家だったから、アムダの家には多くの軍馬がいた。
アムダは馬の世話が好きだった。
そういった世話は家来であったり見習いである従士の仕事ではあったが、アムダは無理言って世話をさせてもらっていた。
体は弱いが頭の良い利口な少年は、誰からも愛されていた。
「俺の馬の世話は、アムダに任せるよ」
だからこそ、兄にそう言ってもらえた時は、自分が認められた気がした。
自分が兄の役に立てるのだと、そう思えたのだった。
兄の馬は、国で一番の名馬であり、アムダもその世話に心を砕いた。
優しい両親、気高い兄、暖かな家……アムダにとって、それは世界の全てであった。
魔族が不穏な動きを見せているという報告を受け、兄は前線に向かう事になった。
簡単な任務だ。
聖騎士が前線に赴き、王国の威信を見せる、それだけの役割。
しかし民草がそれで勇気づけられるのを、兄は知っていたからこそ、張り切って家を出た。
すぐに戻ってくるとアムダに笑顔で言いながら。
でも、兄は戻って来なかった。
兄の戦死の知らせを聞いた時の事はあまり覚えていない。
アムダにとって、そこから先の出来事は夢の中の出来事に似ていた。
ふわふわと気怠い浮遊感だけが漂っている。
簡単な任務のはずが、魔族の待ち伏せを受けて、兄は死んだ。
兄の実力なら、そんな事で命を落とすはずがなかった。
しかし不幸な偶然が重なってしまった。
守るべき民をかばってしまった事。
従者がすぐに逃げ出してしまった事。
そして――兄の軍馬が言う事を聞かなかった事。
アムダが世話をした馬が、最後の最後に、兄の言葉に逆らったという。
そうか、僕が兄を殺したんだ。
兄を失った家は、とても静かだった。
いつも明るかった両親は顔を伏せ、母は泣いていた。
家の者も、言葉少なく、仕事に従事している。
火の消えたような静けさが、家の中に蔓延している。
誰もアムダを責めなかったけれど。アムダは理解していた。
お前が兄を殺したんだ、と。
お前が代わりに死ねばよかったんだ、と。
だからアムダは騎士になろうと決意した。
自分が殺した兄の代わりに。
アムダは――英雄にならねばならない。
そして、少年はあの日、焔に出会った。
焔の神獣カシュミオン・レンド。
――我が力欲しくば、汝の一切を捨てよ――
己の命も何もかもを引き換えに、彼は契約を交わす。
英雄となる為に。
さあ、英雄の話をしよう。
誰にも望まれなかった、出来そこないの英雄の話を。
魔神レヴァストラの言葉に、アムダは自身のこれまでの事を思い出していた。
まるで走馬灯だな、とアムダは一人笑う。
戦いの最中、まだ笑う余裕がある事が、さらに面白い。
「……つまり、その魔剣が本体、という訳ですか。自分の弱点を晒して大丈夫ですか?」
「ふっ、我にとって弱点になりえるはずもなし。
そなたの剣が届かぬ事は、今の手合せで把握出来たのでな」
舐められたものだ、と思ったが、しかし反論はしない。
現に、アムダの《神剣解放》を行った決死の攻撃は届かず、逆に手痛い反撃を受けたのだから。
魔神がアムダを下に見る事に、何ら異論はない。
まあ、それで構わない。最後に勝てばいいのだから。
舐められるのは子供の頃から変わらない。
「先ほどの斬撃が、あなたの切り札という訳ですか?」
「左様。我が終の奥義、堕天大鐘楼。
ただ刃の一振りにて、千の剣撃を与える。
ゆえに、いかなる手段をもってしても、回避不能よ」
押し寄せる斬撃を防ぐ術は無い。
だからこその必殺の剣である。
その一撃は極限まで高められ、魔術によって繋がった平行世界からの千撃を繰り出すのである。
「その傷を負った体では、もはや受ける事も出来まい。次で終わりだ、異邦の英雄」
「……そうかもしれません。でも、そうじゃないかもしれない」
アムダはそう言うと、火神剣カシュミオン・レンドを呼び出す。
「また一つ覚えの炎の神剣か。芸が無いぞ」
「……僕が一番最初に契約した神剣ですので。一番信頼しているんです」
子供の頃を思い出す。
弱く惨めだったあの日の思いを。
自分の心を明け渡し、神剣の担い手になったあの日の焔を。
決して忘れる事のない、英雄譚の始まりを。
「《神剣――解放》」
「それは通じぬと、何度言えば分かる」
魔神が構える。アムダを迎撃する為に。
風の力を借りた加速も。
水の力を借りた結界も。
魔神に通じなかったのならば――
「剣よ、我が剣よ。
汝が我を主と認め、我が汝を剣と呼ぶのならば。
くれてやろう、我が心を。
くれてやろう、我が魂を。
ならば我が願いを聞き届けよ。
曰く、我に斬れぬ者、ありやなしや。
――――神触せよ」
――願いは聞き届けられた。
――神触率37パーセントに拡大します。
――たとえ今は四本の神剣とはいえ、人の身でそれ以上は暴挙だよ。
――だが、それがよい。くくく、壊れるなよ、神剣の担い手よ。
――ここに契約は成就した。神剣の担い手よ、我らと汝に敵は無し。
――その身が剣に堕ちるまで。
――その心が剣に犯されるまで。
――我ら七神獣は、英雄の為に力を振るおうぞ。
心が重い。
一気に引き上げすぎたか。
アムダは一人嘆息する。
しかし、魔力が溢れてくる。
「さて……行きますか」
言葉は軽く、体も軽く、ただ心だけが重い。
カシュミオン・レンドが赤く輝く。
アムダは駆け出す。
風の神獣バック・フィリオンの力を解放し、一気に加速。
「それは見飽きたわ!」
既に先ほど一度見せた技だ。魔神には通じないだろう。
だが、その速度は先ほどよりも速い。
「はっ!」
距離を取りながら、牽制で岩の弾丸を撃ち出す。
魔神はそれを軽く剣で払う。
「小手先だけではなぁ!」
あくまでも牽制でしかない。
アムダはその隙に、魔神へと跳躍する。
しかし魔神にとってはその程度、予測の範囲であった。
「甘いわっ!」
魔神の刃が、アムダの体を貫く。
しかし、貫いたはずの体が、瞬時に消滅する。
「ぬ、残像か!」
水と火の力により、虚像を作り出した。残像が掻き消える。
本体は――その上。
「はぁっ!」
刃を振り下ろす。
魔神はそれを、大剣にて受け止める。
じくりじくりと、心が軋む音が聞こえた。
「吹き飛ぶがいい!」
――極儀・獄天鐘楼――
魔神が奥義を放つ。
同時多数からの攻撃。
水の障壁は間に合わない。
ならば――その身で受ける。
「なにっ!」
まさかそのまま受けるとは思っていなかったのだろう、魔神が驚愕の声を上げる。
いや、大地の力により、アムダの肉体は防御されている。
完全に防いだ訳ではない。
アムダの体に無数の傷が浮かぶ。
しかし、どれも意識の外に捨てる。
「まだまだぁ!」
距離を離そうとする魔神に、アムダは追いすがる。
炎の神剣、さらに風の神剣を持った二刀流。
二刀流こそ、アムダの真骨頂である。
「雪風よ、吹きすさべ!」
水と風の力を放ち、アムダの剣から吹雪が放たれる。
魔神はその轟風を受け、たたらを踏む。
「小賢しい!」
刃で振り払い、アムダを迎え撃つ。
双剣での猛攻。
刃と刃が唸りを上げる。
「おおおおおおお!」
アムダが吼える。
魔神もまたそれに呼応する。
まだだ、まだ届かない。
アムダの剣は、まだ魔神には届いていない。
「もっとだ! もっと我を楽しませてみせろ! 英雄!」
アムダは更に加速を選択。
常に加速魔術をその身に掛け続けている為、魔力が急速に失われていく。
失った分の魔力は、《神剣解放》によって神剣から補充される。
そして――代償にその身も心も、神剣に食われていく。
「届けぇ!」
音の速さを超え、アムダの斬撃が煌めく。
魔神は避けない。真っ向から勝負する。
アムダは左手に構えた風神剣を、その勢いのまま、魔神に斬り下ろした。
「はあっ!」
アムダの剣は、魔神の兜を、一文字に叩き割った。
だが、そんな事は無意味だと、アムダは知っている。
魔神が魔剣であるのならば、次が――最後の斬り合いになる。
「見事、なり」
魔神が賞賛を送る。
叩き割られた兜の中には、何も存在しない。
魔神の鎧は、単なる鎧でしかない。
「だが、この距離、この位置――我の勝ちだ」
魔神が剣を横に構えた。
終の奥義が放たれる。
「消えよ。終極・堕天大鐘楼――!」
絶対不可避の千の斬撃。
魔神を攻撃した後のアムダに無情にも襲い掛かる。
回避は出来ない。
たとえ大地の加護を受けたとして、この斬撃に晒されれば、一たまりも無い。
終わりだ。
魔神はそう確信した。
だが――
「《神剣覚醒――紅蓮の宝剣》」
アムダの右腕に携えた神剣が灼熱に輝く。
全ての魔力を剣に注ぐ。
どくり、と命の抜け落ちる音が聞こえた。
アムダはそのまま両手で剣を握ると、一気に振り下ろす。
迫り来る千の斬撃ごと、ただの一撃にて、斬り伏せる。
爆炎。
叩き下ろした神剣は、魔神の刃ごと斬り倒し、爆発した。
しん、と静けさに包まれる。
黒煙の中、一人の男が試合場に立っている。
アムダであった。
「…………見事、なり」
視線の先に、魔神レヴァストラが倒れていた。
鎧のほとんどは砕かれ、魔剣もまた折れている。
「よもや我が秘奥を……一刀にて斬り捨てるとは、な」
魔神の声は弱く、たどたどしい。
しかし全魔力を使ったアムダもまた、満身創痍である。
「僕の……勝ちです」
「ああ、そのようだ。我は敗北したのか」
くく、と魔神が笑う。
「本来ならそなたは……もっと強いのだろうな。
叶うならば、全力のそなたとやり合いたかったものだ……」
「僕が本気なら、それこそ一瞬ですけどね……」
「ふっ、そうかも、しれんな」
今にも消え入りそうな声。
アムダは魔神に詰め寄る。
「教えてください。あなたが戦う理由を」
その問いに、しかし魔神は応えない。
代わりに、虚ろな声が聞こえてくる。
「……申し訳ありませぬ、我らが姫よ。貴女の剣はここで潰えます。
しかし、我らが悲願、必ずや――たとえこの身が礎となったとしても」
「どういう事ですか?」
「……最期に教えてやろう。我がなぜ、この地にいたのか。
――――この地は、そなたらの国から、遠く離れていたであろう?」
その言葉に、アムダは戦慄する。
「まさか……あなたの狙いは僕らをここに呼ぶ為に?」
「くくく、この身は次なる布石よ。我が騎士道、ここに終局せり。
先に地獄で待っているぞ、我が同朋よ」
そう言い残し、剣の魔神レヴァストラは消滅した。
呆気に取られていた司会が、自分の役目を思い出し、高らかに宣言した。
「か、勝ったのは……アムダ・コードウェル!
勝者は決勝戦へと――あれ?」
勝利宣言も待たず、アムダは駆け出した。
自分の考えが正しければ……魔神の狙いは。
「アムダ! こっちだ!」
声に振り返ると、そこにはシライたちが立っていた。他の面々も一緒だ。
「さすがアムダだぜ、よく勝てたな」
「傷は大丈夫?」
「ええ、まあ……何か、起きたんですね」
「ああ」
ファラはためらいがちに口を開いた。
「第五の魔神が、トリアンテに向かって侵攻中だ」
結局――武闘大会はカリオンの優勝にて終わった。
準決勝を勝利したアムダは、しかし棄権し、そのまま自国へと飛び立っていった。
魔神レヴァストラは既に亡く、カリオンとギネヴィアの戦いが決勝戦となった。
戦いは、特に見応えも無く、王者カリオンの勝利にて幕を閉じたのであった。
「もう少し楽しめるかと思ったが……下らんな」
呟くカリオンに、一人の男が近づいていく。
フードを深く被ったその服装は、中央教会の高僧のものである。
「おめでとうございます、カリオン様」
「ふん、茶番でしかなかったがな」
「何をおっしゃいますか。たとえ相手が魔神でも、あなた様の剣技であれば……」
胡麻をするような神官の言葉を、カリオンは黙殺する。
「時に――新たな魔神が出現したと聞いたが?」
「はっ、そのようで。詳しい情報はまだ回ってきておりませぬが、トリアンテへと向かっているようです」
「なるほど。道理で英雄殿たちが、慌ただしく帰っていった訳だ」
カリオンのその言葉に、高僧は眉をひそめた。
「カリオン様、そのような言はお止めください。
あの者らは、英雄などでは……」
「分かっているさ、お前たちの言いたい事はな。だが、言葉で偽ったところで事実は変わらんさ」
アムダと魔神の戦いを見て、カリオンは確信した。
あの者たちが、かつて予言に謳われた英雄なのだと。
だが、中央教会には、それは通じないらしい。
なぜならば――
「我らが選んだ勇者は間違いなく、あなたなのですから」
下らぬ話だとカリオンは思ったが口にはしない。
金がもらえるなら、何だってやるさ。
それがたとえ、偽りの勇者であったとしても。
「俺はどうすればいいんだ?」
「……一旦戻れと猊下が。その後、列王会議に参列いただく形になるでしょう」
「魔神が出たというのに、お前たちは呑気なもんだな」
カリオンの言葉に、神官は笑みを浮かべてこう答えた。
「無論ですとも。なぜなら予言には、魔神は勇者が滅ぼすと、そう語られているのですから。
我ら信徒はただ、予言を信じるだけです」
それは突然出現した。
無限軌道が音を立てて停止。
大平原のど真ん中に、それはあった。
その場には誰もいなかったが、もし人がいれば、それをこう評しただろう。
まるで鋼鉄の箱だ、と。
それは、この世界の人間には馴染みのない存在だから、そう表現するしか無かっただろう。
しかし、もし見る者が見れば、その鋼の箱を、こう呼んだはずだ。
それは、巨大な戦車だった、と。
全長30mの超巨大な戦車は、爆音と共に突き進む。
その装甲は鋼ではない。劣化ウランプレートによる全面補強が行われており、陽光を受けて鈍く輝いている。
そして取り付けられた砲は無骨なまでに長い60口径150mm戦車砲。
総重量1000トンを超える超重戦車であった。
「戦車長。現在位置の確認完了しました」
「うむ、ご苦労」
車内にいる『戦車長』が答える。
この巨大な戦車は、たった三人で操縦されていた。
火器管制を担当する『砲兵長』。
操輪を担当する『操縦長』。
そして、作戦指揮を行う『戦車長』である。
本来はもっと多人数で操作する必要のあるこの巨大戦車ではあるが、彼らはたった三人で操っている。
それもそのはず。
なぜなら彼らは身体から脳に至るまで、全てを機械化した機械兵であった。
ニタリ、と戦車長が笑う。
「ではレヴァストラの奴は任務に失敗したという事かの」
「ヤー、そのようで」
「でかい口ばかり叩いてからに。だが良い。私は寛容であるからな」
「流石は戦車長です」
部下の言葉に、戦車長の笑いがますます強くなる。
うんざりしたように、砲兵長と操縦長が顔を見合わせた。
「では参るぞ諸君」
「ヤー」
「ヤヴォール」
再び戦車の無限軌道が音を立てて駆動する。
見る者を圧倒するその巨体が、一気に加速する。
「征くぞ。魔神大轟雷撃天号の出陣である。
下らぬファンタジー世界の連中を蹂躙してやろう」
第五の魔神は、大地を疾走する。
目指す先は―――城塞都市トリアンテ。




