こんな日を願って
グラシエルたちが俺たちを訪れた翌日の事、俺とおっさん、アムダの三人で街の外へと繰り出した。
さすがに徒歩だときついので、馬を借りた。
しかし俺は人生初の乗馬で、正直なところ、乗っていると言うより、乗っかっている、という方が正しい。
「しかし馬ってのはあれだな。実際に乗ってみると怖いな」
「そんなもんですかね。僕は子供の頃から乗ってるんで、あまりそう感じた事はありませんが」
そう言うアムダの乗馬姿は確かに凛々しかった。
「僕は子供の頃、軍馬の育成士になりたかったんですよ」
街道を馬で進みながら、アムダが切り出す。
馬の育成士って言うと、調教したり世話したりする人の事か。
「家は騎士の生まれでして、幼い頃から家には軍馬がいたんです。
だから、漠然と馬に関わる仕事に就きたいと、そう思っていましたよ」
「でも騎士の家系だったら、継がなきゃいけないんじゃないのか?」
騎士ってのがどういうもんかは知らないけど、でも何となくそういうイメージはある。
基本的に血統主義な世界じゃないのかな。
俺の言葉に、アムダは笑った。少し寂しげな笑み。
「実は兄がいましてね。家督は兄が継ぐ事になっていたんです」
「……そうか」
それ以上は聞かなかった。
兄が継ぐ事になっていた、とアムダは過去形で語った。
それが何を意味するのかは、今の俺には分からないが。
まあ、話したくなったら自分から話すだろう。そういう男だ、きっと。
「しかしおっさんが馬に乗る姿はあれだな。どっかの世紀末覇者みたいだ」
おっさんのサイズに合う一番でかい馬を用意してもらったが、それでもまだ比率的におかしい気がする。
しかし俺みたいに不格好に乗ってない分、様にはなっていた。
今、俺たちが向かっているのは、城塞都市からほど近い森だ。
なぜ俺たちがそんな所に向かっているかというと、昨日の晩飯の時の話がきっかけだった。
奏が食ったトロルの肉もそうだが、全体的にこっちの世界の食事は俺や奏には中々合わない。こちとらハンバーガーとカップ麺で育ってきたから仕方ない。
そんな話を飯時にしてたら、おっさんが、「なら自分が作ろう」と言い出したのが始まりだ。
おっさんの豪快な男の料理が気になったので、じゃあ作ってもらおう、という事になった。
しかし市場で食材を買いに行こう、という話になった時、材料も自分で獲る、と言い出したからさあ大変。
仕方なく、近所の人にこの辺で食材が獲れる所を聞いたら、近くの森を紹介してもらった訳だ。
「しかしまあ、素材から調達するってのも、ある意味おっさんらしい豪快な料理だな。
料理は結構、得意なのか?」
「ふむ、物心ついた時から食事は自分で作っていたからな。
得意と言えば得意かもしれん」
「へぇ、見かけによらずと言うか、逆に似合ってると言うか……」
包丁をぶん回して牛の頭を切り落としていくシーンなんかに似合いそうだ。
「さて、ここからは徒歩で行こう」
森の入り口まで入った後、おっさんは馬から降りる。
馬だとどうしても、獲物が逃げてしまうからだ。
手綱を近くの木に括り付けて、俺たちは準備を開始する。
まず俺の武器はもちろん狙撃銃だ。
レミントンM700を装備し、準備は万全だ。
狩猟用ライフルとしても有名なので、まあ問題は無いだろう。
アムダとおっさんは弓を持っている。
アムダのは比較的小型の弓で、おっさんのはかなり大きい。
弦もどうやらかなりの剛性のあるものらしく、大の大人でも中々引く事は出来ない特別仕様なんだとか。
「さて、とりあえず行くか」
「シライさんは狩りの経験は?」
「いや、現代日本に置いて、狩りなんてよほどの事がない限り、やらねぇな。
そもそも野生の動物を見る事自体、珍しいんだからな」
ただスポーツハンティングのように狩猟を楽しむ面もある。
まあ俺にはあまり関係は無いが。
「僕もそれほど経験は無いかな」
「そうなのか。結構やってるもんだと思ってたが」
森に踏み入れ、獲物を探す。
整備されていない森の中を歩く事自体、あまりない経験だった。
慣れた手際でおっさんが先頭を歩いている。
しばらく森を進んでいくと、おっさんが足を止める。
何か、と尋ねようとすると、片手で俺たちを制する。どうやら獲物が見つかったらしい。
首を伸ばして前を見ると、兎のような小動物がいる。
頭に角が生えてなければ、兎と呼んでも問題は無いだろうが。
「あれ、食えるのか?」
「……多分」
まあ見た目は兎だし、大丈夫だろうと判断。兎肉なんて食った事はないけどさ。
アムダが弓を構える。
おっさんの強弓だと、兎が消し飛びそうだからな。
「…………」
ヒュッと風を切る音と共に、矢が放たれた。
兎までの距離はざっと20mほどだったが、アムダの矢は見事、兎の体に刺さる。
「ナイス!」
「久しぶりでしたが、まだ腕は鈍ってませんね」
矢が刺さった兎を拾い上げる。
頭に角が生えている以外は、本当に兎だな。
「とりあえず血抜きしますね」
そう言うと、手慣れた手付きで兎の後ろ足を掴み、逆さに吊るす。
そして、持っていたナイフを使い、腹部にナイフを突き立てた。
赤い血が飛び散り、大地を濡らしていく。
少しだけ、目を背けそうになったが、じっとその作業を見ていく。
内臓を出すと、アムダはそれを地面に置く。
「それは食わないのか?」
「え、これを食べるんですか?」
確かに、内臓を食べる文化ってあんまり無いのかもな。
ホルモン自体、元々捨ててたって言うし、それほど食べるもんでもないのかもしれない。
「これでいいかな」
解体し終えると、兎の肉と毛皮を綺麗に纏める。
さすがは異世界人、慣れたもんだな。
こちとら、血を見るだけでもビビってると言うのに。
「じゃあ行きましょう。これだけじゃ足りないですしね」
「うむ、そうだな」
再びおっさんを先頭に森を進んでいく。
時折、鳥が見えるので、あれはどうだと聞くと、あれは食べられない、と返事が来る。
何でも、羽ばかりで身がほとんど無いらしい。
「鹿とか猪とか、そういうもんいねぇかな」
「……いたぞ」
「マジ?」
「あそこだ」
おっさんの指差した先を見ると、確かにそこに鹿がいた。それも二頭も。
どうも親子らしい。片方がどうもまだ小鹿のようだからだ。
何となく罪悪感があるが……そういう訳にもいかない。
俺はM700を構える。
距離はおよそ80m、楽な距離だ。
100mくらいなら、銃の威力も相まって、急所を狙わずとも仕留められる確率は高い。
ただ半矢にするのは可哀想なので、なるべく一発で仕留めたいところだ。
「さてと……」
膝をつき、狙いを定める。
鹿はこちらには気付いていない。
親の方を狙うか、それとも小鹿を狙うか。
少し考えて、親鹿を狙う事にした。
単にそっちの方が肉がでかいと思ったからだ。
「ごめんな」
誰に対しての謝罪かどうかは分からないが、俺の言葉は銃声に掻き消された。
放たれた弾丸は、鹿のこめかみを撃ち抜く。
どさり、と鹿がその場に倒れる。
銃声に驚いた小鹿は、そのまま森の奥へと消えていった。
「さすがですね」
「見事なものだな」
二人に褒められて、まんざらでもない気分だ。
感傷に浸るのなら、せめてこの仕留めた鹿を美味しく食ってやる方がマシだろう。
そう自分に言い聞かせる。
「ただ……捌くのはちょっと無理だな」
「はは、じゃあ僕が手伝いますよ」
「……手伝うんじゃなくて、出来ればやってもらいたいところだけど……」
「自分で仕留めた獲物は自分で捌く」
「そういう事だな」
やれやれ、そう甘くないもんだな。
俺は軍用ナイフを引き抜くと、倒れた鹿に近づくのであった。
――グオオオオオオオオオオオ
その咆哮が聞こえたのは、ちょうど鹿の解体が終わった頃だった。
最初は肉にナイフを突き立てるのもおっかなびっくり行っていたが、最後は比較的慣れてきたのか、スムーズに事を終えられた。
肉を仕分けていると、木々を揺らす叫びが聞こえる。
「何だ……?」
「分かりませんが、気を付けた方がいいかもしれませんね」
M700狙撃銃を取り出し、周囲を警戒する。
おっさんとアムダもそれぞれ、木々の合間を見詰めている。
「……何でもない、か?」
「後ろだ!」
おっさんの叫び声に、俺は振り返って驚愕する。
そこにいたのは、体高が3mはありそうかというような、巨大な鹿だ。
いや、鹿かどうかも分からない。
ただ頭部に捻じれ曲がった凶悪な角が生えていたからそう判断しただけだ。
あんなもんで突かれたら、一発でお陀仏だろう。
そんなどうでもいい事を思っていたら、鹿がこちらに向かって突進してくる。
マジかよ。
咄嗟に横に飛び、突進をかわす。
鹿は真っ直ぐ突き進み、大木に激突する。
しかしそのまま大木をへし折った。何つう破壊力だよ。
「なんか怒ってますね……」
「あれじゃねえかな、多分」
俺たちの視線の先には解体して肉塊になった先ほどの親鹿があった。
さっきのは雌鹿だったが……
もしかすると、もしかして、旦那さんですか。
「こりゃ謝っても許してもらえそうにないな」
「ですね」
「……仕留めるぞ」
おっさんの言葉に、俺たちは三方に分かれる。
固まってて突進を食らえば一発でアウトだ。なるべく目標を分散させないといけない。
化け物鹿は血走った目つきで俺たちを見回し、そして俺をロックオンする。
ってなんで俺だよ。
「匂いが付いてるんじゃないですか?」
「なるほどね」
再び突進。
転がるように飛び退き、それをかわし、鹿の背面に狙いを付ける。
こいつを食らいな。
引き金を引き、弾丸を放つ。
銃弾は、間違いなく化け物鹿の脇腹に命中した。
しかし、それだけだ。
鹿は倒れる様子もなく、さらに怒りを増した様子で俺を睨む。
マジかよ。
「効いてないぞ、これ」
7.62x51mmのFMJ弾では、あの化け物鹿は止めれそうにない。
さてどうしたもんか。
そう思っていると、鹿に矢が刺さる。
矢と呼ぶには、あまりにも太いそれは、おっさんの強弓から放たれたものだ。
銃弾にすら怯まない化け物鹿も、さすがにたたらを踏む。すげぇ。
「離れていろ……」
おっさんが前に出る。
化け物鹿の怒りは最高潮だ。
鼻息荒く、おっさんに向かって突進を繰り出した。
おっさんはゆっくりと手に持っていた弓を投げ捨てる。ってえええ!?
まさかガチンコか!?
腰を落とし、鹿を迎え撃つおっさん。
大木をもへし倒すその巨体が、みるみる加速していく。
おっさんと鹿が交差する。
そして――化け物鹿に向かって拳を打ち込んだ。
――ズウウウウウウウウウウウウン
重い炸裂音が響いた。
おっさんの拳は真っ直ぐに、鹿の眉間を捉えている。
そして――鹿がゆっくりと倒れた。
「……ふむ」
拳一発で化け物鹿を仕留めたおっさんは、そのまま何でもない様子で、鹿の解体を始めるのだった。
「もうどっちが化け物か分かんねぇな」
「……ですね」
鹿を解体した後、俺たちはそのまま何故か火を焚き、飯の支度をし始めた。
本来は肉を持って帰る必要があるのだが、まあその場のノリというやつだろう。
新鮮な方が美味しい、というアムダの提案に負けたのだ。
大量に獲物が獲れたから、浮かれていたというのもある。
「では、いただくとしよう」
兎と鹿肉を焼いただけの食事。
しかし肉が焼ける香ばしい匂いは、何物にも勝る調味料だ。
焼けた端からかぶりつく。
「うお、うめぇな」
「ですね」
ついでにその辺で摘んだ草をぶっこんだスープもある。
おっさんが慣れた手付きで作ったものだ。
さすが、言うだけの事はある。
「後は、これだな……」
そう言うと、荷物から何かの瓶を取り出す。
何だ、と思って見ていると、俺とアムダに瓶が配られた。
匂いを嗅ぐと……酒だ。
「やはり飯にはこれがないとな」
「さすがおっさん、話が分かるぜ」
そんなこんなで、男三人が集まり、やんややんやと酒と肉を食らうのであった。
おっさんがくれた酒は結構強く、少量飲むだけでもあったまってくる。
ラム酒みたいなもんかな。
宴もたけなわなところで、アムダが切り出す。
「そういえば、少し元気が無かったですね、シライさん」
「……そう見えるか?」
おくびには出していないつもりだったが、アムダは何かを感じ取ったらしい。
まだ数日の付き合いだが、アムダは人の心を読むのに長けている。
人心掌握が上手いというか、根っこからリーダー気質なんだろう。
逆に、本心はあまり人には見せないタイプのようだが。
「何て言うかな、この間のゴブリンと戦った時にさ、接近戦になったんだよ。
その時、咄嗟にナイフを使ってゴブリンを倒したんだけどな……」
俺はナイフを取り出して、刃の表面を眺める。
曇りのない白銀の刃。
「何となく、その時の感触がまだ手に残ってるんだよ」
刃が肉を斬る感触が、手から離れない。
おかしな話だと自分でも思う。
あれだけ銃で殺してきておいて、自分の手で殺した相手だけ、罪悪感を感じるなんてな。
本当に、自分勝手なもんだ。
「……殺す事に慣れてはいけない。
しかし、殺す事を躊躇ってもいけない」
焚火に木をくべながら、おっさんが呟く。
含蓄の深い言葉だな、それは。
「そんなもんか」
「きっと、シライさんの世界は平和だったんでしょうね」
どうだかな。
俺の知らないところで、きっと誰かが戦っていたはずなのに。
俺はそれを知らずに生きてきた、ただそれだけなんだろう。
「鹿を食う為に殺すのも、生きる為に敵を殺すのも、等しく同じだ」
「……そう、だな」
多分、おっさんが言うならそうなんだろう。
そうであってほしいという。俺の願望でもあるが。
「……湿っぽいのは無しだ。食おうぜ」
「……ですね」
俺は焼き上がったばかりの鹿肉を食べ始める。
うめぇ。
「で――あたしたちをほったらかしにして、食べちゃった訳ね」
飯を食い終えた頃には、日も沈み、夕闇が訪れていた。
そろそろ帰るか、と馬に乗って城塞都市まで戻ると、街の入り口に奏とバシュトラが待っていた。
何か忘れていると思ったら、これだったんだな。
一応、化け物鹿の肉は小分けして持って帰って来てるんだけど。
「あー、いや、そのだな……」
「別にいいのよ。お腹を空かせて待ってたら、満足げな顔で戻ってきたのを見ても、何とも思わないから」
「……お腹空いた」
バシュトラのお腹がくぅと鳴った。
すまん。
「こっちも一応、食事を用意して待ってたのよ」
「マジか。それは悪かった」
俺たちが頭を下げると、奏はにっこりと笑う。
許して……くれたのか?
「バシュトラ」
「……これ」
彼女が何かを差し出す。
肉が皿に盛られている。
これが用意していた食事なのだろうか。
美味そうな匂いがこちらにも伝わってくる。
「バシュトラが作ったのよ。食べてほしいって」
「何て……健気な!」
俺たち男勢は酒飲んでどんちゃん騒ぎしてただけなのに。
そう思うと、少し焦げたこの肉も、美味そうに見えてくる。
「……美味しいはず」
「ありがたくいただくぜ!」
肉を摘まみ、口の中に放り込む。
味は……うん、悪くない。
少し硬いが、まあいける味だ。食感はゴムに似ていた。
「いけるぜ、これ」
「そう、良かった。ね、バシュトラ」
「……うん」
みんなハッピーだ。俺たちも何となく嬉しいぜ。
しかし本当に硬いなこの肉。
全然噛み切れる気配が無い。
「それはそうと、これ、何の肉なんだ?」
俺の言葉に、綺麗な笑顔で、奏では答えた。
「決まってるじゃない。トロルよ」
その言葉に、俺は勢いよく噴き出した。




