36話 過去との決別 - 未来への誓い
アリアの放つ温かい浄化の光は、まるで春の雨のように、怨念の黒い霧をゆっくりと洗い流していた。怨念は、苦悶の叫びを上げながらも、その力を徐々に失っていく。
けれど、長きに渡ってこの地に根を張ってきたそれは、そう簡単には消滅しなかった。
「まだ……終わらないのか……?」
エリオットは、祭壇を見つめながら、息を詰めて呟いた。彼の額には汗が滲み、魔法陣を維持する手に力がこもっていた。妹の魂が安らかになるまで、あと少し。けれど、目の前の怨念の抵抗は、依然として激しい。
アリアは、静かに首を横に振った。
「ええ……でも、大丈夫。光は、確実に届いています」
彼女の声は、わずかに疲労の色を帯びていたが、その瞳には揺るぎない決意が宿っていた。この光は、ただの力ではない。人々の悲しみを受け止め、癒す、彼女の魂そのものなのだから。
その時だった。怨念が、最後の力を振り絞るように、激しく脈打ち始めた。黒い霧が巨大な塊となり、アリアに向かって襲いかかる。
「アリアさん!」
エリオットは、思わず叫んだ。
迫りくる闇に、彼の心臓が凍り付くようだった。
迫りくる闇の中で、アリアの意識は、ふと、遠い過去へと引き込まれた。ぼやけた映像の中に、見覚えのある紋様、そして、優しい眼差しを向ける、懐かしい人々の顔が浮かび上がる。それは、確かに彼女の前世の記憶だった。
(私の家族……温かくて、優しかった家族……なぜ、こんなことに……?)
映像は、次第に鮮明になっていく。彼女の先祖たちが、苦悩の表情を浮かべながら、何かを研究している。その傍らには、王宮の紋章が刻まれた書簡が置かれている。焦燥の色を浮かべ、何かから必死に守ろうとしているようにも見える。
「……強い圧力……」
レオンの手紙に書かれていた言葉が、アリアの脳裏に蘇った。
ああ、そうだった。彼らは、決して自らの意思で、この禁断の研究に手を染めたわけではなかったのだ。愛する人々を守るためだったのか。あるいは、逆らうことのできない強大な力に、押し潰されてしまったのか。胸に深い痛みが広がっていく。
そして、もう一つの映像が、アリアの目に飛び込んできた。それは、彼女がこの世界に転移した、あの不思議な瞬間の光景だった。
眩い光が全てを包み込み、意識が遠のいていく。まるで、魂が別の器へと移し替えられるような、不思議な感覚。その中で、確かに聞こえたのだ。どこからともなく、優しく、けれど強い意志を持った声が。
「汝は、過去の過ちを償い、未来を救う者なり」
(私が……この世界に来たのは……償い……未来を救う……?)
全ての点が、線で繋がっていく。
彼女が「浄化の癒し手」の力を持っていること、そして、このミストラル村で、こんなにも深い悲しみを抱えた怨念と出会ったこと。それは、決して偶然ではなかったのだ。過去の因縁を断ち切り、この土地を、そして、これから先の未来を救うという、彼女に与えられた、かけがえのない使命だったのだ。
胸の奥底から、熱いものが込み上げてくる。逃げてはいけない。立ち向かわなくては。
アリアは、ゆっくりと目を開けた。彼女の瞳には、もう一片の迷いもなかった。迫りくる怨念の塊を前に、彼女は、自身の内なる光を、さらに強く、熱く燃え上がらせた。
「私は……私のなすべきことをする!」
彼女の体から溢れ出す光は、先ほどまでの優しい光に、強い意志と、決して揺るがない決意が加わった、力強い輝きへと変わっていた。光は、怨念の黒い霧を容赦なく焼き払い、その奥に潜む、深い悲しみの核へと、まっすぐに、そして力強く迫っていく。
その光を見た瞬間、エリオットは、はっきりと理解した。アリアの戦いは、単に怨念を消滅させるだけでなく、彼女自身の過去の悲しみと決別し、未来を自分の手で切り開くための、魂の叫びなのだと。
エリオットは、自身の心に深く問いかけた。ミアは、本当に復讐を望んでいるのだろうか?あの優しい妹が、誰かの不幸を願うだろうか? いや違う。ミアが、心から願っていたのは、争いのない、平和な世界だったはずだ。
彼は、ミアとの短い対話を、まるで昨日のことのように鮮明に思い返した。ミアの、あの穏やかで、少し寂しそうな笑顔。そして、別れの際に、彼の手にそっと重ねられた、温かい光の感触。
「お兄ちゃん……ありがとう……」
「ミア……ありがとう」
エリオットは、心の中でそっと呟いた。
長らく彼の心を焦がし続けていた復讐心は、いつの間にか静かに消え去り、その代わりに、感謝の気持ちと、未来への、かすかなけれど確かな希望が、彼の心に温かく灯り始めていた。
エリオットは、祭壇に埋め込んだ魔法の石に、彼の今持てる全ての力を込めた。彼の魔力は、これまで以上に強く、そして、清らかな光を放ち、アリアの浄化を、迷いなく、力強くサポートする。
アリアの光が、ついに怨念の核に、直に触れた。激しい光と、焼け付くような熱が、地下施設全体を容赦なく包み込む。
黒い霧は、断末魔の悲鳴のような音を上げながら、まるで崩れ落ちる砂の城のように、徐々にその形を失っていく。その叫び声には、深い苦しみと、消えゆくことへの恐れが、痛いほどに込められていた。
その瞬間、周囲の景色が、まるで魔法のように、目に見えて変化し始めた。
じめじめとして淀んでいた地下の土が、ほんのりと温かさを帯び、足を踏み入れると、ふかふかとした優しい感触に変わっていく。黒ずんでいた壁の色も、長年の汚れが洗い流されたかのように、かすかに明るさを取り戻したようだ。
外のミストラル村でも、奇跡が起きていた。枯れかけていた草木が、まるで長い眠りから目覚めたかのように、瑞々しい緑を取り戻し、色あせていた花々が、待ちわびた春を迎えたかのように、鮮やかな色彩を放ち始めた。
特に、長く枯れ果て、村の象徴のように寂しげに立っていた入り口の古木には、小さな、けれど力強い新芽が、いくつも、希望の光のように顔を出していた。
村人たちは、その目に見える奇跡のような変化に、息を呑んでいた。
「土の色が……変わった!」
「見てください、花が咲いた!」
「あの枯れ木に……信じられない、芽が出てる!」
驚きと、抑えきれない喜びの声が、あちこちから湧き上がった。
そして、ついに、怨念は完全にアリアの温かい光に包まれ、まるで朝露が陽光に消え去るように、静かに、そして完全に消滅した。
長く重苦しかった沈黙を破り、地下施設には、清らかで、どこまでも穏やかな空気が、ゆっくりと流れ込んだ。
アリアは、ゆっくりと祭壇から降り、深呼吸をした。彼女の表情は、長きにわたる重荷から解放されたような、深い安堵感と、未来への確かな希望に満ちていた。
エリオットは、力を使い果たし、少し息を切らせながらも、清々しい、どこまでも晴れやかな表情で、アリアに近づいた。
「終わったんですね……本当に……」
「ええ……終わりました」
アリアは、エリオットの瞳をまっすぐ見つめ、心からの笑顔で答えた。その笑顔には、共に困難を乗り越えた二人の絆が、確かに輝いていた。
二人は、共に地下施設を出て、久しぶりに温かい陽の光を浴びた。
ミストラル村は、彼らが来た時とは、まるで違う場所のように、美しく蘇っていた。
緑は鮮やかさを増し、色とりどりの花々が風に優しく揺れ、鳥たちの喜びのさえずりが、心地よく響いている。
村人たちは、二人の帰還を心から喜び、涙ながらに感謝の言葉を口々に伝えた。彼らの表情には、長らく失われていた、心からの笑顔が、確かに戻ってきていた。
エリオットは、どこまでも広がる青空を見上げた。もう、一片の暗雲もない。彼は、心の中で、そっとミアに語りかけた。
「ミア……これで、やっと安らかに眠れるね。ありがとう……」
その瞬間、エリオットの頭上で、まるで光の粒子が集まったような、小さくキラキラとしたものが、ふわりと空へと昇っていくのが見えた。それは、まるで夜空に瞬く星屑のように、淡く、しかし確かに輝いていた。
アリアは、その光景を静かに見上げていた。彼女には、それがミアの魂の欠片だと分かった。長きに渡り、この地に縛られていた妹の魂が、兄の感謝の言葉を受け止め、ようやく自由になり、天へと昇っていく。その光は、悲しみや苦しみから解放された、純粋なな輝きを放っていた。アリアの胸には、温かい安堵の気持ちが広がった。
アリアは、エリオットの横に立ち、同じように空を見上げた。彼女の心には、過去への深い感謝と、これから始まる未来への、力強い誓いが宿っていた。
彼女は、この世界で出会った全ての人々、そして、これから出会うであろう全ての人々のために、彼女に与えられたこの特別な力を使っていこうと、心に深く、静かに誓ったのだった。
ミストラル村には、久しぶりに穏やかな風が吹き抜け、人々の心にも、温かい希望の光が、静かに、けれど確かに灯り始めていた。
36話:終わり
〈登場人物〉
* アリア: 自身の過去と向き合い、未来への使命を自覚する「浄化の癒し手」。
* エリオット: 復讐心を手放し、妹ミアの魂の安寧を願う青年。
* ミア(魂の欠片): エリオットの感謝を受け、安らかに昇天していく妹の魂。
* ミストラル村の生存者たち: 浄化の光を目撃し、村の再生に希望を見出す人々。
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※このお話の舞台はヨーロッパ風異世界であり、現実世界の歴史とは一切関わりありません。
作中に出てくる 国・文化・習慣・宗教・風俗・医療・政治等は全てフィクションであり、架空のものです。
あくまで創作上の設定としてお楽しみいただけますと幸いです。
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