310話 重なる面影 - 気づいてしまった者
プエルは、その瞬間まで、自分の内側で起きている違和感を、ただの気のせいだと思おうとしていた。
夜の空気は静かで、仲間たちの気配も、いつもと変わらない。
焚き火の音、星霊たちの微かな揺らぎ、規則正しい呼吸。
その中で、アリアがふと顔を上げた。
それだけだった。
たった、それだけの仕草。
なのに――
(……重なった)
胸の奥で、何かが軋んだ。
向かい合わせに座っていた記憶。
硬い椅子でも、柔らかい床でもない。
ただ、逃げ場のない不安を抱えたまま、
「話すしかない場所」に座らされていた、あの感覚。
この世界ではない。
けれど、確かに存在していた、どこか別の世界。
あのとき、自分はひどく弱っていた。
身体ではなく、心が。
先の見えない不安。
このまま進んでいいのか、それとも、もう何も信じないほうが楽なのか。
――その向かいに、彼女は座っていた。
見下ろされていたわけではない。
試されてもいない。
ただ、否定しなかった。
逃げ場のない不安を、
「そんなことは考えないで」
と遮ることもなく、
「大丈夫だよ」
と安易に慰めることもなく。
静かに、まっすぐに、
こちらを見ていた眼差し。
未来を言い当てる占いではなかった。
何年後に成功する、誰と出会う、そんな話でもない。
代わりに、彼女は言った。
――あなたに、向いていること。
――あなたが、無理をしなくても続けられること。
――あなたが、まだ自分では認めていない才能。
それを、淡々と、押しつけずに。
(……あれは)
救いではなかった。
答えでもなかった。
けれど確かに、
「ひとりじゃない」
と知ってしまった時間だった。
「プエル?」
声をかけられて、プエルははっと我に返った。
ルクスだった。
星霊としての感覚なのか、それともただの勘なのか、
彼はいつもより少し、真剣な顔をしている。
「……大丈夫か?」
問い詰めるでも、理由を求めるでもない。
ただ、様子がおかしいことを、そのまま受け取った声。
「…大丈夫!」
即座に答えたつもりだった。
けれど、その声は、自分でもわかるほど硬かった。
少し離れた場所で、シュウもこちらを見ていた。
何かを問いただす様子はない。
ただ、医者見習いとして身についた感覚が、
いつもと違う“呼吸の間”と、
魔力の流れの微かな乱れを、見逃していなかった。
(……気づかれたかな)
いや、違う。
“気づかれた”のではない。
自分が、気づいてしまったのだ。
アリアがこちらを見た、その視線。
そこに、あのときと同じものを見てしまった。
向かい合って座っていた、あの占い師の眼差し。
弱さを見抜きながら、
それを武器にも、裁きにも使わなかった人。
(……思い出さないで)
胸が、じわりと痛んだ。
恐れているのは、死ではない。
あの頃の自分は、もう死ぬことすら、どうでもよくなっていた。
怖いのは――
自分の弱さを、すでに知っている存在が、
今、同じ世界に立っていること。
しかも、それが、
守るべき仲間のひとりだということ。
アリアは、何も言わない。
プエルの内側で起きていることなど、
気づいていないようにも見える。
それが、余計に苦しかった。
知られないままでいることもできる。
思い出さなかったふりも、できる。
けれど。
一度、重なってしまった面影は、
もう、なかったことにはならない。
月は何も語らない。
けれどその夜、
プエルの中で、
忘れたふりをしていた“寄り添われた記憶”だけが、
静かに、確かに、目を覚まし始めていた。
ーーー311話へつづく




