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私が占い師になった理由。  作者: 月灯
第十章 果てなき砂と星の狭間で
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292話 記憶の欠片 - 蘇る手のぬくもり


眩い砂光を抜けた瞬間、肺いっぱいに外気が流れ込む。

しかし安堵する暇などなかった。足元が震え、迷宮入り口の石壁が音を立てて崩れ始める。


「まだ揺れてる! 走れ、離れろ!!」


エリオットの叫びが風にちぎれていく。


アリアはイリスを胸に抱えたまま、後ろを振り返る。

さっきまでシュウが肩を貸し、プエルが必死に支えていたモルン——その小さな身体が、ついに力を失って膝を折りかけていた。


「ユリウス!」

「任せろ!」


騎士の一声が響くと同時に、ユリウスは砂煙の中を跳ねるように駆け寄り、ぐったりしたモルンを軽々と背負い上げた。

少年の体重なら問題ない、というより——仲間を守る訓練を積んだその動きは迷いがなかった。


「しっかり掴まってろ!」

「……うん……」


ユリウスが走り出す。

その後ろで、シュウが短く息をつき、プエルは小さな足で必死に追いかけた。


だが——本当の危機は、その直後だった。


轟音。

砂嵐が、まるで生き物のように巻き上がり、迷宮の入り口ごと飲み込もうとしてくる。


「アリア、離れるぞ!」

「ええ!」


アリアはイリスを両腕で包み込むように抱き締めた。

砂塵が突き刺さる。視界が白くかき消える。


その刹那——

アリアの胸の中で、イリスの小さな体がびくっと震えた。


「アリア……その、て……」


か細い囁きが、耳に触れる。


「なんか……あったかい……しってる……きが……する……」


アリアは息を呑んだ。


触れた瞬間、イリスの奥に眠る“何か”が確かに揺れた。

けれど同時に、イリスの瞳は混乱に揺れ、思い出そうとするほど痛みに耐えるように震え始めた。


「無理に思い出さなくていい。今は逃げるのが先よ」


「……アリア……いる……から……だいじょう……ぶ……?」


アリアは胸の奥が熱くなるのを感じた。

それが、何の感情なのか判別できないほどに。


「ええ。ずっと一緒にいるわ。だから——しっかり掴まってて」


目の前の砂壁が裂け、視界が開ける。

エリオットが風の魔法で道をこじ開け、ルクスの補助魔法が周囲の砂流を押し返す。


ユリウスは背中のモルンを守るように身体を傾け、必死に走り抜ける。

シュウもプエルも、それを追いながら振り返る余裕すらない。


アリアはイリスを抱き締め、最後の一歩を踏み出した。


大気が変わり、砂嵐の轟音が遠ざかる。

ようやく光の中へと飛び出した仲間たちは、その場に倒れ込むようにして呼吸を整えた。


イリスはアリアの腕の中で、小さく、胸元を握る。


「アリア……なんで……なみだ……?」


アリアは初めて、自分の頬を伝っていたものに気づいた。

砂の痛みでも風のせいでもない。もっと深いところから溢れた涙だった。


「……わからない。

でもね……あなたが“わたしを知ってる気がする”って言ったから……」


イリスの瞳が丸くなる。

その奥で、かすかな光が揺れている。思い出の欠片のように。


アリアはそっと額を寄せた。


「いつかその欠片が、全部つながる日が来るわ。そのときは……ちゃんと教えてね。イリス」


自分でも理由を言い切れない。

でもイリスの言葉に、胸の奥がひどく締めつけられたのだけは確かだった。


イリスはその涙をじっと見つめ——

アリアの指先に、自分の小さな触手のような手をそっと触れさせた。


「……アリアの、なみだ……あったかい……

 わたし……しってる……きが……する……」


言葉はそこで途切れた。

イリスの瞳はまだ揺れたままで、記憶の扉はほんの隙間しか開いていない。


アリアはそっとイリスの頭を撫でる。


「無理しないで。あなたのペースでいいの。思い出すときは、きっと……自然に来るわ」


イリスはこくりと頷き、胸に顔をうずめた。


その背後では、まだ仲間たちが荒い呼吸を整えていた。

ユリウスはモルンを下ろし、ルクスが彼に軽い安定化の魔法をかける。

プエルはへたり込み、シュウは砂を払いながら空を見上げる。


エリオットが頬の砂を拭い、深く息を吐いた。


「……全員、無事だな」


その言葉に、アリアは小さく頷いた。


胸に宿る温もりが、まだ震えている。

イリスはもう眠りかけているのか、アリアの服をぎゅっと握りしめたまま動かない。


——この手を、離しちゃいけない。


理由はまだ見えない。

でもその想いだけは、砂嵐よりも、記憶の欠片よりも、強く、確かだった。


アリアは静かに息を吸い、皆に続いて歩き出す。


こうして、崩壊した迷宮からの脱出は完了した。

けれどイリスの胸奥で揺れた記憶は——

ほんの始まりにすぎなかった。






ーーー293話へつづく




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