283話 影巡りの回廊 - 影ぬいの反応
砂沈む門を抜けた瞬間、空気がひやりと肌を撫でた。
外の焼けつくような熱は跡形もなく消え、石造りの回廊には静寂だけが満ちている。
アリアは思わず肩をすくめ、胸の中で月読猫を抱きなおした。
猫の耳がぴんと立ち、尻尾がそわそわと揺れ続けている。
「……嫌な感じ、する?」
そっと問いかけると、月読猫は小さく「にゃ……」と返した。
だけどその目は、まるで“そこに何かがいる”かのように奥をじっと見据えている。
壁に近づくと、そこには黒い影の模様が、まるで生きているみたいに複雑に絡んでいた。
光源がほとんどないのに、影だけがわずかに脈打つように揺れている。
「うわぁっ、かっこいい! この影、なんか動いてる!」
プエルが目を輝かせて走り出し──
「触ると危ないから」
ルクスが無言でフードをつまみ、プエルを持ち上げる。
「えっ、なんで?」
「影の属性が濃すぎる。魔法陣の一部になってる。
触ったら……まあ、吸われるね。たぶん」
「ひぃ……吸われるのはヤダ……!」
プエルは慌ててアリアの後ろに退避したが、壁の模様には名残惜しそうに目を向けている。
エリオットは跪き、床に落ちた砂の量と深さを慎重に調べていた。
「……先客がいる。足跡が新しい。しかも複数だ」
「先客……?」
アリアが思わず声を潜める。
「冒険者か、盗掘狙いか……どちらにせよ、素人の足運びだ。
この回廊を理解して歩いた形跡はない」
つまり、危険な場所に“無防備なまま入った人々”ということだった。
その時、モルンが一歩進んだ瞬間、アリアの心臓が跳ね上がる。
モルンの足元に落ちる影が、ふわりと人型に膨らんだのだ。
「モルン!? 影が──」
「……うん。わかってる」
モルンは困ったように笑ったが、その笑顔の奥で痛みに耐えているのがアリアにはわかった。
「……っ」
ルクスが鋭く息を吸う。
「影の魔力が……吸われてる。モルンから、少しずつ」
アリアが顔色を変え、思わずモルンの肩に手を置いた。
「モルン、大丈夫?」
モルンはいつもの柔らかな笑みを浮かべる。
「……大丈夫。少し“重い”だけだ。歩ける」
「万が一のために、魔力回復手段くらいは出しておくよ」
シュウが腰のポーチを探りながら言うと、イリスが「モルン、つかれたら、イリスの魔力あげるの」と胸を張る。プエルも横から「わたしもあげるー!」と手を挙げた。
「やっぱり……この影の回廊、影ぬい持ちには相性が悪そうだな」
ルクスが影模様をじっと見つめ、息を吐いた。
アリアはモルンの手をそっと握る。
「無理はしないで。ね?」
「大丈夫。アリアがいるから」
モルンは優しく微笑んだが、その影はまだ揺れ続けていた。
マコトがふいに立ち止まり、前方に手をかざす。
「風が……曲がってる。
──いや、そこだけ“風が消えてる”。見えない通路だ」
「見えない通路?」
プエルが顔を出す。
「影で閉ざされてる。
本当は道なのに、そこだけ“壁に見せかけてる”んだ」
エリオットが鋭い目で補足する。
マコトは風のわずかな流れを読み、ゆっくりと歩みを進めた。
砂が舞い上がり、その一部だけ“不自然に沈まない”。
まるで見えない壁に支えられているようだった。
「ここだ。影が壁を偽装してる。
通るなら、この細い風の通り道だけ」
「すご……。師匠、よくこんなのわかるね」
アリアが感心して言うと、マコトは照れ臭そうに鼻をかいた。
「昔から風の流れだけは得意だからな。
……こんなとこで役に立つとは思わなかったけど」
月読猫が突然、低い声で喉を鳴らした。
「……にゃ゛……!」
その声はいつもの甘え声とは違う、緊張の混じった音だった。
アリアは急いで抱きしめる。
「どうしたの、月読さん……?」
月読猫はアリアの胸元に顔を埋めながらも、回廊の奥を睨み続けていた。
ルクスがそっと耳を澄ませるように壁に触れず近づく。
「……影がざわついてる。
誰かが“呼んでる”みたいな……そんな感じ」
「呼んでる……?」
アリアが呟くと、モルンの影がまたふわりと揺れた。
「大丈夫だ。まだ……耐えられる」
そう言うものの、膝がわずかに震えている。
アリアは強く手を握りしめた。
「行こう、みんな。
でも絶対に、勝手に動いちゃダメ。
影が“何かを見せようとしてる”……そんな気がするから」
その言葉に、仲間たちは静かに頷いた。
回廊の奥へ足を踏み出すと、影の模様がゆるりと揺れ、
まるでアリアたちを迎え入れるように道が開いていく。
その先に何があるのか、まだ誰にも分からない。
けれど、月読猫の震えとモルンの影の反応が──
ここが“ただの遺跡ではない”ことだけは確かだった。
アリアは一歩、また一歩と進む。
胸の中で月読猫が息を潜め、仲間たちの足音が静かな空間に響いた。
影巡りの回廊は、まるで生き物のように蠢きながら、
彼らをさらなる奥へと誘っていた。
ーーー284話へつづく
※このお話の舞台はヨーロッパ風異世界であり、現実世界の歴史とは一切関わりありません。
作中に出てくる 国・文化・習慣・宗教・風俗・医療・政治等は全てフィクションであり、架空のものです。創作上の設定としてお楽しみいただけますと幸いです。
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