276話 砂漠の遺物 - 不思議な力
砂嵐を抜けた一行は、風の道の先で、岩に埋もれた古代の遺跡へと辿り着いた。
昼の熱気が去り、夕刻の風が砂丘をなでる。微かな月光の中、そこだけぽっかりと開いた洞窟の入口が、不思議なほど静かに息づいていた。
「……ここだけ、空気が違うな」
マコトが剣の柄に手をかけながら、目を細める。
彼の勘は鋭い。見えぬ敵よりも先に、場の“気”の乱れを感じ取っていた。
「古代の封印かもしれません」
エリオットが掌に光を集めると、ふわりとした守護の膜が仲間たちを包む。
「ここから先は、何かが眠っている気配がします。……神聖な、けれどどこか哀しい感じです」
「にゃ……」
月読猫が低く鳴いた。
アリアの足もとから一歩前に出て、洞窟の奥へと視線を注ぐ。その尾がぴんと立ち、毛先が月光を反射して青白く揺れた。
「月読さん……何か感じるの?」
問いかけても、猫は答えず、ただ静かに奥へと進む。
イリスが小さく首をかしげ、ふよんと浮かぶようにしてついていった。
「まって、イリスもいくの〜? あぶないよ?」
プエルが慌てて追いかけるが、ルクスが手を上げて制した。
「放っておきなさい。……あの猫、ただの導き手ではない。おそらく、遺物と何らかの“共鳴”を起こしている」
低く落ち着いた声が、静寂を満たした。
奥の小部屋に入ると、天井の割れ目から、砂漠の月光が一本だけ射し込んでいた。
その光の先には、古びた祭壇と、そこに浮かぶ小さな“光球”があった。
形は一定せず、霧のように揺らめき、淡い金色の粒子を発している。
「……これは、魔力ではないな」
ルクスが眉を寄せた。
「星霊の残響……あるいは、祈りの結晶か」
アリアの胸がかすかに熱を帯びた。
どこかで聞いたことのある声が、記憶の奥底から囁くように響いたのだ。
(――祈りの力は、形を変えても残る。誰かが願えば、それは次の命へと渡るのよ)
それは前前世、カメリアの記憶。人々の幸せを祈りながら亡くなった彼女が、かつて封じた光の残滓なのかもしれなかった。
その瞬間、月読猫がふいに祭壇の前に立ち、金色の光に前足をかざした。
――ふわっ。
淡い波紋が広がり、砂が舞い上がる。
猫の瞳が、月のように銀色に光った。
「にゃあ……」
短く鳴くと、部屋全体が微かに震えた。
アリアが反射的に光の盾を展開し、モルンが即座に影の幕で補強する。
ルクスは指先を軽く払って風の結界を張り、マコトが一歩前に出た。
「何かが……来るぞ!」
次の瞬間、壁の紋様が淡く光を放ち、そこから黒い靄が滲み出た。
砂漠に封じられていた“怨嗟”の記憶――長き時を経てなお、眠れぬ魂たち。
エリオットが長杖を掲げると、光が走る。
「《守りの環》!」
淡い金光が仲間を包むが、靄の圧力はそれを押し返す。
「影よ――我が手に繋がれ」
モルンが低く唱えると、床に落ちた影が獣のように蠢き、靄の一部を絡め取った。
闇と闇がぶつかり合う音がした。
「……まだ足りん。ルクス!」
『承知。炎、風、そして星の記憶よ、混じりて清めよ――《燐風》!』
無詠唱の声が空気を震わせ、淡い白炎が舞い上がる。
風が靄を切り裂き、炎がその残骸を浄化していく。
戦いが終わると、祭壇の上の光球だけが静かに残った。
月読猫はゆっくりと座り込み、その光を見上げる。
そして、尾の先でそっと触れるように――光球が淡く震えた。
「……あれは、猫の記憶と共鳴している」
ルクスが低く呟いた。
「この遺物、もしかすると“月読”という名の由来そのものかもしれない。砂漠を守護した月の民……その遺志を継ぐ存在だ」
アリアは息をのんだ。
猫は振り向いて、アリアをじっと見つめる。
銀の瞳が語っていた。――「あなたもまた、光を継ぐ者だ」と。
イリスがそっと浮かび、アリアの肩に乗った。
「ねえ、あの子……泣いてる?」
小さな声にアリアははっとした。
月読猫の頬には、ほんの一滴、光の雫が伝っていた。
それが落ちた瞬間、光球の中に小さな花が咲いた。――砂漠では決して咲かないはずの、月光花。
「……この花、カメリアの時代にもあったわ」
アリアの声は震えていた。
「もしかして……あの時、私を守ってくれたのは――」
「にゃ」
月読猫が軽く鳴いた。
それが答えのようでもあり、また違うようでもあった。
だが確かなのは、この遺物が“過去の祈り”と“今の願い”を繋いだということ。
やがて光は静かに沈み、祭壇は砂に埋もれていく。
モルンが尾で風を払いながら言った。
「終わったようだな。……しかし、月読のやつ、ただの守り猫じゃねえな」
「まったくだ」
マコトが肩をすくめる。
「そのうち空でも飛びそうだ」
ルクスが微笑した。
「飛ぶどころか――月の上まで案内してくれるかもしれないぞ」
その冗談に、皆がふっと笑った。
アリアは月読猫をそっと抱き上げ、胸の前で小さく囁く。
「ありがとう。あなたがいてくれて、よかった」
猫は目を細め、アリアの頬にすり寄った。
柔らかな光が二人を包み、夜の砂漠に穏やかな静寂が戻っていった。
その遺物が、後に“砂漠の祈り”として再び力を示すのは、もう少し先の話である――。
ーーー277話へつづく




