視界の月夜八話1
逢夜はルルを抱えながら海辺の砂浜へ足をつけた。目の前はコバルトブルーのきれいな海、後ろは緑の草原、その草原の近くに赤い鳥居と社がある。
「ここが私の世界……。」
「きれいな世界じゃねぇか。ここにだったら俺も住んでみたい。」
茫然としているルルに逢夜はほほ笑んで言った。
どこからともなく優しい風が二人をすり抜けていく。
「……ルルのシステムはどこにあるんだ?」
「わからない……わからないけどその社な気がするの。」
ルルは目と鼻の先にある赤い鳥居の奥の社を指差した。
「そうか。とりあえず、行ってみよう。」
逢夜とルルは赤い鳥居の方へとゆっくり歩いて行った。
そのままそっと鳥居を潜った所でザワザワとなんだかいやな予感がした。
逢夜は咄嗟にルルを庇った。
目の前の社に現世で見たあの塊の厄が真っ黒な柱となって雷のように落ちてきた。
真黒な負のエネルギーの柱は社を囲むように空高く突き抜け、覆っていた。
「……っ!これがルルの負のエネルギー……そしてこの社がルルのシステム。エラーシステムが作動しているのに周りの負のエネルギーで近づけねぇ。」
逢夜が戸惑うルルを落ち着かせながら小さくつぶやいた。
「こ、これが私がため込んだ人々の厄……なの?」
ルルは身体を震わせながら徐々に後ろにさがっていた。
「……そのようだ。……ルル、大丈夫だ。なんとかしてやるから。」
逢夜はルルの肩にそっと手を置きながら何度もルルを慰めた。
だがルルはこの厄が人々の厄ではなく、自分自身の厄なのではないかと直感で思った。
そして自分の心に触れ、実際に厄を見た事でその厄が何の厄なのかはっきりとわかってしまった。
……違う……これは……嫉妬だ。
「ルル、大丈夫か?一回離れよう。」
ルルが目を見開き、その厄を凝視していたため、逢夜はルルをその場から離そうとした。
しかし、ルルはまったく動かない。体を震わせてその厄をじっと見ている。
……悪夢……悪夢だ。
……これは人々の厄じゃない……私の負の感情だ……。
……私が人々の良縁を見つめ、悪いところを厄として吸収し、縁を繋いで……そして愛し合っている人々に嫉妬して……処理すべき厄を自分から発する厄として貯めている?
……私の嫉妬……。これは悪夢だ。
「私は……縁を紡いであげた人に嫉妬なんてしてない……。うらやましいなんてっ……思った事……ない。」
「ルル?」
ルルは頭を抱えてうずくまった。逢夜は心配そうにルルに寄り添った。
「私はっ……そんな事……思ってない……。思ってない!」
ルルの目から勝手に涙が流れた。
……厄を払いに来た若いカップルがお参りに来た後に腕を組んで寄り添って去って行く、楽しそうに笑っている。ああ、良かった。これであの人達はきっと寄り添って生きていける。喜ばしい事だ。
……私はそう思っていつも仕事をしている。
『本当にそう思っている?』
ふと頭の中でもう一神のルルの声が聞こえた。
この声は心の声かそれとも悪夢か。
『私はいつもひとり……ひとりで眺めている。優しそうに女の子の肩を抱く男の人……手を繋ぐ男の人……あの手はあったかいだろうなあ。私は……いつも知らない内に心で泣いている。……いいなあ。私もああいう風にできたら……うらやまし……』
「やめて!」
ルルは頭の声に反論するように叫んだ。
「やめてよ!そんな事思ってない!醜いよ!私は神……そんな事とは無縁なの!」
「おい、ルル……大丈夫か?」
逢夜はルルの背中をそっと撫でた。
頭の声はまだ響く。悪夢はまだ覚めない。
『私はわかっている。逢夜は現世の人じゃない。私は現世の神。次元が違う。はじめて触れた男の人でも結ばれることはない。こんな感情になる事も間違っている。私は逢夜にこれ以上迷惑をかけてはいけない。私はいずれひとり……私はいつもひとり……。』
「……私は……ひとり……。」
「お前は一人じゃない。俺がいる。」
逢夜の優しい一言にルルは目を伏せ、ほほ笑むと
「ありがとう。」
と一言だけ言った。逢夜の優しさはルルを苦しめ、言葉も薄く感じた。
……私の中に……きっとセツ姫さんがいるんだ。
そして私はたぶんセツ姫さんにも深く嫉妬していたんだろう。
表で見せるよりももっと深く……。
ルルは涙を拭うとゆっくり立ち上がった。
「ルル、大丈夫か。とりあえず、確認はできたから俺の姉弟の所に行こう。色々調べてくれているはずだ。」
逢夜はルルを優しく抱きしめた。
ルルはその温かさを感じ、それを幸せに思いながら頭は別の所にあった。空虚な目で逢夜を見、
「うん。逢夜、ありがとう。……私、逢夜の事……好き。」
と感情なくつぶやいた。
逢夜は複雑な表情でルルを強く抱きしめるとルルの世界から静かに離れた。
悪夢は覚めることなくルルの本体へと入り込んで来ていた。




