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視界の月夜五話6

 夜中、家臣達が寝静まった後、逢夜は屋敷から外へと出た。逢夜が寝泊まりしていた部屋は馬小屋の近くにある。逢夜が自らこの汚い馬小屋付近で生活すると言い出し、軍師は必死に止めた。しかし逢夜は謙遜しつつここに住む事にした。軍師は納得がいかない顔をしていたが頷いた。


 ……ここで生活する方が俺にとってはいい。屋敷から離れている事で俺が屋敷の奴らに気がつかれにくい。


 ……そして……。


 逢夜は先程からこのぼろ小屋でセツ姫の悲鳴と泣き声を聞いていた。


 ……すぐ近くにセツがいる……。まだ死んではいねぇだろ。

 ……早くあの男を殺さねぇとセツが死ぬ……。


 ……だから俺は何を考えてんだ。あいつが死のうが何しようが別にどうでもいいだろ。

 ……もう他人で俺はあいつを売った……もう関係ねぇんだ。


 逢夜は頭を振り、すぐ近くの馬小屋の脇にあった物置小屋の扉を開いた。


 ……やはり、趣味嗜好する場所はここか。


 逢夜の目の前には藁紐で繋がれている裸のセツ姫が体中から血を流して倒れていた。

 雪が降る中、やせ細ったセツ姫は身体を震わせて蹲っていた。


 ……死ぬのも時間の問題だな。


 逢夜はそれを確認して扉を閉める予定だった。だがそれができなかった。勝手に足がセツ姫の方へ向かい、抱き起していた。


 「おい……しっかりしろ。」

 逢夜が声をかけたがセツ姫は反応しなかった。体がとても冷たい。


 ……俺は何をやってんだよ!こいつに構っている暇はねぇんだ。


 近くに火鉢が置いてあったので外の様子を窺いながら火をつけた。その後、傷の度合いを見て脱ぎ捨てられたセツ姫の着物を切り裂いて圧迫止血をした。


 セツ姫の左手に酷い火傷があった。


 「……火鉢で手を焼かれた……のか。近くに吐しゃ物……。血のついた枝……他にも違う暴行をされたんだな。爪も剥がされている……こりゃあ……思ったよりもひでぇな。」

 物置小屋は血とおう吐物の匂いでむせ返るほどだった。


 太い木の枝、鋭利な矢じり、鉄の板……釘のようなもの……どれも馬に使うようなものではない。


 「ん……。」

 やがて少しの時間が経つとセツ姫が目を覚ました。

 逢夜に抱かれている事に気が付くとまた切なげに笑った。


 「……あなたは逢夜様ですね……。どうして……ここに?」

 セツ姫は逢夜の言いつけ通り他人として振る舞っていた。


 「……た、たまたまだ……。」

 逢夜は戸惑ったままかろうじて答えた。


 「……もし……私の夫に出会う事がございましたら……伝言を……。大きな声で悲鳴を上げましたら……軍師様は大変お喜びでした。……ですが……明日から私はもう……大きな声を出すことができません……。ごめんなさい……。」


 セツ姫のか細く消えてしまいそうな声を聞き、逢夜は身体が震えるのを感じた。


 ……俺は……たかだか十六の娘に何てことをさせてんだ……。くそ……。冷酷になれ……感情を失くせ!同情なんてするな……。かわいそうだなんて思うな……。俺は目的のためにしか動かない男だ……。俺はそういう男なんだ……。


 逢夜は心を完全に殺す事はできなかった。意思とは裏腹に勝手にこみあげてくる涙を止める事ができなかった。


 ……俺はこんな素直な女になぜこんな酷な事を……。


 「逢夜様……どうなさいました?」

 セツ姫の暗く沈んだ瞳はまったく動かずに逢夜の方を向いていた。


 逢夜は涙を乱暴に拭くとそっけなくつぶやいた。


 「どうもしねぇよ……。夫からお前へ伝言をもらって来た……。お前を解放してやる。奴を殺してくるからさっさと失せろ……。」

 逢夜はそれだけ言うとセツ姫を置いて外へ飛び出した。


 「逢夜様……。」

 セツ姫は去っていく逢夜の背中を弱々しい瞳で見つめた。


 ……あいつ……さっさと俺が殺してやる。セツが死ぬ前に……。


 逢夜は冷静な判断ができていなかった。あの男を暗殺するのは容易だった。だが殺す時期があった。今度起こるだろう隣国との戦に自分も参戦し、一度勝ってから軍師を殺すつもりだった。


 そして殺した後に、拮抗する戦力で小競り合いが始まり、弱った所を甲斐の国が入り込む。そういう予定だった。


 逢夜は屋敷へと音も立てずに入り込むと他の家臣達にまったく気づかれる事なく障子戸を開け、軍師の部屋へ入り込んだ。軍師は大口を開けて眠っていた。


 枕元に立ち、小刀を取り出すとそのまま首を刺した。


 飛び散った血が逢夜の頬をかすめて飛んだ。小刀を引き抜くと絶命した軍師の着物で血液を拭い、そのまま走り去った。


 血液も被らず足跡もつけずに軍師を暗殺した逢夜は再びセツ姫の元に戻ると何も言わずに縛られている藁紐を切った。


 「……夫からの伝言だ。もう自由に暮らせ。」

 逢夜はその一言だけ言うと夜の闇へと消えて行った。

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