視界の月夜五話3
……俺はこの女をどこへ連れていく気なんだ……。くそっ……いつの間にか女が殺せなくなっちまった……。
逢夜は木の枝で知らずの内に立ち止まっていた。
「あの……私、あなたを恨んでおりませんよ。これは私が悪いのですから。よく考えれば逢夜様が子を欲しがらなかったわけがわかったはずなのです。」
それを見計らったかのようにセツ姫が小さくつぶやいた。
「ああ、お前はとんだ馬鹿だ。この元凶はお前だ。」
逢夜はそっけなく言い放ったがセツ姫は切なげにほほ笑んでいた。
「ですがこんな、売れ残りで使い道のない女に夢のような夫婦生活をさせてくださり感謝しています。……私は一生の思い出ができました。」
「……そうか。そりゃあ良かったな。」
逢夜はそっけなくつぶやいたがセツ姫の表情に絶対に沸き上がってきてはいけない感情が出て来てしまった。
……馬鹿。俺は何を考えている……これは仕事だ。同情するな……。セツはいつもこうだ。優しくて柔らかくて俺に甘えてくる。いっそのこと恨まれてぇな……。
雪が降りしきる中、逢夜はセツ姫を連れ、小さな洞窟の中に入り込んだ。今夜は大雪だ。どうせ朝方しか隣国に入れないから隣国に近いこの洞窟で一夜を過ごすことにした。
「……私を殺さないのですか?」
セツ姫はもう一度逢夜に尋ねた。逢夜はセツ姫の腹を乱暴に蹴ると言い放った。
「うるせぇ。殺さないでも使える手を思いついただけだ。……しばらく俺の奴隷として動いてもらうぜ。拒否したら容赦なくぶん殴るから覚悟しておけ。」
セツ姫は洞窟の岩肌に思い切り背中をぶつけ、腹を押さえるとうずくまった。
「うう……あ、あなたの考えている事はわかります。隣国の女好きの軍師に私を売るおつもりでしょう?そしてあなたはその軍師と近づき、その軍師を殺す……。」
「その通りだ。よくわかったな。まあ、こんなの誰でも予想できるか。あの軍師に買われたらお前は間違いなく死ぬ。せいぜい残り短い人生を楽しめ。」
逢夜はうすら笑いを浮かべるとセツ姫の横に腰を下ろした。
「……顔合わせをしたことはありませんが軽い風の噂で聞いたことがあります。あの軍師さんは女を買うと残虐行為しかしないと……。特殊な性癖の持ち主だとも聞いたことがありますが戦になれば負けなし……とも。」
「ああ、その通りだ。あの軍師は女の悲鳴が好物だ。腕をもがれるかもしれねぇし、刀の試し斬りに使われるかもしれない。もちろん蹂躙されてからだ。叫ぶ余力がなくなればごみのように捨てられてそこらにいる乞食に回され、殺される。お前もそうなる。いいだろ?」
逢夜はセツ姫に恨まれたかった。憎んで死なれた方が殺す側からしたら気持ちが楽だからだ。自分が最低な『ひとでなし』だと思えた方が次の仕事に行きやすかった。
「そうですか。……あなたの役に立つには悲鳴を沢山上げた方がいいのですね?」
しかし、セツ姫は予想外な返答をしてきた。逢夜は驚いて目を見開いた。
「お前……何言ってんだ?馬鹿か?お前はこれから死ぬほどの苦痛を受けてから殺されるんだぞ?」
逢夜はなぜか焦りながら声を上げた。
「ええ。もう私はどこへ行っても必要のない女。ただ、唯一……夫である逢夜様について行く事が私の存在理由です。逢夜様がそうしろとおっしゃるのなら従います。お父様の件の罰のようなものです。」
セツ姫は顔を手で覆い、肩を震わせながら泣いていた。
「ふざけんな……。俺はお前の夫じゃねぇ。お前、頭おかしいだろ。だから売れ残ったんじゃねぇのか?」
逢夜は柄にもなく叫んだ。
……俺はなんでこんなにムキになっている?この女の事なんてどうでもいいはずなのに!
「……そうですね。私は売れ残りだったんです。昔から変わっていると言われ男の人は私を欲しがらなかった。別に美しいわけでもなかったですしね。逢夜様が私を好いてくださっているとお聞きした時、とても嬉しかったのを覚えております。演技でも嬉しかったのですよ。十四の娘には。」
セツ姫は涙で濡れた顔でまた逢夜に切なげにほほ笑んだ。
……やめろ……。もっと俺を恨め!恨んでくれ……。
「ですから……明日からは初めて会った他人で構いません。今晩だけ……私の肩を抱いていてくださいませんか……。」
「……やめろ……。俺に触るな……。お前はどうして俺を恨まねぇんだ!おかしいだろ!」
逢夜はセツ姫に怒鳴った。恨んでいる……その一言と自分を睨みつける瞳が見たかった。
だがセツ姫は切なげにほほ笑むだけだった。
……なんで……なんでそんな顔で笑えるんだ……。
逢夜の心は見透かされているように思えた。




