闇の世界8
ツクヨミ神がいる場所まで行くことにした逢夜達がオオマガツミから逃げている最中、千夜、狼夜、猫夜、千夜の息子の明夜は最後に凍夜に会ったあの場所へ近づいていた。
狼夜の刀を奪うためだ。
行く場所は変わり果てた「K」の世界だ。
「猫夜を使う」
千夜は狼夜にそう言った。
「お姉様を! 危険すぎます……」
狼夜が叫ぶ中、猫夜は始終こちらを睨み付けている。
「猫夜は私が守る。凍夜の意識を一瞬でもそらし、狼夜が刀を奪いやすくする。だが、無理はするな。無理ならば、私に指示を送れ。すぐさま逃げる」
「し、しかし……」
狼夜が渋っていると、猫夜が勝手に動き出した。
「……?」
猫夜はなぜ自分が勝手に動いているのかわからなかった。
千夜が突然に手足の綱を切る。
「傀儡の術だ。油断したな、猫夜。とりあえず従ってもらうぞ」
千夜は感情なく猫夜に言い放った。
「ちっ。いつの間に……」
意思とは反対に自ら噛まされていた手拭いを取る。
「そうではないだろう」
千夜が猫夜に触れると、猫夜は催眠術にかかったように表情を虚ろにした。
「私と凍夜のところにいくのだ」
「千夜お姉様、私とお父様の元へ帰ります」
「そうだ」
「はい」
猫夜は千夜の言葉を復唱すると、素直に頷いた。
「お、お姉様!?」
「心配するな。催眠術だ。まあ、催眠がとけたら噛みつかれそうだがな」
心配する狼夜に、千夜は苦笑しつつ答えた。
「あ、あの……俺は……」
明夜は特に何も言われず、ただ千夜の後をついてきただけだった。
「明夜……明夜は安全な場所にいてくれ」
「そんな……俺、役に立ちたいのに。お母様の」
ストレートに言う明夜に、千夜はなんだか気恥ずかしかった。
……私は明夜を「産んだだけ」だ。育てていない……。どう対応すればいいのか。
「お母様……」
明夜はあきらかに落ち込んでいる。相手にされていないと思ったのか。
「すまぬ。では、明夜は私達の退路を作ってくれ。なにかあった場合に完璧に逃げられるように」
「わかりました!」
明夜は役割が与えられた事に喜んでいた。
……ああ。
千夜はしみじみ思う。
泣いていた猿みたいな赤ん坊が、「あの人」と同じ顔で笑う。
不思議なものだな。
……本当は、今の世の中のように夫と力を合わせて子を育ててみたかった。
「明夜、頼んだぞ」
「はい!」
明夜の返事を聞きながら、千夜はふと思ったことを尋ねることにした。
「明夜、一つ聞く」
「はい?」
「お前は生前何をしていた?」
千夜の問いに明夜は柔和に笑う。
「はい、俺は凍夜望月を中から変えました。望月家内で、拷問で傷ついた方、精神を病んでしまった方をなるべく介抱し、和気あいあいになるように努力しました。俺がまだ、十歳あたりで凍夜が死にましてね……。ああ、お婆様方……えーと、お母様のお母様達が凍夜を殺しまして……その……」
「そうか。私は早々と死んでしまったから、凍夜の末路は知らなかった。ありがとう。明夜がやったことは大きいな。お前の子孫、俊也とサヨは幸せに生きているよ」
「お母様……寂しかったですよ。でも、俺には本当のお父様がいましたからね。お母様が天から見ておられると、頑張りました」
千夜はやや涙ぐんだが、気持ちをもとに戻した。
「夢夜様……旦那様を久々に思い出した。ちゃんと会いたいが、今はそれどころではないな」
望月夢夜、千夜の旦那だ。凍夜が連れてきた、別の異端望月家の次男だ。
夢夜とは命令で結婚した。
千夜は夢夜がどんな人物でも良かった。子を作る以外はどうでも良かったからだ。
だが、夢夜は千夜に人間の心を取り戻すくらいに優しくしてくれた。初めて夢夜と共に寝る時、千夜は自分にある複数の傷跡を見られたくないと思った。女らしく恥じらい、幼い女の子のような雰囲気で、夢夜に泣きながらあやまった。
「汚い体で申し訳ございません。夢夜様……嫌かと思いますので、早々と終わらせましょう」
千夜はそう言った。
夢夜は千夜に女性としての美しさや初恋の恥じらいなど、元々あった人間らしい感情を千夜の内部から引き出してしまった。
凍夜から受けた仕置きや拷問による傷だらけの体を夢夜に見せて、嫌われるのを恐れていた。
しかし、夢夜は苦笑いで千夜を見つつ、こう言った。
「……嫌? そんなわけないではないか。かわいそうにな。あの男は酷すぎる。少女相手になぜ、ここまでの事ができるのか。辛さはよくわかる。俺にもわかる。俺も見せられる体ではない。こちらにおいで……俺は千夜を大切にしたい。千夜に酷いことはしないと約束する」
初めて同情され、千夜は夜着を握りしめて泣いた。その後、千夜は幼い頃にできなかった親に甘えるという行為を夢夜にしてもらった。
頭を撫でて、誉めてくれた。
抱きしめて同情してくれた。
子守唄を歌いながら一緒に寝てくれた。
千夜は自分の精神が幼子であることに初めて気がついた。
大人になっても奥底にある精神は変わらず、成長しない体は精神に釣り合っていたらしい。
「あの、私……初経が……まだ……子供は作れぬかもしれませぬ」
真っ赤になりながら、二十歳過ぎの千夜は夢夜に申し訳なさそうに言った。
「問題はない。今日は俺と話そうか。しかし、千夜は痩せすぎている。しっかり食べさせてやるから安心しろ。甘えてくるお前はかわいくて仕方がない。普段の雰囲気は威厳があるが」
彼は別家系だが異端望月なのに、残虐な感情を持っていなかった。
その後、夢夜からの食材の差し入れや、かわいがられることにより、精神がある程度安定し、子を身ごもれた。
その夢夜の優しい思想が明夜に受け継がれているのだ。
……私は彼を産み、やつに奪われた後、ある戦で子供をかばい、あっけなく死んでしまった。
知らない子をかばった理由は……産まれた息子が愛おしかったのだ。あいつに奪われたあと、虚しさを埋められなかった。
子供をみると、全部……
息子に見えたんだ。
「お姉様?」
狼夜に尋ねられ、千夜は一瞬ぼうっとしていたことに気がついた。
「いや、優しい世界を作らねば」
「はあ……」
目を丸くしている狼夜に、千夜は何事もなかったかのように先の指示を始めた。
「凍夜がいる。気配が冷たい。明夜、様子を見つつ退路を、私は猫夜を連れて油断させる、狼夜はいけそうならば刀を奪え」
「わ、わかりました」
「私は強い。問題はない。全員守れる」
千夜は小さく呟き、そっと目を開く。
「あ……」
狼夜はなんだかゾクゾクした。
千夜は自己暗示をかけている。
本物の忍がおこなう技の一つだ。
……かっこいい。
狼夜はそう思いながら、自分も気合いをいれた。




