壊された世界14
サヨはわめき散らした後、泣き出した。
「大事な記憶なんだ……。あたしが生まれる前の大事な記憶……優しさなんだ」
サヨがつぶやくのと、黒い渦が消えるのが同時だった。サヨは力なく地面に座り込んだ。
「おい! 大丈夫か!!」
「サヨさん!」
逢夜と憐夜が慌ててサヨに駆け寄った。
「大丈夫じゃない! 記憶にオオマガツミとかいう神が入ってきた! 悔しい! 許せない……。あたしの鏡でもあるごぼうちゃんから侵入してきたっ! なかにっ! 中に入ってっ……」
「サヨ……」
逢夜がサヨに近づく。
サヨは涙を流しながら逢夜を見上げた。顔色は悪く、ひどく怯えた顔をしていた。目は見開いたまま、体の震えを抑えるように両腕で自身を抱いている。
「……怖い……」
サヨは小さくつぶやいた。
「……怖いィ……。コワイっコワイっコワイィぃ! たすけて……っ! だずげで!! ナカニッ……イル!!」
サヨは歯をならしながら顔を恐怖に歪ませ、逢夜に手を伸ばす。
逢夜は咄嗟にサヨを抱きしめた。
サヨの小さな肩が異常なくらい震えている。
「しっかりしろ! サヨ! 俺達が……いるから! ……くっ……まずいっ! オオマガツミがサヨに、俺達が持っていた負の感情を植え付けてる!……憐夜! いますぐ逃げろ! それでメグを連れてくるんだ! メグはどうすればいいかわかるはずだ!」
「お、おにいさまっ……」
憐夜は怯えていた。
「早くいけぇ!」
逢夜がさらに叫び、憐夜は慌てて世界から去っていった。
「ゴメンナサイ! ユルシテクダサイ……! モウシマセン……イタイコト、シナイデェ!!」
サヨは狂ったように謝罪と叫びを繰り返す。
「サヨ! しっかりしろ!」
逢夜の呼びかけには応じず、サヨは豹変し、今度は怒りを滲ませていた。
「ナグラネェト、ワカラネェノカ! オレハ、オマエラヲ、マモッテンダゾ! イッソノコト、コロシテヤロウカ?」
サヨの言葉に逢夜は青ざめた。この感情は逢夜が生前持っていた感情だ。狂ったルールだとわかった上で、痛め付けて従わせる。
逢夜は唐突に恥ずかしくもなり、悲しくもなった。
「俺のか……サヨ、ごめんな……」
サヨは逢夜の謝罪を無視し、逢夜に殴りかかった。
逢夜は抵抗せず、サヨの暴行を受け入れる。受け入れるしかなかった。
サヨは黒い感情に支配され、瞳孔が開いたまま、逢夜を殴り付け始めた。
「……ああ。俺はこんな顔をして弟や妹を殴っていたのか……」
逢夜はつぶやき、サヨを見る。
サヨは口角を引き上げ、無理やり笑うと容赦なく蹴りあげてきた。
「イタイダロ? モウ、イタミヲ、カンジタクナイナラ、二度とやるなァ!」
逢夜は素直にサヨの蹴りを受けた。
軽い。
訓練していない女の脚力はこんなものだろう。逢夜はそれよりも、訓練した男の暴力を受けた弟や妹の感情を思い出していた。
胸が苦しくなり、一生消えないだろう傷を広げる。
「……謝罪をしたところで変わらねぇ……。サヨを助けなければ……オオマガツミを消すには……俺の妻、ルルが……いる」
逢夜は深く息を吐くと、サヨに向き直った。
※※
サヨと連絡が切れて、戸惑ったアヤは黒い渦の世界で立ち尽くしていた。
……時間がおかしい……。
気がつくと過去に戻されそうだ。
「時間を元に戻さないと……私は向こうの神だけれど、時間を現代に戻せるのかしら……」
ずっと立っているわけにもいかず、アヤは覚悟を決めて黒い渦と黒い砂漠の世界を歩き始める。
「きゃっ!」
少し歩いたら何かにつまずいた。
黒い砂嵐で視界は悪い。砂ばかりの所に何か固いものを踏んだ。
「……え……」
アヤは黒い砂に埋まっている何かを掘り出した。男の腕が覗く。
……まさか……。
アヤは血の気がひくと、一心不乱に地面を掘り始めた。目からは自然と涙が溢れる。
掘るたびに誰だかわかっていく。
完全に体を出したところでアヤは言葉をうしなった。
「ミノ……」
アヤが掘り起こしたのは酷い怪我をしているミノさんだった。
刀で斬りつけられたような傷がある。
「ひどい……なんで、こんなことに……。雷夜さんはどうなったの?」
「……」
アヤがミノさんに話しかけると、ミノさんは意識を取り戻した。
「……あ、アヤ……。ここから早く……出ろ! 雷夜は消えた。もういない! それっ、それより……」
ミノさんは苦しそうに咳き込みながら、アヤに何かを言っている。
アヤはミノさんの言葉がほとんどわからなかった。
「私は、サヨと通信が切れて、この世界から動けないのよ……」
アヤはただのかえるのぬいぐるみに戻っているごぼうを、ミノさんに見せた。
「お願いだ……はやく……」
ミノさんは状況を一生懸命に話そうとするが、声が出ないようだった。
「今はしゃべらないで。怪我が酷いの……」
アヤは泣きながらミノさんの手を握っていた。
「……クソォ!」
ミノさんは突然、声をしぼりだして叫ぶと、無理やり体を起こしてアヤを投げ飛ばした。
アヤはミノさんの少し離れた場所に尻から落ちた。
「いたっ……み、ミノ!?」
アヤは困惑しながらミノさんに目を向ける。ミノさんは乱れた呼吸のまま、目の前の黒い影を睨み付けていた。
アヤは黒い影から、薄ら笑いを浮かべている凍夜が出てくるのを見た。刀を振りかぶっていた所からすると、前触れもなくアヤを斬ろうとしたようだ。
それをミノさんが助けたのだ。
「ははは! まだ息があったか」
凍夜は不気味に笑うと、ミノさんにトドメをさそうとしていた。
「ま、待って! お願いっ!」
アヤは必死に声を上げるが、凍夜は楽しそうに笑っているだけだった。
そこへ、小さい影がミノさんの前に飛び込んできた。凍夜の刀を結界で弾く。
そのまま結界をアヤまで伸ばし、ドーム状に囲った。
「あ……あやっ!」
結界を張って凍夜から守ったのは、Kの方のあやだった。
「Kの世界の修復なんて、できないわ……。こんな状態で……」
「っ! じゃあ、ここは……」
あやの言葉にアヤは目を見開いた。
「Kの……世界……」
アヤが小さくつぶやくのと、凍夜が刀を振る音が同時だった。
あやが結界を強化する。
凍夜は結界を破れず、眉を寄せた。
「……メグがやられた……。私も長く持たない……。なんとかしないとっ」
「メグが……」
アヤは絶句した。こんなにも状況が変わっているとは思わなかった。
「私ひとりじゃ……なんにも……」
アヤはふと、以前ミノさんに言われたことを思い出した。
……戦える神に頼め……。
「……」
絶体絶命の中、アヤは息を吐くと、弐の世界から壱(現世)の世界へ、太陽神の頭、サキを祈るように呼んだ。
……私の友達で、力を持っている神はサキしかいない。
助けて……サキ!
お願い……届いて!
テレパシー……届いて……。
アヤは奥歯を噛みしめて、うつむいた。アヤにはもう、誰かに助けを求める以外、なにもできなかった。




